松森城は元は国分氏の城でした。後に伊達政宗の叔父の国分盛重が国分氏を継ぎますが、家中をまとめきれず改易となり、盛重が佐竹義宣の元へ出奔してからは伊達氏の城として整備されているようです。
最高所が主郭で、尾根上に南北と東に城域が伸びていることから鶴ヶ城の別名を持っています。南の城域は駐車場として転用され、そこから本丸めぐりの遊歩道が伸びています。主郭の南側は堀切と見られ、南東にも郭が伸びています。地形図を見ると、北側の郭は中学校造成の際に削られているようです。遊歩道に沿って歩くと堀切を渡って、本丸を一周してから元の場所に戻って来るようです。
この日の夕食はファミレスで牛タン定食を頂きましたが、全国チェーンなので、どこで食べても同じような。
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