もちづきじょう

望月城

滋賀県甲賀市


旧国名 : 近江

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望月支城 (2022/03/20 訪問)

 望月城から登城しましたが、安定した登城路があるわけではなく少し苦労しました。単郭と思われますがいい土塁を見ることができます。イオさんの投稿を参考に望月城経由で帰ってきました。

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見事な土塁 (2022/03/20 訪問)

案内標識がなく戸惑いましたがネットの情報などを頼りに入口を見つけ登城しました。甲賀の城は迫力のある土塁を残している所が多いのですが、ここも例外ではありません。ただ竹などが多く生えていて写真を撮っても迫力が伝わりにくいのが残念です。空堀もありますが、倒木があり少し見にくかった。それでも倒木を潜りながら空堀を歩いてみました。ここは甲賀郡中惣遺跡群には指定されていないのですね。

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イオ

望月支城(滋賀県甲賀市甲南町杉谷) (2021/01/31 訪問)

# 望月支城(城びと未登録)は、望月城のいわゆる支城ではないものの、隣接して築かれた同名中惣の城と考えられますので、望月城で投稿します。

戦国期に築かれた望月氏(甲賀五十三家)の一族の城で、杉谷川南岸の丘陵地先端に築かれ、谷をはさんだ北側の望月城と連携して機能したものと考えられます。

下調べでも登城口がよくわからなかったのですが、望月城西側の二重堀切のあたりで南側の谷越しに望月支城らしき切岸が見えたので、谷を渡って北麓に取りつき、雑木を手掛かりに直登すると北側の帯曲輪に着きました。さらに土塁を乗り越えて主郭内へ。「土塁、低っ!」 思わず声が出ます。主郭を囲む四方土塁は常識的な高さで決して低くはないのですが、この日は非常識な規模の土塁ばかり見てきたので、感覚がおかしくなっているようです(笑) 主郭内は北西部が一段高くなっていたり中央部に窪みがあったり、なかなかの広さがあり、東側と南側に虎口が開口しています。東側の虎口を出ると小さな曲輪がありますが、その先は道路により崖状に削り取られています。南側の虎口の先に広がる南の曲輪を経て西側へ回ると堀切が西尾根を断ち切り、堀底から見ると南西隅の土塁は充分な高さと厚みが感じられます。

さて、北側の谷から望月城に戻ってもいいのですが、どうせなら直接に望月支城へと至る登城ルートを探してみよう、ということで、東側虎口の先の崖を降りる…のはちょっと怖いので、南の曲輪から南側の谷のほうに下りて行きました。しかし…北側の谷もそうでしたが、谷にはいくつかの水の流れがあり、ところどころ足場と思しき丸太が置かれているものの、ヘタに足を踏み入れるとずぶずぶと沈んでしまう箇所もあり、無事に道路には出られましたが、あまりおすすめできません。やはり望月城から来て望月城に戻るのが一番良さそうです。
 

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イオ

非常識なまでの土塁 (2021/01/31 訪問)

戦国期に築かれた望月氏(甲賀五十三家筆頭格)の居城で、織田信長に近江を追われた六角氏が、伊賀に落ち延びる際に一時滞在したとされます。

杉谷川南岸の丘陵地先端に築かれた城で、谷をはさんだ南側の望月支城と連携して機能したものと考えられます。

駐車場はないので、北麓の杉谷川にかかる橋の南詰の道が広くなったあたりに路駐し、東側の集落の民家の脇から登城しました(案内標識も何も無し)。登り始めてすぐに祠のある副郭に到着。副郭から横堀の土橋を越えて虎口を抜けると主郭です。主郭に足を踏み入れると新宮支城にも劣らぬ分厚く高い四方土塁に囲まれ、圧倒されてしまいます。土塁上を一周すると、土塁西辺内周に帯曲輪状の中段スペースがあり、中段を設けられるほどの土塁の高さと分厚さって……と非常識なまでの規模を実感させられます。主郭を出て北側に回ると横堀をはさんで帯曲輪があり、北辺を土塁で囲っています。西側にも横堀と土塁がめぐり、南のほうでは大土塁をはさんで二重堀切になっています。

大いに期待して訪れた新宮支城に対して、望月城はノーマークでしたが、新宮支城に勝るとも劣らないとんでもない城でした。こちらもぜひお立ち寄りを!
 

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 望月氏
築城年 不明
主な城主 望月氏
廃城年 天正2年(1574)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 滋賀県甲賀市甲南町杉谷字占門(私有地)