阿津賀志山防塁の3ヶ所目をパスして藤田駅まで走り、一本早い電車に乗れたため、急遽行くことにしました。
二つの石碑と、あとは何か少しでもお城つながりのものを見つけられたらいいなと思い向かったのですが、どーんと聳える現代官衙を見上げ、地味な石碑を見つけられるだろうかと少し不安に。
念のため見てみた県庁の案内板にも「福島城址碑(課)」の項目はなく。(当たり前だ。)
でも、ちゃんとありそうな場所に、石碑、二つともありました。
さらには遠くからでも見える大きな解説板があり、大きな水堀に大きな土塁、土塁の上には狭間が158個もある長塀があったなど、現在の街並みからでもお城時代のスケールをイメージできるようになっていました。
工事中の日本庭園(紅葉山公園)は藩主板倉重寛が池、茶屋、築山などを設けた「二の丸御外庭」だったそうです。
阿武隈川が見渡せる板倉神社は震災で損壊してしまいましたが、地元の方々の復興の願いにより再建されたのだそうです。復興祈念碑がありました。
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