田中城(滋賀県高島市安曇川町)
(2020/08/10 訪問)
【田中城】
<駐車場他>バス停上寺の場所が自治の公共施設っぽいのでそこに1・2台駐車できそうです。
<交通手段>車
<見所>曲輪・堀切・土塁
<感想>今年判明した新事実「米田家文書」の中で明智光秀が高嶋田中城に籠城したとされる一文が発見され、これが光秀が史料で初登場となるニュースを知り、さらにまたTV番組「所JAPAN」で磯田先生が登城しているのを見て行ってみたくなってしまいました。
登城口は<35.328247, 135.987709>にありますので獣防止の無施錠のゲートがあるので手動で開閉します。少し進むと麓付近には屋敷跡の曲輪群があります。少し登ると山に沿って南北に広くとった曲輪が無数ありこの辺一帯の曲輪群が城の中心部となっているようです。この曲輪群の北方向の端へ下ると武者隠しや土橋が見られる。曲輪群の山頂側西に登ると松蓋寺跡の観音堂があります。さらにここから少し登った所から主郭部に入る。主郭部は主に南北に広い曲輪と主郭の2つに分けられ、主郭は堀切で仕切られている。最頂部は主郭に付随する狼煙台で主郭の土塁壁の役割もありそうだ。主郭のすぐ北面からは谷に、西側は細い尾根つづきになっていて、薄い堀切がある程度で特に何もない。主郭から東方向の琵琶湖や平地にある田中郷へ麓に向かって曲輪が広がっている形の城跡でした。
中規模程度の山城で広くとった削平地、そこそこの人数が籠城できそうな気がした。1570年信長が越前朝倉氏を攻める際に逗留したらしい。籠城経験のある光秀が案内役を務めたのかもしれないと思った。またこの城の城主田中氏の流れをくむ田中吉政もここの出です。
主郭は草が刈り込んであり、各所整備が行き届き、曲輪・堀切等の立て看板、規模、遺構の見応え、何故城びと未登録?と思わせる見応えある城跡です。
<満足度>◆◆◆
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