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火ノ島豊後守正宗

吉野ヶ里遺跡 (2017/12/29 訪問)

正百名城6城目。
帰省のついでに少し寄り道しました。
城郭ではありません。
古代の集落ですが、趣きはあります。

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小六

日本三大山城の一つ (2019/12/31 訪問)

二の丸あたりの石垣が見えてくるまでは、ここに壮大な城郭があったとは、とても信じられない山の中です。

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ぎりょう

仙台藩宿老後藤氏の要害跡 (2020/07/18 訪問)

梅雨の晴れ間、藩政時代に当地を領した後藤家の古文書を閲覧する機会に恵まれ美里町を訪問。その帰り道、城址と後藤家歴代の墓所がある「月州山皎善寺」を訪れました。鶴頭城(別名西館)は天正年中には鳴瀬川対岸の伊達家臣遠藤氏が拠る千石城に対する大崎氏の属城であった。政宗入部後の慶長16年(1611)からは仙台藩宿老の後藤氏に与えられ伊達21要害の一つ不動堂要害として明治を迎えます。城址は本丸である居所に東に大手門、西に内門を構え、西曲輪と士屋敷が四方を取り囲む。南側は鳴瀬川を天然の豪とし、東、西、北側に内豪、外豪を構える構造。遺構は西曲輪の土塁、本丸の切岸、井戸、内濠が残るが、東に隣接する皎善寺内に「内門」が移築されており二代近元公はじめ後藤家累代の墓所とともに見学をお勧めしたい。本丸北側に駐車場がある。

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ヒロケン

てのくぼり(畝状竪堀群) (2017/05/01 訪問)

天文13年出雲尼子氏の美作進出に伴い岩屋城においても、接収戦が行われ城主中村則治は尼子氏に従属した。その後、勢力を伸ばしていた宇喜多氏の傘下に投じたが、天正元年には宇喜多直家の宿将浜口家織が岩屋城の城主になるに至った。その後、浜口頼宗が城主となり、毛利氏の勢力下となったが、織田氏と毛利氏の攻防は天正10年備中高松城の開城により終了したが、領土境を高梁川とすることに美作の毛利方の諸勢力はこれに従わず、宇喜多氏の武力接収戦が行われ、岩屋城は宇喜多氏の宿将長船越中守が城主となったが野火により焼失し廃城となった。(現地説明板より抜粋)

国道181号線沿いにある岩屋郵便局の西側の路地を岩屋川沿いに1Km位北上すると駐車場や看板があり登城口があります。
曲輪・土塁・堀切・竪堀・石垣(少々)・井戸などが残り、当時の面影を残しています。

岩屋城は登城した多くの方の評価が高く、自分も期待しての登城でしたが、正直、「あれっ」って感じでどこに高評価したのだろう( ;∀;)との思いで散策していましたが、てのくぼりと呼ばれる畝状竪堀群を見て、「おおっ」「これか」って納得。
松永弾正久秀の城、鹿背山城の畝状竪堀群と同等程度の竪堀です。皆さんも是非登城し「てのくぼり」を見学してみて下さい。お勧めです。

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kazuyou

遺構無き城 (2020/07/19 訪問)

今は河川敷となり、遺構は全く残っていませんが、豊田城跡碑と、説明板が建っています。小貝川の土手に立ち、在りし日の城を想像するのも良いですね☝️

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火ノ島豊後守正宗

大分府内城 (2017/12/03 訪問)

正百名城5城目。
大分駅から徒歩10分程度の城址公園にあります。
アクセスはかなり容易な方です。
城跡というより、公園というイメージがかなり強かったです。

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dougen

2019.3.31登城 (2019/03/31 訪問)

涌谷城から、国道346号を南下し、松島北ICから三陸自動車道で多賀城ICへ。

県道35号を西に進み、岩切駅を過ぎたあたりで、県民の森の方向に入り、しばらく舗装道路を登って行くと岩切城址があります。

城址公園として整備されており、郭や堀切などの遺構が確認できます。

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dougen

2019.3.31登城 (2019/03/31 訪問)

古川城から、国道108号を東に進み涌谷駅付近で北に進むと城山公園があり、涌谷城址となります。

城址公園として整備されており、桜の名所とのこと。

天守は模擬天守であるものの隅櫓(太鼓堂)は現存建築物でその下の張り出した石垣も遺構です。

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dougen

2019.3.31登城 (2019/03/31 訪問)

中新田城から国道347号を東へ古川駅近くの古川第一小学校が古川城址となります。

遺構は残っていませんが、城址の石碑と解説板が設置されています。

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火ノ島豊後守正宗

鹿児島城 (2017/11/26 訪問)

正百名城4城目。
鹿児島県鹿児島市城山にあります。
市街地からは少し距離があります。
公共交通機関を使う場合は市バスを使うのが良いでしょう。

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火ノ島豊後守正宗

人吉城 (2017/11/19 訪問)

正百名城3城目。
熊本県南部の人吉市。
私は車で行きましたが、市街地にあるため公共交通機関でもアクセスは楽な方です。
尚、写真は2019年春に撮影したものを掲載しております。
その時は桜がたいへん見事でした。

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じっぱ

大御所 (2019/10/14 訪問)

発掘調査中、でかい天守台だね。

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火ノ島豊後守正宗

飫肥城 (2017/11/12 訪問)

正百名城2城目。
宮崎県日南地方にある城跡です。
宮崎市から車で2時間程度で到着します。
途中に青島神社や鵜戸神宮もありますので立ち寄ってみるのもよろしいかと。

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じっぱ

天下布武 (2018/12/22 訪問)

30年振り、登山道も変わっていた。
ロープウェイは楽ちん。天守からの景色は抜群。
望遠レンズ越し雲中に、名古屋駅ツインビルがかすかに望める。墨俣一夜城は見えないかなぁ!

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じっぱ

小田原城 (2018/10/13 訪問)

東海道の要衝に建つ堅城

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火ノ島豊後守正宗

岡城 (2017/11/11 訪問)

正百名城1城目。
大分県南西部に有名な城跡です。
城下町も見どころがたくさんあります。

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カルビン

怒田城 [神奈川県横須賀市吉井1丁目-1-23] (2014/05/19 訪問)

JR久里浜駅から北に5、600m行った山上に吉井貝塚がありますが、この一帯が平安時代末期に存在していた怒田(ぬた)城跡とされております。

現在は史跡公園になっておりますが、史跡発掘の際の工事の為か、はたまた公園化による整備の為か、明確な遺構がほとんど残っておりません。(土塁?と思われる土盛くらいかと)

現地にあるのは吉井貝塚の解説・看板とその発掘にて解った場所の小さな案内が確認できる程度。。。お城だった事を示すにはあまりにも情報不足だった為に、最初お城の場所ここで合ってる?と疑ってしまいました(地形的には山上にあったので山城っぽい雰囲気はあった)

・・・が、貝塚の解説を良く見ると、その中に一帯が怒田城であった事が書かれており、更に発掘現場の案内版の中にさりげなく「空堀」という所もありましてw
(空堀自体は完全に真っ平に整地されて埋まっており、解説無ければ解らないです(ーДー;)


車止められそうな場所は無かったので公共交通機関での訪問を強く推します。
(一応google mapにも怒田城(沼田城)と書かれて掲載されているので、場所はそれをご参考下さい。)

三浦半島は三浦導寸の本拠地だった事もありお城が数多く転在しておりますが、そのほとんどは開発が進んでしまった影響か、はたまた戦国時代前のお城ばかりだった為か、遺構が然程残っていない場所が多いです。。。ここ怒田城もその1つでしたorz

単独でここだけ見に行くのは勿体ない為、近場のお城(浦賀城、衣笠城、神金城、佐原城等、出来ればも少し足を延ばして三崎城や新井城も)をまとめて訪問されるのが宜しいかと。

・・・なんか高いギャラのベテラン芸人1人呼ぶより、ギャラの安価な若手芸人多く読んだ方が番組的には面白くてお得・・・的な感じがしますな。。。以前も同じような事書いたような。。。(デジャブ?!w)

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じっぱ

別名:秋山城 (2020/07/12 訪問)

新型コロナウイルス感染の第2波が到来しつつある時期。
雨の心配の中、一時的晴れ間の内に登城。
大雨の影響で春日神社側の登城口通行止め。
残念!

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赤い城

鴻巣高校に隣接 (2020/07/12 訪問)

鴻巣駅から徒歩で15分。
鴻巣高校の南側に位置している単郭方形の館跡です。
空堀や土塁が綺麗に残っていますが経基の館跡かどうかは定かでは無いようです。
北東だけでなく南東にも折れがありました。
館跡は杉林になっていました。

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朝田 辰兵衛

リトル吉野ヶ里。 (2020/07/11 訪問)

宇土城のバーター。バーターということで軽い気持ちで行ったのですが,雨が激しくなってガックリしました。ちょい先の方で雷が鳴り始めたので,早々に引き上げ,八代市街地へと向かいました。

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