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イオ

【家×お城】登城したお城しりとり[164] (2019/12/01 訪問)

todo94さんが原田城でしたので、「た」をいただいて、

多気北畠氏城館[三重県津市]_【た→ 】

とりあえず続100名城をひとつだけ。
お次は「し」「氏」になるんでしたっけ? よろしくお願いいたします。

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todo94

【家×お城】登城したお城しりとり[163] (2020/03/14 訪問)

「原」で始まる城、「原口館」以外にもう一つ攻めていました。既出ではないはずですので此処で使わせて頂きます。笠間の「ま」から【益富城】(福岡県:黒田六端城の1つです。)→【三原城】(続100名城)→【原田城】(徳島県阿波市)。次は、「だ」「た」「田」でお願いします。

「あ」の城をクリアできる物件を2つほど発見しました。長野県では6月18日(木)まで県外への観光自粛要請されていますので、可能でしたら20日に遠征してみようかと思います。因みに「浦」で始まる九州の城、遺構のない説明板だけの物件ですが、持ち合わせております。深夜に土浦城投稿頂ければ、翌朝、対応いたします。

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朝田 辰兵衛

【家×お城】登城したお城しりとり 業務連絡(?)

みなさん,こんばんは。
心配していた「り」問題が解決されました。大変におめでとうございます!!

「ら」行は他にも問題を抱えておりますが,整理したいと思います。

まず,「北9」の「倉」で終わるお城はクリアしていただいてかまいません。
私が「倉」で始まるお城をストックしています(todo94さんも…越後のお城です)。

次に,関東の「浦」で終わるお城は自己完結できる方のみクリアしてください。
続けることの可能な「城びと」登録のお城は出尽くしています。
必然的に登録外のお城となります。慎重にお願いします。

それから,「原」で終わるお城は現状で3つ残っています。
続けることの可能な「城びと」登録のお城はたぶん1つだけです。
北海道の「原口館」。todo94さんが登城しております。
残り2つは必然的に登録外のお城となります。慎重にお願いします。

また,東北の「向」で始まるお城もムズイ気がして調べました。
吉野ヶ里と久留米城の中間点あたりに「江迎城(えむかいじょう)」がありました。
ただし,登城データが存在せず…<泣>。
これでクリアできると思ったのに。

「あ」で始まるお城は,にのまるさんのナイスアシストで1つクリアできました。
みなさんの可能性がわからないので,もう少し様子見とさせていただきます。

なお,こちらは越境解禁になったことから,体調と天候次第になりますが,
長野県に行きたいと考えております。
飯山城の近くに「替佐城(かえさじょう)」がありました。
これで,兵庫県の「さ」で始まるお城をクリアできたらと考えております。
行く必要性がなければ教えてください。

情報共有が必要になってきましたね…。

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キンヤ

堀切が見所の飯盛城の支城 (2020/01/02 訪問)

飯盛城の後、割と近くにあったので行きました。

北側の主郭と南側の郭を分断する切通しのような堀切がよく残り見応えがありました。
この堀切は曲がっており深いですし、攻め手が進むと両サイドから狙われ放題だったと思います。

戦国期の城主 田原レイマンはキリシタンで、そのキリシタン墓碑が四条畷市立歴史民俗資料館に展示されているようなので、いつか見に行きたいと思います。

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丹羽長重

【家×お城】登城したお城しりとり[162]

カルビンさんの鮫ヶ尾城から「お」を使い、
○大阪城→○笠間城
と繋ぎます!
大阪城は去年の冬に3回目の登城をしました。ようやくスタンプを押しました。その日は大阪マラソンの日でものすごく城内に入るのが大変でした。(城内はすいていました)
人混みが苦手なので近くでイベントがある時のお城には行きたくないです😅(城関係のイベントには行きたい!)

すみません、笠間城の写真が見当たらなかったので後日投稿を編集します。
次の方「間」「さま」「ま」などでお願いします(^人^)

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カルビン

【家×お城】登城したお城しりとり【161】 (2018/04/30 訪問)

そろそろ全体的に手札が怪しくなってきました。。。

チェブさんの山中城(萩野陣屋)の「中」より


中山勘解由(なかやまかげゆ)屋敷:東京都八王子市滝山町2丁目(城びと未登録)
↓ゆ
湯築(ゆづき)城:愛媛県100名城
↓き
衣笠(きぬがさ)城:神奈川県横須賀市
↓さ
鮫ヶ尾(さめがお)城:新潟県続100名城


今回は湯築城でup致します。


当時行きの飛行機内で高所恐怖症から来たと思われる神経性胃炎の猛烈な痛みに襲われ、空港から痛みに耐えながらお城見学したという苦~い想い出が・・・
次の松山城の見学を終えて14時頃に今治に向かう途中あたりでようやく痛み治まった訳で。。。自分出先でこういうケース多いです(危)

集中力に欠けた中での見学でしたが、そこはそこでしっかりお城中心部の高所にも登りました。
でもそこにはあまり見所無く、湯築城の遺構はやはり平地のお城を囲う水堀と土塁、更に内側にある水堀がほとんどでしたね。。。規模もそんなに広い訳でもなく、行ってみていよいよ「なぜここ100名城に認定された?」と疑問に思った訳で。。。

地元の関係者様には申し訳ないですが、旅行として道後温泉と合わせる、もしくは松山城のタイアップで訪問する場所だと思います。

道後温泉はいいぞ~!
足湯にも漬かりましたし。。。でも胃の痛みで有難味四半減だったのが残念なところ・・・松山城と合わせて再訪したい場所ですな、こりゃ。


ちなみに中山勘解由という人物は北条氏の重臣で、滝山城のすぐそば(もしかしたら当時は城域内だったのかも)に屋敷を構えていた場所になります。
解説や碑石はありませんが、居館らしい地形が残っており、google mapにも載っております。。。滝山城から徒歩圏内なので一緒に見学される事をお勧め致します。


次の方、「お」「尾」「かお」でお願い致します。

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赤い城

西福寺の奥に土塁もあります (2020/05/30 訪問)

江戸川沿い、東金野井浄水場の周辺が城址です。
浄水場の入口には碑が立っています。浄水場の周辺を回ってみても遺構らしきものは見当たらず。
3郭の跡には西福寺が建っています。
無人のお寺のようですが奥に進むと、藪の向こうに土塁が残っていました。
わざわざ行くのも微妙ですけどね。

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小城小次郎

壮大なる未完成の城 (2020/02/05 訪問)

壮大なる未完成の城は、この城の築城自体が広大な武田領国の崩壊を招いたという悲しい事実を如実に物語る。

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カルビン

滞在時間移動込みで30分 (2018/04/15 訪問)

お城自体の存在は知っていたものの、近くを通る事が無かった事でずいぶん訪問が遅くなった楽田城。

小牧長久手合戦で秀吉が拠点にしていた場所の1つということで歴史的背景はそれなりにあるのですが・・・

現地には学校の脇の一画に城碑があるのみで、周辺整備で跡形も無くなっていると言って良い場所でした。
(それを知っていたからコチラ方面行く事が無かったとも言うw)

ま、予想通りだったので、最寄り駅の楽田駅からぱっと行ってぱっと見てぱっと戻りましたがw
※同じ最寄り駅のちょっと離れた場所にある常楽寺に移築門があるのは知ってましたが、既にこの日7ヶ所くらい回っていたので帰りの時間考慮してスルーしました)

同じ名鉄小牧線沿線には城びとに登録されていない小牧長久手合戦で使用された砦跡が沢山あるので、新型肺炎が一段落してゆとりが出来れば移築門含めて改めて訪問する事になると思います。

結果乗ってきた電車の、次の電車に乗れるというドライブスルー的な見学になりましたw
ここだけを見に行くのは近隣の方でないと勿体なさすぎるのでご注意を。



※お城しりとり業務連絡:
「はら」「ら」「り」の手札が、城びと未登録城含めてもうありません。
(「り」は1つあるけど、チェブさんと同じ手札濃厚なので・・・あえてストックしておきます。)
「ま」ならまだ5、6回はパス出せますがw。
「諏〇原」「佐〇原」「〇原」「〇倉」「〇浦」等はその後繋げられず、「〇田」「〇石」「〇木」「〇穂」「〇利氏」「〇川山」にはたどり着けず・・・(そもそも「佐〇原」や「〇木」城は未訪問ですw)
いっそルール追加で、〇穂城の前に「播州」を付けてもOKとか、〇利氏館はその場所から「鑁阿寺」でもOKとか、〇田城は別名の「最北の古代城柵官衙遺跡」でもOKとかが必要になってくるかもですね。。。

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ダイエティシャン

三隅城 Ⅱ 登城道 主郭 (2019/05/19 訪問)

主郭からは、素晴らしい眺めです

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ダイエティシャン

三隅城 Ⅰ 龍雲寺· 駐車場· 登城口 (2019/05/19 訪問)

三隅城です。
地元の方々が、綺麗に整備をして下さっているおかげで、登城出来ました、感謝申し上げます。

登城口すぐ側に駐車場あり、2台位停めることが出来そうです。傾斜があるので注意です。

駐車場から、2〜3分で、主郭に到着します。
駐車場までは、カーブのキツイ林道を通ります、車に乗り合わせで行く場合は、車酔いに注意です。

駐車場に行く途中に龍雲寺があり、そこから、三隅城遠景が眺められます。龍雲寺から車で5分位で、駐車場です。

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ダイエティシャン

七尾城 Ⅳ 艮の出丸 太鼓段 千畳敷 (2019/05/19 訪問)

おびただしい数の郭

艮の出丸までの途中の道は、倒木下を、くぐったり、ロープを伝ったりしました。

千畳敷の先の尾崎丸は、分からず、辿り着きませんでした。

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ダイエティシャン

七尾城 Ⅲ 本丸 二の丸 (2019/05/19 訪問)

本丸 二の丸です。

庭園もあったそうで、今もつつじが綺麗に咲き誇って、往時を偲ばせます。

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ダイエティシャン

七尾城 Ⅱ 帯郭 (2019/05/19 訪問)

本丸の下の帯郭です

井戸の跡も、ありました。

様々な郭が綺麗に残っています。案内板も充実しています

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野良犬

戦国時代の二大巨頭による平山城 (2020/06/03 訪問)

濃尾平野の真ん中のぽつんとした小山の小牧山は全体が城跡です。小牧山の標高は86mで市民の公園ともなっていますので、普段靴でも息を切らせずに登ることができます。
山のふもとの“れきしるこまき”と山頂の天守を模った“小牧市歴史館”の共通入場券はたったの100円で両方見学できます。城の特徴や周辺の歴史、小牧長久手の戦いの様子などが細かく解説されていて必見です。
御城印も織田バージョンと徳川バージョンの2種類あり、それぞれ300円です。
城跡は信長と家康の両者の時代に拠点となったため、両者の遺構が見られます。
尾張の国主となった織田信長が美濃攻めの拠点として1563年に一から築いた小牧山城ですが、美濃を手に入れた後に岐阜城に移るまでわずか4年の滞在でした。
その後1584年の小牧長久手の戦いに備えて家康が大々的に整備していますが、戦い後に廃城となっており、家康の滞陣期間は更に短かったようです。

山麓には広大な信長の居館跡がありますが、山上にも居館があったようです。
大手道は安土城と同じく、麓から一直線に伸びていて信長らしさを感じます。
大手道東側の大きな土塁は、旧市役所庁舎建設により破壊された家康時代のものを再現しています。
山頂に本丸とその周囲には、当時はまだ珍しい三重の石垣が築かれており、山中の至るところに曲輪があり、土塁や堀も見られます。
天守の展望台からは秀吉がいた犬山城方面や長久手方面がよく見えます。大軍で移動したらすぐに分かりそうです。
私が訪れた時は発掘調査をしていましたが、江戸時代には家康ゆかりの地として入山禁止されるなど、尾張徳川家の手厚い保護があったため、まだまだ新発見がありそうです。
奈良大学の千田嘉博先生の調査により、小牧山の南側には計画的な町割りも見られた事もわかっています。

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ダイエティシャン

七尾城 Ⅰ 登城口  (2019/05/19 訪問)

熊よけ鈴鳴らしながら、登城

駐車場は、住吉神社の大鳥居を、くぐった先にあります。5台以上停めることが出来そうです。

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しろえ

鼠多門 (2019/04/13 訪問)

玉泉院丸鼠多門の復元整備の様子です。これから上棟式の様です。2020年7月中に完成予定だそうです。

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todo94

【家×お城】登城したお城しりとり【159】 (2012/04/15 訪問)

「や」の城、既出でないかチェックしたので大丈夫かと思いますが、【谷戸城】で。さらに続けて【鳥取城】。「り」「とり」「取」などでお願いします。

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橋吉

古渡城 (2020/05/30 訪問)

1533(天文2)年、織田信秀(織田信長の父)は、那古野城を奪って今川氏豊を追放します。
その翌年の1534(天文3)年、今川家や岡崎城主・松平清康からの反撃に備えて、築城したのが古渡城です。

吉法師(信長)に那古野城を譲ると、信秀は勝幡城から移って古渡城を本拠としています。
1548(天文17)年に、信秀が美濃へ出陣しますが、その隙きを突いて尾張下四郡の守護代・織田信友の家臣である坂井大膳らが不在を突いて古渡城を攻撃しました。
城下町は消失するも、古渡城は落ちなかったようです。
しかし、再起は行わず、織田信秀は末森城を築くと、新たな居城としたため、古渡城はわずか14年で廃城となったようです。

1690(元禄3)年、尾張藩2代藩主・徳川光友は真宗大谷派名古屋別院建設のために、古渡城跡を寄進し、現在に至ります。

名古屋の中心部にありながら、広大な参拝者用駐車場をいくつも持っています。
しかも無料!

山門入ってすぐ左手にある石碑

もっとも、古渡城の遺構はほとんど残っていませんでした。
あえていうなら、境内にころがっている四角い石は城に使われていたものでしょうか。

東別院の北東にある下茶屋公園

もともとは、東別院御殿の後庭だったそうです。
この池は古渡城の堀の跡だという説がありますが、はたして・・・

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にのまるさんのクイズの答え (2020/04/05 訪問)

ずばり、会津若松城でしょうか?
会津若松城は、2011年45年ぶりに天守の黒瓦を赤瓦に葺替えました。
冬季には厳しい寒さになるので、その寒さに強い赤瓦にしたと聞きました。
私は、今年の4月上旬にその会津若松城を偶然にも訪問しました。
その時期は東北では感染者も少なく、また来訪者も少ない中でゆっくりと見学することが出来ました。
天守の赤瓦も見ることが出来ました。


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