鎌倉期に大桑又三郎が築いたとされ、戦国期には美濃国守護・土岐氏が改修し、居城としました。天文4年(1535)、長良川大洪水により枝広の守護所が壊滅的被害を受けたことから、大桑城が整備されて守護所が移されました。その後、再三にわたり斎藤道三の侵攻を受け、天文21年(1552)には土岐頼芸が美濃国から追放されて、大桑城も廃城となったようです。
古城山の山頂部を主郭とし、尾根沿いには小規模な曲輪が連なり、主郭西側の谷筋には斜面を階段状に造成した曲輪が多数設けられています。大手口と思われる番所跡(伝 岩門)は巨石を門に配し、二重の竪堀で侵入を阻んでいます。番所跡の北西斜面上には馬場と伝わる広い曲輪があり、馬場の西に続く尾根を堀切で断ち切っています。番所跡から主郭に向かう途中には土橋と喰い違って設けられた堀切(竪堀)があり、その先の道はかつては石垣で閉ざされていたんだとか(NHK「英雄たちの選択」で千田先生が訪れていた場所ですね)。谷筋の曲輪群の反対側(南側)には、転げ落ちたら這い上がれそうにない急斜面に巨大な竪堀が掘られ、その竪堀の東側斜面をロープを頼りに下りていくと、切井戸と呼ばれる井戸が満々と水をたたえていました。そして、伝 台所の曲輪を経て主郭部(伝 天守台)へ。主郭部の少し上にはミニ大桑城と呼ばれるミニチュア天守があり、そこからの眺望は抜群で、眼下に城下町を、遠くには金華山(稲葉山城)を見渡すことができます。
没落した土岐氏の城なんか見てもなぁ、と当初はあまり興味はなかったんですが、昨秋の山城サミットでパンフレットをもらったり、「英雄たちの選択」を観たりするうちに行きたい気持ちが募り、コロナで遠征を控えていた半年あまりを経て、ようやく訪れることができました。久々の本格的な山城でもあり、期待以上に堪能させていただきました。
(続きます)
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