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六神合体

魅惑の岩盤堀切再び (2020/02/02 訪問)

三石城の史城、富田松山城。
三石城とあまり距離が離れて無かったので一緒に攻城すれば良かったと反省。
駐車場は近くの品川グラウンドに停められます。
案の定グーグル先生は役に立ちませんので「品川グラウンド」で検索したほうが早いかも。

そこそこきつい登城路を登ると出丸に出るのですが、そこから一旦降りてまた登って主郭へと到着します。
土塁がかなり綺麗に残っており感動ものですね。
あとやはりここは三石城同様「岩盤堀切」が最大の目玉です。
何か流行ってたんですかね?

出丸の反対側の山の頂上には地名の元ともなった「雨乞い跡」もあります。

三石城、富田松山城、閑谷学校の3つはセットで行くのがお勧めです。

あ、そういや出丸はもうひとつあったけど行ってないや・・・

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城好きのメガネ

「穴太衆が築いた名城 暘谷城」 (2020/02/22 訪問)

<オススメ>★★★★★
暘谷城は、豊臣秀吉の正室・北政所の兄、木下延俊(木下家定の三男)が築いた日出藩代々の居城である。義兄である細川忠興が縄張りを担当し、城廻りは家臣の松井康之、石垣においては穴生理右衛門(穴太衆)を棟梁に普請が行われた。南端の本丸を中心に、二ノ丸・三ノ丸・外郭が囲う三重の構えをなし、郭境には堀をめぐらし、要所には城門が置かれた。現在、本丸跡石垣や隅櫓(鬼門櫓)や裏門櫓、藩校致道館などの文化財が遺されている。また、暘谷とは日出藩主3代木下俊長が中国の古典『淮南子(えなんじ)』にみる「暘谷」の一節より命名したものとされる。

<アクセス>
JR暘谷駅 徒歩15分

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リョウスケ

駿府城

ホームグランドです

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ぽんたっく土佐守

広大な縄張りをもつ山城 (2020/02/18 訪問)

「荒城の月」の舞台として知られている岡城。高石垣以外にも追手門跡や広大な縄張りなどみどころがいっぱいです。訪れた時には発掘調査が行われていました。今後、新たな発見が発表されるかもしれません。

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ひろべえ

明智光秀の石垣 (2020/02/23 訪問)

素晴らしいと噂の周山城へ念願の初攻城。大河ドラマ「麒麟がくる」が放映されていることもあり、様子が気になりましたが、数人の攻城者を見かけたのみ。いい意味で整備されていないのがよかったです。朝からの小雨と前日の雨で登城路はややぬかるみ。途中拾った木の棒を相棒?に主郭を目ざす。杖がないと攻城は無理でしたね。途中、遠くでイノシシを目撃し,ややビビりましたがひるまず前へ。登城路も滑り落ちると大変な傾斜のためただでは済まないでしょう。しかしながら、下手に整備されていないことが逆に山城の素晴らしさにもつながっていると感じました。進むにつれ、あちこちに石垣が散乱。曲輪2と主郭をつなぐ苔むした登り石垣の残骸、主郭の複雑な天守台付近の構造。曲輪5(小姓丸)の高石垣と曲輪6の石垣、どれも素晴らしかった。破城感半端なしでした。2時間もウロウロしてしまい、西ノ城には行けませんでした。下城後は慈眼寺で黒い光秀公にお会いし,「麒麟がくる」放送記念の特別御朱印(400円)と御城印(300円)を購入。拝観300円を支払いました。駐車していた道の駅の帰りに「亀屋廣清」さんで土産を買うと、特別御城印をいただき、攻城した旨と伝えるともう1枚頂きました。大河効果ですね。

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todo94

小芝城 (2011/02/20 訪問)

江尻小学校に建つ城址碑は小芝城となっています。遺構は残っていないようですが、穴山梅雪の居城ということで、是非訪れたいと思っていました。もう9年も前のことですが。前日に、「まーるい城ミニオフ会」を楽しませてもらったのも良い思い出です。

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ノブ

明知城 (2020/02/29 訪問)

令和最初の閏日に登城しました。
恵那大河ドラマ館から15分程度で登城できます。

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城好きのメガネ

「鶴崎城」 (2020/02/22 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
大友一族の分流である吉岡長増が築城したとされる。島津氏による豊後侵攻では吉岡妙林尼の決死の籠城が行われ、島津の猛攻を計16度退けたとされる。大友氏改易後は廃城となる。江戸時代には、熊本藩の所領となり、熊本藩 鶴崎御茶屋(藩主宿泊所)が置かれた。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR鶴崎駅 徒歩10分

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城好きのメガネ

「大友氏代々の居館 大友氏館」 (2020/02/21 訪問)

<オススメ>★★★★★
鎌倉末期に大友氏泰が築いた代々の居館である。現在、発掘調査が行われ、巨大な庭園跡や島津氏の焼き討ちを裏付ける痕跡などが出土している。南蛮BVNGO(ぶんご)交流館が併設されている。また大友氏館跡庭園は戦国大名の館跡において日本最大級の大庭園とされる(2020年4月ごろ公開予定)。旧万寿寺跡とともに大友氏遺跡として国史跡に指定されている。

<アクセス>
JR大分駅 徒歩15分

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カズサン

湘南海岸ドライブ中チョイ寄り (2015/12/02 訪問)

 平成27年10月石垣山城を終えて湘南海岸沿いをこの年に成るまで家内と一緒に走った事も無く鎌倉手前の江の島へ先ずは行こうと海岸線をドライブ走行と洒落る、江ノ島手前でナビに大庭城が現れついつい基礎知識も無く大庭城址公園北西に在る駐車場に車を停めて城跡を探訪、登ってぐるっと敷地内を見学、建物跡表示、南端の曲輪に横堀、西段丘下に一条に横堀が有ったようですが後から余湖図コレクションさんの俯瞰図を見てから分かった事、見れなくて残念、サラッと探訪はこんなもんです。
 後は江ノ島、鎌倉海岸経由横須賀、横浜の目的地無事到着。

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リョウスケ

広島城 (2017/11/14 訪問)

原爆で吹き飛んだので
コンクリートの城

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じゅんじん

公園 (2020/01/04 訪問)

遊具があるところとは別に山の中に土のお城がありました☆彡

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スミヤキ

沖縄土産に「ちいるんこう」 (2020/01/31 訪問)

あの日明け方、どなたかの「どうか夢であってほしい」という悲痛なつぶやきコメントで首里城火災被害の報に接しました。

15年振りの首里城公園でしたが、現在、守礼門のほか歓会門、久慶門、廣福門、西のアザナ、銭蔵などが開放され、被災した奉神門など見ることができます。近くには国宝に指定された第二尚氏王統の陵墓「玉陵」、岩山をくりぬいて造られたともいわれ、見応えがあります。

さらに城下まで足を伸ばし、琉球王朝伝来の伝統菓子店を目指します。実はここが今回のメインです。王府の包丁役を祖先にもつ「新垣カミ菓子店」。伝承二百年、昔ながらの製法で作るお店です。ここの「ちいるんこう」が、美味しかったなぁ。香ばしい素朴なカステラ、雑誌などでは、鶏卵をふんだんに使って作った蒸しカステラと紹介されています。おかみさんから、堅くなったらトースターで焼いてもおいしいと教わりました。サクサクの食感になり、甘味も増すんですね。お土産にいいですよ。おまけでいただいた「花ぽうる」、「くんぺん」の焼菓子もまた違った風味で一気に琉球菓子の魅力に引き込まれます。

知ってる人は、知っている。知らない人は、覚えてね。

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リョウスケ

今治城 (2018/06/13 訪問)

瀬戸内に面した海の城
石垣も木造天守も一見の価値ありです

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ぴーかる

高山城 (2020/02/09 訪問)

【高山城】
<駐車場他>高山城北側麓の墓地の駐車場2台分あり。登城口前になります。
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣
<感想>日帰り小早川家攻城の旅2城目。高山城は沼田小早川家の城で竹原小早川を継いだ小早川隆景が沼田小早川家をも継いで統合し、新高山城へ居城を移すまでの約350年間沼田小早川家の本拠地として使われた。ちなみに竹原小早川家の本拠地は広島県竹原にある木村城です。
城跡は連郭式の曲輪が2連になっており、2連の間の窪地に広い馬場を備える大城郭です。イメージとしては、山頂が凹文字状が伸びていて凹字の上2連が主郭を含む曲輪群、へこんだ所に馬場があるといった感じでしょう。

私は登山道のルートが調べた中では北からしかわからなかったので北の墓地の登山口から登城した。
そこから登ると二の丸の西側にたどり着く。
 主郭を含む、まず北の主な1連の曲輪群は西から、北の丸→二の丸→本丸→堀切を挟んで扇の丸があり、それに付随する腰曲輪は無数にあり、行ってはいないが牢屋敷・ハチッコという曲輪もある。二の丸西側に40㍍程の長い石積遺構、本丸虎口・西の丸の曲輪内には仕切石垣があり、石垣は随所に見られる。城跡の中心にある馬場は今は竹藪になっていた。
 南にあるもう1連の曲輪群は曲輪の名称板が無くなっているためちょっとわかりづらい。中心にイワオ丸という曲輪があり、南側の連郭群の主郭といった感じで巨石台を備えている。西から西の丸→太鼓丸→高野丸→イワオ丸→西丸→出丸がある。こちら側の曲輪群も無数の腰曲輪がある。石垣遺構は少ないが、高野丸の虎口北側手前からの石垣は見事です。特に添付写真のように谷積みのような石垣もあり、神社・仏閣あるいは家老クラスの居館跡かと思われる箇所があった。

これ程の大城郭で東は仏通寺川、西は沼田川に挟まれた天然の要害を廃してまですぐ西側の新高山城に移転した理由も考えさせられる。城自体の理由よりも、竹原・沼田を統合した家臣や人の問題で移転したのかもしれない。
高山城・新高山城共に大規模山城の雰囲気を色濃く残した素晴らしい城跡でした。さらに新高山城と2城登って比較するのもまた楽し。

<満足度>◆◆◆

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リョウスケ

福山城 (2017/07/25 訪問)

コンクリートの城でした

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赤い城

小ぶりでも存在感のある国宝天守 (2020/02/27 訪問)

彦根駅から徒歩で10分。
琵琶湖を望む金亀山に井伊氏によって築かれた城です。
国宝天守の他にも天秤櫓や西の丸三重櫓など現存する建物がいくつか残っています。
時間によってはひこにゃんも現れるそうですがコロナウィルスの影響かこの日は観光客も少なめでした。
隣接する玄宮園(工事中でしたが)も含めて見学するのが良いと思います。

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姫街道

庄内の城は、二俣と並び見所満載 (2020/02/29 訪問)

地元で最後までほったらかしだった堀江城。
「遊園地になってしまった城」程度の知識しかなかったが、少し図書館で予習してから行ったら、二俣城に匹敵する魅力があった!
 1569年に今川勢力下であった城主大沢氏と徳川で激しい戦い。守り固く、和睦の体裁で徳川支配下入りしたが、独立独歩の姿勢は貫いたようだ。また1572年三方原合戦の翌日には、武田信玄が浜名湖畔にある堀江城を舟で攻め落とそうとしたが、遠州のからっ風に手を焼き諦めて引き上げていくのを城主の大沢氏が追いかけて決戦になったとある。幕末・明治維新期まで大沢氏のもと庄内地区が独立性を持ち続けていたが、そうやって考えてみれば、その誇り高い気風は今でもこの地域からは感じられる。
 さて、城見学は庄内半島を南から北上するルートで堀江城だけでなく、志津城・佐田城・黒山城(根本山)を回った。大河ドラマ直虎の効果で、どこもよく整備されており、庄内地区の歴史散策は、二俣の街に匹敵する満足度が得れた。
堀江城は、残念ながら主郭部など遊園地になってしまっているが、陣屋跡や羽城、佐田城との位置関係など、今とは違う当時の内海ラインを追っかけながら舘山寺をグルリと散策する事が出来て楽しかった。私は、ポイントは根本山だと思う。堀江城から北東に根本山がよく見える。そして根本山に登ってみると、あの家康の生涯で最も残酷な戦いであった1568年の堀川城戦いがあった気賀の街並みが北側正面に見えるのだ。今川武士として国人大沢氏がこの地域でどうやって徳川に対抗してきたか、よくわかった。

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リョウスケ

姫路城 (2017/05/05 訪問)

天守が美しい

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リョウスケ

岡山城 (2018/02/21 訪問)

時間がある時、内見したいです

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