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城好きのメガネ

「丸子城」 (2019/02/09 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
丸子城(日枝神社)には川崎市重要歴史記念物に指定された古文書が三通所蔵されている。二通は後北条氏が発給した、いわゆる「虎の印判状」でうち一通は北条氏直が丸子城の住民に年貢の納入を命じた文書である。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR武蔵小杉駅 徒歩15分

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雲海 (2019/03/01 訪問)

 本丸の北側は急峻な崖で南側に曲輪を配置しています。石垣などよく残っています。城域も整備されていて歩きやすい。こんな山頂でも井戸があり水は確保されていましたね。朝、早かったために霧が出ていました。本丸から見ると雲海が広がっていました。

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shin

山奥にひっそり 井平氏居館跡(井平城) (2019/02/19 訪問)

初投稿です。
浜松の山城 三岳城に行く途中で見つけました。
思った以上に遺構がよく残っており、地元の保存会の方々が頑張ってくれたのだと思います。
井伊谷 井伊家七代目の時代の1254年に、井平直時が分家して祖となり、井伊谷領の北に館を構え、北側の山に井平城を築城したといわれています。
井伊家の親戚筋にあたる故に、大河ドラマになった女城主「直虎」とも濃い繋がりがあったそうです。
しかし1350年余り後に子孫が関ヶ原の合戦で討死して断絶、そしてここも廃城になったようです。
(しっかりした資料がないので間違ってるかも…)
お城は、舌状になった大地を曲輪や切岸で分断し、敵の侵入を防ぐよう作られてます。
竹藪の中にあるので、夏場は蚊がすごいかもしれません。
想像図の居館部分には民家が建っており、土塁などを伺い知る事はできませんが見る価値はあると思います。
公共交通機関は見当たりませんでしたが、駐車場所もあるので車で行くのが一番いいかもしれません。

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利光氏の城 (2019/03/01 訪問)

 利光氏の城で戸次川の合戦にも登場します。山頂の本丸を中心に東に二の丸、三の丸、北に穀倉跡、ノロシ台跡などの曲輪があります。見所は本丸や穀倉の曲輪、三の丸等の周囲に見られる畝状竪堀です。本丸の南に見られる畝状竪堀が見やすいと思います。また本丸南に見られる三条の堀切も見所のひとつです。
今回は時間の関係でタクシーを利用しました。二ノ丸まで車で登ることができますが、未舗装で道幅も狭いので注意が必要です。熟練の運転手の方でしたのでスムーズに到達できました。

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shin

山奥にひっそり (2019/02/19 訪問)

初投稿です。
浜松の山城 三岳城に行く途中で見つけました。
思った以上に遺構がよく残っており、地元の保存会の方々が頑張ってくれたのだと思います。
井伊谷 井伊家七代目の時代の1254年に、井平直時が分家して祖となり、井伊谷領の北に館を構え、北側の山に井平城を築城したといわれています。
井伊家の親戚筋にあたる故に、大河ドラマになった女城主「直虎」とも濃い繋がりがあったそうです。
しかし1350年余り後に子孫が関ヶ原の合戦で討死して断絶、そしてここも廃城になったようです。
(しっかりした資料がないので間違ってるかも…)
お城は、舌状になった大地を曲輪や切岸で分断し、敵の侵入を防ぐよう作られてます。
竹藪の中にあるので、夏場は蚊がすごいかもしれません。
想像図の居館部分には民家が建っており、土塁などを伺い知る事はできませんが見る価値はあると思います。
公共交通機関は見当たりませんでしたが、駐車場所もあるので車で行くのが一番いいかもしれません。

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戸次川の合戦 (2019/03/01 訪問)

 大野川沿いの道路に案内標識が出ていて車でも行くことができますが、道幅は狭く急峻な所もあります。戸次川の合戦で豊臣側の拠点となった城址ですが遺構はありません。

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海に浮かぶ城 (2019/02/28 訪問)

 JR臼杵駅から徒歩にて登城しました。今は埋め立てられていますが、もともとは丹生島という島に作られた城址で周囲は断崖に守られていました。本丸と二ノ丸の間に石垣で固めれた堀があり、現存する櫓は2基です。卯寅口門脇櫓の下に井戸がありますが、海の中にあって真水が確保できたのですね。できれば海の中に浮かんでいる臼杵城を見てみたかった。

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怪鳥松にうそぶいて (2019/02/28 訪問)

 佐伯惟治が大友義鑑から謀反の嫌疑をかけられ2万大軍を送られたが落ちなかったとされる難攻不落の城です。城域には堀切や竪堀を認めていますが、二の丸から小山田城方面に向かうとみられる連続堀切が一番の見所です。
山村広場まで車で行こうとしましたが全面通行止めとなっていた。結局、古市の登城路左谷コースより登城しました。小雨が降っていて足元も悪かったのですが何とか本丸へ辿り着きました。それなりの山道ですがまあまあ整備されていました。途中、奇妙な鳴き声が聞こえて来て気味が悪かったのですが、本丸に「栂城訪古歌」の看板があり「怪鳥 松にうそぶいて声咄々松蔭の苔蘚 孤跡をしるす、、」とありました。あれは鳥の声であったのかと思いほっとしました。帰りは小山田城を経由して下山しました。二ノ丸からは急峻な坂道となっています。道がわかりにくかったのですがトラロープ(一部黒ロープ)を目安に下りればいいかと思います。

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春の鳥 (2019/02/28 訪問)

 国木田独歩の「春の鳥」の舞台になった城で「独歩碑の道」と称する登城路もあります。佐伯駅からは徒歩で約20分。山麓に三の丸、山頂に本丸を中心に二ノ丸、西の丸、北の丸を配しています。石垣がよく残り、その一部は曲線を描いています。城域は広くありませんが、見ごたえのある石垣です。

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朝田 辰兵衛

アクティビティ感が欲しい方はぜひ… (2019/03/02 訪問)

ただし,軽装備はおすすめしません。地図表示の場所は夏城で,龍穏院墓地および乙吉運動広場奥からヤブカキッシュ登城。当然,整備道などなく,自分でルートを決めながら登城。私は,根を張っている木をチョイスしながら,握ったり抱えたりしながら悪路を進みます。なので,毛虫や蜂の活動期は避けます。トレッキングシューズは,靴底が厚く,くるぶしまで覆うタイプをおすすめします。なお,乙吉川方向は,天然の断崖になってます。景色はイイですが,滑落注意です。また,城址碑は龍穏院境内にあり,上杉謙信家臣・鬼児島彌太郎をたたえて,鬼児島彌太郎城址碑となってます。
標高:約90m,比高:約40m。ヤブカキッシュ登城は,片道約30分。
それから,乙吉城には冬城があり,冬季の居館とのこと。乙吉神社奥の削平地。乙吉神社からは2004年の新潟県中越地震の土砂崩れで登城が厳しい状況でした。しかも,バラ科の植物が生え始めており,根を張っている木をチョイスしながら,握ったり抱えたりしながら悪路を進むという私の登城パターンでは,明らかに致命傷。龍穏院と乙吉神社の間の変則4差路付近に登れそうなポイントを見つけ,そこから少しのヤブカキで冬城エリアに入りました。

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CLAD

太鼓曲輪 (2019/03/02 訪問)

本丸に登るには時間が足りなかったので、その代わりに太鼓曲輪に行きました。大手門の背後から登れます。何条もの大きな堀切が見どころです。

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スミヤキ

輝く女性の城下町岩村 (2019/02/22 訪問)

信濃・三河に通じる東美濃の要衝岩村、標高717m 天然の峻険な地形を活用した要害堅固な山城です。麓にある城下町は、江戸時代の商家、町家が残り町並みも素敵です。街中の玄関先に各家庭のおかみさんを紹介した「のれん」がかけられ、女性が主役の町です。是非とも立ち寄って、城攻めの準備を整えてください。水分補給用の飲み物、ご褒美のスイーツ(おすすめは、岩村カステーラ・五平餅)。

岩村歴史資料館にて、新鮮な情報と地図、パンフレットを手にして、登城口から正攻法の城攻めになります。上りが苦手な方、覚悟して下さい。かなりきついです。久々にゼエゼエさせていただきました!

城の名所、チェック箇所にQR コードつき案内板があり、音声ガイドになっており、当時の姿を確認できます。見ごたえあり、休憩も兼ねます。やっぱり石垣が凄いです。本丸までたどり着くと達成感、あります。スイーツも3割増しで美味しくなっています!

体力に自信の無い方、安心して下さい。本丸脇の出丸まで車で行けます。いいとこ取り、出来ちゃいます。日本三大山城の醍醐味を味わいたい方は、歴史資料館から石畳を登りましょう。

戦国期の女城主が有名ですが、近代女子教育の先駆者下田歌子女史も岩村出身の凄い方です。
4月3日まで「いわむら城下町のひなまつり」も開催されています。
4月上旬には「恵那峡さくらまつり」と華やか、艶やかなイベントが続きますね!
また、3月末まで岩村歴史資料館では、東美濃の山城周遊スタンプラリーやってます。限定山城カードがもらえます。

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妙林尼 (2019/03/02 訪問)

 吉岡妙林尼の話で有名な城址。大野川と乙津川の間に築かれた城であったらしい。今は跡形もありません。鶴崎小学校に碑がありますが、門が閉まっていて外から写真だけ撮りました。

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発掘中 (2019/03/02 訪問)

大友宗麟の館の跡で、ただいた発掘調査中。

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うえのはるやかた (2019/03/02 訪問)

「うえのはるやかた」と読むらしい。大友氏の館跡で土塁の一部が残っています。

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にのまる

小田原城から歩いてみました。 (2019/02/24 訪問)

浅からぬ縁のある北条討伐の先鋒や交渉役を任された家康の心中はとても察することができませんが、家康の働きを認め、督姫と氏直を助けた秀吉の心中は察することができるような気がします。

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早朝登山 (2018/10/31 訪問)

雲海を期待して日の出前の薄明かりの中、登頂開始。盆地回りの山が高いので、明るくなってからでも、日の出はけっこう遅い。町の側には雲海はなかったが、西と南の谷に雲海あり。
大手道と太鼓谷稲荷近くからの道とがあるが、同行者に配慮して、傾斜が緩そうな後者を往復した。途中の山腹にも曲輪あり。
東に見える、ドーム状に形が整った青野山は火山(1枚目の写真の左手)。元の形が整っているので、北側斜面が山体崩壊しているのが分かりやすい。

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指月山 (2018/10/30 訪問)

指月山は花崗岩。頂上に花崗岩の石切場があり、石垣材料は現地調達。麓の砂浜も花崗岩由来の白砂青松。一方、町の石材は、海岸から調達した火山岩の安山岩。
入場料払って、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋のジオラマを楽しみました。

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カルビン

早朝の伊勢原 (2017/12/10 訪問)

始めて伊勢崎岡崎城を訪問した時は夏季だった為、雑草が多くてお城なのかどうか解り辛くなってました。
合わせて当時初心者だったので、つまらないお城に来たもんだ・・・なんて思ってましたw

その際岡崎四朗のお墓を見ていなかったので、一昨年前の12月に岡崎城に再訪しまして。


朝寒い中、岡崎城近くの住宅地では多くの猫が暖を取る為か、あちこちの日向で日向ぼっこしてました(●´ω`●)

無量寺にて参拝し、御本堂裏手から城域を見学。。。初見ではわからなかった遺構が少しは解るようになっていたのがうれしかったです(^ω^。)

冬季だったおかげで遺構が見やすくなっていたのに合わせて、この時期でも完全に踏み込めないほどの竹藪内に遺構があるのも解りました。。。あれは整地しないと見学出来ないヤツですね(汗)

そのまま岡崎城の見所である大きな堀脇を進み、そのまま住宅を抜けて岡崎四朗墓まで見学致しました。

大きなお城って訳ではありませんが、伊勢崎には太田道灌や上杉家関連の史跡が多いので、セット訪問がお得です。


伊勢崎駅から岡崎城までは歩いて2、30分かかりますが、バスが近くを走っているので、訪問はそんなに困難ではありませんでした。
(車が停められるかどうか未確認ですので、事前に検索確認してください)

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じゅんじん

公園 (2019/02/24 訪問)

住宅団地の公園の角に大きな石碑があります。公園では男の子が一人で遊んでいました。

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