うちいけやかた

内池館

長野県下水内郡

別名 : 市河氏館、志久見館
旧国名 : 信濃

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

朝田 辰兵衛

「下志明城」アプローチ用のサブとして… (2020/06/27 訪問)

「米沢城」早期クリア後,「割ヶ嶽城」で「下志明城」アプローチができない状況に備えて,津南町の隣の長野県栄村に行ってきました。ここ(志久見地区)に住んでいる方たちは,長野県中心部に向かう場合,一度新潟県に入らなければ行けないと思います。津南町の宮野原地区とうまく協力し合ってコロナ対策してたのかな…と,興味が湧いてきました。
そうそう,内池館は「志久見館跡」という案内標識に沿ってたどり着きますが,どんどん棚田の上の方に誘導されて不安になります。現在は,遺構が消滅して棚田に変わってしまったと解釈すれば納得がいくと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

山本勘助ゆかりの地方豪族の館跡 (2013/09/07 訪問)

長野県栄村志久見集落の西、内池と呼ばれる高台に内池館がありました。館の起源は平安時代にまで遡りますが具体的な築城年代は不明です。領主は市河氏で平安時代から戦国時代までこの地を治めていました。遺構は皆無で、城址碑と祠が当時を偲ばせる唯一の遺構と言えます。案内板によると、堀や土塁で囲まれた中世武士の館で、30~100m四方の2つの曲輪で構成されていたようです。明治時代の初めまで南方、東方一帯に土塁が残っていたようです。

領主であった市河氏は戦国時代甲斐の武田晴信(信玄)に従っていました。当時館の主であった市河藤若へ晴信が送った書状に「山本菅助(勘助)」の名が初めて確認されたことでも注目されました。山本勘助と言えば晴信を支えた軍師として江戸時代の軍学書『甲陽軍鑑』にしか登場しない謎の人物。それが字こそ違え山本勘助が実在した可能性を大いに高めました。

直接関係がないと思っていた内池館と山本勘助の意外な接点。北信濃の最深部で歴史の神様は粋な出会いを導いてくれました。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 平城
築城主 中野氏?
築城年 平安時代?
主な城主 中野氏、市河氏
廃城年 慶長3年(1598)
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 村史跡(内池館跡)
再建造物 石碑(中野氏・市河氏館跡)、説明板
住所 長野県下水内郡栄村志久見
問い合わせ先 栄村歴史文化館
問い合わせ先電話番号 0269-87-2100