平成27年5月中旬新城市作手地区の古宮城、亀山城を終えて標高約500mの高原地から急な九十九道国道301号線を降り新城市街地へ新城市役所に寄り新城城の情報を求めるが特に無し、城跡の在る新城小学校へ北から校門を入り駐車場に停める、外に出ていた教員の方に了解を頂き初登城探訪。
校門の近くの門、渡り廊下が御殿屋敷風、遺構は校庭の南側に土塁、石碑が有るのみ、南の豊川崖は樹木藪で見る事が出来ない、校庭が本丸跡、余湖図コレクションの新城城俯瞰図によると南側豊川崖を利用した崖城、コの字型に堀を切り土塁で固めていた様子が描かれてるが現在は痕跡が無い。
歴史的には奥平信昌が設楽ヶ原、長篠合戦後天正3年(1575年)に築城、長篠城から移るが家康関東移封によって信昌も上野宮崎に移った。後年井伊谷三人衆の一人菅沼氏の流れで交代寄合旗本7000石で入封陣屋を築く以後明治に至る。
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