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泣きだしそうな空の下で (2020/02/22 訪問)

 出丸を経由して大手曲輪へ向かいました。出丸周辺は少し藪になっていますが、概ね曲輪の様子は見ることができます。本丸へ入る所の石垣が、この城の一番の見所だと思います。他にも石垣はあるのですが、草木で隠れて見づらい所も多かった。本丸か見ると北側にも曲輪がありましたが、降りて行く自信がなかったので今回は行っていません。帰りは搦め手方面から降りました。

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浦上氏の城 (2020/02/21 訪問)

 三石駅から徒歩で約5分で登城口に着くことができます。登り口の民家にパンフレットがありあります。登城路は概ね整備されて歩きやすかった。第2見張り所から千貫井を確認して大手曲輪へ行くと石垣が迎えてくれます。本丸、二の丸、三の丸と散策した後、鶯丸へ向かうと岩盤を断ち切った見事な堀切を見ることができます。帯曲輪の所に井戸跡もあります。帰りは第1見張り所を見学して下りました。
城郭放浪記さんのページの縄張りを見ると畝状竪堀もあるとのことでしたが、その近辺は歩いたのですが見逃してしまいました。

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ヒロケン

石垣が見たい! (2020/01/30 訪問)

鹿伏兎城は、関盛政の四男盛宗が築いた城で、戦国時代鹿伏兎定好が修築を加え城郭を整備した城です。

城址はJR関西本線加太駅すぐにある鹿伏兎氏の菩提寺神福寺の裏山頂上にあり、土塁・石垣・井戸などの遺構が残り、往時の様子をいまに伝えています。

加太駅駐車場(無料)に車を駐車し、線路を跨いだすぐに神福寺があります。神福寺墓地を横切り裏山へ。todo94さんの投稿通り裏山の急斜面を直登し、山の尾根沿いを10分程登ったところに城址があります。皆さんの投稿で、登城路がない・迷うなどのことでしたが、その通りでした。帰路は来た道を引き返すのは絶対に無理との感があり、どうしようかと登城中そのことばかり考えていました。

城址は、土塁・見たかった石垣・井戸がしっかりと残り堪能できましたが、帰路が気になり集中できず((+_+))ですが、石垣の横をけものみちが続いており、その道を進んで行くと難なく山を下ることができました。
加太駅から西に大和街道(25号線)を300m程進んで行くと、最後の投稿画像の石碑があります。その裏のあぜ道を山の方に進むと線路があり、線路を跨ぎますが難なく登城することができます。

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小城小次郎

石田堤

「失敗し、決壊さえした」堤の割には今でもしっかり残っている。もしかしたら「残った」のではなく何らかの理由があって「残した」んじゃないかと思っている。

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NOIR

2020/02/12 神戸、京都、大阪旅行 (2020/02/12 訪問)

とにかく美しい!

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早島駅より (2020/02/21 訪問)

 JR早島駅より徒歩にて登城しました。早島小学校付近が陣屋跡です。堀の一部と石橋を見ることができます。

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10Q-Nobu

御目通り (2020/02/23 訪問)

話題の猫城主さんじゅーろー様に会いに行ってきました。
昼の暖かくなった時間帯に天守前でお勤めされてました。
天然の岩壁を利用した石垣も、この城の見どころです。

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かとりのうみ

水軍城・長浜城 (2020/02/23 訪問)

伊豆の長浜城は北条氏によって、1579年ごろ駿河の沼津辺りまで勢力を伸ばしてきた武田勢に対して、伊豆の海岸線からの侵入に備える為に整備された。
北条方の水軍城として使われ、大型の安宅船10隻を擁する大規模な水軍がこの付近に停泊していた。天然の港であったであろう事は、現在漁船が並ぶ様からも窺い知る事が出来ます。
遺構は各曲輪と土塁、岩盤をくり抜いて掘られた堀切、再建された櫓、建物跡を示す柱と言った当時の様子を窺い知る事が出来る遺構に恵まれているが、なんと言っても内浦湾、淡島、富士山を拝む事が出来る眺望の良さが良い。
もし日本100名城を再選定するとしたら、私は長浜城を推したいと思うぐらいに気に入りました。
(登城中、至る所で石垣がありましたが、これは当時積まれたものだったのでしょうか?)

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にのまる

行くたびに新発見。そして必ず寄るところ。 (2020/02/02 訪問)

 団体さんとかち合ってしまったので少し時間を潰そうと、登城前に近くにある御嶽神社に寄ってみました。地図で見ると滝山城と同じ山の中なのでそのまま突入できるかも⁉︎と思ったのもあるのですが。(←結果、無理でした。)
 御嶽神社は思ったより奥まったところにあり、ここも城域だったとしてもよさげな感じで、何かないかなぁ…と思っていると本殿の屋根に三つ鱗♪
 由緒書によると、滝山城以前の開山で当初は山頂に鎮座していたのを、城郭造営の際に北条氏照がこの場所に遷座したとのことでした。

 思わぬ発見があり、団体さんに感謝しつつ登城開始。この日は東側をじっくり歩こうと思っていたのですが、いざ足を踏み入れると行かずにはおられない場所があり西へターン。大きな腰曲輪を見下ろしたり見上げたりしながら山の神曲輪に到着。武田軍に攻められた時に領民が逃げ込んだと伝わる曲輪で、この細い道を大勢の人たちが逃げ惑ったのだと思うとなかなか重い現場ですが、そういう歴史も含めてここは都内で私がいちばんお気に入りのランチスポットです。ミシュランガイドにも載っていないし、Uber Eatsの配達エリアでもないと思いますが、麓のファミマとローソンで兵糧調達できます。

 AR滝山城も少しだけですがやってみました。初心にかえる…どころかいろいろなことを知ることができて勉強になりました。そしておもしろいです。大きな音が出てびっくりでしたが。

 結局なんだかんだで3時間歩きまわりました。滝山城はボランティアの方々が定期的に活動されていていつもきれいです。特にこの時期は大堀が惚れ惚れするくらい美しいです。
 大池の下の水があるところまでも下りてみました。ここは山桜が見事なので、来月「桜を見る会」やろうかな(^。^)

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ぽんたっく土佐守

中世~近世まで続いた名家の居城 (2020/02/17 訪問)

今季最強の寒波が襲来する中での登城。時折みぞれが舞う中、本丸を目指しました。川沿い、二の丸、三の丸など築かれた年代の異なる石垣が随所に見られ、城の歴史が感じられます。また、公園と資料館には謎の地下室があるなどみどころいっぱいです。

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todo94

おばかなカーナビ (2020/02/09 訪問)

横瀬川が荒川に合流する地点に位置する諏訪神社が城址です。おばかなカーナビは横瀬川の対岸に導いてくれました。城に続く道はかなり狭いので遠くの広い道に車を駐め歩いてアプローチ。想定外の規模の土塁を見ることができて満足です。

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山口駿河守幻夢斎

城址公園と侮ることなかれ 良好に残る見事な遺構 (2020/02/15 訪問)

師戸城は、印旛沼の対岸にある臼井城の支城とされます。臼井城は、上杉謙信の攻撃をも撃退したといわれる名城で、現在は、こちらも城址公園として整備されています。
師戸城跡には、京成電鉄臼井駅から、徒歩だと45分ほどかかります。駅から本数は、あまりありませんが、宗像路線バスで、印旛沼公園入口、または師戸で下車、すぐです。
印旛沼公園として整備されていますので、基本、四季を問わず、訪れることができますが、やはりおススメは冬でしょう。
臼井城跡までは徒歩25分くらいでしょうか。行きはバスを利用、帰りは徒歩で、臼井城址公園により、余裕があれば、臼井城の砦群などを見ながら、臼井駅まで歩くのも興が深かろうとおもいます。

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カルビン

義仲系源氏の地 (2015/06/06 訪問)

菅谷館は見学済だったものの、その資料館に行った事無かったので電車で訪問した際、その足で大蔵館まで歩いて行きました。

大蔵館は2ヶ所あり、もともと繋がっていたのが区画整備で分かれたのか、新旧2ヶ所存在するのか・・・
当時は気にしていなかったのですが、今は気になるので後で調べてみよう(遅)

1ヶ所目は神社の境内で、ここは土塁に囲まれており、解説版と館碑(入口とちょっと離れた土塁端にのところ)が存在しております。

2ヶ所目は同じ道沿いすぐ近くにあり、こちらは見た目居館っぽい地形(土塁・空堀が見られた)になってまして、ここにも解説版がありました。


更に周辺には大蔵館主だった源義賢のお墓、その息子である源義仲こと木曽義仲と更にその息子・義高の3代の供養塔、更に近場の鎌形八幡神社には木曽義仲産湯の井戸、更に更に近場の班渓寺には木曽義仲誕生地碑と、義仲正室の山吹姫の墓所が有ります。

木曽義仲と平将門ってもっとピックアップされてもおかしく無いと思うのですが、関連地ってどこも地味ですな。。。


ちなみに木曽義仲といえば巴御前が正室だと思っていたら、側室だったんですね~(ねこねこ日本史で知ったwww)

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10Q-Nobu

攻略失敗 (2020/02/22 訪問)

周りの石垣を見ながら天守まで来たら、16時56分。
17時閉館で登城間に合わず。
でも午前中の雨が抜けて、青空に映える烏城を見ることは出来たので満足です。

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かとりのうみ

韮山城初登城 (2022/02/22 訪問)

韮山城に訪問。
堀切、本丸、二ノ丸、三ノ丸、土塁の跡がよく残り戦国時代の縄張りをよく確認する事が出来る。けど思ったより小規模だった印象。
しかし案内板を見るに、背後の天ヶ岳砦など韮山城に属する砦も使えば相当堅固の様に思える。

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くっしー

天守は完全なまがい物ですが… (2020/02/22 訪問)

模擬天守が資料館になっています。
入館料は200円で、5階まであります。

2階が面白かったな。
文献史料をもとに当時の様子がジオラマで再現されています。
その文献史料が古文書や現代語訳・イラストなどで説明をされていて、とても分かりやすかったです。

惜しむらくは、なんで遺構を壊しちゃったかなぁ~ということですね。

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まーやん

続日本100名城甲信越エリア制覇ー (2020/02/16 訪問)

韮崎でアルプスラーメンなるものを食し時間も食い潰してしまったので急ぎ甲府に戻った。今回は甲府城も武田氏館もスルーとした。残念(T^T)

要害山城は躑躅ヶ崎館の詰城として信虎が築いた。今川が攻め入った際、要害山に籠っている最中に信玄が生まれたらしく、麓の積翠寺に産湯伝説が、主郭に石碑がある。

要害温泉辺りに車を停め登城するが、折からの雨で麓までガスっており周りが全く見えなかった(; ̄ー ̄A

山頂までに多くの曲輪竪堀、土塁、石垣と見れるが、武田を象徴する不動曲輪と主郭北側の石垣付き竪堀が見所。虎口の石垣もお忘れなく。

スタンプは甲府駅前の藤村記念館で。ここの職員さんも親切でした。

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まーやん

武田築城術集大成の城 (2020/02/16 訪問)

韮崎市民俗資料館でスタンプをゲット。職員の方が親切にご案内いただいたので新府城の復元模型のほか縄文時代の遺跡の展示などを見て気分を高め現地に向かった。

中田ヒデが通っていたのは韮崎高校。ワクワクで向かった新府城址駐車場。
車を降りたらびっくら仰天‼️湿地のような堀に突き出た東出構、奥にも西出構。このような仕掛けは見たことがない‼️どんな戦い方を想定していたのか。多くの方が投稿されているように本当に想像が膨らむ。

血洗池(堀)東桝形の横を通り藤武神社石段から登城。250段程あるらしく、なかなかしんどい。途中道のようなものが横断しているのは帯曲輪だ。

藤武神社に着いたら本丸。北側には武田勝頼公霊社を忠臣達の卒塔婆?が護る。ここで大河ドラマ真田丸も撮影されたとか。築城には真田昌幸が深く関わっている。

本丸から二の丸井戸跡、木橋橋台跡、乾門枡形虎口と見て廻る。虎口外側には礎石の跡が見つかっている。
眼下の平地ははるか彼方。約130m程あるらしく塩川が見えている。西側には釜無川が流れ天然の要害ぶりがはんぱない。

ここまでは良かったのだが、二の丸の端にあるはずの馬出や東西三の丸、丸馬出や三日月堀が笹原過ぎて全く分からない。雨の中藪をこいでびしょ濡れになった(; ̄ー ̄A

武田史上最大の版図を確保した勝頼は家臣の掌握で躓いたのか。新府城の立地選定、築城、色々考えていると相当優秀な武将であり、早世が残念でならない。

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ぴーかる

金山城 (2020/02/01 訪問)

【金山城】
<駐車場他>城跡の駐車場は見当たりませんでした。私は追入神社から北へ200㍍程行った県道138に道路の待避所みたいなスペースがあるのでそこに駐車しました。
<交通手段>車

<見所>石垣・巨石群
<感想>日帰り光秀築城の旅3城目。この城は波多野氏の本城八上城の攻略、また黒井城から八上城の支援を分断するための陣城として光秀が八上城包囲後の1578年に築城した。効を奏して翌年八上城は落城した。
 登城口は追入神社の南100㍍程に石灯籠と金山城ののぼり旗があるのですぐわかります。登山道は1300㍍程で残り1000㍍地点に防獣柵を開けて入ります。道はしっかりありますが、途中道が二股三股に分かれており城跡方向の道しるべがないので鬼の架け橋の方向案内に進むと良いです。
 中腹程に園林寺跡地があります。城跡は主郭手前まで来てやっと城跡っぽい感じになってきます。
主郭を中心に東南方向に続く尾根沿いにも巨石を含んだ曲輪があり、主郭のすぐ西側に鬼の架け橋という名を含めた巨石群があり勿論当時は城の一曲輪としていたものとおもわれます。主郭は石垣で取り巻いていたようで、所々に巨石が入っています。
 主郭から東南方向に八上城、北方向に黒井城がちょうど中間、同じ距離くらいの位置に見ることができます。
 光秀の埋蔵金伝説なんてありますが、この城にもそういうのあります。確かに巨石が雰囲気あります。
 この城にてこの旅終了240㎞無事走破

<満足度>◆◆◇

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チェブ

かわいい家康さんが目印。 (2020/01/03 訪問)

東海道本線、磐田駅から近い「中泉陣屋」に行きました。私は車だったので、お隣のコンビニに停めさせてもらいました。
戦国末期に伊奈氏が治めていました。
家康さんの鷹狩用宿泊施設として、使われていたそうです。
秀吉さんの命令で家康さんが関東に国替になっても、中泉の地は安堵されました。
秀吉さんが甘いのか、家康さんが賢いのか、「中泉陣屋」はその後、豊臣家を脅かす事になります。
関ヶ原では立ち寄り、出陣しています。
大阪の陣では「中泉陣屋」にて軍事会議が行われてます。
写真⑤がコンビニから写した写真です。わりと新しいデザインのお宅が回りにありました。
「御殿遺跡公園」と重厚感ある名前の公園ですが、かわいい家康さんがお出迎えしてくれます。
奈良時代の遠江国府があったので「御殿と遺跡の公園」です。
「中泉陣屋」の門が西光寺、西願寺、中泉寺、個人宅に移築されているので、そちらを巡った方が歴史を感じるかもしれませんね。
静岡、お庭に蜜柑の木を植えた お宅をよく見かけました。我が家にはレモンの木がありますが夏にアゲハ蝶の幼虫の餌食になります。
「中泉陣屋」の蜜柑の木も害虫駆除とか、しているのでしょうか?はたまた、家康さんパワーでしょうか?

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