仁平3年(1153)に源為義の次男で木曽義仲の父である源義賢が秩父重隆の娘をめとり住んだ館跡とされます。大蔵神社周辺が跡地で土塁などが遺されています。
自分が行った日は義高ウォーク2026というイベントが開催されていて多くの人が見えていたので足早に見学して退散しました。
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2026/05/07 10:16
2025/04/08 18:59
源義賢館跡 (2025/02/09 訪問)
【大蔵館】
<駐車場他>源氏三代供養塔駐車場6台分程あり
<交通手段>車
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画第2弾、ラスト6城目。現地説明版によると大蔵館は平安時代末期に源義賢によって築かれたと伝えられています。館の規模は東西170~200m、南北220mと推定され四隅に土塁、空堀が残されています。
上記駐車場所が源氏三代の史跡公園にようになっています。供養塔の道路を挟んで源義賢公の墓があり、お参りして大蔵館跡の大蔵神社に行きました。土塁が一部残されています。残る遺構は少ないですが、史跡は良く整備されて良い場所でした。
これにてこの旅終了。この日の日中に除雪と一気に雪が溶けたようで、帰路時には新名神高速の冬用タイヤ着用も解除され、スムーズに帰ることができました。本当に事故無く無事でよかった1248㎞走破です。
<満足度>◆◇◇
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2024/12/17 22:34
源氏骨肉の争い (2024/05/06 訪問)
大蔵館は木曽義仲の父・源義賢の居館とされています。館の中心部は大蔵神社の周辺とされ高土塁が残っています。大蔵神社の東側にも土塁が残っており、その北側に大手虎口が設けられていたようです。
源義賢は久寿2年(1155)8月、異母兄義朝の長男・悪源太義平に大蔵館を襲撃され討たれてしまいます。当時二歳の駒王丸(木曽義仲)は畠山重能・斎藤実盛らによって助けられ、木曾谷の中原兼遠に預けられました。
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2024/03/23 14:56
周辺に源氏三代の縁が多い (2024/03/19 訪問)
駐車した辺りに鳥居が多く、神明宮などの扁額がある。山号があるので寺と思うが、大行院または、大行院神明殿と碑・案内に記されている。一画に帯刀先生源義賢公の墓、源氏三代供養塔(義賢・木曽義仲・義高)などがある。
館は平安末期に帯刀先生源義賢により築かれたと伝わる。南東隅に土塁・堀跡が見られ、北西角の土塁跡と思える場所がある。大蔵神社の建つ辺りは数メートル高い。神社西には堀跡が50~60メートル程、藪化し残っている。南から西にかけての土塁がわりと残る。
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| 分類・構造 | 平城 |
|---|---|
| 築城主 | 源義賢 |
| 築城年 | 仁平2年(1152) |
| 主な城主 | 源義賢 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、掘立柱建物跡 |
| 指定文化財 | 県史跡(大蔵館跡) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 埼玉県比企郡嵐山町大蔵522他 |
| 問い合わせ先 | 嵐山町産業振興課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0493-62-2150 |