詳細は不明ながら、服部城は室町期に築かれた服部氏(甲賀五十三家、甲賀二十一家、荘内三家)の居城と伝わります。
服部城は、新宮神社の裏山から谷部をはさんで西側の丘陵地に築かれた方形単郭の城で、主郭の東辺から南辺を分厚く高い土塁がめぐっており、南東部外周には堀も見られます。北東部には虎口があるようですが、竹藪でよくわかりませんでした。主郭内部も藪化しているものの、足を踏み入れられる程度には整備されていました。
駐車場はないため、新宮神社の北にある新宮神社表門(国重要文化財)脇の空きスペースに駐車し、新宮神社に参拝した後に保育園との間の道を西へ進むと、服部城の北側に至ります。北側にあるはずの虎口からは入れそうにないので、北辺の小道を西側に回り込むと、主郭内への進入路がありました。…といっても、西側に回っても格別見どころはありませんし、東側から土塁をよじ登るほうが早いですけどね。
なお、新宮神社表門から北に徒歩1分行くと、県道の交差点に甲南町新治由来記の説明板がありますが、この説明板には新治地区にある七つの城の地図(縄張図)が載せられており、下調べでは服部城(倉治城、竹中城も)の縄張図を入手できずにいたので、登城時にはこちらの縄張図を参照させてもらいました。
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