忍城や騎西城もこのような城だったのではないか?
そう考えつつゴールデンウィークに訪問した埼玉県富士見市の難波田城。
嘗ては蛇行や分岐をして流れていたであろう入間川(現在の荒川)沿岸域の微高地に築かれた城。
鎌倉時代にこの地域を与えられ、その地名を名乗ったと伝わる難波田氏の居城。
戦国期の難波田氏は扇谷上杉氏に仕え、河越夜戦で小田原北条氏に敗れた後は北条氏方の持城となり、秀吉の小田原征伐で廃城に至ります。
現在は、田畑が広がるエリアに追手門から本城(本丸)馬出までの城郭の3割ほどが難波田城公園として整備された城跡。
訪問時、追手門を抜けると左には複雑な形に整えられた堀跡の池。
食違虎口から曲輪3に入ると、中堀の向こうに立派な角馬出。
馬出から宅地化した本城へ抜けられない点はおもしろさに欠けるところで、1度園外に出てから本城跡に僅かに残る土塁へ。
小さな城跡でありながら、資料館と古民家ゾーンも含めると滞在時間は2時間強。
モダンな雰囲気を発しつつも城の要素を持ち合わせた難波田城が、私の城郭巡りの183城目となりました。
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