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チェブ

だって女子校ですもん。 (2019/01/13 訪問)

またしても深大寺城攻め後に近いので「狛江入道館」に行きました。
学校でした。しかも女子校ですよ!
まず、正門の前でうろうろ。
女子校生目当てじゃないアピールで「遺構はあるのかなぁ」なんて大きな独り言を言ってパチリッ。
実に怪しい行動です。

正門から右手に下る道があり、途中に稲荷神社があります。
かなり高低差があるので館を築くのは良い場所です。

ちなみに校内に石碑があるそうですが、入学するか保護者になれば 見られるのではないでしょうか!
残念ながら私は不可能です。

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イオ

Googleマップで見てみれば… (2019/02/05 訪問)

JR五条駅から北東に徒歩約10分、住宅と田畑が入り交じる地域に城址があります。城址の西側に城址碑が建っていますが、前の道路は狭く駐車場はありません。
主郭や帯郭は今では田んぼになっていますが、東側を除いて主郭は水堀に囲われており(東側は帯郭)、郭の形状は明瞭に残っています。ただ、水堀はススキなどが茂っており、真冬でも水面はほとんど見えません(もともと水量も多くありませんが)。

事前にGoogleマップで場所などを確認した上で現地に向かいましたが、正直、縄張りについては現地で見るよりも、Googleマップの航空写真をフル3Dモードで見たほうが立体感があってわかりやすいというのが何とも…。技術の進歩ってすごいですね。

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まえくみ

2度目の登城 (2019/02/04 訪問)

二の丸庭園の方の
黒門から歩くと、人も少なく
昔のお侍さんの出勤気分満載でした。

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冬とお城 (2019/02/02 訪問)

冬とお城
大阪城の冬景色が素晴らしかったです。

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にのまる

【冬とお城】寒くて温かい羽州の名城 (2019/01/27 訪問)

駅近で大変な思いをせずに冬のお城を楽しめるところはないかなと探して行きついたのが上山城。丹羽長重さんのご投稿で興味が湧きました。
遺構がほぼない模擬天守だそうなので、地面が雪に覆われて確認できずに残念⤵︎ということもないはず。。。
水墨画のような雪景色を車窓からから楽しみながら到着したかみのやま温泉は、しかしほとんど積雪しておらず…あれ?
前日までは降っていたのだそうです。
二の丸跡に建つバリアフリー模擬天守は資料館。展望台から蔵王連峰が望めました。
月岡神社のある本丸へは東側からまわってみましたが、日が当たらないのか人があまり通らないのかこちらはかなり積もっていて、雪の中の天守の雰囲気を味わうことができました。

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モト

「掻き揚げ城」!? (2019/01/23 訪問)

予想外とは失礼ですが、ついでに訪れた期待はなかった城跡でした。
が、行ってみますとけっこう雰囲気のある空堀もあり、けっこう満足した城跡でした。
案内板にもありましたが、土塁と空堀で防備をかためた「掻き揚げ城」とのこと。
「掻き揚げ城」、恥ずかしながら初めて聞いた言葉でした。
勉強になります!
遺構は空堀に加えて、本丸跡とニノ丸跡が残っていました。
いずれも畑になってはいましたが、本丸跡などは土塁などもあり、これ縄張りがあったであろう景色が楽しめました。

駐車場はないのですが、空堀の所にある案内板の前に停めて見学しました。

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くろもり

稲葉山城 (2012/07/29 訪問)

戦国時代の大手道と言われている七曲登山道から登城しました。比高は約300mで、登山口すぐの標識が頂上まで1600mとなっていました。

山上のロープウェイ乗り場まで約30分、ロープウェイ乗り場から天守までさらに5分程でした。

再建された天守は資料館になっており、斎藤道三の遺言状の複製や織田信長の朱印状の複製、ルイス・フロイスの書翰の原文等があり、見応えがありました。

ロープウェイを使えば、5分程の登山で景色もいいので、お城や歴史に興味がない人でも楽しめそうです。

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じゅんじん

菅原道真像からの登城 (2019/02/03 訪問)

大きな菅原道真公の像のうらに天神社がありその裏からの登城となります。プチハイキングでした。主郭に着いたら汗だく。天神社は雪が残ってました。

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じゅんじん

開発された? (2019/02/03 訪問)

団地の隅の公園に説明板があります。イノシシ除けの柵をこえ城内へ。大きな空堀を越え主郭へ・・・削平されてる!?
てかイノシシ出るの??

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じゅんじん

ハイキング (2019/02/03 訪問)

主郭まで整備されていますがちゃんとしたトレッキングシューズでないと危ないとこでした。浄福寺に駐車させてもらい墓地の白山社からの登城となります。いい汗をかきました。

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じゅんじん

(。・ω・。)ノ♡ホテルも高月城 (2019/02/03 訪問)

私有地は立ち入り禁止です。主郭は行けますが周りは立ち入り禁止です。ホテルも立ち入り禁止でした。

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じゅんじん

節分祭 (2019/02/03 訪問)

駐車場ないし人が多いって思ったら節分祭やってました。

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カルビン

伊達政宗も一目置いた九戸政実 (2018/06/17 訪問)

2014年7月末、最初に訪問した時はパンツまで汗で濡れる程汗かいて、二戸駅と九戸城を走って往復・・・その時の二戸滞在時間は50分w
駅⇔城間を片道15分で走破したので、実際の九戸城の滞在は20分でした(ーωー;)


昨年6月、九戸城が続100名城に選ばれたのをきっかけに、改めて九戸城をじっくり見てやる!と行ってきました。

最初の訪問の時には九戸政実の事を全く知らなかったのですが、この時はしっかりと情報得てましたので、感情移入が前回の比ではありませんでしたw
(予定した見学時間も今回は自分にしては珍しく2時間半という長さで)


主郭は地形を上手く利用した、ちょっとした高さの崖上端にあり、逆側に大きな空堀が走ってます。
ここにある石垣は築城した九戸政実のものではなく、後で入城した蒲生氏郷の手によって付け加えられたものだそうです。

その主郭へ通じる場所が、今は有る程度見学しやすく変えられてしまっていますが、当時は主郭への入口が狭く低い所になっていただろうと解る為、攻め手はここで集中砲火浴びて撤退せざるを得ないのが想像できます(汗)

しかもその入口にたどり着くには、両サイドが高台になっている堀底みたいな場所を進まねばならず、途中ずーっと上から狙われる感じなんですよねw
ある意味攻め手にとっては山城よりも性質悪いお城なのではなかっただろうか(危)

確かに九戸政実軍5000人で蒲生氏郷率いる豊臣軍10万人を数日間大きな被害出さずに退けただけの事は有ります。
伊達政宗も津軽為信も一目置いたとされる九戸政実、戦術だけでなく築城の腕も一流だった模様。


・・・九戸政実のドヤ顔が目に浮かぶようだ(笑)

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チェブ

島屋敷の方が探しやすいですよ。 (2019/01/13 訪問)

深大寺城の後「お城を探す」で近くだったので行きました。
ナビで近くまでは行けるのですが、たくさんの団地が建っていて案内板を見つけるのに苦労しました。

「金子氏館」はもちろん金子氏の館がありました。
説明板には「島屋敷遺跡」とあり、内容を読むと「金子氏館」がこの辺りだと分かります。
金子氏の後は柴田 勝家さんの孫の勝重さんが陣屋を築きます。

遺跡はありません。
この辺りを何周かしましたが「島屋敷遺跡」の説明板しかないと思います。

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まるき〜

カワセミがいるお堀

交通量のある道路沿いにある城で堀の水もさほど綺麗ではないのですがな、なんとカワセミが生息していました。
運が良ければ見ることができるかもしれませんよ!

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こるまろ

冬の堀川遊覧船 (2012/01/15 訪問)

冬の堀川遊覧船(こたつ船)に乗ってみました。

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todo94

3度目の日本100名城スタンプラリー98城目 (2019/01/20 訪問)

2度目のスタンプラリーではトリの100城目とした松本城ですが、今回はイーシャンテンの98城目です。いつでも行ける近場の城と云うことでどうしても残してしまうのでしょうね。ちょっと離れたMウイングの駐車場から歩いてアプローチしたおかげで、西総堀の土塁を発見することができました。

小雪の舞う寒さの中、国宝の松本城天守では外国人観光客、それも中国人ではなく欧米人を大勢見かけ、それなりの賑わいを見せていましたが、ゴールデンウィークやそば祭りの時のとんでもない混雑を思えば、間違いなく閑散期と云えるでしょう。生憎の天気だったので天守から槍ヶ岳を望むことはできませんでした。

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朝田 辰兵衛

弘前さくらまつりでした。 (2018/05/03 訪問)

しかも,この日は19時30分から花火が上がるとのことで,大勢の観光客で賑わってました。私は,花火を見るまでのスケジュールを組んでなかったので,後ろ髪を引かれる思いで弘前を後にしました。また,肝心の桜はすでに見頃を過ぎており,ピンクの絨毯で有名な“桜のトンネル”には,色づいた桜は見当たりませんでした…<泣>。

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くろもり

黒田節 (2012/07/28 訪問)

たかりんさんから博多と福岡の説明を譲られたので・・・

1200年以上も前に編纂された『続日本紀』に博多の大津として登場し、1000年以上の歴史を持つ交易の拠点で商人の町である博多に対し、福岡は黒田官兵衛・長政親子が、関ヶ原の合戦後に筑前国に加増転封となり、福岡城を中心に築いた武士の町(城下町)です。歓楽街で有名な中洲が博多と福岡の境にあたり、中洲から東側・博多駅の辺りから北が博多で南北2km・東西1km程の狭い範囲です。中洲から西側が福岡の街です。中洲の歓楽街に町人は自由に入れたそうですが、武士は入れなかったそうです(´・ω・`)

福岡の町の名前の由来も『軍師官兵衛』等で知られるようになったかもしれませんが、黒田氏にゆかりのあった備前国(岡山県)福岡からとって福岡と名付けられています。

お城については・・・福岡城内に「呑取り」で有名な母里太兵衛(もりたへえ)の屋敷の長屋門が移築されています。越天楽今様の「酒は呑め呑め 呑むならば~」の黒田節のモデルとなった御仁です。

太兵衛が福島正則から「呑み取った」天下三名槍の一つ「日本号」は福岡市博物館の企画展示室(常設展と共通)で見られます。螺鈿の細工が本当に綺麗で美しい槍です。

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トッシー

冬のお城 (2019/01/27 訪問)

雪景色の登城は初めてです、天守台でミニ雪だるま作り櫓を入れて撮ってみました。

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