姫路城の御城印が2月限定なので、行って来ました。
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2020/02/28 16:57
久しぶりに (2020/02/28 訪問)
姫路城の御城印が2月限定なので、行って来ました。
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2020/02/28 15:23
2020/02/28 14:46
小谷城興奮の連続凄い山城です (2015/10/24 訪問)
平成27年10月山城サミット米原大会に合わせて城廻り、美濃黒野城を終えて近江小谷城を初登城。
中腹まで車で登れるとの情報も有り番所跡まで走行するが先客の車で駐車エリア無し少し下った峠と言うか曲がった所に5、6台の駐車スペースが有りそこに停めて登城開始。
先程の番所跡、御茶屋跡、次から次へと曲輪跡遺跡が現れるので歩く疲れも次に現れる城遺跡見たさに吹っ飛んじゃいました、馬屋敷曲輪土塁、馬洗い池、横矢の桜馬場、石構えの黒金門跡、大広間跡、前面に本丸石垣石積、本丸、大堀切跡、中の丸、京極丸、小丸、大石垣、山王丸跡ここが小谷城のてっぺん、丁度先客で同好の士がいらっしゃり会話を楽しむその方は六坊跡へ進むとの事、私はここまでが限度、でも私はこれだけの曲輪、土塁、大堀、虎口、石垣、大石垣を見ただけで大満足です。
写真も色々撮り捲りましたが中々良いものが無く後から振り返ると何処だったかな?と記憶が戻らい写真も有ります疲れながらいい探訪でした、下城して小谷城戦国歴史資料館に寄り資料を頂き復習させて頂きました立派な資料館です。
この後小谷城の前面に在る虎御前山城に寄り米原周辺でホテルが取れなかったので大垣で宿泊。
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2020/02/28 12:21
住宅街にタイムスリップした様な戦国の土塁濠が残る城 (2015/10/24 訪問)
平成27年10月山城サミット米原大会に合わせて城廻りを前々から気に為ってた美濃の黒野城を初登城、よくぞ本丸曲輪、囲む土塁、囲む濠を残して呉れてたと地域の方々の努力に感謝です、黒野城と加藤氏に対する思い入れが感じられます特に保存管理されてる「黒野城と加藤貞泰公研究会」の努力が現在の保存整備管理に繋がってると頭が下がります。
車は登城口の枡形の駐車スペースに停めさせて頂きました、早速本丸内部(グラウンド)、土塁の上に登りぐるっと一周、南東、北西各櫓跡、外より周囲の濠、土塁を見て廻り時期が秋の10月、春桜の頃はどんなに見事な桜の装いが見られたものをと夢想したり、戴いた研究会の資料では本丸に二の丸、加藤家重臣屋敷が囲み、北方向に中堀内に三の丸的重臣屋敷を控え、外堀総掘りが家中屋敷を囲ってる24万石から4万石に成ったと言え戦国期大名の気概が感じられる縄張りです、現在は本丸を残すのみそれでも立派で凄い。
城主加藤貞泰は加藤光泰甲斐24万石領主の嫡男で光泰、朝鮮の役で死去、家督を継ぐが若年で黒野4万石に封じられ関ヶ原後米子6万石で移封(16年黒野在城)、大阪の陣後には四国大洲藩6万石で移封、以後明治まで大洲藩で続く。(黒野城と加藤貞泰公研究会の資料による)
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2020/02/27 22:57
丹波の青鬼の居城 (2020/02/24 訪問)
籾井城址は八上城の東、京都府と兵庫県との境に近く天引峠を越えた山陰街道沿いの福住(街道沿いは重要伝統的建造物群保存地区に指定)にある。
名前のとおり籾井氏の居城で波多野方として光秀と二回にわたり戦っている。籾井教業が丹波の青鬼として猛将であった旨が伝わっているらしい。
禅昌寺脇に登山道の案内があり、比高は約150mとあるが以外にしんどい。舐めてた(ーー;)
しかし、城址公園として若干整備されて登りやすく、小規模ながら連郭式山城の様子が確認できる。
ただ、朝から結構な山城を二つ登った後の夕方だけに見所の北曲輪の先、土橋や堀切を十分確認せずに悪い癖が出て途中で逃げ帰ってしまった。迷ったら怖いから(^-^;)
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2020/02/27 22:18
丹波三大山城 黒井城 (2020/02/24 訪問)
大河ドラマを機に丹波の山城を攻めちゃおう!って気になって行って来た!
1335年、赤松氏によって猪ノ口山に築かれた山城は赤井直正の代に大改修され尾根伝いの山々に砦が築かれていく。その後光秀により本城が改修されたことはテレビ等でご案内のとおり。丹波の山城は砦などを含めると凄い規模の山城が多く侮れない。
さて、今回の登城は急坂ルートを避けてゆるやかコースで。以前問い合わせたら工事してるからどちらから登れるか確認するようにとのことだったが、どちらからかも登れる様子。しかし、ゆるやかコースであっても危険な山道であり要注意である。
まずは石踏の段の赤門へ。本丸手前の前線基地として石敷をして広い曲輪を確保し登り来る敵に備えた場所の名残とは、かつて観光案内していたおじいさんの談。赤門後方の石碑について話して下さった。何者かが明智光秀の名前を削り取っているとのこと(笑)
石踏の段過ぎからチャートの岩盤と滑りやすい赤土系の地表面が厳しくなる。山頂手前に獣害避けの柵があるのは熊避けだそうな。赤鬼の城を熊が守っているのか。
東曲輪から見応えのある石垣がお目見えする。三の丸櫓台脇に城門があり、三の丸へ。帯曲輪を正面に見て右に曲がると二の丸へ上がる。更に一段上がった所が本丸となる。石垣は明智の家臣、斉藤利三や堀尾吉晴の手によるものか。本丸は西曲輪と帯曲輪に囲まれ段状になっている。
本丸からは西に兵主西砦や千丈寺砦、北東に龍ヶ鼻砦と百間馬場はなんと山頂の馬場(;゜0゜)東に多田砦とその向こうに光秀が陣取った小富士山城が見える。南東方向、高速道路のトンネルが貫通するごつい山は赤井直正の弟幸家(よしいえ)が守った支城三尾城。
南側の興禅寺は下屋敷のあった場所で堀と石垣が立派であり、後の斉藤利三が子お福縁で春日の局となる歴史に繋がる。
帰りに急坂ルートを下ったが、晴天でも危ないルートで二、三度ずっこけた。去年は骨折した方もおられる大変危険な道であり注意して登っていただきたい。
山頂石垣に金網が被せられる工事がされており、竹田城並に残念だったが、マナーの悪い観光客がいる以上仕方ない。その他は本当に素晴らしい戦国山城だと思った。
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2020/02/27 20:21
新高山城 (2020/02/09 訪問)
【続百名城37城目】
<駐車場他>登城口傍に専用無料Pあり
<交通手段>車
<見所>曲輪・石垣・畝状竪掘
<感想>日帰り小早川家攻城の旅1城目。新高山城・高山城の山城2城を1日で攻略できる日を狙って冬の今シーズンの目標叶いついに登城できた。朝4:30出発、朝食を摂って8:30到着登城開始した。
日本屈指の大規模山城、小規模の山城の4倍程度の規模があるので遺構を順よく、くまなく見るには縄張り図を持って登ることをお勧めします。
私の登城順は番所跡→鐘の段→匡真寺跡→石弓の段・西の丸→北の丸は樹木で行けず→西の丸西側の畝状竪掘群→紫竹丸→シンゾウス郭→中の丸→本丸北側の郭群(中の丸・釣井の段・ライゲンガ丸・東の丸)→本丸→詰の丸の順で見た。
シンゾウス郭へは北東側からの道が落葉で埋まっているが行けます。郭内はかなりの雑草ですが、北東側に石積み遺構が見られます。
匡真寺跡東側の竪掘・西の丸西側の畝状竪掘群・各所の石垣遺構が見応えあります。また面白いのは釣井の段にはこれでもかってほどの数の井戸(6箇所くらいかな)があった。
石垣の石が三原城移転時に持出されているとはいっても残されているのが相当な規模面積なので、当時はかなりの本格的な石垣造りの山城だったことを思わせた。
この城は竹原小早川家を継いだ小早川隆景が1551年高山城を本拠地とした沼田小早川家を統合し、1552年19歳で築城している。やはり19歳でこれ程の大城郭の築城を指揮できるとは思えず、父親の毛利元就の指示や家臣団の協力で築いたものだろう。期待通りの見応えある規模と石垣、続百名城のマイベストに入ります。これにて百・続百名城の広島県制覇。
<満足度>★★★
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2020/02/27 18:58
篠山城登城 (2020/02/27 訪問)
雪が舞い散る猛烈な寒さの中、登城してきました。
大書院、石垣、天守台、それぞれ見ごたえあり
素晴らしい。
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2020/02/27 18:06
西曲輪の南面、西面に石垣城塁発掘発見 (2015/10/18 訪問)
平成27年10月18日に二俣城跡講演会「家康・信玄と二俣城」が午前中に二俣協働センターで有り、午後より二俣城跡発掘調査(第6次調査)現地説明会が有りました。通して浜松市の文化財課の主催で弁当持参で講演聴講、現地説明会に参加し初めて見る西曲輪の石垣写真を撮りました。
戦国期二俣城は二俣川と天竜川に囲まれた要害の地、石垣化は天正18年(1590年)小田原征伐後家康関東移封に寄り浜松に堀尾吉晴が入り浜松城の石垣化、二俣城の石垣化、鳥羽山城の石垣化が行われ、二俣城は堀尾吉晴の弟堀尾宗光が入るその折以降石垣化され二俣川から見上げ望む方向に石垣城壁で威武した事が見られるとの事。
西曲輪は天守台の在る本丸、南の二の丸、二の丸下南の蔵屋敷の間の堀切を西に降りて行く数段の曲輪を経て若干平坦な西曲輪の南側下と西側下に発掘された石垣城壁が有ります。
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2020/02/27 12:32
探索 (2020/02/23 訪問)
二ノ丸、三の丸は、見れたが本丸があるところがわからなかった(。>д<)
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2020/02/27 11:17
北条氏照が手掛けた技巧的土の巨大城郭 (2015/10/02 訪問)
八王子城を終えて続百名城に登録前の滝山城に平成27年10月初登城、家内は八王子城で疲れて登城口前の滝山観光駐車場の車中で休憩、駆け足での登城探訪、小宮曲輪下の横堀、切岸に驚嘆し、三の丸、千畳敷手前のクランク虎口、堀切、千畳敷奥の郭馬出虎口、二の丸、中の丸から木橋を渡り本丸虎口、本丸、本丸搦手から木橋下の堀切、を元に戻る、高低差も有り惑惑ドキドキの探訪、短時間でしたが十二分に楽しめた滝山城、恐るべし北条氏照公!
駐車場も完備して折り桜の時期に満車前を狙って訪ねたい城です。
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2020/02/27 10:38
発掘復元主殿と再復元曳橋工事進捗確認 (2015/10/02 訪問)
発掘復元された復元ポイントの大手曳橋が水害で流失し再復元がそろそろかなと平成27年10月初登城でしたが出掛けました、体力的に最初より山頂の本丸、他の曲輪登城は諦めて麓の復元整備された御主殿を主目的に探訪しました。
車はガイダンスの有る駐車場に停め、ガイダンスで勉強と資料入手。
ガイダンスよりエントラス広場を経て城山川北側の登城路を進行し城山川を渡り大手門跡経由今回のもう一つの主目的である曳橋跡の工事進捗を確認の為大手古道経由曳橋南側基礎石垣を見学、工事中で立入禁止、戻り大手門跡からまた城山川を北に渡り北側の登城路を主殿方向へ主殿下を進行し御主殿の滝横を通り坂道を主殿に入り初探訪。
御主殿跡は発掘調査後整備保全され建物跡に地表板敷平面展示、虎口の石垣階段、冠木門、周辺土塁、曳橋は工事中で重機がまだ入って居り残念ながら再復元曳橋は見る事が出来ませんでした。(平成28年3月末再復元竣工)
氏照が滝山城から八王子城に移し対豊臣の一大拠点山城ですが前田軍上杉軍により落城し小田原城開城の引き金に成ったが関東武蔵の名城です。
麓だけでも十分楽しめます。
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2020/02/27 06:21
2020/02/26 23:23
丹波三大山城 八上城 (2020/02/24 訪問)
むかーしから何度も何度も付近を通っていたのに何故か登城を避けていた城跡。1月に下見したら春日神社前に駐車場が新設されていたので行ってみた!
上がってすぐに広がる平坦地は前田玄以の子茂勝の館跡で供養塔がある。茂勝は波多野氏の後の城主になる。
登山道は擬木で階段状に整備されているが傾斜はきつくしんどい。
地元では高城山と呼ばれているが、丹波富士とも呼ばれる秀峰のあちこちに曲輪が配置されており、山陰街道を行き交う者に睨みをきかせている。
鴻ノ巣、下の茶屋丸、中の壇、上の茶屋丸、右衛門丸と進むと石垣が見えてくる。更に三の丸、二の丸と進めば山頂の本丸となる。本丸を二の丸と岡田丸が取り巻いている。
本丸から野々垣コースに進むと蔵屋敷から朝路池と池の手曲輪、東西の池番所の手前に堀切がある。水の手を重視した配置か。
一旦上に戻って光秀の母牧が磔にあったという松の跡があるが創作と言われている。じゃ、ここは何だったんだ⁉️(・_・;茶丸を過ぎ藤木坂コースから下山。急峻で倒木等あるが歩けないことはない。
自分としては珍しく来た道を帰らないコースで結構しっかり見て回れた。
駐車場に戻ると地域の若いママさん達が、高城に多くの人々が訪れていることに大喜びされていた。何だか感動した。
地域の方々が誇りにされている八上城。八上小学校も古いが味のある素敵な木造校舎で大切にされている。
どうかこの度の大河ドラマで丹波の歴史に光が当たりますように。
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2020/02/26 22:23
大河ドラマ館のついでに... (2020/02/24 訪問)
大正ロマン館で開催している大河ドラマ館を訪問ついでに攻略。と、軽い気持ちで登ったが、横堀と竪堀で防御され、目の前に立ちはだかる切岸の厳しさに呆然とした。
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2020/02/26 22:15
2020/02/26 21:58
大河ドラマ館ついでに... (2020/02/24 訪問)
フラワーフェスティバル記念公園で開催されていた大河ドラマ館への訪問ついでに攻略。
大手側から桔梗坂と呼ばれている急坂を登ると両側から切岸で守られた郭より横矢が入る構造になっており、なかなか厳しい山城だなと思った。
で、尾根まで上がりきると、反対の斜面は団地の住宅街だった。こちらからは、道向こうの小高い公園が明智城の主郭ということになる。
なんとも言えない気分になった。
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2020/02/26 21:53
忍城
のぼう様のお城としてすっかり有名になり「富士見櫓系天守」も今や忍城の顔となっているが、散策しながらよく見れば土塁や堀など、お城の残骸をちょいちょい見つけ出すことができる。
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2020/02/26 21:42
破城の城 (2020/02/24 訪問)
破城の痕跡の残っている城です。
石垣の角や一番上のいしを落として城として使えなくする痕跡が見られます。
よくよく斜面を見ると、石垣に使われていたと思われる石がたくさん散乱しているのが見られました。
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2020/02/26 21:33
雨の中の城 (2020/02/22 訪問)
どしゃ降りのなか、郡上八幡城への登城道を車であがったが、折り返しがきつくて一回では曲がりきれず、切り返しをしたらタイヤがスリップした。ヒヤヒヤした。こんな日でも、城の駐車場は満杯だった。
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