とうのやまじょう

東野山城

滋賀県長浜市

別名 : 東野山砦、実山砦、左禰山砦、左祢山砦
旧国名 : 近江

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主郭
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ぴーかる

堀秀政の陣城 (2024/12/01 訪問)

【東野山砦】
<駐車場他>城跡まで車で行けますが、砂利道で落石も多く落ちているので、前投稿の菖蒲谷砦手前の場所に停めて菖蒲谷砦から尾根を登って行った方が砦の連結部分がわかって面白い。車で行くには菖蒲谷砦の投稿ポイントから道なりに行って分岐を左(案内板がある)、進んで着きます。2.5㎞くらいです。
<交通手段>車

<見所>土塁
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅ラスト5城目。現地説明板によると東野山は別名実山ともいい、京極氏、浅井氏の配下であった豪族の東野豊前守一族の居城があったところです。賤ヶ岳の戦いでは堀秀政の陣城で行市山に陣する佐久間盛政と対陣したようです。
 砦跡は南北に主郭と副郭があり両郭を土塁と横堀で囲んでいます。副郭内部は土壇があり建物があったようです。主郭は北東隅が段状に上がっていてます。虎口は副郭の南側に枡形があり西側の主郭腰曲輪へ流される感じになっています。主郭の北側が広い削平地があり武者溜まりになっていたかと感じました。主郭西側の腰郭から尾根を下って行くと支城の菖蒲谷砦に行けます。先の菖蒲谷砦での重複記述になりますが、東野山砦~菖蒲谷砦間の尾根の遺構には竪土塁、ジグザグに折れのある切通し、▢状の土塁のある曲輪があり菖蒲谷砦との連携防御の遺構が楽しめ一見をお勧めします。これにてこの旅終了、前日に今日のスケジュールで登城しようとやって来ましたが、曇り予報のはずが湖北にやって来ると雨がどしゃぶりだったのでガソリン・高速代勿体なかったが撤退しました。翌日のこの日あらためて予定通り攻略できました。走行距離316㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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ぴーかる

東野山砦の出城 (2014/12/01 訪問)

【溝谷砦】
<駐車場他>前投稿の菖蒲谷砦と同じ場所または砦跡を囲むように道路が360度カーブになっている場所の道路脇に停めれる。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅4城目。城びと未登録の菖蒲谷砦は東野山砦(堀秀政の陣城)の支城であったようなので東野山砦での投稿とします。進入口はないようで、360度カーブの曲がった東側の切岸をよじ登るしかないようです。
 砦跡は北東上方に堀切があり曲輪は3段構造になっています。小さな砦跡で真ん中の舌状曲輪が一番広いです。その周りは道路で潰されているので遺構があったかどうかは分かりません。菖蒲谷砦に寄る方、またはこの道路を通る方であれば是非寄って見てもいい遺構です。

<満足度>◆◇◇

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ぴーかる

東野山砦の出城 (2024/12/01 訪問)

【菖蒲谷砦】
<駐車場他>高速道路の陸橋を渡ります。バリケードがロープで簡単に外せるようになっているので外して進む。砂防ダムの横<35.550410, 136.205539>の分岐から砂利道になるのでここに停めました。
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅3城目。城びと未登録の菖蒲谷砦は東野山砦(堀秀政の陣城)の支城であったようなので東野山砦での投稿とします。
 まずは登城路から。上記駐車ポイントから分岐を左手に入ります。奥に進んで行って、行き止まり的な感じで右手藪化、左手細道、真左りの崖が何となく登れそうな感じになっているので、その崖を直登します。何となく踏み跡の道がありますのでジグザクに登って登り着いたら砦跡があります。砦跡の東斜面から登り着く感じになります。
 尾根の斜面を削った砦跡で、主郭は土塁囲み、北側に深い堀切があり、上段に副郭があります。副郭にも土塁があります。主郭の東側に武者走りがあり、主郭南側は△状の虎口と思われる削平地、細尾根が南に伸びています。副郭の北側の尾根を登って行くと東野山砦にたどり着けます。尾根道は竪土塁、ジグザグに折れのある切通し道があり、切通しは副郭の北側で堀切となって西斜面に落ちていってる所が見応えがあります。
 この東野山砦へと通じる尾根道には上記のような遺構や小さいながら▢状の土塁が残る曲輪があり東野山砦との連携した遺構が観察できます。東野山砦まで車で行けますが、落石が多く落ちていたりして道があまり良くないので距離はありますが菖蒲谷砦から続けて登ると楽しめます。

<満足度>◆◆◇
<追記>菖蒲山砦を見終えて車に戻り水分補給と装備を整えていると視線を感じ‥‥こちらをガン見している奴が。約5分このポーズでフリーズにらみ合いの末、ゆったりと山へ戻っていきました。

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堀秀政 (2024/11/28 訪問)

 賤ヶ岳の戦いにおける羽柴秀吉方・堀秀政の陣城で北国街道を挟んだ行市山に布陣する柴田勝家方・佐久間盛政と対陣しました。堀秀政はここを拠点として柴田勝家軍を食い止め秀吉の勝利に貢献したと伝わっています。ただ賤ケ岳の戦い以前から城はあったとされ時期は不明ですが、東野氏が詰城を築城したことが始まりとされています。現在残っているものは東野氏時代のものではなく、堀秀政が構築したものとされています。曲輪、土塁、空堀がよく残っています。コンパクトですが、楽しく散策しました。

 木ノ本駅から余呉バスに乗り「よご認定こども園」下車。そこから徒歩で登城しました。林道が城址まであり車でも行けますが、未舗装で比較的細い片方崖の山道です。林道の入口には獣除けの門があり東野山砦2.3Kmの表示がありました。そこから只管歩きますが、勾配もきつくなく歩きやすい道です。「もう2Kmくらい歩いただろう」と思ったところで残り1Kmの表示があり苦笑とため息。40分くらいで城址へ行くことができました。この日は城跡近くに軽トラックとショベルカーが来ていて道の整備をされていました。だから林道に倒木などほとんどなかったのかと思い感謝です。
 あさんが投稿されていた溝谷砦は林道の途中に上り口があることはわかりましたが、時間の都合もあり立ち寄ることことなくスルーしました。この付近には他にも賤ケ岳の戦い関連の砦が多くあり、機会があれば行こうと今のところ思っています。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 東野氏
築城年 不明
主な改修者 堀秀政
主な城主 東野氏、堀秀政
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口
指定文化財 市史跡(東野山城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 滋賀県長浜市余呉町大字東野字大谷
問い合わせ先 長浜市教育委員会文化財保護センター
問い合わせ先電話番号 0749-64-0395