<オススメ>★☆☆☆☆
本庄城は、武蔵児玉党の本庄氏によって築かれた。本庄宮内少輔実忠が古河公方家を迎え撃つために、改修した。その後、後北条氏に攻められ服属する。実忠の死後、家督を継いだ本庄隼人正近朝が城主となり、後北条氏とともに、小田原城へ籠城するも、落城に際して自害した。徳川家康の関東移封の際に、小笠原信嶺が児玉郡の北部国境沿いに位置する本庄に1万石で入部した。小笠原信嶺は元々武田氏の家臣であったが織田氏の甲州征伐の際に、織田方に寝返り高遠城の案内役をつとめた。本能寺の変より家康の家臣となる。1598年に死去し、その家督を継いだ小笠原信之が本庄藩初代藩主となった。信之は徳川四天王の筆頭・酒井忠次の三男であり、家康の命によって信嶺の養嗣子となっていた。1612年、信之は下古河藩に加増移封され、本庄藩は廃藩となり、本庄城も廃城となった。
<アクセス>
JR本庄駅 徒歩20分
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