【上赤坂城】
<駐車場他>登城口前に無料Pあり。
<交通手段>車
<見所>切通し・横矢・曲輪
<感想>下赤坂城の戦いののち、幕府軍との決戦に備えて1331~1334年に築城された城。平野将監入道と楠木広季(正成の弟)が入り千早城とともに守った城だが、こちらの上赤坂城は落城する。両軍多大な死傷者がでて幕府軍の厭戦感が増大して結局千早城は守りぬいた。楠木正成の死後、1359年正成の子の正儀の時、赤坂一帯が再び攻防の舞台となり、翌年再び上赤坂城は落城する。
城郭は本丸(千畳敷)のある曲輪群と二の丸(東の城)の2つの曲輪群の2連になっている。間に茶碗原と呼ばれる炊事場があった所で繋いでいる。登城口は城跡の北側で1~4の木戸跡を越えると東の城曲輪群に入ります。
登城口の駐車場に募金箱とパンフレットがあります。登城口がちょうど一の木戸跡となっており、そこから深い切通しが続きます。切通しの土塁上にははっきりとした曲輪遺構も見られ、上からの攻撃ができた様子がわかる。三の木戸の先に「そろばん橋」と呼ばれる土橋にあたります。かつては二重堀切で土橋もなかったかもしれないそうだが、現在は1本は竪掘りになっていました。そろばん橋を渡ると四の木戸があり、90℃曲がりになります。ここは東の城(二の丸)曲輪群の最下段にぶつかり曲輪から堀切に向かって正面攻撃ができるかなり強固な造りになっている。90℃曲がると道は右手は谷、左手は東の城曲輪群の脇を登り進みます。夏場ということもあるが、かなり鬱蒼としているので東の城曲輪群は入れる曲輪は最上段ともう一つくらい。最上段の二の丸反対側は切岸になっていて、だいぶ下の方に横堀があります。東の城から西側に進むと茶碗原、越えて本丸の曲輪群に入ります。本丸は南北に細長く、方側に帯曲輪が付いています。北側は東の城と同じように連郭式の曲輪が連なり、西に横堀があります。本丸の北側から河内平野が一望できて絶景です。
<満足度>◆◆◇
+ 続きを読む