1602年(慶長7年)、近世になって、縄張り・築城された総石垣の山城。
二年前の6月、佐伯文化会館駐車場まで来たのだが、某有名アーチストのコンサートと重なり、
満車で入れず、泣く泣く引き返した因縁の場所。
歴史資料館で頂いたパンフによると四か所ほど登城ルートがある。
三の丸櫓門をくぐり登城の道を登る。 やや九十九折れ的な箇所もあるが、ほぼ直登である。
石垣が見え始めたところで翠明の道へ至る分かれ道になるが、そのまま登城の道を行く。
坂とは言えないほどの道だが、ところどころが石畳になっており、滑ってかえって歩きにくい。
近世山城では珍しいという石造りの堀切と廊下橋が、二の丸と本丸の間を隔てている。
二の丸と西出丸の間は屈曲した虎口で、渡り櫓があったというがどんな配置だったのだろう?
石垣すべてを覆う大きさなら、あたかも姫路城の ”にの門” みたいになってしまいそうだ。
西出丸先端には二重櫓の台跡と太平洋戦争中の砲台(機関砲?)跡が残されていた。
時代を隔てた異なる戦争の備えの痕跡がともに今もなお残っているという事は、それだけこの場所が
佐伯の街を護る重要拠点だったという事ですね。 二重櫓の台跡が破壊されなくて良かった。
堀切の下をくぐった先の北出丸には喰い違い虎口が控え、その先にも二重櫓跡が。
水の手(雄池、雌池)へ下りる虎口は、若宮の道というルートらしいが今回はパス。
本丸外曲輪の北側は四段ほどのハバキ石垣になっている。
(ハバキ石垣という語を、この一連の投稿のために調べていて初めて知った。 勉強になります。)
本丸へ登るまっすぐな階段は無視。 外曲輪をグルッと廻ると本丸石垣に沖縄のグスクのように
隅角が丸くなっている箇所があり、しかも天端がオーバーハングしている。
積み直ししているようだが、なぜここだけこんな様相をしているのだろう?
本来廊下橋を渡るしか本丸には入れない縄張りで、その廊下橋の通路に大きな樹が生えて
石垣を痛めているのが気にかかる。
本丸からは北出丸の食い違い虎口や登城道を、しっかりと監視できている。
本丸外曲輪の虎口は平虎口ではあるが、石畳となっているうえに坂虎口となっており、
滑りやすく、上り下りがやりにくい。 雨で濡れていれば、より一層であろう。
使われている石の種類にもよるのだろうが、石畳が護りに効果があることを初めて知った。
この佐伯城はかなりの箇所に石畳を多用している珍しい城だと思う。
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