もちづきじょう

望月城

滋賀県甲賀市


旧国名 : 近江

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①主郭内部
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:望月城 (2024/09/26 訪問)

竹中城より自転車で5分くらいで、山側の登り口(34.919260、136.150119)に着きました。

築城時期は不明のようですが、室町時代、甲賀忍者の一族で甲賀五十三家の筆頭格だった望月氏によって築かれたようです。
1568年(永禄11年)に織田信長が観音寺城の六角氏を攻めた際、六角義賢・義治父子は城を捨てて甲賀へ逃亡しましたが、このときに頼ったのが望月氏でした。

現在城址には堀切、横堀などが確認できますが、クモの巣だらけでした。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=望月支城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)へ自転車で向かいました。

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望月支城 (2022/03/20 訪問)

 望月城から登城しましたが、安定した登城路があるわけではなく少し苦労しました。単郭と思われますがいい土塁を見ることができます。イオさんの投稿を参考に望月城経由で帰ってきました。

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見事な土塁 (2022/03/20 訪問)

案内標識がなく戸惑いましたがネットの情報などを頼りに入口を見つけ登城しました。甲賀の城は迫力のある土塁を残している所が多いのですが、ここも例外ではありません。ただ竹などが多く生えていて写真を撮っても迫力が伝わりにくいのが残念です。空堀もありますが、倒木があり少し見にくかった。それでも倒木を潜りながら空堀を歩いてみました。ここは甲賀郡中惣遺跡群には指定されていないのですね。

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イオ

望月支城(滋賀県甲賀市甲南町杉谷) (2021/01/31 訪問)

# 望月支城(城びと未登録)は、望月城のいわゆる支城ではないものの、隣接して築かれた同名中惣の城と考えられますので、望月城で投稿します。

戦国期に築かれた望月氏(甲賀五十三家)の一族の城で、杉谷川南岸の丘陵地先端に築かれ、谷をはさんだ北側の望月城と連携して機能したものと考えられます。

下調べでも登城口がよくわからなかったのですが、望月城西側の二重堀切のあたりで南側の谷越しに望月支城らしき切岸が見えたので、谷を渡って北麓に取りつき、雑木を手掛かりに直登すると北側の帯曲輪に着きました。さらに土塁を乗り越えて主郭内へ。「土塁、低っ!」 思わず声が出ます。主郭を囲む四方土塁は常識的な高さで決して低くはないのですが、この日は非常識な規模の土塁ばかり見てきたので、感覚がおかしくなっているようです(笑) 主郭内は北西部が一段高くなっていたり中央部に窪みがあったり、なかなかの広さがあり、東側と南側に虎口が開口しています。東側の虎口を出ると小さな曲輪がありますが、その先は道路により崖状に削り取られています。南側の虎口の先に広がる南の曲輪を経て西側へ回ると堀切が西尾根を断ち切り、堀底から見ると南西隅の土塁は充分な高さと厚みが感じられます。

さて、北側の谷から望月城に戻ってもいいのですが、どうせなら直接に望月支城へと至る登城ルートを探してみよう、ということで、東側虎口の先の崖を降りる…のはちょっと怖いので、南の曲輪から南側の谷のほうに下りて行きました。しかし…北側の谷もそうでしたが、谷にはいくつかの水の流れがあり、ところどころ足場と思しき丸太が置かれているものの、ヘタに足を踏み入れるとずぶずぶと沈んでしまう箇所もあり、無事に道路には出られましたが、あまりおすすめできません。やはり望月城から来て望月城に戻るのが一番良さそうです。
 

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 望月氏
築城年 不明
主な城主 望月氏
廃城年 天正2年(1574)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 滋賀県甲賀市甲南町杉谷字占門(私有地)