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幸(山城)福(山城) (2020/06/07 訪問)

山頂に福山城、西に下り、鞍部を経て幸山城があります。2016年に、ぼぶぅさんが福山城、幸山城ともに登城してレポートされています。福山合戦の説明板写真を追加して投稿します。
福山合戦は、南北朝の湊川の戦いの1週間前に行われ、九州から東進してきた、足利側が城を落とした戦い。南朝側の大井田氏が多勢に無勢ながら、激しく交戦したことが讃えられています。総社市の観光案内所に福山合戦の小冊子あり。
山全体に散策路があり、ハイカーが多かったです。巨石くぐりや磨崖仏もあり。足利勢が攻めかけた朝原峠側からの道は、ほぼ直登の1234段の階段。
総社市からはどこからでも復元整備された鬼ノ城がよく見えます。本格復元後にはまだ行ってないですが、総社市の他の城訪問を優先して、びっくり鬼ラーメンで我慢しました。

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カルビン

【家×お城】登城したお城しりとり【191】 (2015/04/25 訪問)

城びと関係者の方々、拙い記事へ評価下さいまして有難う御座いますm(_ _)m

そして籠城シリーズの賞を頂いた皆様、おめでとうございますヽ(゚◇゚ )ノ

特に朝田さんはいろいろな方への影響を与えて下さった事を考えると特別賞というより大賞みたいなものだと思いますので、是非ドヤ顔されて下さい( ・`ω・´) ドヤァ(笑)


そしてリクエスト頂きました通り
にのまるさんの八王子城の「じ/し」より

宍戸(ししど)ジョー:茨城県笠間市
↓ど(と)
栃尾(とちお)ジョー:新潟県長岡市
↓お
大内氏(おおうちし)館:山口県山口市 続100名城の片割れ
↓し
下寺尾(しもてらお)官衙:神奈川県茅ヶ崎市下寺尾
※多賀城や志波城、秋田城のように官衙もお城の1つとしているので、官衙も入れさせて頂きます。

下寺尾官衙は城びと未登録で、その他3城は投稿済なので写真は最低限で。


「お」にパス戻しましたので、次の方「お」ではじまり「き」で終わる続100名城2個のうちのどちらかの処理お願い致します。


※しりとり業務連絡
・100名城でひこにゃんの居城から展開必要な「ね」の手札が@2枚とこちらも手薄になってます。
「ち」「の」「ら行」同様に出来るだけ避けたい言葉尻かと。
・「は」に繋げる手札も少なくなっていると思いますが、そのうちの1つにつなげる「浜」の手札1枚と「は/ば」で終わる手札2枚あります。
・「さ」に繋げられる手札も3枚あるので一応ご報告まで。

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イオ

荒木氏綱の城 (2020/03/01 訪問)

戦国中期に波多野氏家臣の荒木氏が築城。八上城の支城として多紀郡東部の守りを担いました。明智光秀の丹波攻めの際には城主・荒木氏綱のもと、激戦が繰り広げられましたが、水の手を切られて落城したようです。

山頂部に主郭とその周囲の曲輪群、そこから北西、南東、南西に伸びる尾根に曲輪群を配した連郭式山城で、主郭群には切岸、竪土塁、虎口、竪堀が見られ、北西尾根、南東尾根との間は堀切で遮断しています。主郭群の東下には畝状竪堀群があるようですが、藪化していてよくわかりませんでした。北西尾根は、土橋状のやせ尾根の先に小さな曲輪群が連なっており、北西端の曲輪には土塁や竪堀が残っています。南東尾根も堀切の先に小さな曲輪群が連なり、南端には土塁や竪堀が見られます。南西尾根は登城口から続くルートで、遺構はよくわかりませんでしたが、ところどころにトラロープが張られた急峻な斜面で、ここを攻め上るのは大変だろうな、と。

…と、この日は金山城、八上城、細工所城とそれぞれ主郭まで30~40分を要する山登り続きに加えて、各城ともに隅々まで歩き回ったため、ここで体力と気力が限界を迎え、この後行く予定だった籾井城はあきらめて帰途につきました。でも、ハードではありましたが、丹波の山城は実に見応えがありました。
 

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todo94

伝藤原経清館 (2020/04/11 訪問)

朝田辰兵衛さん特別賞受賞おめでとうございます。しりとり、息長く楽しませてもらって感謝です。これからもよろしくお願いします。久し振りの通常投稿、緊急事態宣言が全国に拡大される前の攻城です。国道6号脇から登城路が伸びていますが、近くに駐車場所が見当たらず行ったり来たり。難渋いたしました。主郭を横堀と土塁が大きく取り囲んでいました。藤原清衡の父・経清の館跡と伝わりますが果たして…。

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朝田 辰兵衛

【家×お城】登城したお城しりとり 特別賞御礼

「城びと」編集部のみなさん,第1回(?)籠城キャンペーンにて「特別賞」を賜り,大変にありがとうございました。
共同作業でここまで続けることができたという現実を直視し,しりとり参加者全員で歓喜したいと思います。
よって,参加者全員に御城印という配慮に安堵いたしました。
この場をお借りして,御礼申し上げます。
また,中途半端な終わり方をしたくないので,名城コンプリートまで続けさせていただきます。
ご笑観くださいませ。

《業務連絡(?)》
 カルビンさん,にのまるさん,チェブさん,受賞おめでとうございます!
 また,カルビンさんから,下記リレーをリクエストしたいと思います。
 「宍戸城(宍戸錠?)」→「栃尾城」→「お」で始まる名城

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赤い城

民家の敷地内のようです (2020/06/06 訪問)

四街道駅から徒歩で50分、モノレールの千城台北駅からだと徒歩で25分くらい。
民家の前に説明板が立っています。
こちらにお断りすると見学も出来そうです。
次来たとしたら勇気を持って声かけようか・・・。
近くの朝日神社も城域なのでしょうかね。
近くに福星寺城、中山城もあるそうでやっぱりもう1回いかないと、と思いました。
いつになるやら。


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小城小次郎

↓高石垣から↑高石垣までが結構遠い (2020/02/07 訪問)

高石垣から下を見下ろした後、下から高石垣を見上げようとすると結構な距離を歩くことになる。城なのだから当たり前なのだが、この当たり前の事実には現地に行くまでなかなか気づけない。

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にのまる

【家×お城】登城したお城しりとり[190]

「八」をいただいて八王子城。

八王子城には今年は1月と2月に続けて登城していて何なら毎月行けるんじゃないの?って勢いでしたがストップしてしまいました。そろそろ行ってもいいかな?

【業務連絡】
今まで散策してきた公園や神社で城址だったところを炙り出し、ミラクルショットを打てないかと画策してみましたが無理でした。神足城→足利氏館の件も放置してすみません。使えそうでしたらどなたかお願いします。
残りの名城中あと17城、パスを受けることができますので最後まで楽しみたいです♪

次の方「じ」「し」「うじ」「おうじ」「「子」などでお願いします☆彡

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todo94

【家×お城】登城したお城しりとり[189] (2016/05/03 訪問)

リクエスト、承りました。最北の山城、どーん。【尻八館】。日本の山城100名城にも選ばれています。次は漢字の「八」と云うことで。登城歴ある方は多いと思いますのでよろしくお願いいたします。

【しりとり業務連絡】カルビンさんのしりとりに出てきた蓑首城の近くにもう一つ、蓑首城があり4月に攻城いたしました。説明板では()書きでしたが、OKならば「び」の手札は2になります。漢字の「広」も持ち合わせております。

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朝田 辰兵衛

【家×お城】登城したお城しりとり[188] (2019/03/15 訪問)

チェブさんの「か」からリレーします。
新発田城を眺望できる「加地城」で。
現地本丸の表記と最寄り駅名が「加治」なので,「治」でリレーされれば「加治城」と訂正いたします。
次は,「じ」「し」「地」「治」などでリレーしてください。
リクエストは,todo94さんから,「尻八館」→「八王子城」のリレーが見たいな…と。

《業務連絡(?)》
 大垣駅から北側に延びている鉄道沿いに「揖斐城(いびじょう)」を発見しました。
 「ひ」の手札として使えそうですが,枚数は足りていますでしょうか…?
 たぶん,1枚足りない状況なのでは…と思っております。
 今のところ,このエリアに行く予定はありませんが…。
 また,「向」にアプローチできる「江迎城(えむかいじょう)」ですが,7月10日で良ければ登城可能です。
 九州遠征からの帰りは,7月14日になります。
 ここは,JR吉野ヶ里公園駅から徒歩で行けそうです。公園化している平城でしたので,夏場でも問題ナシです。
 攻城不要でしたら,連絡願います。

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小城小次郎

破城の痕跡が (2020/02/06 訪問)

発掘に伴う整備の結果か、本丸枡形内に転がっていた破城時の石がどかされてしまった。あれはあれで破城の風情を伝える貴重な遺構だったように思えたのだが・・ちと淋しい。

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まっちゃん88

現地説明会は終了しました。 (2020/06/07 訪問)

見事な障子掘(畝掘り、北条堀)です。漆器類も鹿沼城の歴史を感じます。
発掘調査記録は今後鹿沼市新庁舎に展示されるようですが、
今回の発掘はまだまだ一部分でしょう。今後の近隣での鹿沼城跡の発掘を期待してます。

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ぴーかる

雨山城 (2020/05/30 訪問)

【雨山城】
<駐車場他>北麓の登山口前に無料Pあり。
<交通手段>車

<見所>馬場・千畳敷・主郭・眺望
<感想>雨山は古来より雨神として祀り、山頂には雨山神社があります。登山道は遊歩道として整備されているので登り易いです。雨山城と土丸城は共に国史跡となっていてハイキングコースにもなっています。
 雨山城は南北朝時代、楠木一族の橋本正高が南朝方の和泉地方の拠点として築いたとされています。その後すぐ北朝方の日根野荘の在地武士であった日根野時盛が入り、その後南朝方が勢力を盛りかえし1353年再び南朝方の橋本正高が入った。一時期すぐ隣の日根野氏の土丸城と対峙したこともあったらしい。戦国期には根来衆が籠り、秀吉と戦った。

 まず登山口にある溜池の脇に遺構ではなさそうだったが巨石群があり巨石好きには嬉しい遭遇。山の3分の2程の所に馬場曲輪があり眺望の良い場所、関空が見えます。その先には薄い堀切を越えて鳥居があります。鳥居から少しで主要部に着きます。山頂には先に述べた雨神様の社と樹齢200年のヤマモモの木、休憩所があります。休憩所に雨山の日付印があります。山頂(主郭)から下段に付郭、ここからも関空と大阪平野が一望できます。千畳敷曲輪、月見亭の曲輪とすぐ横にある土丸城跡に行く道中からは城跡と共に国史跡、また重要文化的景観でもある日根野荘が見渡せます。日根野荘の見渡せる南側は山が屹立して急勾配なので天然の切岸になってます。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

チョイ寄り圧巻の空堀 (2020/06/09 訪問)

 大井川上流の石上城を初探訪後、島田に下り諏訪原城に寄る、先に二の曲輪重ね丸馬出群を投稿しましたので当日撮影した二の曲輪外堀、内堀、丸馬出外堀など空堀の写真投稿いたします。
 写真では中々圧巻な空堀が表現できません実際は現地探訪有るのみです。
 広さ、深さ、長さと武田氏徳川氏の合作築城術、素晴らしいものを残して貰いました感謝感謝です、早く二の曲輪北の城門、中馬出周辺の整備と土塀、城柵などの復元整備が待たれます。

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カズサン

圧巻の二の曲輪重ね丸馬出群 (2020/06/09 訪問)

 城びと未踏の城、大井川支流笹間川上流笹間上に在る石上城初登城後大井川沿いに下り島田金谷に在る諏訪原城を訪ねる。
 
 まずビジターセンターを訪ね見学と担当の方に説明を頂く、丁度見学者が私一人になって担当の方と城談義、諏訪原城、周辺の城郭等で有意義で貴重な時間を頂きました。 担当の方有難うございました。

 何回も訪ねてる城なので今回は馬出、横堀、土橋中心に写真撮影、また担当の方から重ね馬出のあるエリアの草刈り整備されてるので見学をと奨められビジターセンター駐車場から約200m東の第二駐車場からフェンス扉を開閉して見学、東馬出、南馬出、東内馬出が二の曲輪南東部に重なって繋がる様は圧巻です、以前は草深く探訪出来ず今回初めてゆっくり探訪出来ました保全管理有難うございます。

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エグ1394

土岐高山城 (2020/06/07 訪問)

緊急事態宣言解除後、初めての城巡りで近場の土岐高山城跡を
訪問しました。見晴らしがよかったです。御城印も購入しました。
土岐高山城は遠山十八支城のひとつに数えられている城です。1556年(弘治2年)、高山伊賀守光俊が亡くなると、武田信玄の命を受けた平井光行が高山へ兵を進め城主となりましたが、その子の平井頼母は織田信長に属しました。そのため、1574年(天正2年)に武田勝頼によって攻められ落城しました。その後は岩村城主・田丸直昌の支城となりましたが、「関ケ原の合戦」にて西軍方となり、東軍の妻木勢によって攻められ落城しています。1615年(元和元年)の一国一城令により廃城となりました。現在、城址には水道貯水池があり、貯水池前に案内板が建てられています。また毎年10月には「高山城戦国合戦まつり」が開催されます。

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カルビン

【家×お城】登城したお城しりとり【186】 (2018/12/15 訪問)

リモート業務終了が決まったのでしばらくゴタゴタして投稿難しくなるかもしれないので、すいませんが一気にしりとり進めさせて頂きます。

todo94さんの勝連城(ぐすく)の「く」より

・黒井(くろい)城:兵庫県続100名城
↓い
・石神(いしがみ)城:茨城県那珂郡
(大きな空堀がお城を囲う茨城県によく見られる形のお城)
↓み
・蓑首(みのくび)城:宮城県亘理郡
※城びと登録名は坂元城ですが、現地解説も蓑首城になっているのでコチラで投稿させて頂きます。坂元神社と学校のあるエリアを含めて城址だった模様
↓び(ひ)
・姫路(ひめじ)城:兵庫県100名城
↓じ(し)
・菖蒲(しょうぶ)城:埼玉県久喜市
(城址がリアルな菖蒲園)
↓ぶ(ふ)
・福知山(ふくちやま)城:京都府続100名城
↓ま
・蒔田(まいた)城:神奈川県横浜市
(女子高が城址で男性陣に難攻不落なお城の1つ)


写真は最低限で登録させて頂きます。


次の方、「田」「た」「いた」でお願い致します。


※しりとり業務連絡
「み」で始まる福島県の続100名城は「春」問題が解決していないので一度別手札使用させて頂きました。
まだ「み」に繋げられる手札複数持ってますので、情報入り次第繋げられる様にさせて頂きます。
「ま」の手札はまだ7、8枚手札ありますので、滞っていたら解消できるかと。
「よ」に繋げられる手札1枚発見しましたが、「お」で始まる為、残っている元祖/続100名城4ヶ所クリア後に繋げる予定です。

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イオ

周辺の曲輪群 (2020/03/01 訪問)

(前編・中心部編から続く)

八上城の曲輪は本丸周辺だけでなく、北西、北東に続く尾根筋にも小規模な曲輪群が連なっており、高城山北麓には主膳屋敷と呼ばれる前田茂勝の居館跡があります。
主膳屋敷の北にある春日神社が登城口で、登城口近くには新しく無料駐車場(20台以上)が整備されています。藪化していて遺構が確認しづらい主膳屋敷跡を抜けて登っていくと、尾根筋に出たあたりに鴻の巣と呼ばれる曲輪があり、そこから尾根沿いに下の茶屋丸、中の壇、上の茶屋丸と続き、中の壇付近には竪堀も見られます。この北西尾根から本丸に至るルートが大手道のようです。
北東尾根は、池東番所南下の大竪堀から茶屋の壇、馬駈場、芥丸、西蔵丸と曲輪群が続き、北側斜面には数条の竪堀が、芥丸と北東端の西蔵丸との間には堀切が設けられています。茶屋の壇の手前には、波多野氏の人質となっていた明智光秀の母が磔にされたと伝わる松の跡がありますが、あくまで伝承であって、史実としては否定されているようです。
また、篠山城北隣の青山歴史村には八上城内の屋敷門が移築されています。

下調べ時に、支城として機能したとされる奥谷城や法光寺城にも行こうかとも思いましたが、縄張図を見つけられず、おそらく私の手に余るだろうと考えてやめておきました。帰宅してから、六神合体さんの投稿を拝見し……やめて正解だったかな、と(^^;
 

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イオ

波多野氏の居城 (2020/03/01 訪問)

戦国初期に波多野清秀が高城山南麓の奥谷に居館を構えたことにはじまり、二代・元清が山頂部に八上城を築いて本城としました。以降、波多野氏の本拠として数多の籠城戦を乗り越えてきましたが、明智光秀の丹波攻めで落城、波多野氏は滅亡しました。
その後、幾人かの城代を経て前田主膳正茂勝が城主となるも、改易となった後に入封した松平康重が天下普請で築かれた篠山城に移ったことにより廃城となりました。

丹波富士と呼ばれる高城山の山頂部に本丸、岡田丸、二の丸、三の丸、右衛門丸らの曲輪群を配し、本丸と右衛門丸には一部石垣も見られます。各曲輪は高い切岸と虎口で守られ、二の丸西部の虎口には門の礎石が残っています。また、本丸南東下の朝路池は、北東、南西の二つの尾根に囲まれた立地で、両尾根上には番所(曲輪)を設け、両尾根筋は大竪堀(堀切)で断ち切るなど、八上城の水源だけあって厳重に守られています。

(後編・周辺編に続く)
 

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dougen

2019.2.16登城 (2019/02/16 訪問)

前回、時間切れで登城できなかった千馬山城へ。
県の史跡だけあって登城道、城址は良く整備されており、安心して城址散策が楽しめます。
遺構も広範囲に郭や土塁、空堀がありますので、時間をかけて散策することをオススメします。
城址に親鼻駅方面のハイキングコースの案内があり、そちらから帰りましたが、尾根伝いにいくつもの山を越える縦走コースでハイキングを楽しむのなら、問題ありませんが、城址目当ての場合は、元の道に戻った方が良いです。

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