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にのまる

奥州藤原氏、阿津賀志山の戦い(1189年)のときの防塁 (2019/12/04 訪問)

 偶然見つけた藤田城に寄り道後、探索再開しました。
城びとの地図の場所ではなくて、「下二重堀(しもふたえぼり)地区」の防塁です。(写真の感じからdougenさんが行かれたのと同じ場所だと思います。)

源頼朝が奥州藤原氏を滅亡させた奥州合戦の戦場となったところで、鎌倉幕府成立が1192年だった世代(皆さまもそうだと信じております。)には、この戦いに勝利して幕府成立ですが、現在は解釈が違うかもしれません。(先に寄った藤田城はこの時に源頼朝が布陣したところでした。)

阿津賀志山の戦いのために築かれた防塁は現地解説板によると長さ3.2km。下二重堀地区の周辺は畑が広がっており、一帯が戦場だった頃のことを想像するとぞくっとしてきます。と同時に、大きく蛇行する壮大な土塁の造形美に惚れ惚れ( ´∀`)
真新しい標柱があったので見てみると、五日前に設置されたばかりで、美しく整備された遺構を見せていただけたのだなと感激いたしました。

ここを見たあとで、城びとの地図の場所にある防塁も見に行こうと歩いていると、別の「高橋地区」の防塁の案内板があったので寄ってみました。下二重堀地区に比べると小さめですが、830年の長きにわたって崩れも崩しもせずに残されていることに、この地区の方々の歴史に対する思いを感じました。負けたけど…泰衡逃げたけど…防塁築いて一丸となって戦った先人がいたことの証、のような。

そして延々と歩いてもう一つの防塁に向かったのですが、この道路をくぐればきっとゴールだ、と思ったところがまさかの工事中で渡ること叶わず。
近くにある石母田城にも行ってみたかったのですが、別の道を探していくのはもうめんどくさくて無理。偶然寄り道できたところが二か所あったことだし、よしとすることにしました。

そうなると、一本前の電車に乗れるんじゃないの?と思って検索してみたら、約3㎞を25分(正確には覚えていないけれど大体そんな感じだった)で歩けば(走れば)乗れそうという微妙なところで。。。
…はい、がんばりました!改札を入るとすぐホームだったので間に合いました。(跨線橋を渡るのだったらきっと無理でした。)

ということで最後は奥州合戦の戦場を駆け抜ける、みたいなことになってしまいましたが、合戦体験なんて滅多にできるものじゃないのでよい思い出になりそうです、というかそうします。

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イシテル

秀吉が力を見せつけた城 (2019/12/22 訪問)

12月22日、午前中はお城EXPO2019を楽しんで、小田原に向かいました。
小田原駅に着き、駅ナカの観光案内所で石垣山城の行き方を尋ねると14時発のバスで行けると教えていただきました。
まだ時間があることから、バス停を確認して駅前で昼食(海鮮丼)にしようかと思いバス停に行くと、小田原市内の観光周回バスが間もなく発車するとのことなので、飛び乗りました(小田原の海鮮丼が...)。*年内の休日は、増発していたそうです。
終点が石垣山城とのことで、ボランティアの観光ガイドさんの説明を聞きながら、20分程で石垣山城へ到着。
駐車場の入り口から入り、東曲輪~二の丸(馬場曲輪)へ廻り、本城曲輪の壮大な石垣を堪能して、本丸曲輪へ行き、物見台から小田原城を探してみました。天気がどんよりと悪く、肉眼で見つけられませんでしたが、写真を撮り拡大すると小田原城が確認できました。
その後、北の端の展望台からも小田原城が見えることを確認し、その後に廻った井戸曲輪では、その精巧な石垣造りに感激。この城が石垣山城と呼ばれている理由を理解しました。
見た様子では、城全体で折れも少なく、石垣も大きな石の野面積で積み上げられていて、登りやすく感じ、防御性より見せつける城、攻めの陣城であることが良く解ります。
今まで見てきた数々の堅固な山城でなく、秀吉の莫大な力を感じる面白い城でした。

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零汰

こちらでウモ&ちえぞーさんの記事を読み、山城散策は秋口からが最適なんですね。・・・確かに。 (2019/06/16 訪問)

6月初めに宮崎県の都於郡城に行ってきました。ナビ検索でトイレのある駐車場に着きました。広い本丸、大規模ながら整然とした空堀、夏草まみれですがそれとわかる土塁など小1時間楽しみました。奥の城と西の城は災害の為に立入禁止となっていましたが、しばらくは復旧しないように感じました。

今年は城郭を見たいと勢いだけで夏草育成中も構わず突撃してました。諸先輩方の写真と見比べると遺構が分かりづらく感じてました。こちらでウモ&ちえぞーさんの、最適な季節の攻城方法を読みその訳に気が付きました。

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北条氏勝

城好きとして行ってもいい関東の城

館林城。あまりよく知らない方も多いと思うが、城好きとして知っておいてもいいと思うことがある。
このお城は珍しく、妖狐伝説。つまり、妖怪のでるお城なのだ。妖怪と言えば姫路城などがある。

東武伊勢崎線館林駅から徒歩で館林城跡に行ける(城まで行く途中に武家屋敷もありました)。関東の城らしく沼で守る城だったので、今でも城沼が残っている。土塁や堀、石垣の跡などは目視では確認しにくいが、尾曳神社という妖狐伝説にまつわる神社が今でも残っているので、関東のお城でそういう「お話」からお城に行くのが楽しいと思う方は、予習してから行ってみたら楽しいと思います。少し門が復元してあるので、ぜひ行ったときは見に行くのをおすすめします。

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ぴーかる

近江望月城居城址 (2019/11/17 訪問)

【近江望月城居城址】
<駐車場他>望月城跡北東方向登城口前
<交通手段>車

<感想>下調べせずに行ったので、車を杉谷川を渡った道路脇に停め、登城口を見つけられず、北側の崖を直登りしてらしきものを発見、あとで調べて地図の位置的に城跡はもう少し南にあり、私が見たのはどうやら望月氏の居館址らしかったので、ここではマーキングせずに居館址の投稿のみとします。

居館跡は3方を土塁で囲み、その南側に登ったところに竪掘りのような横堀のような山の尾根の曲輪を囲むように堀跡がある。ここはここでまあまあの見応えだった。先達の方々の城跡のすごい土塁見たかった(>_<)

日帰り甲賀市城攻めの旅一応5城目。

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カルビン

セクシャル、バ~イオレッ♪ (2014/11/23 訪問)

お城巡り初三重県のトリに訪問した桑名城。
大体戦国時代に興味ある人なら高確実で本多忠勝の最後の支配地が気になると思います・・・勿論自分もそのクチでして(ーωー;)ゞ

期待して訪問した割には遺構があまり残っておらず、ちょっとガッカリしたものです。

その時は城址公園内にある水堀と本丸跡、本多忠勝像くらいしか見なかったのですが、後で菩提寺や櫓がある事を知り(当時櫓は見えていたハズなのに、何故か櫓と思わなかったんですよねww)

んで約1年後の後日、名古屋泊で近鉄線始発で桑名に行き、無事櫓と菩提寺(浄土寺)を見学してきました。


大多喜もそうですが、本多忠勝の支配地ってどちらも当時の遺構がほぼ残っていないのが残念です・・・
戦闘の強さばかり目立つ本多忠勝、意外と治世もうまくやっていたとはいえ、里見支配の跡地の大多喜や十楽の津と言われる桑名は支配が難しかった為か、お城にそこまで手がつけられなかったのかな?と思ってしまいます。


・・・どうしても本多忠勝というと高田総督を思い出してしまいますな~(真田丸とハッスルがごっちゃにww)


あ、タイトルは桑名正義さんのセクシャルバイオレットNo.1で特に意味はありません(桑名つながりだけwww)

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tac

スタンプ押せました! (2019/12/19 訪問)

先週、興国寺城にスタンプを押しにいきました。
看板の近くの箱に入っていました!

傳天守台からの眺めいいですね^_^
ちょっと杉で見にくいけれど。

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todo94

神奈川台場関連 (2019/12/21 訪問)

京急、JRが走っている部分、堀切のようにえぐれていますが、かつては青木城と尾根続きだったようです。神奈川台場築造に際して土取をされてこのようになったとのこと。本覚寺から幸ヶ谷公園を見ると天辺が広く削平されていますが、かつてはもっとワイルドな佇まいだったのではないでしょうか。神奈川台場から歩いても簡単にアクセスすることができました。

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JPN-AZE

忍城攻防戦の紙芝居 (2019/12/08 訪問)

忍城へ来る前に、ぶらっと♪ぎょうだで行われたちょん髷ワークショップに参加しました。この時は、忍城おもてなし甲冑隊の柴崎和泉守が受付をし、正木丹波守が工作のお手伝いでした。そのあと、忍城へ行き、この時はのぼう様成田長親公が休みになってしまったようなので、紙芝居がありました。甲斐姫がナレーションで、酒巻靱負が音響担当をしていました。ちなみに、忍城へは何回か訪問しています。当然、忍城おもてなし甲冑隊による演武も何回か見てます。

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JPN-AZE

名古屋城本丸御殿 (2019/11/22 訪問)

岡崎城訪問のあと、名鉄に乗って、金山駅乗り換えで、名古屋市営地下鉄で名古屋城を訪問。2018年夏にも訪れましたが、本丸御殿の長蛇の列を見て、あとの予定を考え断念しましたが、この日は、本丸御殿は必ず見るつもりで来ました。そのあとは、売店の横から、名古屋おもてなし武将隊の豊臣秀吉公が登場し、あとに槍を手にした前田利家公、加藤清正公が続き、陣笠隊の二人、更に徳川家康と服部半蔵忍者隊も後に続き、壮観だなぁ、と思いました。

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JPN-AZE

雨上がりの岡崎城 (2019/10/22 訪問)

今上天皇即位の日、雨の東京を新幹線で出発し、晴れ間が広がり始めた名古屋に到着し、名鉄に乗り換え、東岡崎で下車し、バスで行きました。東京は冷えていましたが、岡崎はちょっと暑かったです。グレート家康公葵武将隊の方々も、ちょっと汗かいてたようです。あと、からくり時計の音声が演武中、ちょっと気になってしまいました。

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JPN-AZE

上田城の紅葉 (2019/11/03 訪問)

上田城へは、何回か訪問していますが、こちらは、2019年11月3日の、上田城紅葉まつりの時の模様です。信州上田おもてなし武将隊を始め、伊達武将隊、越後上越上杉おもてなし武将隊、忍城おもてなし甲冑隊、あいち戦国姫隊、熊本城おもてなし武将隊が参加していたので、とても賑わってました。

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JPN-AZE

清洲城の織田信長公、織田秀信公、佐々成政公 (2018/08/12 訪問)

東海地方へは何回か行った事があったのですが、なぜか清洲城は訪問していませんでした。そこで、2018年夏休みに、登城しました。武将隊がいるのは知っていたのですが、複数とは知らなかったです。この日、私が会えたのは、「清洲城信長 織田家臣団 天下布舞」です。いい出会いが出来たと思ってます。

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JPN-AZE

松代城と、真田信正公 (2019/11/23 訪問)

2019年に、松代城を再訪しました。冬を除いて、時々、真田信正公になって、おもてなしをする方がいるとの事です。ここには載せていませんが、私も一緒に撮ってもらいました。いい思い出です。それと、近くの和菓子屋の竹風堂(その真田信正公から、この和菓子屋の事を教えてもらいました)には、松代城の堀の一部があります。

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JPN-AZE

五稜郭と、五稜郭タワー (2019/08/11 訪問)

初めての北海道訪問で、是非行きたいと思い、両方行きました。五稜郭おもてなし隊とも一緒に写真も撮れました。奉行所の中を見る事が出来たのもよかったです。

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零汰

別名:藟嶽城(つづらがだけじょう)、ナビの検索は大津山城で。 (2019/09/16 訪問)

9月に熊本県の大津山城に行ってきました。城域の南側にある大津山阿蘇神社から登城しました。北側にも駐車場のあるルートがあり、途中に4か所の堀切に通行用の橋が架かってるようです。標高256m地点まで約800m、南北に延びる本丸は2段に分かれており建物の基礎が残っています。石積みは少なく2か所見る事が出来ました。北側の堀切は見ていませんが(北側ルートと堀切の存在を知ったのは攻城した後でした、リサーチ不足は毎度の事です)、南側には二の丸・三の丸がありなかでも何本もあるワイルドな竪堀がおすすめです。

こちらの大津山は城域と神域を兼ねているようで、お年寄りの参拝者が毎日のように本丸まで登って来られるようです(私が登城した時は終始ひとり)。本丸には参拝者名簿が置いてあり、木漏れ日溢れる遊歩道には「出会いの小路」なる魅惑ゾーンが。

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イシテル

北条氏照が築いた関東屈指の山城 (2019/12/21 訪問)

12月20日、翌日から始まるお城EXPO2019を参加したく横浜へ。
お城EXPOは、12月22日の予定として、その前日、関東屈指の山城「八王子城」に行きました。
インターネットで事前に調べたら台風の影響が残っていること、ガイドさんが同行していただかないと本丸跡へ行けないことを知り、御主殿までしか廻れないと覚悟していました。
管理棟へ行くと、数名のガイドさんが居て、同行をしていただけると声を掛けていただき、最初は私ひとりでは申し訳ないと断りましたが、気軽にご案内いただけるとのことでお願いしました。
大手門跡から太鼓曲輪と居館地区を区切った尾根に五つの堀切があり、滅多に案内しないそうですが、歩きながら話をしていると第二と第三の堀切を案内いただけることになりました。その経路はガイドさんに案内していただけなければ分らない場所であり、二つとも見応えのある堀切でした。
その後、観光スポットの御主殿へ廻り、そこから先ほど行った第二、第三堀切の位置や礎石などの説明や雪隠と湯殿が一体となった施設(ユニットバス)、居館地区東西の端にある石垣を廻っていただき、パンフレットやガイド本では見に行けない場所まで案内していただきました。
御主殿のある居館地区を見た後は山頂曲輪の本丸跡を目指してアシダ曲輪群、馬蹄段、金子曲輪と柵門跡の石垣を登りながら廻り、高丸へ到着。高丸では帯曲輪まで降りたり、本丸跡でも廻りにある帯曲輪の説明があり、八王子城の壮大な山城の構造を堪能しました。
今回は、一日で滝山城を廻ろうと計画したため、時間が三時間ほどしかなく、山頂曲輪まででしたが、その先の詰の城や大堀切、北尾根の石垣まで廻って見たく、今度は時間を取って行ってみようと思っています。
三時間もの長い時間、ご案内いただき、また丁寧にご説明いただいたガイドさんにお礼申し上げます。
大変お世話になりありがとうございました。

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sally

姫旅!ハートで埋め尽くされた犬山城 (2019/04/12 訪問)

犬山城はお城はもちろん、城下町が女子旅にはピッタリです。

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生太郎

犬山城に行ってきました。 (2019/12/23 訪問)

飛騨・美濃産の材木は、木曽川に流して、墨俣〜朝妻間は陸送、朝妻からは琵琶湖水運で京都に流通していたそうで…。

犬山城は流通を監視するのに最高過ぎる場所だなぁ、と感動しました。

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朝田 辰兵衛

お城EXPO初参戦。 (2019/12/21 訪問)

「大坂冬の陣図屛風」を観たいために,パシフィコ横浜に来ちゃいました。14:30~16:00まで潜入。キャリーバッグを預ける場所がなく,ずっと引きずりながら人ごみの中をうろついてました。

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