まつもりじょう

松森城

宮城県仙台市

別名 : 鶴ヶ城
旧国名 : 陸奥

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城址碑
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ぎりょう

国分氏の居城跡に初登城 (2026/04/11 訪問)

宮城県の桜も県南、県央は今週末までが見頃との地元紙記事を読み、久しぶりに中世山城跡に。この城は戦国期にこの地で活躍した国分氏の居城とされていますが初登城です。国分氏と云うと、大河ドラマ「独眼竜政宗」でイッセー尾形が演じた「盛重」(晴宗五男、政宗の叔父、国分氏を継いだ)が思い出されます。イッセー尾形は剽軽なイメージで演じていましたが、奥州仕置きの時代、彼もこの城で戦国の日々をを過ごしたのかとチョイと感動…
泉区の住宅街に囲まれた比高70mほどの独立丘陵の中央にに主曲輪、南東の尾根に二ノ曲輪、西側の尾根に小曲輪群を配す縄張です。曲輪は深い谷と切岸で守られており、土塁は見られません。主曲輪の南西側に外舛形の虎口跡とみられる場所があります。改変されているようですが、当時の面影を伝えてくれます。
城址は公園化されており、ちょうど桜の花が見頃とあって、お子さん連れのご家族やご年配のご夫婦などで混み合っていました。

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たか

鶴ヶ城 (2025/08/22 訪問)

松森城に登城してきました。
鶴翼の形をしているから鶴ヶ城と呼ばれているんですね。
今は鶴ヶ城公園となっていました。
駐車場もあり一応整備はされていますが春だけなのかこの時期は草が多くて嫌でした。

春の桜が満開になる頃がいいと思います。

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しんちゃん

国分盛重 (2025/01/02 訪問)

松森城は元は国分氏の城でした。後に伊達政宗の叔父の国分盛重が国分氏を継ぎますが、家中をまとめきれず改易となり、盛重が佐竹義宣の元へ出奔してからは伊達氏の城として整備されているようです。
最高所が主郭で、尾根上に南北と東に城域が伸びていることから鶴ヶ城の別名を持っています。南の城域は駐車場として転用され、そこから本丸めぐりの遊歩道が伸びています。主郭の南側は堀切と見られ、南東にも郭が伸びています。地形図を見ると、北側の郭は中学校造成の際に削られているようです。遊歩道に沿って歩くと堀切を渡って、本丸を一周してから元の場所に戻って来るようです。
この日の夕食はファミレスで牛タン定食を頂きましたが、全国チェーンなので、どこで食べても同じような。

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カズサン

鶴ヶ城公園に成っている (2024/05/24 訪問)

 長命館を終えて東北城探訪5日目宮城県3城目東へ約5km程の松森城を初登城。

 駐車場:南麓中腹に公園駐車場(38°18'38"N 140°55'08"E h=70m)18台可能、トイレ無。
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクショングーグルマップに依る。

 駐車場への導入路が狭く少し悩みましたが急な登り坂を登り詰めると舗装された立派な駐車場、駐車場に案内板、コンクリート階段を登って行き、踊り場辺りに本丸巡り看板、人踏道が有るが草が生え選択せず、コンクリート道を更に登り、堀切を通ると、2の丸、草も生えて居りコンクリート遊歩道から奥を眺める、逆ターンして馬出?、本丸へ入口近くに松森城跡標柱、本丸内は更に草深く茂り藪手前。
 
 案内板には
 戦国時代に国分盛顕がこの地に移り住み、最後の城主17代国分盛重が天正の頃まで居住、盛重は伊達15代晴宗の5男で政宗の叔父にあたり、慶長元年(1596年)に没落しました。
 江戸時代には仙台藩の正月行事である「野初」(狩猟・軍事訓練)の舞台となりました。

 駐車場、遊歩道まではいいのですが草が茂り過ぎて踏み出せず駆け足での探訪と成りました。

 この後、城廻企画時に近くの笹森城も検討したのですが、笹森城跡が仙台市教育センター、東北電力鶴ケ谷変電所敷地内に成っており、城郭放浪記さんの写真が1枚、ゲート前の写真のみでしたので探訪は諦めました。

 この後は多賀城外郭南門工事進捗状況の確認へ。
  

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 国分氏
築城年 不明
主な城主 国分氏
遺構 曲輪、横堀(空堀)
再建造物 碑、説明板
住所 宮城県仙台市泉区松森内町
問い合わせ先 仙台市建設局百年の杜推進部百年の杜推進課
問い合わせ先電話番号 022-214-8388