なんばたじょう

難波田城

埼玉県富士見市

別名 : 南畑城、難波田氏館
旧国名 : 武蔵

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本城(曲輪1)虎口
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T-Shionoya

難波田城 復元された低地の城 (2024/05/02 訪問)

忍城や騎西城もこのような城だったのではないか?
そう考えつつゴールデンウィークに訪問した埼玉県富士見市の難波田城。

嘗ては蛇行や分岐をして流れていたであろう入間川(現在の荒川)沿岸域の微高地に築かれた城。

鎌倉時代にこの地域を与えられ、その地名を名乗ったと伝わる難波田氏の居城。
戦国期の難波田氏は扇谷上杉氏に仕え、河越夜戦で小田原北条氏に敗れた後は北条氏方の持城となり、秀吉の小田原征伐で廃城に至ります。

現在は、田畑が広がるエリアに追手門から本城(本丸)馬出までの城郭の3割ほどが難波田城公園として整備された城跡。

訪問時、追手門を抜けると左には複雑な形に整えられた堀跡の池。
食違虎口から曲輪3に入ると、中堀の向こうに立派な角馬出。
馬出から宅地化した本城へ抜けられない点はおもしろさに欠けるところで、1度園外に出てから本城跡に僅かに残る土塁へ。

小さな城跡でありながら、資料館と古民家ゾーンも含めると滞在時間は2時間強。
モダンな雰囲気を発しつつも城の要素を持ち合わせた難波田城が、私の城郭巡りの183城目となりました。

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まさお

富士見市 難波田城公園 (2022/11/15 訪問)

鎌倉時代から戦国時代まで存在した難波田氏の居城跡に建てられた施設で曲輪等のほか、移築させた古民家・長屋門や行田市から寄贈された古代蓮などもあります。資料館では当地の歴史を学習することができます。知人が市民学芸員をやっています。

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城好きのメガネ

「難波田氏館」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
難波田氏館は、武蔵七党村山党の難波田氏の居城とされる。難波田憲重の時に、河越城を奪われた主君・上杉朝定を武蔵松山城に迎える。両上杉氏に古河公方・足利晴氏を加えた連合軍が後北条氏の河越城を包囲するが、河越の夜戦において戦死し、難波田氏は没落する。後北条氏の傘下に入る。小田原征伐の際に、武蔵松山城の落城と共に廃城となった。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
東武東上線 志木駅 東武バス「難波田城公園南口」 徒歩10分

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おぃしーぃ

荒川沿いの平城 (2022/10/11 訪問)

水堀がとても綺麗なお城です。復元されているのは半分弱で園路の都合で本来無いところに橋があったり、矢倉でなく東屋だったり、少しう~ん、と思うところもあるけれど、この辺りの低湿地にあった平城のイメージが良く理解できると思います。
残念に感じたのが、発掘なのかもしれないけれど、1槨北側土塁が何の表示もなく削られていたこと。誰も行かないかもしれないでしょうが、何で壊すかな。
因みに古民家移築ゾーンは見物です。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 難波田高範
築城年 南北朝時代
主な改修者 上田氏
主な城主 難波田氏、上田氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 県旧跡(難波田氏館跡)
再建造物 水堀、土塁、門、木橋、石碑、説明板
住所 埼玉県富士見市大字下南畑568-1
問い合わせ先 難波田城資料館
問い合わせ先電話番号 049-253-4664