とだまつやまじょう

富田松山城

岡山県備前市


旧国名 : 備前

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浦上氏の城 (2023/02/08 訪問)

 備前地方でも屈指の輪郭式山城とパンフレットに記載されていました。主郭を中心に主に西側および南北に階段状に曲輪が展開して、その下は崖となっています。東側は尾根となっていて堀切と出丸で守られています。堀切、土塁、石積みを見ることができます。

 備前片上駅から徒歩約10分で登城口に行くことができます。登城路も城址もよく整備されていて歩きやすい。主要な曲輪を散策後、大手筋から下りてみたいと思いましたが、犬走りの所で下へ続く道らしき地形を見つけましたが、トラロープで遮られていました。

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ぴーかる

富田松山城 (2022/12/04 訪問)

【富田松山城】
<駐車場他>登城口前駐車場<34.742528, 134.198876>8台程度可能
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁・石垣跡
<感想>1泊2日城びと美作・備前山城攻めの旅2日目ラスト7城目。富田松山城の築城年は定かではないが、文明年間(1469〜1487年)に浦上氏によって築城され、主な城主に当主浦上政宗の幼いころの後見人・重臣であった浦上国秀がいます。
 上記駐車場に城の説明板があります。説明板横の道を進むと左手に山に入る道があります。遊歩道になっているので苦労なく登れます。中腹の少し上くらいに分岐地点があり右手に行きます。この分岐点も広い削平地になっていますが、道以外は藪化しています。最初の山のピークが東の丸になっています。山頂部をきれいに水平に切り取ったような円形の曲輪で、美しく片上湾が望めます。鞍部を隔てて本城の山が見えます。本城の方に進んで鞍部を越えた所に岩盤を削った大堀切があり見応えあります。
 城跡は主郭を中心に辰巳~戌亥の方角まで方円状に段曲輪・帯曲輪が広がっています。内部に大手曲輪や大手腰曲輪の看板があり大手道もしっかりと残されています。各曲輪内部に大量の転落石が転がっており一部には石垣が残されています。当時は曲輪壁全面が石垣だったようでもし残されていたなら相当な見応えなのだろうけれども、ほとんどが崩落してしまって非常に残念です。主郭・二の丸・三の丸は整備されており芝生化しています。崩落した石は除かれているようです。主郭は広い土塁囲みで土塁が削れ、曲輪内の土の堆積で腰くらいの高さになってしまっていますが、ここも石積みが少し残されています。主郭からの眺望も抜群です。崩落石垣が少し残念でしたがいい遺構が残る城跡です。
 今回の旅はこれにて終了。メインの天神山城は攻略できなかったものの、浦上氏の築城・改修した城々が宇喜多氏によって落城していった様子が少し勉強になりました。城びと未登録の城も含め北から南に流れる吉野川・吉井川流域には点々と数多くの山城跡があり国道374号線を南下していると山々の山頂全部が城跡に見えてきます。(実際その多くが城跡なのですが・・)美作・作東は山城攻めに魅力的な所です。走行距離449㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇
<グルメ>この辺の地域はリアス式海岸で海には多くの牡蠣養殖筏が見えます。虫明牡蠣が有名です。殻付き2㎏買って帰りました。

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higekam

浦上氏の主城、三石城の西を守る支城 (2022/04/28 訪問)

本丸と唯一のなだらかな尾根でつながる東出丸を断ち切る堀切とこの地区の特徴的な石垣(石積)をめあてに、今回はJR 備前片上駅から攻城した。

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織田晃司

複雑に入り組んだ片上湾に (2021/11/23 訪問)

海上の守りを任せてそびえる山城。
本丸をぐるりと土塁が囲んでます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 浦上氏
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な城主 浦上氏
廃城年 天正15年(1587)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
再建造物 碑、説明板
住所 岡山県備前市東片上