とだまつやまじょう

富田松山城

岡山県備前市


旧国名 : 備前

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①堀切
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征29日目:富田松山城 (2026/06/08 訪問)

今日の天気は曇のち15:00頃から雨の予報です。品川グランド前案内板付近空スペースについたのは10時過ぎですが、雲行きが怪しくなってきました。
富田茶臼山城から車で10分くらいで、品川グランド前案内板付近空スペース(34.742550、134.198883)に着きました。
そこから、焼き物の窯元の脇にある登城口(34.742433、134.198435)はすぐです。

詳しい築城年代は不明ですが、富田茶臼山城と同じく応仁から文明年間(1467~1486)三石城主・浦上村宗が備中の松田氏に備えて築いた支城だといわれています。
1531年(享禄4年)浦上村宗が大坂の合戦で討死すると播磨国室津城を長男政宗が継ぎますが、弟宗景と国秀が政宗と不和となり、宗景は天神山城を築き、国秀は富田松山城を改築して居城としました。
1532年(享禄5年)政宗は軍を起こし三石城を攻略した後、富田松山城に来襲し国秀は降伏しました。
政宗は松山城を拠点として片上に兵を出してきた宗景と退治したが決着はつかず、双方が軍を引き上げ終戦となります。
政宗は三石城と富田松山城に城番を置きますが、政宗の勢力が衰退すると宗景の勢力の及ぶところとなり、浦上景行が城主となりました。
1577年(天正5年)宇喜多直家の台頭によって天神山城が攻略され浦上宗景は播磨へ逃走すると、富田松山城も宇喜多氏の手に落ちました。

焼き物の窯元の脇にある登城口から東出丸、大手曲輪、井戸を経由して主郭に到達しました。
登山道は良く整備されており、歩きやすいです。眺望は東出丸や本丸などでに楽しめますが、登城した日の天気はどんよりした曇空で、ちょっと残念でした。
遺構として、堀切、土塁、虎口、井戸などが確認できます。堀切は特にオススメです。
15:00頃から雨の予報でしたが、11時過ぎ頃から雨が降りはじめました。
攻城時間は70分くらいでした。次の攻城先=北曽根城に向かいました。

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BUGTI

片上港を望む浦上氏の城 (2025/03/01 訪問)

麓から尾根までの道は急な道だが、良く整備されているのでありがたい。本丸の周囲はきれいに土塁で囲まれている。二の丸、三の丸のほか、たくさんの腰曲輪があるが、とにかく石がたくさん散らばっていて、もともと岩が多い山のようだ。一部に石積みも残る。一番の見どころは堀切で、岩盤をみごとに削り取っているが、どれほどの労力であったかと感心する。本丸や東出丸からは、片上湾を一望にでき、港を確保するに絶好の場所だったことがわかる。

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浦上氏の城 (2023/02/08 訪問)

 備前地方でも屈指の輪郭式山城とパンフレットに記載されていました。主郭を中心に主に西側および南北に階段状に曲輪が展開して、その下は崖となっています。東側は尾根となっていて堀切と出丸で守られています。堀切、土塁、石積みを見ることができます。

 備前片上駅から徒歩約10分で登城口に行くことができます。登城路も城址もよく整備されていて歩きやすい。主要な曲輪を散策後、大手筋から下りてみたいと思いましたが、犬走りの所で下へ続く道らしき地形を見つけましたが、トラロープで遮られていました。

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ぴーかる

富田松山城 (2022/12/04 訪問)

【富田松山城】
<駐車場他>登城口前駐車場<34.742528, 134.198876>8台程度可能
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁・石垣跡
<感想>1泊2日城びと美作・備前山城攻めの旅2日目ラスト7城目。富田松山城の築城年は定かではないが、文明年間(1469〜1487年)に浦上氏によって築城され、主な城主に当主浦上政宗の幼いころの後見人・重臣であった浦上国秀がいます。
 上記駐車場に城の説明板があります。説明板横の道を進むと左手に山に入る道があります。遊歩道になっているので苦労なく登れます。中腹の少し上くらいに分岐地点があり右手に行きます。この分岐点も広い削平地になっていますが、道以外は藪化しています。最初の山のピークが東の丸になっています。山頂部をきれいに水平に切り取ったような円形の曲輪で、美しく片上湾が望めます。鞍部を隔てて本城の山が見えます。本城の方に進んで鞍部を越えた所に岩盤を削った大堀切があり見応えあります。
 城跡は主郭を中心に辰巳~戌亥の方角まで方円状に段曲輪・帯曲輪が広がっています。内部に大手曲輪や大手腰曲輪の看板があり大手道もしっかりと残されています。各曲輪内部に大量の転落石が転がっており一部には石垣が残されています。当時は曲輪壁全面が石垣だったようでもし残されていたなら相当な見応えなのだろうけれども、ほとんどが崩落してしまって非常に残念です。主郭・二の丸・三の丸は整備されており芝生化しています。崩落した石は除かれているようです。主郭は広い土塁囲みで土塁が削れ、曲輪内の土の堆積で腰くらいの高さになってしまっていますが、ここも石積みが少し残されています。主郭からの眺望も抜群です。崩落石垣が少し残念でしたがいい遺構が残る城跡です。
 今回の旅はこれにて終了。メインの天神山城は攻略できなかったものの、浦上氏の築城・改修した城々が宇喜多氏によって落城していった様子が少し勉強になりました。城びと未登録の城も含め北から南に流れる吉野川・吉井川流域には点々と数多くの山城跡があり国道374号線を南下していると山々の山頂全部が城跡に見えてきます。(実際その多くが城跡なのですが・・)美作・作東は山城攻めに魅力的な所です。走行距離449㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇
<グルメ>この辺の地域はリアス式海岸で海には多くの牡蠣養殖筏が見えます。虫明牡蠣が有名です。殻付き2㎏買って帰りました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 浦上氏
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な城主 浦上氏
廃城年 天正15年(1587)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
再建造物 碑、説明板
住所 岡山県備前市東片上