中山道を和田宿から和田峠を越え下諏訪宿に入り、上諏訪温泉に泊まりました。
その折、ホテルの近くにあった高島城を訪れました。
小ぶりなお城ですが、紅葉した園内にある城は「諏訪の浮城」と呼ばれるにふさわしい湖城でした。
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2020/11/14 10:01
2020/11/14 08:18
クラブツーリズム沖縄の名城5つを全てめぐる2日間② (2019/01/27 訪問)
沖縄の名城2城目は座喜味城です。今帰仁城からの転戦です。続100名城スタンプは読谷村立歴史民俗資料館で押しました。訪れた時は閉館時間を過ぎていましたが、さすがクラブツーリズムの添乗員さん、事前連絡でツアー客がスタンプ押印するまで閉館を待ってもらってました。ツアーは融通というか無理が通用すのか、凄いなあと思いました。
座喜味城跡は城域は広くありませんが、沖縄のグスク特徴の曲線状の石垣、アーチ門(沖縄に現存する最も古いアーチ門といわれています)。石積も相方積、布積、野面積が確認することができます。攻城時間は35分くらいでした。
宿泊は「ホテルグランビューガーデン沖縄」でした。夕食はホテルから徒歩5~6分の「アウトレットモールあしびなー」まで歩き、そこで沖縄郷土料理を食しました。
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2020/11/14 07:26
クラブツーリズム沖縄の名城5つを全てめぐる2日間① (2019/01/27 訪問)
沖縄は離島も含め独身時代は友人と夏の沖縄を満喫する為、4~5回は訪問しています(結婚の時、独身時代のものは処分したので正確の数字は不明)。結婚してからは妻と二人で2008/6/12~6/15に来ていました(写真が残っています)。
以前は戦国時代の歴史に興味はありましたが、お城はサッパリでしたので、首里城を訪れた際も綺麗だなの感想のみでした。今回はお城目的で一人で訪問ですので、お城を見る目が違いました。(ツアーのお客さんは全員、お城目的ですが...)
100名城スタンプは今帰仁村グスク交流センターで押しました。
沖縄1城目は今帰仁城です。世界遺産です。高く積まれた曲線の石垣が素晴らしい。
訪問した時、「今帰仁グスク桜まつり」が開催されており寒緋桜が綺麗でした。ツアーで訪問したので、(今帰仁村出身の美ら産)演奏による「琉球音楽 三線の演奏披露」もあり楽しい時間を過ごしました。攻城時間は90分くらいでした。
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2020/11/13 22:19
大築城 埼玉県比企郡ときがわ町 (2020/11/07 訪問)
材木主工場の先に登城口があるが車は通行止め。
手前の三叉路の空き地に駐車しました。(いいのかな?)
登城路は結構急、主郭部へ向かうところには尾根道を使った镸い土橋があります。
主郭に向けて更に急な道を登ると主郭に。説明板が立っています。
更に先の堀切も見どころでした。
モロドノ郭周辺も遺構が残っています。
熊も心配でしたが杉林なのでたぶん大丈夫。たぶんですよ。
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2020/11/13 21:18
2020/11/13 21:07
白米城、椎の木城 (2020/11/13 訪問)
白米城と椎の木城を合わせて阿坂城と称しています。白米城からの眺望は絶景ですが、城址の遺構は椎の木城周辺に多く見られます。竪堀、堀切、切岸、土塁等を見ることができます。よく手入れされていて気持ちよく見学でします。
白米城は他の城にも同じような伝説がありますように馬を米で洗って水があるように見せかけたことで、この名がつけられているとのことです。そもそも、この城の水の手はどこなのでしょうか。
北畠氏の菩提寺である浄眼寺前の駐車場に登城口があります。道は整備されていて、勾配も一部を除いて、それほどきついものではありません。この日も多くのハイカーが山歩きを楽しんでみえました。
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2020/11/13 20:26
2020/11/13 19:25
霊園に城跡 (2020/03/22 訪問)
この作延城は、多摩川沿いに川崎市側の丘陵に位置し、多摩川からの防衛に使用されました。
現在は、津田山霊園となっており、津田山霊園の東端に位置していますが、西側は台地で繋がっていますが、東側、南側は、崖となっています。付近に城主の館もあった様ですが、不明ですが、現地の地形を見る限り、作延城の南側の延命寺辺りであったと思われます。
遺構は、見当たりません。地形から城跡を偲ぶしかありません。
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2020/11/13 17:54
新横浜駅から駅近 (2020/02/29 訪問)
新横浜駅からほど近い所に、この篠原城があります。
新幹線とJR横浜線の間に、台地の先端に位置し、比高は、新幹線の新横浜駅のホームと同じ高さ位になります。
季節が冬であったので、草が生えていない状態だったので、地形がわかりやすく、ただ、柵の中に入れなかったのが、残念です。
入れる機会があったら、柵内の遺構を見てみたいものです。
この篠原城は、鎌倉時代か、戦国時代に金子氏によって築城されたもので、小机城の支城であった様です。
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2020/11/13 16:13
漆黒の松本城四季夫々に感動します (2020/11/03 訪問)
井川城を終えてまだ時間が有り5年振りに登城、前回は桜でしたが今回は紅葉、車は松本城北の乗用車専用の駐車場を利用、ほぼ満車状態、奥にやっと停める。
文化の日大勢の人で賑わって居ました結局2時間周辺と博物館(松本城の模型が有ります)で過ごしました、天守登閣は30分待ち、警備の人に聞くと昨日休日の中日では1時間待ちの混みようとの事、結局天守閣には登らず、本丸、二の丸周辺をぶらつき写真撮影、城郭鑑賞を楽しみました。いつ見ても良いですね~❣
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2020/11/13 15:38
小笠原氏の城館 (2020/11/03 訪問)
山城サミット可児大会で地域の城館紹介コーナーで信濃守護小笠原氏の城館をPRされて居り以前から気にしてた城館でしたので天気も良く国道151号線で山道、新野峠標高1000m超、を越えて出掛けました飯田からは高速に乗りましたが。
井川城訪問で一番困ったのが駐車場の確保、GoogleMapで辺りをよく精査し航空写真も最大拡大で調べますが取り敢えず3ヶ所候補地をナビに登録し初めに直線で200m程の鎌田町公民館に到着、関係者駐車禁止の看板が有りましたが祝日で空いて居り大変気が引けましたが停めさせて頂きました、詰めて2、3台かな?
公民館より南へ六川豆腐店角を東へ穴田川を渡り川沿い若干南下最初の道を東入る橋を渡り最初の道を北入る約100m程住宅街を歩き細く澄んだ頭無川に出る、角材の橋が架かってる、目前の田圃の中に小山に樹木が立ってる目的地。
城跡の周りは田圃に畑、草原、道は畦道で細い、案内板と祠がる、周辺発掘調査してる様ですが案内解説板は発見できず10分ほど滞在し引き上げました。
小笠原氏の城跡、武田氏侵攻により松本平南東奥の山城を築く、林城と支城群を、Google地図と頂いてたパンフレットの井川城絵図を見比べると穴田川が外堀、頭無川が内堀とトレース出来そう?戦国期前までなら平地の城館が当たり前の事だったのでしょう。
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2020/11/13 08:33
意外に痕跡あり (2020/10/24 訪問)
坂本城に代わる琵琶湖水運の拠点として、豊臣秀吉の命により浅野長吉(長政)が築いた城で、関ケ原の戦いに際しては、東軍についた城主・京極高次が大津城に籠城して立花宗茂ら西軍精鋭の足止めを果たし、東軍の勝利に貢献しました。その後、大津は水運の拠点であって防衛には不向きなことから、徳川家康により城としての機能を膳所城に移して廃城となりましたが、建物の部材は膳所城に、天守は「落ちなかった城」の縁起を担いで彦根城に移築されました。
市街化によって遺構はほぼ消滅しており、本丸跡に石碑があるくらい……かと思いきや、石碑や説明板に併設された「大津城縄張推定復元図」を参照しながら城域をぶらぶら歩いてみると、意外にいろいろと痕跡を見つけることができました。
石碑から南南東に徒歩6分の朝日生命大津ビルの南東角(三の丸東側外堀)には模擬石垣や石碑、説明板が、模擬石垣から西に徒歩3分行くと中堀跡を埋め立てて開かれた旧中堀町の標柱が、旧中堀町から南に徒歩2分の大津祭曳山展示館の裏手には外堀跡のものとされる石垣が、大津祭曳山展示館から北西に徒歩10分行くと外堀の名残の百々川が、百々川から東に徒歩4分の川口公園は川口堀と呼ばれた中堀跡を埋め立てた公園で、公園北側の県道沿いに説明板があります。
ところで、この日は明智光秀ゆかりの史跡をめぐるのが主な目的でしたが、大津城から東南東に徒歩15分の琵琶湖文化館前には「明智左馬之助湖水渡ところ」の石碑があります。山崎の戦いでの明智光秀の敗報を受けて安土城から坂本城に向かった明智左馬之助(秀満)でしたが、堀秀政に行く手を阻まれたため、打出浜から馬に乗ったまま琵琶湖を渡って坂本城に入ったとする伝説に基づくもので、唐崎神社の霊松(打出浜から北に約4.4km)を目標にしたとも、柳が崎(打出浜から北北西に約2.4km)に上陸して松に馬を繋ぎとめたとも言われています。
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2020/11/13 08:13
関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/10 訪問)
今回遠征最後の攻城です。蜂須賀城➡青塚駅(名鉄津島線)➡須ヶ口(名鉄名古屋本線)➡新清州駅に到着。そこから徒歩15分弱で清州城に着きました。
清洲城は織田信長の城として知られています。信長の後継者を決める「清州会議」(同名の映画もありました)も行われた城です。
模擬天守は資料館になっていて歴史的展示物が展示されています。付近に清州古城跡公園、清州公園があり、復興された石垣や織田信長・濃姫像が確認できます。攻城時間は60分くらいでした。
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2020/11/13 07:33
関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/10 訪問)
今回の遠征で名古屋城の見学を早めにに切り上げて時間を作り急遽、蜂須賀城の攻城をしました。(勝幡城から近かった為)
勝幡城➡勝幡駅(名鉄津島線)➡青塚駅下車。駅は一駅です。そこから徒歩10分ちょっとで到着します。
蜂須賀城は蜂須賀小六正勝公が生まれた城です。蜂須賀氏は織田信秀によって蜂須賀城を追われ、以後は宮後城を居城としたそうです。
・宮後城:愛知県江南市にあった城で、「蜂須賀屋敷」「小六屋敷」などと呼ばれています。遺構は土塁、碑と説明板があるようです
今回は時間の都合で攻城していません。
城址に蜂須賀小六正勝公碑、城碑があり、青塚駅の踏切横にも城碑がありました。攻城時間は20分くらいでした。
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2020/11/13 06:46
関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/10 訪問)
名古屋城から名城公園駅(名古屋市営名城線)➡金山駅(名鉄名古屋本線)➡須ヶ口駅(名鉄津島線)➡勝幡駅で下車。そこから徒歩10分ちょっとで着きました。
勝幡城は織田信長が生まれた城と考えられている城のひとつです。築城したのは信長の祖父にあたる織田信定だそうです。
現在、遺構は残っていませんが、城址には「勝幡城址碑」と「織田弾正忠信定古城跡碑➡勝幡駅から勝幡城に向かう日光川の川沿いにあります」の石碑があります。
自分は勝幡駅前の像と復元模型を見てから城址に向かいました。攻城時間は15分くらいでした。
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2020/11/13 06:45
2020/11/13 00:20
関ヶ原の前哨戦 白石合戦の舞台 (2020/11/08 訪問)
立冬も過ぎた8日、「古文書を読む会」の仲間たちと白石城に登城しました。この城は元和の一国一城令の後も仙台城以外に仙台藩の城として認められ、幕末まで片倉小十郎家(御一家18,000石)の居城として続きます。城は明治7年に解体され、野づら積みの石垣までも売りに出されたということです。平成7年に三階櫓(天守)と大手一ノ門、二ノ門、土塀、石垣が復元され往時の面影を残す。初冬のこの日も多くの人々が訪れていました。現状を見るだけで十分楽しめるのですが、今回私の関心は、現在学習中の文書「記録抜書」(高祖父輝宗曾祖父政宗祖父忠宗記録抜書)に記載された、白石合戦です。慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の前哨戦として、政宗は当時上杉景勝方の白石城を攻めます。文書には「・・・七月廿一日政宗人数を引連北目を出陣、名取郡岩沼江陣を構、廿三日柴田郡四保ニ着陣、翌朝刈田郡白石之川向平山ニ致着陣候処・・・」とあります。家康の命により上杉対策として京より戻され、現在の仙台市外れに有った北目城(当時未だ仙台城は無く、岩出山城が本拠地)から、岩沼、四保(現柴田町船岡)を経て白石川を挟んだ対岸、現在の陣場山に陳をしき激戦の末に白石城を落城させます。
私のこの日の目的は白石城と陣場山との距離や方角を確認することでした。それぞれの地点からの画像も投稿していますが、その距離わずか1.5kmといったところです。当時と片倉氏改修後では縄張も大手の位置も違い、三階櫓も無かったのかも知れません。
この時政宗33歳、秀吉亡き後家康に組みしてはいたが、刈田・伊達・信夫郡などの旧領回復はもちろん、天下びとへの野望を捨ててしまっていたとは思えない。
車での訪問の場合、白石城は市役所隣の城下広場駐車場に、陣場山は南蔵王白石線の路側帯への駐車となります。
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2020/11/12 23:06
伝、亀井六郎の館跡 (2020/11/11 訪問)
亀井館は、鶴見川と真福寺川に挟まれた丘陵部の台地上にある。
よく通学で通っており、日本城郭大系にも出ていたので、地形は、三方(東、南、西)が急な斜面となっており、北側には、窪みが昔からあるので、元々の地形を活かしたのか、もしかしたら、堀を設けていたかもしれません。北西部が虎口の様になっている感じです。
日本城郭体系には、応仁の乱で苦悩に喘ぐ領民の為に、亀井館の卯の方(東)に社殿(月読神社)を設けたとあります。現在は、宅地となっている為、遺構は有りませんが、地形を見ることで偲ぶことが出来ます。
亀井六郎とは、源義経の家来の四天王と呼ばれていたそうです。
所在地は、神奈川県川崎市麻生区上麻生にあります
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2020/11/12 19:32
河合城 (2020/10/25 訪問)
【河合城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車
<感想>河合城は現地案内板に、赤松氏の東播磨の拠点として築城されています。嘉吉の乱の時には、赤松満祐が将軍足利義教の首をもって入城したことでも知られています。城域は東西約四百メートル、南北約三百メートルの大城郭でしたが、現在はほ場整備事業等により、その景観は失われています。
かつては堀井城や小堀城と水路でつながっていたそうです。石碑案内板の奥にあるのが水路跡のようです。城跡は現在は畑や田圃・宅地のなかに埋もれてしまっていて、ぱっと見はよくわかりません。石碑案内板のある周辺は駐車スペースが全くないので、石碑案内板の前に一瞬だけ停車して4枚撮影しただけとなった。近くにある堀井城(城びと未登録)に大駐車場完備があるのでそこに駐車して散策するのがよいでしょう。
<満足度>◆◇◇
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2020/11/12 18:43
中山氏と加治神社。 (2020/11/07 訪問)
ネットで調べ、「中山氏館」って城びと未登録のお城だなぁ、と思いナビを設定して向いました。
到着すると「中山家範館」。
城びとにちゃんと登録されてます。しかも、2回目の城攻めです。
こちら住宅街に石碑と説明板があります。
写真③が「中山家範館」=「中山氏館」です。
写真は前回 写しました。色褪せてますが2年前の写真です。説明文の方が色褪せていたので、目を細めないと読めません。
「中山家範館」から500~700m位の場所に加治神社があります。説明板に「中山氏」と書いてあったので関係がある神社のようです。
こっちの中山氏は、中山 家範さんの次男、信吉さんでした。
秀吉さんの北条征伐で、家範さんは八王子城で討死しました。
その後、家康さんが治めます。
家範さんの次男、信吉さんは徳川家傘下、水戸藩の付家老になりました。
石碑しかなかった「中山家範館」。
もう来る事はないだろうと思ったけど意外な歴史を見つけました。
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