小栗栖城は飯田氏代々の城で、鎌倉末期に足利尊氏に従って上洛した飯田家秀が築き、土着したもののようです。その後、飯田氏は室町中期まで小栗栖八幡宮の神主を務め、由緒書(写真を撮り忘れました…)によれば、境内にはかつて飯田氏の屋敷があり、現在も石垣が残っているとのこと。ただ、境内の石垣はあまり古くからのもののようにも見えませんが…。
さて、小栗栖と言えば明智光秀終焉の地として知られるところ、小栗栖八幡宮から北東に徒歩3分ほど行くと、山崎の戦いに敗れた光秀が坂本城に落ち延びる途中に落ち武者狩りに遭ったとされる明智薮があり、その少し手前には石碑や説明板が建てられています。一般的には光秀は土民に討たれたとされますが、この地では小栗栖城の飯田一党に討たれたと伝わっているようです。明智薮は現在 西隣の本経寺の寺領となっており、本経寺の境内には光秀の供養塔が建てられています。
さらに、明智薮から北東に約1.2km行った道路沿いには明智光秀胴塚の石碑と説明板があります。明智薮で負傷しながらも何とか逃れてきたが、坂本城まではたどり着けないと悟ってこの地で自刃した、といったところでしょうか。
ところで、小栗栖城について記載された書籍はほとんどなく、ネット情報では(Googleマップでも)小栗栖八幡宮=小栗栖城と紹介されているところも多くあり、また小栗栖八幡宮の由緒書にもそうとも読める記述があるため、そのつもりで訪れたのですが、帰宅してから手持ちで唯一 小栗栖城の記載がある「近畿の城郭Ⅴ」巻末の城郭一覧表を見ると、所在地は「小栗栖小坂町」となっていて小栗栖八幡宮の「小栗栖宮山」と異なっているため、改めてよく調べてみると、やはり小栗栖小坂町にある城山と呼ばれる丘陵地(北麓に明智薮)が小栗栖城跡であり、主郭と副郭で構成され、横堀や土塁、切岸が確認されているようです。
…となると、投稿するなら改めて小栗栖小坂町の小栗栖城跡を訪れてからにしようか、とも思いましたが、城跡は私有地で許可なく立ち入りできないようですし、そもそもは明智薮と胴塚を訪れるのが本来の目的で、小栗栖城はそのついででしたので、わざわざ許可を取ってまで行くほどでもない(その時間があれば他の城に行きたい)との結論に達し、城ではなくても小栗栖八幡宮にも飯田氏の屋敷やその石垣はあったんだろうし、ということで、中途半端ながらこのままで投稿させていただきます。
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