たかじょう

高城

宮崎県児湯郡

別名 : 新納院高城、高城城
旧国名 : 日向

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天守風展望台
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昌官忠

九州遠征 (2019/10/11 訪問)

城山公園駐車場(32.167978、131.474209)に駐車しようとしましたが、グーグルは山を車で直登しろの指示、無理なので付近の住民に車での登り口を教わり(32.167836、131.470428➡ここでも駐車できます)、無事に駐車場に辿り着きました。
城跡は現在、城山公園(永山古墳)として整備されており、本丸までの道路に空堀(七つ)が案内標識とともにあります。また、本丸には天守風展望台があります。攻城時間は20分くらいでした。

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todo94

【家×お城】登城したお城しりとり【233】 (2008/04/12 訪問)

にのまるさん、ご教示ありがとうございました。秋田城の「た」から【高城】(宮崎県木城町)。つぎの「か」は、カルビンさんの「古城」手札でつないで頂けると、五ヶ所城に持って行けるかと。よろしくお願いいたします。

【しりとり業務連絡】明日、人間ドックの予定で、病院より県を越えての移動を避けるよう連絡を受けており、本日まで私は自粛を継続しています。次の土曜は北陸行きで「安居城」攻略の予定。「布」アプローチはさらにその先となります。よろしくお願いいたします。

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しろちゃん

難攻不落の高城 (2019/01/19 訪問)

難攻不落の高城を是非とも訪れたかった場所である。

この高城は、北から東へ向かって切原川が流れ、南側は、小丸川が流れ、その間の細長い台地上に城が築かれている。
北、東、南側は急峻で腰曲輪が配され、防御体制を取っている。唯一、西側のみ台地が繋がっているが、
幾重も深い堀切で遮断されている。

難攻不落の高城の由来は、都於郡城の伊東氏が島津氏に追われ、大友宗麟に頼り、日向北部の軍勢を率いて南下し、この高城を
攻撃を開始した。
大友宗麟側の陣地は、切原川の北側の台地上に構え、五万の兵で攻撃するも、なかなか攻略出来ず。高城救援に来た島津軍は、小丸川の南側の台地上に構え、対峙します。

島津軍は、高城の東側に少数で大友軍に挑み、負けたフリをして軍を引き、逃げたと思った大友軍が追撃しますが、引いた先には、伏兵によって総攻撃をくらい、大敗北がしました。これが、有名な釣り野伏せです。
但し、この戦いでの大友宗麟本隊や大友義統軍は、延岡に駐屯し、キリシタンの布教の準備をしていた様です。

二次の高城の戦いは、大友宗麟が島津氏に追われ、救援を豊臣秀吉に頼み、大軍をもって、九州征伐に繰り出し、この高城を包囲さますが、島津軍本隊が敗北し、和睦するまで持ち堪えました。

いずれも、山田有信が城主として落城しなかったってことは、堅固な高城だけでなく、山田有信を中心にまとまっていたからだと思います。

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カズサン

高城川合戦で有名な高城 (2016/10/24 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会参加後九州城探訪、伊東氏と島津氏との攻防、島津氏と大友氏との攻防は特に有名で高城川合戦(耳川合戦)大友氏が大敗、島津氏と豊臣氏との攻防で島津氏は敗北するが高城は大友氏、豊臣氏には落城せず堅城を誇っていた。
 東に延びた舌状台地を活用したい城郭で東端の本丸までの尾根筋に1から5の空堀を設け麓までの竪堀に繋がってる現在は橋が架かり通路に成ってる、本丸には模擬天守風の展望台が有る
 駐車場は本丸下段に有り手短に探訪できる山城です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 新納時久
築城年 建武2年(1335)
主な城主 新納氏、富山氏、土持氏、野村蔵人佐(伊東氏家臣)、山田有信(島津氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀、堀切、井戸
再建造物 模擬櫓、石碑、説明板
住所 宮崎県児湯郡木城町(城山公園)
問い合わせ先 木城町役場教育課
問い合わせ先電話番号 0983-32-4731