「丸岡城」の予習もせず、車を走らしていると道路脇に多きな「加藤 清正公 墓所」の案内板を見かけました。
「丸岡城」に到着するとお隣の天澤寺が清正さんの墓所のようです。
清正さんが亡くなり忠広さんが庄内藩の酒井家にお預けになりました。30歳代の頃です。
理由は忠広さんの息子 光広さんが謀反の連判状を作って遊んでたそうです。光広さんは蟄居し翌年に病死します。
他にも忠広さんが徳川 家光さんの弟と仲が良い等々です。
次男 正良さんは真田家にお預けの身になりました。
後に父、忠広さんが亡くなると正良さん自刃ました。
清正閣という小さなお社の下からは 加藤 清正さんの甲冑が出てきたそうです。
清正閣で使われている石は熊本産です。
遺骨は「丸岡城」でもある忠広館の庭に埋葬したようです。
忠広さんのお父様への想いが強いです。
清正さんの朝鮮出兵の時の虎退治は有名です。石製の、かわいい虎がいます。清正さん、虎之介ですしね。
そして、酒井家の懐が深いって思いました。
実は「丸岡城」より清正さんのお墓の方が観光客が多かったです。
さすが、加藤 清正さん!です。
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