高温警報熱中症警報武漢コロナウイルス第二波中にて動きが取れず5年前の登城探訪を投稿します。
平成27年5月連休中に下呂市飛騨萩原諏訪城を終えて国道41号線を飛騨川に沿って下る山紫水明皐月の薫風、若葉に酔いしれるが如く風情を楽しみながらのドライブ、途中にまだ本丸に神社が有る美濃金山城、連休賑やかな尾張犬山城に寄て飛騨国主金森長近が関ヶ原合戦の軍功で加増された美濃上有知(ミノコウヅチ)2万石に隠居城として築城した小倉山城に初登城。
車は城郭放浪記さん情報ガイドにより三の丸に在る美濃市図書館駐車場利用、図書館から二の丸駐車場、本丸へ模擬櫓が角に立ち風情を醸してる模擬櫓は本丸で催しが有る時の野外ステージとして活用されてる、二の丸より本丸石垣を観察、横矢の石垣、登城階段立派な石垣が築かれてる流石戦国の武将金森長近の造りである。
本丸、二の丸、三の丸探訪し山頂は趣味でなく省略、城下町美濃うだつの上がる商家町並みを堪能する、美濃和紙、飛騨川水運などで大いに栄えた、本丸跡と違い大変な賑わいで人出多数。
慶長10年(1605年)飛騨高山藩主であった金森長近は養子の可重に高山城を譲り隠居し別家を興し大倉山城に移る、長近が没すると実子長光が継ぐが若年で没して無嗣改易2万石上有知藩は2代で廃藩。
+ 続きを読む