戸吹城は滝山三城とも呼ばれ、滝山城の支城とも呼ばれますが詳細は不明です。加住丘陵の支脈の上に築かれていて、城址を構成する加住礫層は砂岩、チャート、硬砂岩などを主体とした非常に脆く崩れやすい地層です。
南の馬出部(郭)と周辺を走る横堀は確認できますが、そこから先はとても危なくて進めません。というか進んではダメですね。
正直、城びとの先人の皆さんの投稿が無ければ行っていたかもしれません。くわばら‥くわばら‥。文政6年(1826)に完成された「武蔵名勝図会」にも記載が有り「秋山へ接せしところは大抵崩れ落ちて、広狭知れず。ド人云いつのころ何人の住居ということを伝へざれども、古老の伝ふるに住居せし墟にあらず。築営半ばにも至らず、相応の地にあらざるゆえにや、その築営を止めしということを伝うと云」とのことです。江戸時代でさえこの状態なのですから、現在はさらに崩落が進み、とても渡れる状態ではありません。
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