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こーた

JR東海さわやかウォーキングにて (2018/05/04 訪問)

下調べせずとも、皆さんについていけばいいので楽チンでした。この日は土岐高山城戦国武将隊のパフォーマンスを見ることもできました。

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こーた

城址碑 (2018/05/20 訪問)

JR東海さわやかウォーキングのルートになっていました。

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イオ

【家×お城】登城したお城しりとり⑩

朝田 辰兵衛さん、私も乗っからせていただきますね。
にのまるさんが「亀山城」で「ま」でしたので、私は「松江城」で。

言わずと知れた国宝天守の城ですね。国宝指定される前に登城したことがありますが、このGWに月山富田城、米子城と併せて遠征する予定でした…(現在、休館中)。お城自体はもちろん、堀川遊覧船も楽しいですし、城下町には風情があり、和菓子も美味しい。大好きな城(と町)です。

…ということで、「松江城」なので、お次は「え」でお願いします。

それにしても、クイズといい、しりとりといい、みなさん籠城の達人ですね。思うに任せない状況の中でも可能な限りの楽しみを見いだそうとする姿勢、私も見習わねば。

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にのまる

【家×お城】登城したお城しりとり⑨

「ま」の手札をお持ちの方は多そうなので【亀山城】にします。

亀山城もいくつかありますが、ここは京都の亀山城です。
[一口メモ]
◎ 明智光秀が天正5 年頃、丹波攻略の拠点として築城。
◎ 小早川秀秋の修築を経て、慶長15 年に天下普請により藤堂高虎の縄張りで五重の層塔型天守が造営された。
★5月末まで見学中止です。

次の方、「ま」でお願いします。

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朝田 辰兵衛

【家×お城】登城したお城しりとり,つづいてるぅ~!

みなさん,続いていただき,ありがとうございます!
なんだか,コロナ終息よりも続きそうな予感…。

そこで,触れてなかったルールを明確化しますネ。

濁音,半濁音の着脱は許容としましょう。
例えば,「しんぷ」→「ふくい」や「たかだ」→「たまる」という続け方はOK。

また,「ん」で終わってしまうお城を差別しているみたいに思ったので,
「ん」で終わってしまうお城に限り,フルネーミングでOK。
例えば,「あくたがわさん」→「あくたがわさんじょう」,「なきじん」→「なきじんぐすく(じょう)」のように。

それから,一体化しているような名前は,切っても切らなくてもOK。
「きのじょう」…「きのじょう」でも「きの」でもOK。
「わかさおにがじょう」…「わかさおにがじょう」でも「わかさおにが」でもOK。

私は山城ばかり登城しているせいか,「山」や「岳」で終わるネーミングの城が多いことに気づきました。
ここまで,みなさんのつなぎを見渡すと,やはり「ま」で始まるお城がけっこう出てます。
意外に「ま」で手詰まりしてしまうかもしれませんね…。

しかし,みなさんの登城記録をパノラマで拝見しているようで,ワクワク感がたまりません。
城びと編集局のみなさん,この企画が終わったら,書籍として発刊されても面白いかも…?!

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まっぴー

【家×お城】登城したお城しりとり⑦ (2018/10/07 訪問)

僕も登城したお城しりとりに参加させていただきます!
今まで行った城は少ないのですが、1つでなら参加できます!(1つか…まだまだこれからも新型ウイルスが明け次第お城巡り頑張ります!)

「う」で始まる城といえば・・・上田城です!

次は「だ」です!(「た」でも大丈夫だそうです!)

新型ウイルスによって厳しい毎日が続いていますが、みんなで乗り越えられるように籠城頑張りましょう!

これを考えてくれた朝田辰兵衛さん、楽しい企画ありがとうございます!

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まーやん

【家×お城】登城したお城しりとり⑥

一城ずつなら私も参加できます…かね(笑)
「し」とのことから、「新宮城」はいかがでしょう?
お次は「う」です。

この度のコロナ禍で大変な状況となりました。楽しみにしていた京都周山城登山&大和田先生講演会が無期限延期となり大ショックを受けましたが、気を取り直し、過去を思い出しながら投稿をしようと思い記憶(大したことありませんが)を少しずつ辿っております。

ここには事務局の方々をはじめ、沢山の「軍師」が居られ策を練っていただけるので励みにもなり、視野も広がって大変有り難く思っています。「仲間」です。

我々には「籠城」という共通ワードがあります。籠って戦うことがあること、籠った戦い方を考えなければならないことを皆が知っています。外出しない楽しみ方がきっと見つかります。頑張って乗り越えましょう。

《誰かに(無責任な)お願い》
【家紋×お城】って視点で誰か何かありませんか?私にはネタがありません。スベるネタかも知れませんし無責任ですが応えられないかもです。こんなことならもっと写真撮っておくべきでした(T^T)

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城葱

【独自視点×城】苔むした石(石垣)×城

城好きの中にはあの圧倒的な存在感の石垣がお好きな方も多いと思います。

私もその一人。

石垣のあのおびただしい数の石を人が積み上げていき作ったと想像すると
石垣の偉大さ尊大さというか、想いや苦労の塊のように思え、
単なる石が積みあがったものとは思うことはできません。

また様々な形、様々な場所に積まれて、様々な役割を果たしている。
その役割と意義に想いを馳せ、またその石垣が何を見てきたのかを想像しても楽しい。

特に、私は、石垣に限ったことではありませんが、
城跡にある石にむした苔に
城、城跡の経過した時間の流れを感じさせ、
自然の中で鎮座し、小さな動植物の生活環境の一端となりつつも、
城跡の風景を鮮やかにする緑色を映し出す存在としての愛着を感じます。

石に苔はすぐに生すと思う気もしますが、
自分で石に別の場所で生していた苔を定着させようとしても、
なかなかうまくいきません。

石の位置、風や日の当たり方、その環境にいる生物群など何かわからないけど
そこで生すべくして生した苔であることに間違いないのだと感じました。

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城葱

【体験×城】夏の日、田丸城の防衛 (2014/07/19 訪問)

 2014年の夏、早朝、鳥羽城からスタートした三重県の城攻め道中。
 2つ目の城攻め目標が「田丸城」でした。

 私の城攻めの基本スタイルは、電車・バス・自転車・徒歩という
 ノーカー城攻めで、この時もそうでした。
 JR鳥羽駅から電車に揺られて、「田丸城」の最寄り駅 JR田丸駅を目指していました。

 夏の天気の変わりやすさは驚くもので、
 突然、暗雲が広がり。眩い光が走り、雷鳴が轟きました。
 駅に停車するも、なかなか出発しません。
 せっかくの城攻め遠征なのに、一分一秒も無駄にしたくないのに立ち往生とは。。。

 どうやら落雷による信号機トラブルとのこと。

 いつ復旧するかわからないこの状況。
 鉄道好きならこの電車や駅にじっくりいることさえも楽しめるとは思いましたが、
 私は城好き、城がないところで滞留してなどいられません!

 幸い、JR線がだめでも近鉄線は動いているとのことで、
 乗り換えることにしました。

 近鉄線の最寄り駅は、近鉄明星駅です。
 目的の田丸城まで、徒歩で1時間以上かかるほど離れています。

 それでもやはり田丸城攻略を諦めないのが城好きの性でしょうか。
 そして、ノーカー城攻めで交通費がかかるので、なるべく贅沢なお金を使いたくない心情から
 近鉄明星駅から、タクシーといった私にとってのVIP城攻めは行わず、徒歩で攻めることを決意しました。
 遠い距離や足の疲労の心配よりも、なんだか予定が狂っているというビハインド感が、
 自分の城攻めの炎に油を注いだ状態で「なんとしても攻め落とす」という一種のゾーンに入っていたのかもしれません。

 実際に歩いてみるとなかなか遠く。。。
 そして、途中田んぼが一面に広がる農道をひたすら歩く場所にさしかかると、
 少し心の片隅から、近鉄明星駅で歩くと決めた心を揺さぶる後悔が見え隠れする時もありましたが、
 ここで負けるわけにはいかないと、自らを鼓舞し、ただ田丸城を目指して歩きました。

 しかし、そこに待ち伏せしていたのが、ゲリラ豪雨の雨雲たち。

 落雷で信号機トラブルとなった時点で、ある程度予想できた天気の崩れでしたが、
 近鉄明星駅でのゾーン状態の私に、その危険予知能力は、焼け石に水。
 近鉄明星駅に着いたときに雨が降っていなかったことから、天気は好転するとポジティブに出立していました。

 元々荷物もたくさん持って城攻めしたくないので、傘さえも持ち合わせておらず、
 しばらく雨に打たれつつも、桶狭間の戦いでの信長軍を自らに降臨させ、雨に濡れようが、ここは攻めるのみ!
 と自分に酔いながら歩みは止めず!

 が、豪雨は強くなるばかりで、これはさすがにまずいと思っても、
 周りは田んぼで避難する場所もなく。。。
 走って走って何とか農業用の建物らしき建造物を発見。軒をちょっと拝借し身を隠す。
 雨雲のゲリラ部隊が私を見失い去っていくのを待ちました。

 しばらくの雨宿りの末、再び田丸城攻めを再開。

 田丸城に到達。城跡にある玉城中学校に「自分も城跡学校に通いたい!」と羨望の眼差しを配りつつ、
 ぐるりと回って石垣や縄張りを堪能。ついに田丸城の攻略に成功しました!
 当たり前のことですが、雨上がりの草茂る城跡は草についた雨が城内を攻め動く私に
 靴が濡れてぐちょぐちょになるという心理的なダメージを最後まで与えてくれました。

 とても思い出深い城攻めになりました。

 今思えば、
 落雷による信号停止による交通手段の断絶、
 徒歩で攻め来る私へのゲリラ豪雨の伏兵による足止め
 城内下草につく雨水による靴攻撃と心理的ダメージは、

 田丸城が必死に攻め落とされんとする思いが形となって表れたものだったのかもしれません。

 得るまでに苦労すればするほど心に残るものとなるんでしょうが、
 なかなか攻めるに苦労し、城攻め過程でのいろいろな障害があった城は少なく、
 今でも強く記憶に残っている城攻めの一つです。
 いつか再度城攻めに挑みたいと思っていますが、
 今度はどんな防衛手段をとってくるのか楽しみです。 

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カズサン

【独自視点×城】ひっそり一人静に山崎曲輪石垣城塁 (2019/12/10 訪問)

 彦根城の山崎曲輪は佐和口、表門、御殿、天秤櫓、天守閣、玄宮園などの表に比べれが奥にひっそりとした所で訪ねる方々も少ない曲輪ですが石垣城塁、水濠で囲まれ確りと残存し往時は三階櫓、多門櫓、二階櫓、山崎口門で防御され浜松城の家康時代に井伊直政の与力筆頭付家老木俣氏護る曲輪と成ってます、後に木俣氏の屋敷は佐和口側に移ってます。
 昨年12月11日投稿してますが投稿見直して石垣城塁に絞り再投稿させて頂きます、一人静かにじっくりと内、外と観察、時代に染まるのも良いものです。

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てるたろう

要衝に棲む臥牛の天守 (2018/07/01 訪問)

第一次山陽道攻め

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城好きのメガネ

「大宝城」 (2020/03/22 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
大宝城は低湿地に囲まれた台地に位置する。南北朝時代には関城に北畠親房が入った。大宝城には、春日顕国と興良親王が入り、南朝方の重要な拠点となる。約2年にわたる籠城戦の末、高師冬率いる幕府軍によって関城と大宝城は落城する。北畠親房は吉野に帰還するが、春日顕国は常陸に残り幕府軍に抵抗する。一時、幕府軍の隙を見て大宝城を奪還する。1344年に再び幕府軍に襲われ討ち死にした。現在、土塁などが遺されている。

<アクセス>
関東鉄道常総線 大宝駅 徒歩10分

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城好きのメガネ

「関城」 (2020/03/22 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
関城は低湿地に囲まれた台地上の先端部に位置する。南北朝時代には関宗祐が北畠親房を助け南朝方の拠点となった。関宗祐は大宝城の春日顕国と連携し幕府軍と戦った。高師冬率いる幕府軍は関城と大宝城を分断し、兵糧攻めを行った。南朝方最後の頼みの綱であった結城親朝が幕府軍に与したことで戦局は決定的となる。約2年にわたる籠城戦の末、宗祐と子の宗政が討ち死にし、廃城となる。現在、空堀、土塁、坑道跡が遺されている。

<アクセス>
関東鉄道常総線 騰波ノ江駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「中久喜城」 (2020/03/22 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
中久喜城は、小山義政の乱関係城郭群の一つとして国指定史跡に指定されている。下野・下総の国境に近い下野側の台地先端部に位置する。小山秀綱は上杉氏や後北条氏などの列強の狭間にあり、1566年に後北条氏に屈服し嫡子を当主に立て、出家すると自身は中久喜城に入ったとされる。中久喜城は小山氏の隠居城として機能した。1576年に混乱に乗じて結城晴朝が中久喜城を奪取し、結城氏の隠居城とする。結城秀康(徳川家康の次男)が越前に転封されると廃城になったとされる。現在、城の中心をJRが通っているため主要部の遺構は消滅している。

<アクセス>
JR小田林駅 徒歩25分

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うさ

城×景色 (2019/04/09 訪問)

素晴らしい所にお城が!遠くから見つけた時は思わず声をあげてしまいました。
お天気も良く、最高の景色でした。
自然の岩を利用して建てられた苗木城、昔の人は本当にすごいと思いました。

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うさ

城×体験 (2019/06/19 訪問)

本丸目指して登っていると、なんとニホンカモシカさんに遭遇しました。
お食事中だったようです。
お邪魔しました(^-^)

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ぴーかる

【家×お城】登城したお城しりとり⑤

チェブさんありがとう。「し」はいっぱいありますよね(*^^)v。手駒がそんなに多くないので流石に「れ」は持ってませんでした。
「新発田城」→「高島城」→「松山城」→「松ヶ島城跡」→「丸岡藩砲台跡」→「戌山城跡(福井県大野市)」→「丸岡城」→「景石城跡(鳥取県鳥取市)」
よし!またうまく「し」に繋げれましたよ。

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ルパン

北の城 (2013/02/06 訪問)

100名城2番
江戸幕府が箱館奉行所の防備を固める目的で建造した。稜堡式した西洋式の城郭である。1868年から翌年に「箱館戦争」の舞台となった。

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ぴーかる

【独自視点(鏡石)×城】

【独自視点(鏡石)×城】
鏡石・・・虎口や城門の石垣のなかにある巨石で、城主が威厳を示すために設置した見せびらかしポイント。


緊急事態宣言の発令する前から仕事の休日の外出をせず1か月あまり、かなり鬱屈してまいりました。特にお天気の良い日にはウズウズしますけど我慢の時、ステイホームです。皆様いかがお過ごしですか。お体ご自愛下さい。僭越ながら私もキャンペーン参陣させていただきます。

お城で好きなところは石垣です。百名城・続百名城の中の撮影した鏡石を掲載しました。百名城は50城、続は30数城程しか登城していないので、例えば上田城の真田石などまだまだ見てない鏡石があるのですが、今回は私が登城したとき撮影したものを10城集めてみました。一応クイズ形式的に説明を下の方の行にしますので一旦写真を先見て当ててみて下さい。




①大阪城 桜門枡形にある「蛸石」・・・表面積は36畳と大きいのに厚さ平均90㎝と意外と薄いのね。
②名古屋城 本丸東ニ之門入る「清正石」・・・加藤清正が積んだものと思いきや黒田長政が施工したもの。
③松本城 太鼓門「玄蕃石」・・・重量22.5トン、築造者の官名に因むもの。個人的には一番好き。
④岡山城 内下馬門跡・・・門跡を入って振り向くとあります。写真アップすぎて分かりにくい。すみません。
⑤松江城 一の門・・・巨石が数個埋め込まれている。この時は人が多くうまく撮影できず。
⑥竹田城 正門・・・現在はカップルの聖地だとか。さわるといいらしい。
⑦岩村城 六段壁横・・・これは鏡石なのか自身ないけど、違ってたらごめんなさい。
⑧今治城 鉄御門枡形・・・土橋を渡っているところから目に入る、存在感すごい。
⑨浜松城 天守門・・・門の両脇に1個づつあります。2個並べて撮りたかったのですが。写真がわかりにくく難問?
⑩赤木城 主郭門跡・・・一揆鎮圧の為の陣城なのにきちんと鏡石まである。赤みを帯びた石垣です。

いかがでしたか。独自視点というほど大層なものでなく自分好みなのですが石シリーズちょっと続けようかと。またお付き合いくださいませ。

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小城小次郎

【体験×城】太田金山城 (2019/11/23 訪問)

訪問した日はあいにくの雨だったが、霧に霞む太田金山城はすべての色彩が淡く抑えらえて、墨絵のように美しかった。

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