おおみつがだけじょう

大三ヶ岳城

福岡県北九州市

別名 : 大三ケ岳城、大三岳城
旧国名 : 豊前

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三角城主郭
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しんちゃん

三角城D・三角城(主郭)・三角城B (2025/05/04 訪問)

三角城Eを訪問した後は三角城主郭を目指します。三角城Eから三角城主郭へは三角城Dを介して尾根上を移動することが出来ます。三角城DはEに比べるといささか地味で、尾根上に数段の扁平地が有るのみです。主郭と最前線であるEを繋ぐための砦というイメージです。Dを尾根沿いに下ってから主郭を目指します。例によって中段に腰郭らしきものがありますが、途中から直登で登って行きます。上まで登りきると主郭が広がっていて三角点も有ります。ここが大三ヶ岳城攻めの攻略の中心になるわけですか。
周囲はなかなか急峻ですが、北側の尾根は緩やかで複数の腰郭が有るようです。そのまま北に向かっていくと三角城Bに行くことが出来ます。地形図を見ると主郭からCにも行けそうに見えますが実際は別ルートになります。一度下まで下って行くと、Bへたどり着くには比高10数mの丘陵を登る必要があるようです。周囲を見渡せるポイントを随所にしっかり押さえているようです。三角城Bの頂部には扁平地が広がり三角点も有りました。東側にも腰郭が有ったような気がしますが、少し記憶が薄れて来ています。Bから下って谷道に降り三角城Cを俯瞰で眺めます。三角城Bは先ほどCの上から眺めているので、ここで戻ることにします。
地形図を見ながら谷道を東に向かって進んでいくと、程なくして最初の分岐に戻ることが出来ました。すでに4時半ぐらいになっているので吉川城を見るには少し時間が足りません。いずれ再訪した際には小三岳城も見てみたいと思います。小三岳城から下に降りる安全な道が有れがだいぶ楽が出来そうなのですが。

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しんちゃん

大三ヶ岳城西の郭・三角城E (2025/05/04 訪問)

大三ヶ岳城は二重堀切の東側一帯が主郭とされ、西側と北側の丘陵も城域と思われます。大三ヶ岳城の西側の丘陵は頂部に広い郭を持っていますが土塁などの防御設備は見当たらず、東側に腰郭らしきものが付いていました。
西の郭と谷道を挟んで真向かいに三角城Eとされる丘陵が迫っています。三角城Eというのは大三ヶ岳城・小三岳城を包囲した毛利方の三角城を構成する陣城の一つですが、ひとつひとつが砦と呼んでも良い規模を持っていて、腰郭もついています。この三角城Eをはじめ三角城を構成する砦郡には土塁などが見当たらず、当時としてはどのような状況だったのか興味の涌くところです。三角城Eの東側の切岸は急峻で下から登るのは大変そうです。大三ヶ岳城の西の郭を降って行った先に三角城の裏手に回り込める踏み城が続いているので、そこから三角城Eを訪問しました。
三角城Eに向かう途中、谷が南側に続いていて、その先に三角城F・G・Hと続き、小三岳城に至るのですが、この急な谷を下って行って、また登って来るのはしんどいと考え、まずは三角城攻略を優先しました。吉川城を含め敵味方すべての城域を散策するとなると一日モノだと思います。まだGW城攻めの初日なので、ペース配分も考えています。

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しんちゃん

大三ヶ岳城 敵の毛利方の陣城を含めて広大な領域が城域となっている。 (2025/05/04 訪問)

大三ヶ岳城はかつて地域一帯に勢力を誇った長野氏の城です。保元2年(1157)左大臣・平時盛の六男・平康盛が豊前国司として下向し、長野氏を称したのが始まりとされています。長野種盛の時代には大三ヶ岳城、小三岳城、下長野城、丸ヶ口福相寺城、稗畑城、上長野城らの緒城を一門で固め勢力を伸ばしますが応永6年(1399)中国の大内盛見の軍門に下ります。
大三ヶ岳城の周囲には永禄11年(1568)に長野氏を攻めた毛利氏の陣城である吉川城と三角城があり、いずれも多くの砦を有していて、その規模は周辺の山々一帯に及びます。吉川城・三角城には毛利方の吉川氏・小早川氏・益田氏が陣取り壮大な包囲戦を仕掛けていたようです。特筆すべきは大三ヶ岳城の郭を構成する西側の丘の目の前の丘に三角城の砦が築かれていることです。敵の城塞を包囲するために周囲に陣城を構築することは良くあるのですが、ここまで間近に肉薄しているのは見たことがないです。
今回は三角城本城と三角城E・D・Bも合わせて訪問していますが、これらの記号は城郭放浪記さんの呼称を参照にさせていただいています。三角城Eの南方にも支城が伸びていて南端の支城の東に長野方の小三岳城があります。
今回は吉川城と三角城の砦のいくつか、小三岳城は時間・体力の都合で未訪になりますが、実際の訪問時間だけでも3時間半のボリュームがあります。おそらく全て訪問しようとしたら8時間近くはかかるのではないかと思います。近場で有れば再度訪問して残りの部分も見てみたいとは思うのですが。
長丁場になりそうなので、周辺で長時間駐車出来そうな場所を探し、登城道に向かうと、入り口はゲートで閉じられていて施錠がされています。「不発弾」は回避したいので、南の民家を訪問して話を聞くと、脇から入っていいよと即答を頂きました。城址に理解のある方で長野城も訪問するといいよとアドバイスを受けました。
ゲートの脇が空いているので、そこから入って林道をしばらく登って行くと城域の入り口に突き当たります。右手(北)が吉川城に向かう尾根ですが、ここは南に向かって大三ヶ岳城を目指します。まっすぐ進んでいくと、右手(西)に敵方の陣城である三角城Eが迫って来ます。左手(東)はすでに大三ヶ岳城の城域になるので、そこへ取りつき主郭を目指します。堀切を二つ越えると主郭になりますが、この堀切の一つはなかなかの大きさです。大三ヶ岳城の構造そのものはシンプルで主郭の北西と西側に郭を配した構造になっているようです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 長野種盛
築城年 弘安年間(1278〜1288)
主な城主 長野氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
住所 福岡県北九州市小倉南区辻三