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タイ

道端の城跡 (2019/04/22 訪問)

道路から藪を少しだけ登ればすぐに城域。

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カズサン

方形二重堀の中世城館 (2016/03/01 訪問)

 壬生城を終えて地道経由東方の児山城を初登城。

 ナビで児山城隣接の華蔵寺駐車エリアを目的地にして走行、村中道で道幅も狭く南に入る道を細くて見過ごしUターン出来る所で戻り南入出来る細い道に入る、と民家、畑、林が堀が目に入り華蔵寺近くの駐車エリアに停めて探訪開始。

 駐車エリア辺りから南北に広い外掘り以前は水堀なのだろうが草を刈って有る、西に動き内堀に囲まれた城館跡、南に土橋、虎口、本曲輪内は意外に広く樹木に覆われてるが間引き宜しく伐採されて見通しは良いぐるっと土塁が囲み四方角々は土塁高め、土塁の外は内堀、中世城館跡が大変よく保存整備整備されてる、案内板には所有者の名前が載って居りこの城跡は私有地にの様です、所有者の好意により探訪出来る事に感謝です。

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生駒山地北端の峰 (2020/03/01 訪問)

金剛生駒山地の北端の峰であり、国見山というだけあって、大阪、神戸方面だけでなく、京都盆地、南山城も眺望できる。京都盆地から大阪平野は高低差がとても小さく、平坦であることがよくわかる。この辺りいったいと奈良盆地は、大阪湖盆の中にあり、その後、生駒山地が隆起した。
登山道の途中に谷道を遮る土塁があり、手作りの旗と竹柵があって、気持ちが高まる。本郭下の郭にも竹柵がたててあり、ここが、城跡であることをアピールする。一方、京都如意ヶ嶽城はハイキング道が城内を縦貫し、ハイカーが多く通るが、立派な土塁や堀に表示がなく、城跡であることに思いが至る人はどれだけいるやら。
津田サイエンスヒルズの最上部に、森下仁丹大阪テクノセンターがあり、そこからスタートすると津田城までわりと近い。

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カズサン

本丸の土塁と濠が復元整備 (2016/03/01 訪問)

 皆川城を終えて東方向地道経由北関東道沿いの壬生城を初登城。

 城址公園と成って居り本丸南手前に駐車場完備、二の丸南側に表門が復元され、本丸の南側に一部登城橋、土塁、濠が復元整備され城址の趣を表してる、内部は公園と壬生町の公民館、図書館、歴史民俗資料館と文化施設が充実している、資料館に寄り資料と見学、壬生城の模型も有り充分堪能しました。
 模型によると本丸を二の丸が囲み更に三の丸が囲む輪郭式城郭三重濠、東側に東曲輪を設けて大手丸馬出、三日月濠で防御、グーグルマップで見ると往時の外堀が用水路として西側に残ってる様子が伺える。

 壬生城は壬生氏の城で小田原合戦では北条方で戦い廃城断絶、家康関東移封ご結城秀康が城主と成るが関ヶ原後は諸侯が度々入れ替わりしている。

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カルビン

どっちも~ (2015/06/07 訪問)

午前に桶狭間古戦場関連史跡を巡った時、そのトリに立ち寄ったのが鳴海城。

鳴海駅から北へ道沿いに進むと、「鳴海城址公園」と「根古屋城跡」の2つのお城への指示が出てきます。

お城関連サイトによっては別城扱いしている所も見受けられましたが、どちらも一理あるので。。。
(猪苗代城や砥石城や土佐中村城等も複合城ですし)
個人的にはまとめて「鳴海城跡」とカウントしてます。

鳴海駅から向かって道路右手に見えるお社の一画・根古屋城と書かれた場所には鳴海城の石碑と解説がありますが、遺構は見当たらず。

道路から左手にちょっと入った場所にある鳴海城址公園自体も公園化の整備によって土盛とかあるものの遺構とは言いきれない場所になっておりました。
そのかわり公園周辺には土塁の名残と思われる地形、高台に切岸と思える地形が数ヶ所見受けられました。

いずれにしても開発の手が進んだ住宅街なので、遺構には期待せず、その歴史的バックボーンに思いを馳せて満足する場所かと思いますw


城主だった山口教継・教吉は織田信秀没後信長を見切って今川に寝返りましたが、その信長の詭計で今川義元に切腹に追い込まれており・・・戦国時代の裏切り者の末路の典型例になっております。。。哀れ(ちーん)

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カズサン

東北道から良く見える法螺貝城郭 (2016/03/01 訪問)

 唐沢山城を終えて地道経由皆川公民館へ元小学校跡の様で沢山の車が停められます。
 
 公民館の在る敷地が元館跡で南面と西面に堀と土塁が在る、公民館裏から登城する梅の咲いてる季節で梅の花を見ながら螺旋状の登城路、曲輪を見ながら裏手の本丸登城路より登壇、下からの眺め、上から各曲輪、館跡を見下ろし眺望は素晴らしいが風が吹くと杉林から黄色い花粉が舞い上がる様子が見えて余計花粉症の症状を悪化させる。
 下城して館跡の土塁と堀を探訪して公民館に寄り皆川城の資料を頂き館内に在る資料室を案内頂いた、ありがとうございました。

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まーやん

一応行きましたが… (2019/02/16 訪問)

場所を特定できず周囲の人の良さそうな方に聞き込み教えていただきました。
祠や社という感じです。
遠景では小高い丘なのかなぁという感じです。
侵入路から見える石垣は農業用のものかと思います。

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カズサン

高石垣圧巻関東の名城 (2016/03/01 訪問)

 昼食に佐野ラーメンを食べてから車で唐沢山城蔵屋敷に在るレストハウス手前の駐車場に停めて初探訪。
 
 大手門手前に在る唐沢山神社沿革に拠ると平将門を滅ぼした俵藤太秀郷公の居城跡、以後代々子孫が城主となり約700年佐野氏が治め関ヶ原後家康の指示で山城から佐野春日岡山に佐野城を築き移る唐沢山城は廃城、佐野氏は10数年して改易、家光の時代に赦免に浴し旗本として佐野家を再興、明治維新後一族旧臣で本丸跡に秀郷公をしのび唐沢山神社を創建。

 先ずは大手門跡から入り大型の枡形、大炊井、四ツ目掘(神橋が架かる)、城塁下の坂道登城路を登り、南城曲輪、本丸下の高石垣城塁を探訪、中々の高さに奥行きが有り素晴らしい関東では唯一の石垣城塁、戻って南城曲輪、引局、本丸(神社が鎮座)、搦手から二の丸へ、高石垣、南城と下城する。

 レストハウスで資料を入手、眺めは東北道も見え素晴らしい景観です。

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まーやん

ここも明智城址 (2019/02/16 訪問)

金山城址の後に可児市内にある明智城址へ行った。
皆さんの写真と何か違う…大手門がない(ーー;)
近くにあったので行ってみただけです。すみません。

私は可児市長山配水池側からアプローチ。
馬場を通り上がる坂には桔梗坂の石碑がある。
二ノ丸、本丸まで行き展望台からの絶景を見て…大手門側へ。って中途半端に見に行くんかーい💦
車から降りるのを嫌う私の悪い癖です(T^T)

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チェブ

右見て、左を見たら標柱。 (2020/02/23 訪問)

ウィルス注意っ!とニュースで騒いでいましたので、1人ドライブで人気のなさそうな(?)「今村城」に行きました。「今村城」ファンの方、ごめんなさい。
濃厚接触者0人です。
山内上杉氏の被官、那波 宗俊さんが築城しました。
山内上杉氏の勢力が弱まると北条家に従います。
上杉 謙信さんに攻められ降伏。この時、宗俊さんの嫡男、顕宗さんが人質になりました。
この時はここら辺、由良氏の領地でしたが由良氏は北条家に従います。
そこで謙信さんが顕宗さんを「今村城」に入城させてあげました。
その後 謙信さん、100名城の「金山城」を攻める時は「今村城」を拠点にします。
と、いろいろあった「今村城」、石碑と説明板があります。奥は民家です。向かって右手の方にお地蔵さん。写真③の奥が少し高くなっているので、遺構っぽいです。あとは田んぼでした。
田んぼ道を運転して、大きな道に出ようと左右の確認をしたら写真⑤を見つけました。「今村城」、広かったのかもしれませんね。

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ダイエティシャン

松江すいとうろ〜塩見縄手 武家屋敷 (2019/10/20 訪問)

今年もきれいでした。

感染対策で、城巡りできないので、昨年巡った城びとを投稿しようと思います。

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ダイエティシャン

松江すいとうろ 2019 (2019/10/20 訪問)

今年も様々な行灯に出会えました。
大きなしまねっこと可愛かったです。
幻想的な空間でした。

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カズサン

佐野ラーメンで有名な別名春日岡城 (2016/03/01 訪問)

 館林城を終えて地道経由佐野ラーメンで有名な佐野市に在る佐野城を初登城、佐野駅が三の丸直下まで隣接してましたので駐車場を探しながら城域に入り込むのに少し難渋しましたが三の丸に登り二の丸との間に数台の駐車場が在り停めて探訪。

 佐野城は俵藤太秀郷の末裔佐野氏が唐沢山城の山城から関ヶ原後家康の指示で山城を廃し佐野市の中心に在る春日岡山に平山城を築城した、独立丘陵全てを取込み周囲に濠で固めた連郭式城郭、南より三の丸、二の丸、本丸、北出丸の構成、各曲輪間に堀切で防御、しかし慶長19年(1614年)改易と成り10年少しで廃城と成った。
 
 探訪が終わってから二の丸に在る資料館で資料を頂き、下城して沢山ある佐野ラーメン店に迷いながら駐車場の空いてるラーメン店で細麺の佐野ラーメンを頂いた醤油味の美味しいラーメンでした。

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ダイエティシャン

結いとうろ〜県庁庭園水とうろ 2019 10/18〜10/20 (2019/10/20 訪問)

松江城のお隣の県庁庁舎の庭園に、手づくり行灯が織りなす「あかりの道」です。
イベントも多数していました。
勿論しまねっこ行灯もありました。
幻想的な空間でした。

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ダイエティシャン

櫓 特別公開 2019 (2019/09/29 訪問)

検定試験会場のすぐ近くだったので、待ち時間と帰りの時間を利用して、訪れました。
早朝だったので、ラジオ体操しに来たと言う地元の方が、大阪城について教えてくれました。大阪城櫓の特別公開に行きました。気分は、真田幸村でした。
秀頼公と淀殿自刃の碑では、淀殿の生涯に想いを馳せました。
試験は、不合格だったので、来年も訪れると思います。

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Now

お城の教科書?何それAmazonで買えるの? (2020/02/27 訪問)

英語の教科書はニューホライズン!
大人の教科書はスケベ本、ゴホンゴホン😷💦
おっといけませんな。。。

という事で、本日訪れた城は埼玉県が誇るお城‼️
お城の教科書と呼ばれる杉山城址。

ナビを頼りにトコトコやってきました。
小高い丘のような山の上に造られており、周囲は畑。
鉢形城と川越城の間に位置し、目下には鎌倉街道が通っていたらしく、そこを見下ろせる交通の要所にありました。
大手があった先に中学校かあり、そこに通じる所に砂利の駐車場がでーんとあります。そこにバイクを置き中学校右手の道を進むと民家がありました。門先を左に入ると右手に杉山城址が現れます。

うん、のどかでございます。
案内板、パンフレットが置いてるんですがその近くには畑があるんだもん笑
そしてそこから城の方をパシャリ(写真2)。のっぺりとしてるでしょ?上の方も畑なの?期待値なんて低いですよね笑

ふーん。なんて思いながら登城開始。
どうせしょぼいんでしょ…ぉぉぉぉおおおおお‼️
あのね…すっげぇいいの。
あのね…すっげぇいい堀が急に出てくるの(写真3)
伝わるかなー?伝わんないかなー。
行って見て欲しいなー。
馬出しのところの横矢掛かりなんかすぐやられちゃうのね。
心の中で うわぁー なんつって想像してね笑

馬出し郭からぐるーっと回る(写真4)と井戸があり、まだ水脈は切れていないらしく水が溜まっていました(写真5)
なんでも山椒魚の産卵場所だとか。
ほーぅ…ここで森鴎外が山椒大夫を書き上げたのかぁ なんて思っt…てないです、ごめんなさい。。笑

さて、本郭に戻り3の郭、2の郭を見ながら2の郭脇から本丸へ(写真6)
途中、おじさんと「このお城(ナメていたんですが意外と)凄いですねー‼️」なんて言葉を交わしました。
誰しも最初はナメてかかるようです…


このお城は、まるで酔っ払いのぐでんぐでんのお爺ちゃんが酔拳の達人だったような衝撃ですよ…笑
人は…いや城は見かけによらないという事ですなー💦
ぐでんぐでん♪俺とお前はぐでんぐでん♪なんつって。

本丸にはお社と石碑が2基ほど建っていました(写真1)
結構広い。鬼ごっこができます笑(不必要な情報)

このお城は関東が戦国時代に突入する頃にできたようです。
しかしその頃にしては、よく考えられた防御施設が程よい規模の小山に凝縮され、お城の教科書と呼ばれるのも納得できました。
ただやっぱり行ってみないと伝わらんのですよーぉ‼️笑
是非訪れて感じていただきたい❗️

あ、ちなみに東側の谷の切岸と本郭東の帯状になった堀は個人的に何か感じるものがありました。

さてさて次は何処へ参りましょうか?
ほなのーーーーー👋笑


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おうごんたまご

公園化されているけれど、結構メリハリのある城址公園 (2010/03/03 訪問)

比高49mと説明版にありましたが、階段の設置もあり曲輪には登りやすく、上段からは周囲の眺望はとてもよいところです。いくつか東家もあり、休息も取れます。写真の公園案内図は些かクリアさに欠けますが、全体感がつかめて、攻城ルートを定めることが出来ます。紅白梅が丁度さいていました

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まーやん

森蘭丸 (2019/02/16 訪問)

お城エキスポ2018で凄く頑張られていた可児市の方々。私が愛読するセンゴク権兵衛(講談社)とのコラボも夢のようで一度行ってみたかったのが実現した。

戦国山城ミュージアム・観光交流館でお勉強した後現地へ。

森一族の栄枯盛衰を見てきた城は、出丸駐車場に車を置いての登城。
まずは、三の丸~桝形虎口へ。続くは西、南、東各曲輪。本丸まで多くの石垣が見られるが、1601年、小笠原氏により破却され多くが崩れている。
標高は276mと大したことはないが、道もよく整備され見通しもよく、何より地域の方々の熱い思いが伝わってくる場所だ。
背後の木曽川は要害でもあるが水運の要であり、重要な拠点だったのだろう。
ここへ来たことで戦国期の東美濃も勢力が入り乱れぐっちゃぐちゃだったことがよく分かった(笑)

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小城小次郎

大多喜城

中世大多喜城にひとまわり小さな近世大多喜城を乗っけたようなものなので、ついつい野太い横堀や土の虎口なんぞに目が行くが、ずんぐり見える天守も山麓から見上げたら思ったよりかっこよかったり。

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朝田 辰兵衛

今のところ「尾張クラスター」の影響ナシ。 (2020/02/23 訪問)

まだ安心できませんが,約8日を過ぎて発症しておりません。ウズウズしてきましたが,もう少しおとなしくしていたいと思います。

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