島原半島を南下して、島原の乱の舞台となった原城へ向かいました。
まずは、有馬キリシタン遺産記念館で予習。
島原半島には、早くから、キリスト教信者がたくさんいました。
やがて、江戸時代になりキリスト教が禁じられると、島原の領主でありキリシタン大名であった有馬直純は改宗し、領内のキリシタンを迫害することを余儀なくされます。
しかし、良心の呵責に耐えかね、幕府に転封を願い出て、日向延岡転封されることとなります。
後任の桝倉重政はやり手だったようで、江戸城改築の公儀普請役を受けたり、独自にルソン島遠征を計画し先遣隊を派遣したり、島原城を新築したりしました。
しかし、そのたびに領民から年貢を過重に取り立てます。
もともと、島原は海が迫り山が多くて耕作地が多い上、火山灰が滞積したやせた土地でした。
さらに、天候の加減で不作が続いていたのですが、新領主は、年貢をまけてくれません。
しかし前任者の轍を踏まないと思ったのか、重政は、キリスト教徒の弾圧に一層力を入れます。
これ見よがしに、残虐な仕打ちをし、農民たちから深い恨みをかうことになりました。
隣の天草も同じ状況でした。
ついに1637(寛永14)年、積もり積もった重いが爆発し、島原・天草の農民たちが立ち上がったわけです。
原城跡は、有馬キリシタン遺産記念館から車で5分ほどです。
島原の乱当時、すでに原城は廃城になっていましたが、そこに3万7千人が籠城しました。
対する幕府軍は12万5千人でした。
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