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カズサン

方形本丸周囲に土塁と空堀が残存、素晴らしい! (2020/10/03 訪問)

 水戸城木造復元大手門、二階隅櫓を探訪堪能した後、北関東道桜川筑西ICを降り北方向高根沢町方面に所々細い道もありますがそば畑は白い花が咲き目の潤い、カーナビの指示は栃木県塩谷郡高根沢町大字桑窪の徳明寺南の通りを東入ル、40~50m東へ通りに緑色の標柱が有る、車は標柱の南に砂利舗装の駐車エリア在り2,3台可そこを使わして頂く。
 標柱から北の道を登り緑色の四角い案内板在り、そこ辺りから城跡らしい痕跡がそこかしこワクワクして来ます、城内は余湖図コレクションさんの俯瞰図で探訪、南側に二の丸現在道で東、西に分かれ畑になってる、北側に本丸、現在本丸内は畑、土橋で繋がってる、本丸は周囲方形に高土塁、横空堀が守ってる、本丸南東高土塁は横矢掛りに張り出してる、横堀の西側は崖、竪堀が二本、見応えの有る城跡です、畑の関係かよく草刈りされ整備されて残ってます、探訪出来感謝です。
 ガイドと情報は何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに依ります。

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イオ

平井城(和歌山市平井) (2020/09/16 訪問)

平井城(平井屋敷、鈴木屋敷)は、戦国期に平井(鈴木)孫一が居城とした城で、織田信長の雑賀攻めにおいては、最前線の中野城が陥落した後、織田軍との間で攻防戦が繰り広げられました。

自然の段丘を活用した構造で、最上段(平井平)は平井中央公園に、中段(政所の坪)は農地や宅地になっていて遺構は見られませんが、政所の坪には政所のほか、孫一の屋敷や孫一が開いた一向宗の道場などがあったようです。また、平井中央公園から南東に徒歩4分の蓮乗寺は孫一ゆかりの寺として知られ、孫一が開いた道場を始まりとし、境内には「平井孫市郎」の銘のある墓があります。

ところで、平井中央公園には「沙也可生誕地、平井城跡」と題した説明板が設置されているんですが、何故か孫一や平井城のことについては一切触れられず、文禄・慶長の役において朝鮮軍に投降して日本軍と戦った謎の武将「沙也可」についてのみ記されています。確かに、司馬遼太郎が街道をゆくにおいて「沙也可(さやか)=雑賀(さいか)」と推理するなど、平井城は沙也可ゆかりの城なのかもしれませんが、だからといって平井城跡の説明板に平井城自体の説明が全くないというのは…。下段に全文がハングルでも書かれているなど、韓国との文化交流や観光誘致の目的によるものなんでしょうけど、何とも違和感のある説明板でした。
 

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にのまる

源氏三代物語 (2020/09/19 訪問)

大蔵館跡の大蔵神社と、数百メートルの距離にある源義賢公墓所の二ヶ所を訪れました。どちらにも複数の解説板がありました。
 一息に読んだ「源氏三代物語」。現地の風を感じながら義賢公、義仲公、義高公と家臣団の人生を辿れる異空間でした。

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BUGTI

公園化された城 (2020/10/04 訪問)

一見するとただの公園に見えるが、土塁や腰曲輪が城の雰囲気を残していた。公園の近くにも土塁の跡のようなものが残っており、それなりの広さの城域だったと思われる。

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BUGTI

住宅地の中の城址 (2020/10/04 訪問)

住宅地がすぐそばまで迫っているが、堀や土塁が良く残っているのでうれしくなる。じっくりと探索したいところだが、クモの巣と蚊の大群に阻まれて早々に撤退した。

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todo94

国宝鑑賞の後 (2020/08/08 訪問)

櫛引八幡宮の国宝・菊一文字の鎧は私のお気に入り。今回で3回目の鑑賞となります。その後に訪れた櫛引城は今回が初攻城。今ひとつ、遺構がよくわからなかったのですが。此処の近くの是川縄文館には「いのるん」の愛称を持つ国宝土偶もあります。

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カズサン

麓は復元整備、山城は未整備の別名龍子山城 (2020/10/03 訪問)

 福島県いわき市の湯長谷陣屋を終えて常磐道高萩ICを降り3,4km東方向、ガイドと情報は城郭放浪記さん古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに依ります。
 情報に従い松岡小学校西の公園駐車場に停める、丁度西隣の松岡幼稚園は運動会で駐車場は空2台分でセーフ。
 県道111号線からたつこ通り、児童公園同駐車場、お屋敷通り、大手橋、小学校と城下町風に整備され白土塀、長屋門、武家屋敷の通りの様子、小学校には冠木門、小学校入口には松岡城土蔵が復元され、公園は濠と土塁、石橋、櫓台が復元され、小学校、公園、幼稚園が麓一帯が陣屋跡。
 山城部は私有地で中世の山城のままで未整備との事、何とか余湖図コレクションさんの俯瞰図を頼りに登ってみましたが雨の後道はぬかるみが多く難渋、歩ける道は草が若干刈って有りますが案内板、標識は無くここが本丸か?二の丸か?と思案したり、ぬかるみ湿ってやぶ蚊多し払いますが食われっぱなし、私有地で仕方ありませんが遊歩道と案内板、草刈り見える化されるとありがたい。
 帰りに小学校に一教室資料室に成って居り土日祝のみ開放と有り覗いてみました、担当の方に色々説明頂きました、江戸期水戸藩の付家老中山氏が領主を務める、TVドラマ水戸黄門の中山の爺がここの領主、丹波哲郎の中山の爺役が目に浮かびます。勿論資料を頂きました、各種説明案内有難うございました。
 車で通ったお屋敷通りを散策して今回の目的地水戸城木造復元大手門へ高速を飛ばしていざ出陣。

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昌官忠

九州遠征 (2019/10/15 訪問)

現地着早朝6:00。朝早いこともあり、上野登山口の案内掲示板前の空スペース(33.730306、130.7890)に駐車して攻城。
筑前六端城のひとつです。鷹取ルートで登り始めました。登山口から展望台を経由して林道に出るまでは岩を登るイメージで登山です。
林道にでてから反射板➡上野越➡鷹取山までは比較的、緩やかな山道です。林道を使えば反射板までは車でこれそうですが、登り口はわかりません。上野越にあった温度計を見たら11℃で肌寒かった記憶があります。
登城路上、石垣や竪堀らしきものもありましたが、見所は鷹取山山頂の枡形虎口と眺望だと思います。これを見れば疲れも忘れます。登りは写真を撮りながら70分、下りは上野越ルートを使って40分、攻城時間は全部で120分くらいでした。

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昌官忠

九州遠征 (2019/10/15 訪問)

道伯山公園駐車場(33.871410、130.773100)に駐車して攻城。
現地着が早朝5:00過ぎ、若松城からの転戦ですが、まだ陽は昇らず真っ暗です。若松城と同じ筑前六端城のひとつです。辺りは暗いので、城碑と説明板の写真を撮って撤退です。

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昌官忠

九州遠征 (2019/10/15 訪問)

ローソン戸畑千防一丁目店駐車場(33.894728、130.830005)に駐車して攻城。
現地着が早朝4:30過ぎで、当然ですが戸畑図書館は開いてません。筑前六端城のひとつです。暗い中、国境石と記念石の写真を撮って攻城としました。
ローソンの駐車場を借りましたので、買い物(おにぎり、サンドイッチ、御茶等)はしました。攻城時間は15分くらいでした。

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カズサン

【陸奥湯長谷陣屋】福島県いわき市 映画「高速参勤交代」モデルの陣屋 (2020/10/03 訪問)

 水戸城木造復元大手門探訪前にSAで車中泊仮眠で朝駆け、ガイドと情報は何時もの城郭放浪記さんによる、先ずは土塁、空堀案内板の在る地点を目指し目視するが駐車スペースが無く交通量が多く路駐も不可、岩崎中学校グランドでは朝練で生徒と父兄が多くおられ駐車可能場所を確認し裏門奥の通り横、砂利舗装の空きスペースを教えて頂き駐車する。
 岩崎中学校(いわき市常磐下湯長谷町家中跡25)裏門駐車スペースより徒歩で南側グラウンド入口に在る石碑、案内板を確認し、南東部に在る熊野神社方向へ、表門跡に陣屋図案内板、側に空堀、奥の西寄りに熊野神社に土塁と先の空堀がクランクし残ってる。
 南側東側西側は樹木藪で良く分からないが急な崖に成って居り山陵の先端に陣屋を築いた模様、現在の岩崎中学校グランド、校舎が陣屋跡、駐車に苦労しますが熊野神社側に空堀、土塁が残って中々な見応えです、陣屋西の崖下側に菩提寺竜勝寺が有り参拝、彼岸花が綺麗でした。
 歴史的には磐城平城内藤家の分家筋、延宝4年(1676年)内藤政亮(磐城平藩内藤忠興の三男)一万石で始まり、大番頭、大坂城代を務め夫々加増され天和4年(1684年)一万五千石と成り明治を迎える。

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イオ

中津城(和歌山市中之島) (2020/09/16 訪問)

中津城(中州城、中野島城)は、織田信長の雑賀攻めに対する雑賀衆の防衛線を形成する城のひとつで、天正年間に土橋平右衛門が築きましたが、和睦後は史料には見られず廃城となったものと思われます。

JR・紀和駅から南東の西覚寺にかけてが城域とされますが、宅地化により遺構はなく、石碑も説明板もありません。

見るべきものがないため特に訪れる意味もないんですが、駅近物件なので訪れるなら電車か、車の場合は西覚寺の駐車場が駅南側のクリーニング屋の隣にありますので、参拝を兼ねてどうぞ。西覚寺の瓦を練り込んだ土塀はなかなか雰囲気があります。
 

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中川藤兵衛尉

鞆田城 (2020/10/05 訪問)

地元の鞆田氏のお城。後世に破壊されています

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中川藤兵衛尉

山田城 (2020/10/05 訪問)

山田氏が元々拠点としていた、福住氏領と接した城。砂防ダムの左上にあり、正規の登城路は草で埋もれています。主郭南東の曲輪群の切岸をよじ登ってみましたが、主郭自体が足を踏み入れることが出来ませんでした

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中川藤兵衛尉

馬場城 (2020/10/05 訪問)

山田氏が新たに築いた天然の要害。放射線状に伸びる尾根に曲輪群を設けた、ミニ吉田郡山城。藪化していて入れませんでした

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中川藤兵衛尉

水間城 (2020/10/05 訪問)

山田氏傘下の水間氏が築城しました。天正年間に水間民部少輔が建てたとされていますが、『郷土記』には「水間山城、水間兵部」と記されています。この二人の関係とは。

遺構は、どうなんでしょう。草木に覆われていて何も分かりません

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中川藤兵衛尉

須川城 (2020/10/05 訪問)

須川庄下司の簀川氏が用いた三城の内の一つ。規模・構造から本城ではなく物見砦と目されています。鉄塔建設で東部が遺失していますが、土塁が完存していて見応え抜群です

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中川藤兵衛尉

柳生城 (2020/10/05 訪問)

柳生氏の居城。登城口すぐの堀切は見事ですが、案内表示が一切無い上にほぼ整備されていないので分かり辛いです。実際、道を間違えて切岸を伝って平行移動する羽目になりました

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ダイエティシャン

賀田城Ⅲ〜最上郭 石ダンス その他郭 (2020/10/05 訪問)

賀田城要害平は 標高480メートルらしいです。

二の丸と主郭の間に最上郭に登る坂があります。
最上郭は狭く、現在は木々に覆われて眺めは良くありません。

二の丸だったかに、【石ダンス】があります。どういう意味か分かりませんので、次回の課題です。

郭の和は、案内板やパンフレットでは、、8郭迄あるそうです。今日は、2郭(二の丸)と要害平しか見つけることが出来ませんでした

ここでも 城めぐリンが大活躍でした

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ダイエティシャン

賀田城Ⅱ(主郭 池の段 二の丸 最上郭 要害平) (2020/10/05 訪問)

主郭の奥の要害平からの眺めは素晴らしいです。

主郭に詳しい案内版があります。
その左側に 池の跡の池の段があります。

石垣も見えました。

主郭 二の丸の奥が要害平です。

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