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あきおこ

小さな櫓と門が移築され昔を偲ばせる (2006/01/01 訪問)

公園の一角に小振りな乾櫓と東門が移築されています。城跡は大きく破壊されていますが堀跡と土塁が一部残ります。

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あきおこ

市民の憩いの公園が隣接する陣屋跡 (2016/07/16 訪問)

大東神社境内にありあずま水生植物園が隣接しています。かつての堀は池となってしまい遺構は痕跡をたどるのみです。

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あきおこ

土橋門が復元された土の城 (2008/04/30 訪問)

昭和58年に復元された土橋門が往時を忍ばせる。かつては通用門として使われた。周囲には土塁が残る。

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あきおこ

武家屋敷、武家長屋が残る城下町 (2018/08/12 訪問)

城郭遺構はほとんど残っていませんが、安中藩群奉行役宅、長大な足軽長屋が残ります。ボランティアの方がガイドしてくださるので歴史を知ることができました。同志社大学を開いた、新島襄の旧跡も多く見どころが多い城下町です。

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朝田 辰兵衛

梅・桜・桃,同時咲きの春で「三春」だそうな。 (2018/04/21 訪問)

その見どころの春は終わってました。スタンプは二の丸。ここは,登城途中に民家があったり,二の丸広場ではこどもたちが遊んでいたりします。史跡をどのように次代継承すべきか,モデルケースのひとつとなりうると思います。神社仏閣等として敬い崇めるより,三春城パターンのほうが,人々の心に深く宿るのかな…と感じました

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カルビン

蛇・・・いたよ~ (2016/10/15 訪問)

東京から山梨県へ入り、史跡・神社仏閣を見学しながら国道52号線を南下し、この日お城ではメインの訪問・真篠城を訪れました。
事前に地図確認していたにも関わらず、ススキ等の背の高い雑草に隠れて登城口が解り辛かったです。

一応狭い道の先に登城用駐車場があるので、そこからすぐ近くの登城口にさしかかった時に、山道入口を交差するように2匹の蛇がすれ違うという・・・
※両方とも比較的小さかったですが、間違い無く片方はマムシでした(汗)

いきなり出鼻をくじかれましたが、多分奥にはいないだろうと勝手に思い込み(←決して真似しないで下さいw)、そのまま登城。


真篠城は訪問した時期的なものなのか、ものすごく枯葉が多く、非常に歩き辛かったです・・・が、山城としてはかなり低い(+車でそれなりに高い所まで登っていた模様)ので、枯葉に足を取られて斜面で転倒する・・・って程の勾配はありませんでした。

主郭は横堀・帯郭・切岸・蔀土塁で囲まれていて、虎口から入るような感じです。
主郭がまた足場悪くて、足ひねりそうになったり、・・・踏んだ枝が飛びあがって下腹部直撃(激痛w)したり・・・年末のダウンタウンの「笑ってはいけない〇〇」の罰ゲームか!って言いたくなりますw

お城(というか、武田氏の対今川への砦だったと思われ)としては場所が場所だけにマイナーな部類に入るのは解りますが、せめてもうちょっと整備して欲しかった~~

遺構に関しては若干物足りなさはあるものの、決して悪く無いお城だったと思います。


自分は蛇に遭遇しましたが、見るからに獣が出そうな感じしましたので、熊や猪にも注意が必要と思われます。
攻略する際には十分に準備して攻略されたし(・ω・)b

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チェブ

竹千代ピンチ! (2018/12/29 訪問)

松平 信光公(家康さんの御先祖様)の時代から岡崎に移るまで拠点だった「安祥城」に行きました。
松平氏が4代の間、城主だったようです。

「安祥城」は本丸に大乗寺、三ノ丸に歴史博物館があります。
駐車場があるので歴史博物館辺りを攻めました。
切岸や掘、姫塚があります。
もちろん私は説明板のお陰で見落とさないですみました。
その位、一部を残してくれています。

この「安祥城」近くで9年間、安城合戦がありました。
信長さんや家康さんのお父さん時代のややこしい合戦です。
この結末が竹千代君(家康さん)と織田 信広君(信長さんの兄ちゃん)の人質交換です!
家康さんの苦労はこの辺りから始まったんですね。

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todo94

続日本100名城スタンプ91個目 (2019/01/19 訪問)

続日本100名城のスタンプラリーが始まる前に昨年1月、初攻城していますので、1年ぶりの再訪です。大規模な竪堀で大きく東西の曲輪に分かれていますが、中でも西郭の五重横堀は圧巻です。かつての箕輪城の空堀もこんな感じに樹木が密生していましたが、今ではきれいに伐採されて土の城の素晴らしさを堪能できるようになりました。古宮城もいつかそのうち…。

時間を見計らって10時ぴったりに作手歴史民俗資料館にてスタンプをゲット。それから愛知県赤十字血液センター豊橋事業所に向かったのですが、献血予約の11時に8分ほど遅れてしまいました。

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三河のかづ

岩津城(岡崎市) (2019/01/27 訪問)

初めて行く方は入り口はわかり難いので事前準備が必要です。空堀にかかる土橋が見れます。

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くろもり

岩屋城の戦いの地 (2013/12/31 訪問)

戦国末期に、九州統一を目指す島津氏の北上に対し、寡兵で戦い散った高橋紹運公の最期の地です(城址の解説には敵の島津軍5万とありました。5万は誇張があるかもしれませんが、圧倒的な兵力差だったことは間違いないはずで、城兵は763名と伝わります)。

圧倒的な兵力差にもかかわらず、島津氏の猛攻に約2週間耐え、ついに紹運公以下、城兵全員が玉砕したと伝わる壮絶な戦地の本丸跡には「鳴呼壮烈岩屋城址」の碑が島津軍に立ちはだかるように、城下に向かい建てられています。島津軍を防いだ2週間という数字はとても大きく、岩屋城攻略後、島津軍は紹運公の実子の立花宗茂公の立花山城に兵を進めますが、豊臣秀吉の援軍が九州に到着し、島津軍は博多へ撤退しました。

遺構は本丸に土塁のような高くなっている所がありますが、櫓台跡とも伝わりはっきりわかりません。本丸の下には腰曲輪のような所も見えます。本丸から車道を挟んで下にある二ノ丸と伝わる場所には、紹運公の胴塚と家臣の墓碑があります。また、城から離れますが、西鉄二日市駅の近くに紹運公の首塚があります。

大野城のある四王寺山の中腹にある城で、太宰府や二日市方面の眺望が良いので(太宰府政庁跡や水城の土塁が見えます)、紹運公を知らない方でも、楽しめる場所ではないでしょうか。

車での訪問の場合、岩屋城の近くに車1台が止められるスペースがありますが、大野城の太宰府口門跡近くの焼米ヶ原に10台くらいの無料駐車場があり、そこから岩屋城まで遊歩道が整備されており、徒歩10分~15分くらいです。太宰府駅または太宰府政庁跡から徒歩で訪問される方も、岩屋城からの車道は路肩がなかったと思うので、大野城へ向かう場合、遊歩道を歩いた方が安全だと思います。

高橋紹運公と岩屋城の戦いを詳しく知りたい方は、吉永正春先生の「筑前戦国史」がおすすめです。

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モト

整備された城跡は土塁と空堀が見れました (2018/12/31 訪問)

土塁が見事でした。
整備された城跡は見学しやすく、けっこう広い範囲で土塁や虎口を見ることができます。
少々整備されすぎ、なんて声も聞かれますし、たしかにそれは感じるような...。
ただ、土塁がしっかりあるので縄張りがどんなであったかを感じられます。

また、空堀もあります。
これは土塁もあるからか、なかなか深くて立派でした。

城跡全体としても雰囲気があってよかったです。

訪れた日、工事をしている場所もありました。
これからまだまだ整備されていくんでしょうね。

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あきおこ

複数の建造物が残る貴重な城 (2008/04/29 訪問)

2008年訪城。関東地方では珍しく城内に櫓、櫓門、門が残る。主要部の土木遺構も残り見どころは多い。

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あきおこ

府中城(石岡陣屋)の重厚な城門と土塁 (2008/04/29 訪問)

2008年訪城。府中城(石岡陣屋)は小学校と市民会館の敷地にあります。城門と土塁が残ります。

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あきおこ

本丸と二の丸間の大堀切は見事 (2018/01/05 訪問)

本丸と二の丸間の大堀切は、電車を通す為いくらかの改変はあると思うが、全国屈指の遺構だと思う。現在は学校の敷地などに転用され全体遺構の見学は困難だが、この大堀切を見るだけでも大満足でした。

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あきおこ

宍戸城(陣屋)表門 (2008/04/29 訪問)

天保年間の建築。小さいながらも風格がある。県指定文化財。

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あきおこ

復興された建物群が中世城郭のイメージを伝える (2008/04/30 訪問)

2008年訪城。中世城郭に初めて本格的な建物群を復興し中世城郭のイメージを伝える画期的な城。その後の中世城郭の復興にも充分な影響を与えたと思う。

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あきおこ

関東有数の石垣が残る壮大な山城 (2008/04/29 訪問)

2008年に訪れた時の写真です。天守郭周囲には豪壮な石垣があり、かつて天守があった場所には神社の社殿があります。社殿は天守を解体した時の古材を用いて建てられたと伝わり、よく見るとほぞ穴があちこちにあり転用材の痕跡を示しています。改造されていますが八幡櫓も残り見どころの多い城です。

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まーやん

賤ヶ岳の戦い 柴田修理亮勝家本陣 (2018/10/01 訪問)

北陸道敦賀ICを降りて国道8号を南下し、刀根から林道へ。突き当たりの駐車場でスタンプをゲット…と簡単に言うが、ここまででもかなり恐ろしく寂しい道(;´д`)
看板にはここから20分で山頂に至るとのこと。歩き始めたはいいが、折からの台風の影響で50年は経ったような大木が倒れまくって行く手を阻む。道中、杖にしていた木が折れ、2回も蛇に遭遇し心も折れ折れ。・(つд`。)・。
しかし山頂は素晴らしい遺構だった。
大手虎口から城址に入るが、細かく仕切られた郭と堀、馬出、そして主郭は方形で綺麗な土塁で囲まれており、一段高い櫓台が隅に位置する。
山ばかりの眺望だが、ここ柳ヶ瀬山から佐久間玄蕃盛政の陣:行市山砦を望んでいたのか、名前が玄蕃尾とは刀根に伝わる呼び名だそうな。
素晴らしい遺構だが、安全には気を付けていただきたい。

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あきおこ

河岸段丘上に築かれた城 (2015/01/05 訪問)

常福寺の背後に土塁のある主郭と横堀状の帯郭が残る。保育園脇から道があり深く鋭い堀切に通じる。寺背後は河岸段丘となり横堀が巡る。墓地周辺から寺の正面にかけて横堀があるが藪がひどい。広い郭面をもつ単郭城郭の様だが、少し離れた線路に近い場所にある民家の敷地内にも土塁の痕跡があり、当時は広大な城郭だったかもしれない。瓜連駅から徒歩15分くらい。寺に駐車場あり。

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あきおこ

雪の二本松城 (2004/12/30 訪問)

かなり前の冬に訪れた時の写真です。

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