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響ちゃん

晴れ (2020/03/01 訪問)

神社に参拝したぽい

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響ちゃん

晴れ (2020/03/01 訪問)

整備されて登りやすい山城ぽい

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響ちゃん

晴れ (2020/03/01 訪問)

本郭の神社の登城ノートにカメムシいっぱいいるっぽい

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響ちゃん

少し曇り (2020/03/01 訪問)

櫓門口から登城、米山城跡→砥石城跡→本城跡→桝形城跡と巡ったぽい

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城好きのメガネ

「佐野城」 (2020/02/29 訪問)

<オススメ>★★★★☆
下野の名族・佐野氏は堅固な山城である唐沢山城(続日本100名城)を居城としていた。家名と所領を保つため小田原北条氏から養子(北条氏忠)を迎えていたため、小田原征伐の際には滅亡の危機を迎えた。一族の佐野房綱が豊臣秀吉に仕えていたため、小田原征伐後に房綱が当主に就くことで断絶を免れたとされる。その後、房綱は豊臣氏家臣の富田氏から信吉を養子に迎え、地位を保った。一説にいよると関東に移封された徳川家康を牽制するためとされる。関ヶ原の戦い後は、豊臣家恩顧の佐野信吉の立場は不安定となる。 1602年、徳川家康の意向を受けて、上杉謙信の攻撃をもしのいだ名城・唐沢山城を廃して、山麓に佐野城を築城するよう命じられた。唐沢山城の廃城の理由として江戸大火展望説、山城禁令説、豊家縁故説など諸説ある。整備半ばの1614年に佐野氏が改易されたために、わずか14年で廃城となった。 現在、堀切や土塁、曲輪などが遺されている。

<アクセス>
JR佐野駅 徒歩10分

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城好きのメガネ

「下館城」 (2020/02/29 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
藤原秀郷が平将門追討のために築いたとされる。1478年に、水谷勝氏が結城氏広から下館領を与えられ、水谷氏代々の居城となった。戦国時代には「結城四天王」として名高い水谷蟠龍斎正村が改修したとされる。小田原征伐では、豊臣秀吉から下館領と下野芳賀郡をあわせた水谷領4万7000石を安堵される。関ヶ原の戦いでは東軍に与したため、所領を安堵された。水谷勝隆は城下町や社寺の建設、検地の実施などを行い、藩政の確立に努めたが、1639年に備中成羽藩に移封となる。 その後、松平頼重(徳川光圀の兄)が入封する。1642年の松平頼重転封後は一時天領となるが、井上正岑、黒田直邦などの支配を経て、石川総茂が2万石で入封する。石川氏9代の治世が続き明治維新を迎えて、廃城となった。現在、曲輪などが遺されている。

<アクセス>
JR下館駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「鷲城」 (2020/02/29 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
鎌倉時代に下野国守護をつとめた小山氏の居城である。室町時代には小山義政が鎌倉公方・足利氏満に対して反乱を起こし17年にわたって一進一退の攻防が繰り広げられた城である。本丸には名の由来となった鷲神社がある。現在、土塁が遺されている。

<アクセス>
JR小山駅 徒歩30分

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城好きのメガネ

「祇園城」 (2020/02/29 訪問)

<オススメ>★★★★★
鎌倉時代に下野国守護をつとめた小山氏の居城である。当初は鷲城の支城であったが、南北朝時代に代々の本城となった。戦国期には小山高朝(結城正勝の弟)は、上杉謙信の陣営に加わるが席次の不満により小田原北条氏に転じた。1576年頃には、北条氏照が城主となり城の改修が行われたとされる。以後、上杉氏と小田原北条氏の間を右往左往し、家名と所領を保とうとした。小田原征伐の際に、小田原北条氏に属したため、小山氏は領地を没収され滅亡した。1616年に、徳川家康の命により本多正純が小山3万3000石の城主となり、改修を行うが宇都宮へ移封となり、廃城となった。現在、土塁や空堀が遺されている。

<アクセス>
JR小山駅 徒歩15分

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カルビン

バス通りからは外れてまして(汗) (2018/04/08 訪問)

この日の目的地・羽根倉古戦場までは東武東上線志木駅からバスで近くまで行き、そこから古戦場跡のある富士見市運動公園まで1km歩いて見学。。。といってもちょっとした解説があるだけで遺構とかは無いんですがw

で、これだけだと物足りなかったので、折角難波田氏に関係する古戦場行ったので、そこから難波田城を目指す事に。
地図持参していたものの、まさかの2kmの歩きでした(汗)

以前にも志木駅からバスで途中まで行き、そこから1kmくらいあるいて難波田城行ったんですが・・・どうも国道を超えたこの地域は公共交通機関の空白地なので、車での訪問を推奨致します。

難波田城は復元された水堀・土塁をメインとしたエリアと、古民家再建されたエリアに二分されており、お城としては物足りなさがあるものの結構飽きない場所になっております。
資料館も無料で入れるので、北条氏関連のお城情報も入手できますのでお得です。


羽根倉古戦場から難波田城までの地図はあったのに、難波田城からのバス停情報をすっかり忘れてしまっていた為に、この後柏の城経由で柳瀬川駅まで5km弱歩く羽目になりましたorz
お城見学等々、この日10kmは歩いたな・・・途中でこむら返りした際には無事帰れるんだろうか?と焦ったのはナイショ(ーxー)

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小城小次郎

騎西城

お城の端っこに建っている模擬天守はどちらかというと不格好だが、この天守のおかげでこの町の真ん中にお城があったことを認知している人は多いだろうし、土塁の端っこが残っていることを知って驚く人もまた多いだろう。

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小城小次郎

菖蒲城

加筆。一度は水田に埋もれながらも「あやめ園」として場所だけは目立つようになった。私の知らないうちに近くの栢山陣屋の門が移されていたのだが、調べてみたらそれは平成10年のことだった・・・w

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六神合体

すっぱい宇喜多にご用心 (2020/03/01 訪問)

砥石は砥石でも岡山の砥石城に行ってきました。
珍しくグーグル先生がまともに機能してまして、東側?の「砥石城登山道」と書かれてるところに案内されました。
あ、ただ駐車場ありません。
北側にも登城路があってそこの道をまっすぐ西に向かうと二台くらい車を停められそうな路肩があるのでそこに停めるのがいいんじゃないか?と思います。
もしくは一緒に「高取山城」の攻城も考えられてる場合はもうちょっと西の公民館あたりに停めるのもありかも。

高取山城は城びと未登録なので今回は高取山城も含めて書かせていただきます。


◆砥石城
標高100メートルくらいの小山城なので健脚な方ならものの10分で主郭に到着します。
結構こじんまりとした城跡ですね。
堀切、郭、石垣が見れますが、石垣・・・・改変されまくってますね。
整備、なんでしょうが・・・ちょいやりすぎです。
隅のほうの石垣がちょい荒い感じだったのでおそらくここだけ改変されてない往年の石垣ではないか?と見てます。

◆出城
出城、いわゆる出丸が砥石城には存在します。
横長の縄張りが二つ真横に並んだ縄張り、それがこの砥石城の真の姿ってわけですね。

砥石城の尾根道をまっすぐ神社方面に向かう途中に小高い鉄塔があるのですが、ここを駆け登ると鉄塔の右側部分の木に「出丸」の看板がかけられています。
ここが出城の入り口です。
郭は4つくらいで間に堀切、土塁が見れます。
砥石城と違って変な改変はされてないのでとてもいい土の城です。

尚、古くはこの出城が「高取山城」とされていたそうですが・・・
「いくら何でも近過ぎる」という理由で出丸扱いとされたそうです。

◆高取山城
で、砥石城からおよそ1キロ離れた場所に発見されたのがこの高取山城です。
尾根道を通じて繋がってる・・・という噂でしたが、尾根道・・通れませんでした。

そりゃあ砥石城と敵対してた高取山城が尾根道で通じてるなんてあるわけ無いですもんねー

砥石城の尾根道をまっすぐ行くと一旦降りることになるのですが、そのあたりがちょうど高取山城の登城口になります。
墓場をぬって標高160メートルの場所に主郭があります。
健脚の方なら20分で行けると思います。
規模は中規模くらいですね。
砥石よりは大きいくらいです。

本丸~三の丸までは整備されてるのですが、脇道は藪なので竪堀があるかどうかは不明でした。
堀切と井戸は確認できます。

んー、何か砥石城と高取山城の関係、いろいろと想像すると面白いですよねー
とにかく宇喜多にはご用心(おい

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小城小次郎

羽生城

羽生城を守っていた木戸氏は終始一貫して関東管領上杉氏に従っていたが、後北条氏の後ろ盾を得た成田氏の圧力には耐え切れず、ついに上杉謙信の命で城を捨て、上州へと撤退した。

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六神合体

鬼の城へ (2020/02/23 訪問)

まさに大河で大活躍(の予定)の金山城です。
ノボリがガンガン立ってますねー

ただ駐車場は表記が無いので分かりにくいですが、登城路の隣の空き地がそれだそうです。
標高537メートル。結構登りますねここは。
午後なんでお客さんはいっぱいいましたね。

城跡は陣城とは思えない石垣造りの城です。
何箇所か立派な石垣が残っています。
鬼の架け橋も必見ですね。
黒井城や八上城を一望出来るそうですが・・・

あ、あれが黒井城!って小さいわ!!

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六神合体

三つで一つの八上城 (2020/02/23 訪問)

丹波篠山市の八上城行ってまいりました。
前知識は無かったのですが、SNSで「八上城は奥谷城と法光寺城を合わせて八上城」だと聞いて3つ行ってまいりました。
かなーりきつかったです。

◆八上城
大河効果なのか結構登山客(私の後から)が多かった印象。
駐車場などのインフラは完璧で分かりやすかったです。
10台以上は行けるかも。
登城路はそこそこきついもののおおよそ30分くらいで主郭に到着できます。

思ったほど大きい城では無いのですが、縄張りの形が星型要塞みたいでなかなかユニークです。
往年は石垣が主郭を覆っていたのであろうと推測される石垣(の残骸?)も見事でした。

◆奥谷城
グーグルマップだと八上城で検索するとここの付近に案内されます。
間違っては無いんだけど・・・違う・・・と言う。
とりあえず登山道らしきものを登りましたが、途中で切れてるので道なき道を行きようやく頂上の掘削地らしい平坦な場所を発見。
「ここを主郭とする(おい」
比高は八上城の半分くらいですが・・・道が・・無い・・

◆法光寺城
奥谷城で「道が無い」と嘆いていた私はまだ甘かった。
城郭系サイトで法光寺城の登城路を探してたら驚きました。
神社の裏の急激な坂を「直登」


・・・だそうです。

とりあえず地獄の坂道を戦国の侍になったつもりで駆け登るとしばらくしたら尾根道っぽいところに着きます。
細長い郭を4つほど、間に堀切らしきものを発見して引き返しました。

後で調べたら郭は6つあったみたいですね。
いや、もう「帰り道どうしよう?」で頭がいっぱいだったので・・・

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六神合体

魅惑の岩盤堀切再び (2020/02/02 訪問)

三石城の史城、富田松山城。
三石城とあまり距離が離れて無かったので一緒に攻城すれば良かったと反省。
駐車場は近くの品川グラウンドに停められます。
案の定グーグル先生は役に立ちませんので「品川グラウンド」で検索したほうが早いかも。

そこそこきつい登城路を登ると出丸に出るのですが、そこから一旦降りてまた登って主郭へと到着します。
土塁がかなり綺麗に残っており感動ものですね。
あとやはりここは三石城同様「岩盤堀切」が最大の目玉です。
何か流行ってたんですかね?

出丸の反対側の山の頂上には地名の元ともなった「雨乞い跡」もあります。

三石城、富田松山城、閑谷学校の3つはセットで行くのがお勧めです。

あ、そういや出丸はもうひとつあったけど行ってないや・・・

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城好きのメガネ

「穴太衆が築いた名城 暘谷城」 (2020/02/22 訪問)

<オススメ>★★★★★
暘谷城は、豊臣秀吉の正室・北政所の兄、木下延俊(木下家定の三男)が築いた日出藩代々の居城である。義兄である細川忠興が縄張りを担当し、城廻りは家臣の松井康之、石垣においては穴生理右衛門(穴太衆)を棟梁に普請が行われた。南端の本丸を中心に、二ノ丸・三ノ丸・外郭が囲う三重の構えをなし、郭境には堀をめぐらし、要所には城門が置かれた。現在、本丸跡石垣や隅櫓(鬼門櫓)や裏門櫓、藩校致道館などの文化財が遺されている。また、暘谷とは日出藩主3代木下俊長が中国の古典『淮南子(えなんじ)』にみる「暘谷」の一節より命名したものとされる。

<アクセス>
JR暘谷駅 徒歩15分

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リョウスケ

駿府城

ホームグランドです

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ぽんたっく土佐守

広大な縄張りをもつ山城 (2020/02/18 訪問)

「荒城の月」の舞台として知られている岡城。高石垣以外にも追手門跡や広大な縄張りなどみどころがいっぱいです。訪れた時には発掘調査が行われていました。今後、新たな発見が発表されるかもしれません。

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ひろべえ

明智光秀の石垣 (2020/02/23 訪問)

素晴らしいと噂の周山城へ念願の初攻城。大河ドラマ「麒麟がくる」が放映されていることもあり、様子が気になりましたが、数人の攻城者を見かけたのみ。いい意味で整備されていないのがよかったです。朝からの小雨と前日の雨で登城路はややぬかるみ。途中拾った木の棒を相棒?に主郭を目ざす。杖がないと攻城は無理でしたね。途中、遠くでイノシシを目撃し,ややビビりましたがひるまず前へ。登城路も滑り落ちると大変な傾斜のためただでは済まないでしょう。しかしながら、下手に整備されていないことが逆に山城の素晴らしさにもつながっていると感じました。進むにつれ、あちこちに石垣が散乱。曲輪2と主郭をつなぐ苔むした登り石垣の残骸、主郭の複雑な天守台付近の構造。曲輪5(小姓丸)の高石垣と曲輪6の石垣、どれも素晴らしかった。破城感半端なしでした。2時間もウロウロしてしまい、西ノ城には行けませんでした。下城後は慈眼寺で黒い光秀公にお会いし,「麒麟がくる」放送記念の特別御朱印(400円)と御城印(300円)を購入。拝観300円を支払いました。駐車していた道の駅の帰りに「亀屋廣清」さんで土産を買うと、特別御城印をいただき、攻城した旨と伝えるともう1枚頂きました。大河効果ですね。

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