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こるまろ

ばたでん乗車前に (2019/02/24 訪問)

一畑電車(ばたでん)乗車前の時間調整で散策。
ブログ:https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42547273/ (ブログには松江城は登場しません)

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なつりん

【冬とお城】 (2019/02/24 訪問)

日本百名山の常念岳と日本百名城の松本城

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にのまる

比企城館跡群に隠れているけどよいとこ。 (2019/02/12 訪問)

鉢形城から八高線で小川町へ移動。「青山城」も登城口の「見晴らしの丘」の文字もどこかで見たような…。
「あの時のあそこのあれだよね。」と同行者と記憶が一致。
「あの時のあそこのあれ」とは、
「比企城館跡群巡りをした時に彷徨った小倉城の奥の方のうら寂しい三叉路にあった道標に書かれていた手書きの文字」です。
昨年4月の小倉城の投稿に書いて写真も載せたのですが、調子に乗って歩いていたら小倉城域から外れてしまい、「←青山城、見晴らしの丘」などの案内を見て、「行こうか?でも帰れなくなるかもしれないからやめておこう。」となった、その青山城ではないか⁈ワクワクが止まりません!
麓から見晴らしの丘まではヘアピンカーブの車道ですがショートカットできる歩道もあります。その先は遊歩道が整備されていて前進あるのみ。20分程で仙元山山頂に到着。スカイツリーも浅間山(多分…)も望めました。山頂からさらに10分程進んで青山城に到着。堀切→三郭→堀切→本郭。本郭を囲む土塁にうっすら浅い虎口のような窪みがあり、少し降りてみたところそこにも竪堀のようなものがありました。二郭へ降りようと思ったら本郭を囲む石垣だったと思われる、小倉城と同じ緑泥石片岩の石積みの名残りが!
そしてその先、小倉城へと続く遊歩道がありました。2.5kmくらいで着くそうです。その場の勢いで行くには遠すぎて行きませんでしたが、青山城と小倉城が10ヶ月を経てリンクしたのは結構感動でした。

遊歩道沿いではありませんが、山の中に「割谷(青山)板碑石材採掘遺跡」というのがあるそうです(平成26年に国史跡指定)。緑泥石片岩の破片が一面にあるそうで、聞いただけで垂涎モノです。いつか行ってみたいです。
ちなみに「青山城」と呼ぶか「割谷城」と呼ぶかは地元意識による違いのようです。

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todo94

出城 (2019/02/17 訪問)

空港に向かう帰路の途次、立ち寄ってみました。室町前期の築城、河野氏の出城とのことです。小さな丘の上に祇園神社が建っていてそこが主郭のようです。東側は畑になっていて私有地のようでした。

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三河のかづ

岩津新城跡 (2019/02/24 訪問)

岩津七城の伝わっています。2月23日(土)に過去の発掘調査の報告会を聴講したため翌日現地の現在の様子を見てきました。発掘場所は埋め戻され宅地化が進んでいるためこの堀跡(竹やぶ)の部分は残って欲しいと思いました。

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まーやん

むむむ (2019/02/25 訪問)

出先のついでに行ってみたが、各サイトの投稿通り説明書きも何もなく、ただただ公園名のみが創造を掻き立てていた。。。
付近に革嶋春日神社があり謂れが記されている。
さらに付近には三宮神社なるそこそこの規模の神社もあり、巨大なむくの木が城域の範囲を創造せしめる。(実際の範囲は不明です)

革嶋氏は佐竹氏の流れを汲む血筋で、諸々変遷を経て西岡衆(にしのおかしゅう)と呼ばれる山城国の国人衆となった模様。
三好三人衆、織田信長、細川藤孝、明智光秀、豊臣秀吉と様々な人物の影響を受け盛衰を繰り返すが元の領地に舞い戻り栄えた珍しい存在。
革嶋家の文書は鎌倉時代から当家の歴史を物語る貴重なものらしい。

毎年開かれる向日市祭りでは、西岡衆として革嶋市介秀存の幟を掲げ武者行列に加わっている。

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まーやん

なんなんだここは?(・・;) (2019/02/10 訪問)

一宮城址から車で半時間弱で勝瑞城館跡に着いた。
この日は日曜日だったから勝瑞発掘現場事務所は休館。武田石油も営業していなかったので、お隣の靴屋さんで無造作に置かれたスタンプをゲット(・・;)

まずは城跡へ。見性寺境内になっており、三好氏四代のお墓がある。城は長宗我部氏の侵攻に備え作られたものとのこと。北側の吉野川方向には青色発光ダイオードで有名な日亜科学工業がある。

南側のローソン横の工事スペースに車を置き館跡へ。
資料を見ると、阿波細川氏の居館であったものを細川持隆を自害に追い込み三好実休が実権を握ったが和泉で戦死。その子長治は細川に追い詰められ自害。さらに跡を継いだ三好(十河)存保は長宗我部氏の侵攻で讃岐へ撤退したとある。虎丸城のことか。

ここはだだっ広くて、工事中で、マンションがあって、西陽で何も見えず、創造を掻き立てるものがなかった。・゜・(ノД`)・゜・。

しかし、濠や出土品などは大変素晴らしいらしく、国の指定を受けている。今後の発掘調査の更なる進展と、出土品の活用方法に期待したい。

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くろもり

小野寺さん上洛 (2014/09/20 訪問)

戦国時代は小野寺氏が居城としていた城で、関ヶ原の合戦後は佐竹氏家臣の伊達・須田・戸村氏が城代を務めた城でした。

横手城は横手盆地の東に位置する山の上に築かれ、西を流れる横手川が天然の堀を成し、東には沼が広がり、城としての立地は申し分ない印象を受けました。模擬天守からは横手盆地を一望でき、雪は多いでしょうが、豊かな土地であろうなと実感できました。模擬天守は資料館にもなっており、館内撮影可で佐竹氏時代の資料や具足等の展示がありました。

天正10年(1582年)、横手城主・小野寺景道公は上洛して織田信長と会見したそうです。戦国の時代にどのようなルートで上洛したのか気になりますが、やはり日本海を海路で進んだのでしょうか。

また、カルビンさんの投稿にもありますが、本多正純・正勝両公の墓碑が城の近くにあり、正純公が横手で詠んだとされる「日だまりを 恋しと思う うめもどき 日陰の赤を 見る人もなく」の歌碑を見ると切なくなってしまいました。

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朝田 辰兵衛

トイレの神様は… (2018/05/19 訪問)

こちらにおわしまする。

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カルビン

up出遅れたw (2018/05/26 訪問)

続100名城解禁してから結構早めに来たのに、upするタイミングを逸してしまい、真逆の時期になってしまった鮫ヶ尾城w

北陸新幹線・上越妙高駅からJRのレンタサイクルにで鮫ヶ尾城攻略してきました。


30分弱でお城の麓まで到着し、舗装された上り坂の突当りに自転車止めて、先に妙高市斐太県民休養地管理棟にて続100名城スタンプとパンフレットを頂き、教えて頂いた通り・・・って・・・え~~、一回下ってから登るの~?

折角登ってきたのに降りるのが惜しい自分は道を探していたら、管理棟からオバチャンが出てきて、
「そっちじゃないですよ~!」って言われてしまいましたw
すいません、知ってて抗ってたんです(ーωー;)ゞ


渋々降りてから登り、2、30分くらい登ったかな?潜在写真で良く見る主郭に到着。

丁度熊蜂が縄張り争いをしているシーズンで、通ろうとすると熊蜂通せんぼしよるんですよw
(意外と回りこむと邪魔しないので覚えておくと良いですよw)

主郭から奥には大堀切を挟んでは曲輪が・・・っていうのが繰り返されてましたが(これは素晴らしいです(・∀・))、ある所まで行くと堀切を降りる道がなくなり、残念ながらその先は行けずに断念。

他にも虎口や竪堀等、良質な遺構は主郭附近まで登ったあたりに密集している感じでした。


正直続100名城には「なぜここ選んだ?」と言わざるを得ない場所多いですが、鮫ヶ尾城は納得行くお城でした。
ちなみに見た事の無い模様の蛇を見たんですが・・・あれマムシなんかな。。。(ちょっと模様が違う気が)

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チェブ

またしても竹藪! (2019/02/24 訪問)

埼玉県の「三ッ木城」に行きました。
駐車場もある城山公園です。
AM8:30頃に着きました。この公園はテニスコートやサッカーグランドもあり、車がどんどん入って来たので混雑する時間もあると思います。

城山公園の案内板を確認し公園内の「三ッ木城」に向かいます。
「三ッ木城」の説明板、発見。
二重の土手のような土塁や水堀があるそうです。物見櫓があったと考えられるとも書いてあります。
フムフムと思いお城跡を見ると、竹藪です。
よーく見ると民家が隣接しているような感じです。
お城跡に入れるか、うろうろしましたが廃墟化した売店があり、入ってはいけない気がします。

現在、バーベキュー広場と書き替えられている辺りが物見櫓があった場所でしょうか?
用水路が堀跡かな?

手入れが行き届いた公園とは対照的にお城跡は、そのまま残してくれてます。

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todo94

3度目の日本100名城スタンプラリー99城目 (2019/02/17 訪問)

2度目のスタンプラリーのときは、閉館間際でスタンプだけ頂くという失礼をしてしまったので、今回はきっちりと館内を見学しました。三大水城の1つとは云え、500円は国宝の犬山城・松本城と比較するとかなり高すぎるように感じます。天守と各櫓をめぐるスタンプラリーをやってポストカードを頂きました。

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イオ

「最強の城」 (2019/02/17 訪問)

「人類の宝」に続いては、初代 日本「最強の城」へ。
本来であれば城下町から歩いて登りたいところながら、この日は午後から仕事だったので、車で七つ井戸まで行く…つもりが、八幡口登り口から先は通行止めになっていたため、壺阪口からの登城となりました。

歩き始めてすぐに姿を現す屋敷跡の石垣。さらに登っていくと壺阪口門の高く積まれた石塁が。さすがは噂に名高い石垣の城。ますます期待が高まります。そして大手門に到着。こんな山中にこれほどの石垣が連なっているなんて! わくわくしながら大手門を抜けて二ノ丸へ。太鼓櫓と新櫓の櫓台を天守台と勘違いして「もっと凄いのを想像してたのに…」とがっかりしたり、それだけに本当の天守台の想像を遙かに超える巨大さに呆然としたり、本丸上段(天守郭)を囲う高石垣に圧倒されたり…と、石垣天国を満喫。折れを多用した厳重な作りの虎口と併せて、まさに「最強の城」の名に相応しい城であることを実感しました。

(といっても、初回の日本「最強の城」で取り上げられた城はいずれ劣らぬ名城ばかりで、どの城が選ばれても「最強の城」の名に恥じるところはないでしょうけどね)

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とみー

なんか嬉しい (2019/02/24 訪問)

渋谷駅から徒歩10分、渋谷城の跡があります。現在は金王八幡宮という神社になっています。神社に入ると建物があります。その、横を見ると小さな石を発見!なんだろうと思って見てみると驚くことに渋谷城の石垣の一部!?横にある説明版を見るとやっぱりそうみたいです。これに興奮!!神社にある宝物館の中にある渋谷城の模型は、見てからもう一度神社の敷地を見ると「ここに昔は、城があったんだ」と思うととてもわくわくします。ちなみに宝物館は、無料 営業時間は、9:50~6:30までなので注意 宝物館の中には東京都内最古のおみこしが飾ってあります。 駐車場 なし

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ショウノスケ

雪を纏う名古屋城 (2017/01/15 訪問)

前夜からの降雪により、一夜明けて珍しく雪を纏った名古屋城の姿に・・・

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ショウノスケ

アイスホッケー観戦前 (2014/12/14 訪問)

目的地の道中、ちょっと立ち寄り・・・ 雪がちらつき始めたものの、雪化粧前ということで・・・

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ショウノスケ

「遠征先」にて (2015/12/04 訪問)

前日から雪が降り始め、シビれる思いでねり歩き・・・

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にのまる

八高線の高は高崎だと知った日 (2019/02/12 訪問)

「八高線に乗りたい気分」という同僚と行ってきました。
(時間の都合で行きは八高線ではなく東武線にしましたが。)
以前来た時に寄居駅前に不二家、荒川の手前にセブンイレブンがあったのは記憶していたのですが、今回、たい焼き屋さんを発見。旅の記憶としてインプットするためにいただきました(^ ^)
前回より少し大人になった今回は縄張図を見ていろいろ考えながら隅々まで歩きまわりました。(そこが肝心なのですが書き出すと長くなるので割愛します。)
城址を避けて敷かれたという八高線の線路も確認。ホントにギリギリのところです。丁度電車が通過しカメラを向けたものの上手く撮れず、もう一本待ちたいところでしたが、絶望的に本数が少ない八高線。次の電車は撮るのではなく乗らなければ、帰りも東武線の旅になってしまいます。なので、城址から電車ではなく、電車から城址を見ることにしました。(ほんの一瞬見えましたがけっこうときめきました。)
お天気もよく、まだ花粉も飛散しておらず良き休日でありました。

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ブラタヌシ

越中、越後の国境を守る山城 (2019/02/24 訪問)

上杉謙信の越中進出の中継地❗️
元は、源義仲が都落ちした北陸宮の御所をここに築いたという、かなり古い山城でした。

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まーやん

長宗我部に落とされた城 (2019/02/10 訪問)

引田城址から1時間も経たずに徳島県を流れる鮎喰川沿いを走り一宮神社に到着する。
道中も感じたが、神社横の大日寺などなど随所に四国八十八箇所霊場巡り(お遍路さん)を感じる。一宮も阿波一の宮なのにf(^_^;)
さてさて、一宮神社南側に数台の駐車スペースがある。時間に応じてお布施し、登山口のポストでスタンプゲット❕
登り始めると左手に倉庫群跡、右手に階段状の最上部の曲輪が明神丸、左手に才蔵丸。ここには潰れたような休憩所がある。
才蔵?…可児才蔵と何か関係あるんだろうか…妄想が膨らむ(笑)

意外に本丸まで近いが、立派な石垣に驚く。横紋のある特徴のある石材は結晶片岩と呼ばれる徳島でよく取れる石なんだとか。個人的に好きな石材!
本丸からは西側の眺望が開ける。そこから西側の曲輪群が見られるが、小倉丸を上から見たところで本丸をぐるりと回り引き返したf(^_^;)
一宮氏が長宗我部氏に追いやられた後、最終的に蜂須賀氏の居城となったが、徳島城に本拠地を移し廃城となる。しかし、寄神社辺りにあった平地の居館跡とともに中世山城の特徴を示している…みたい。行ってないですけど😝

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