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前ちゃん

18切符旅 (2020/08/24 訪問)

富山駅、富山城と行ったり来たりを繰り返し観光

シメはブラック

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カズサン

【伊豆蛭ヶ小島】静岡県伊豆の国市 頼朝配流の地 (2015/05/09 訪問)

 平成27年5月駿河、伊豆城廻りで世界遺産登録前の韮山反射炉を終えて北に約1km超で韮山城の手前に在る源頼朝配流の地、蛭ヶ小島公園を訪ねました、田園の中若干の微高地に公園として保存管理されてます石碑と頼朝、政子の像が有ります。
 頼朝の父源義朝が平治の乱で敗れると嫡男頼朝は伊豆に配流されここ蛭ヶ小島と伝わる、北条時政の娘政子を娶った、14歳から20年34歳の治承4年(1180年)平家追討を決意し挙兵、以後鎌倉幕府を開き800年の武家政治の礎を創ったと歴史の教科書に載っている。
 往時は狩野川が縦横に流れ氾濫し田圃、湿田に沼に囲まれて島状に成ってた微高地だったのでしょう?、20年の配流に耐えたものです周りの環境と時流が支えたのでしょうか?、一度訪れると宜しいかと韮山城、反射炉、代官所とセットで!

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街道おじさん

松江城登城 (2020/08/19 訪問)

月山富田城、米子城を見て、本日3城目は国宝松江城。
これで3度目の登城であるが前回は、まだ国宝指定されていなかった。
その国宝指定されたきっかけが祈祷書というのが面白い。よくぞ見つかったと感じる。
堀尾吉晴が月山富田城を引き払い、松江に築城。
現存12天守で国宝5城。正に日本の宝である。
青空に四重五階の天守が美しく映える。

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カズサン

【伊豆・韮山反射炉】静岡県伊豆の国市 幕府直営兵器工場 (2015/05/09 訪問)

 平成27年5月駿河、伊豆城廻りのサブ目的世界遺産登録直前の韮山反射炉を初めて探訪しました、世界遺産と言う事で一躍脚光を浴び大勢の人出で賑わっていました明治の偉人は数多くいますが幕末期伊豆の代官で日本国防の構想を練り幕府を動かし大砲を造るための溶鉱炉である反射炉を企画し兵器工場を設置、且つお台場等の洋式砲台の設置、洋式訓練を施した農兵制度など海防政策の進言推進と大活躍の江川太郎左衛門英龍は幕末の偉人の一人注目有ってしかるべき。
 反射炉が残ってるの韮山だけか?鹿児島、佐賀、鳥取など跡として残ってるだけ、韮山は反射炉、水車を使った切削工場、仕上げ工場、型工場と製砲工場がシステム的に運営されてたようです。
 江川英龍は完成を見る事無く亡くなりますが息子の英敏が継承し完成させる、国難に対する思いと幕末の切羽詰まった思いを感じる場所でもあり今に通ずるかも、息吹を感じて下さい。
 入口に江川太郎左衛門英龍公号担庵の像が凛々しく立ってます。

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エグ1394

大草城 (2020/08/23 訪問)

久しぶりに知多半島へドライブに行きました。
大草城を訪問し、御城印をGETしました。
大草城は織田信長の弟、織田長益(有楽斎)によって築かれた城です。1582年(天正10年)、信長が本能寺の変により没すると、尾張一国は織田信雄に与えられ、長益は信雄の家臣として大草城を築きましたが、城が完成する前に、長益は秀吉の御伽衆として仕えることになったため、未完の城のまま廃城となりました。現在は大草公園として整備されており、模擬櫓が建てられています。そのほか、水堀や土塁などの遺構を見ることができます。

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エグ1394

大野城 (2020/08/23 訪問)

久しぶりに知多半島へドライブにいきました。
大野城を訪問し、御城印をGET。
大野城は、初め一色氏が居城しましたが、応仁の乱で兄弟が敵・味方で争い、一色氏は衰退。その家臣だった佐治氏が台頭してしまいます。その後大野城は佐治氏の居城となり、為貞・信方・信吉と四代まで続きます。特に三代・信方は織田信長の下で活躍。信長の妹・お犬の方を嫁にもらい織田家とは親族関係になりました。しかし信長の死後、小牧・長久手の合戦で徳川家康についてしまった佐治氏。これが秀吉の怒りを買い徳川家康が秀吉に臣従した後、秀吉に滅ぼされてしまうのです。佐治氏の後は、信長の弟・長益(有楽斉)が城主になりましたが、水利の悪さから大草城(知多市)に移り、その後廃城となりました。


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しほり

土浦城太鼓櫓門 (2020/08/09 訪問)

現存する櫓門です。
立派で美しい櫓門が現存しているなんて
素晴らしくて喜ばしい限りです。

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カズサン

早雲戦国大名決起の城であり北条氏終焉の城 (2015/05/09 訪問)

 昨今の情勢で自宅閉じこもり、5年前の登城投稿ですが平成27年5月伊豆長浜城を初登城し伊豆半島付け根の山を越えて伊豆の国市の韮山城を初登城。

 当初のサブ目的であった世界遺産韮山反射炉見学し頼朝蛭ヶ小島見学、韮山代官所、江川邸、韮山郷土史料館、韮山城模型を各見学し車は韮山代官所北の観光駐車場を利用。

 韮山城には韮山代官所裏門→韮山郷土史料館→城池北堤防→韮山城3の丸南東虎口から登城→3の丸→権現曲輪→2の丸→本丸、雲で富士山は眺望出来ず、→尾根筋道を南へ、伝塩蔵跡、戻って3の丸東側の濠を探訪と廻りました。
 西側には館跡(現韮山高校)、探訪してませんが南側尾根筋には付け城砦群が取り囲み大城郭群を造ってる。
 晴れた日に富士山を見ながら探訪をお勧め早雲、北条氏の思いにしたるのも良きかな?

 歴史的には北条早雲明応2年(1493年)伊豆韮山の堀越公方を攻め駿河興国寺城より伊豆韮山城に進出、伊豆を平定し戦国大名に躍り出る、北条氏相模進出小田原城に拠点を移し韮山城は支城と成るも伊豆の抑え、今川氏武田氏の防御拠点として重要な城でした、天正18年豊臣氏小田原征伐戦では4万4千人の軍勢に囲まれ3ヶ月の籠城戦、山中城戦に比べ豊臣方は無理押しせず動きを封じ込め、小田原城開城前の6月に開城し北条氏韮山城の終焉を迎えた。(韮山城パンフレット抜粋)

 

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中川藤兵衛尉

沢城 (2020/08/17 訪問)

神戸三七郎様が養子入りした神戸氏の元々の居城です。石碑と看板とがあるのみです

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中川藤兵衛尉

神戸城 (2020/08/17 訪問)

織田前右府公の四男・神戸三七郎信孝様の居城です。半分くらいが学校に呑み込まれていて見れないのが口惜しいです。時代が時代なので、天守台の石垣の造りは甘いです

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中川藤兵衛尉

津城 (2020/08/17 訪問)

築城名人・藤堂泉州の作品の一つ。本丸は公園に、二之丸は市街地になっています。本丸の石垣は見事の一言です。三重櫓が一基ありますが、史実では存在しない場所に建っているのが残念です

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中川藤兵衛尉

取手山砦 (2020/08/17 訪問)

鳥羽古城の主であった橘次郎宗忠が北畠氏に下って築城した砦。その為か、鳥羽城方面に多くの削平地が設けられています

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中川藤兵衛尉

鳥羽城 (2020/08/17 訪問)

海賊大名・九鬼宮内少輔嘉隆の居城です。外郭の堀は道路に、主郭部は城山公園になっています。後者には一部、石垣が残っています。織田前右府公が自刃された直ぐ後の城なので、算木積でない隅部があります

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赤い城

専精寺に石碑が立っています (2020/08/13 訪問)

垂井駅から徒歩10分。
専精寺境内が跡地とされていて石碑と説明板が立っています。
遺構はなさそうです。
平塚為広の居城でしたが関ヶ原の戦い以降は廃城になったそうです。

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昌官忠

東海北陸遠征 (2020/03/08 訪問)

大給城駐車場(35.052832、137.231694)に駐車して攻城。
東海北陸遠征(5泊6日)最後の攻城は大給城でした。城址はよく整備されていますが強雨の為、足元を気にしながらの攻城です。
見所はたくさんあります。堀切、土塁、石垣、枡形虎口、櫓台、物見岩、城址内のたくさんの岩などなど。投稿写真は10枚以内なので、絞り込んで投稿します。攻城時間は50分位でした。

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昌官忠

東海北陸遠征 (2020/03/08 訪問)

足助城駐車場(35.133693、137.325499)に駐車して攻城。
こんな天気(強雨、雷)の中、よくいらっしゃいましたと言われたが、千葉県から遠征してきている為、悪い天候でも強行しました。
城址内はよく整備されています。案内図に沿って進むと一通り見学することができます。見所は高櫓、物見大、台所長屋、柵列といったところです。攻城時間は50分位でした。

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街道おじさん

米子城登城 (2020/08/19 訪問)

朝一番で月山富田城に登城、その後米子に戻り米子城登城。
猛暑の中、この日二つ目の山城登城で結構消耗した。
しかし本丸からの眺望は最高。日本海、大山、米子市内、中ノ海が一望でき、疲れが吹っ飛んだような気になった。
この城は吉川広家が築城し、関ケ原後中村一忠により完成された。
五重の天守と四重の櫓を持つ山陰屈指の名城である。また御船手郭や登り石垣も持ち
城郭ファンとして興味が尽きない城でもある。

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昌官忠

東海北陸遠征 (2020/03/08 訪問)

攻城時、美術館近くの駐車場(35.079539、137.151871)が臨時休館(新型コロナの影響か?)はいれなかった為、広い方の駐車場(35.079309、137.149128)に車を停めて攻城。
見所は隅櫓につきます。攻城時間は15分位でした。

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昌官忠

妖怪北陸遠征 (2020/03/08 訪問)

県道318号線沿いの駐車場入口(34.835140、137.091477)から中に入り駐車後、攻城。
北側の道を登り、城址内に入りました。かなりの強雨の為、撮った写真に雨水が写り込み、メインの櫓門と物見櫓の写真が投稿できません。見所は櫓門と物見櫓だと思います。攻城時間は20分位でした。

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ヒロケン

豊臣秀次築城の山城 (2020/08/11 訪問)

八幡山城は、1585年豊臣秀吉より甥の豊臣秀次が近江43万石を与えられ、琵琶湖を望む八幡山に築城された山城です。八幡山最頂部に本丸を設け、二の丸、西の丸、北の丸、出丸が配された総石垣造りの大要塞です。
山麓には豊臣秀次の居館跡などもあり、曲輪、石垣、水堀などが残り、見所の多い城跡です。

八幡山城には3度目の登城となり、この日は、八幡山公園に車を駐車し(無料)居館跡から散策。前2回は公園から徒歩で登城していましたが、この日は暑さと時間がないのとで迷わずロープウェイを利用。(駐車場は無料、片道500円・往復890円)マスク着用・手摺など持たず空席はあったが、椅子に掛けずグラつきながら利用しました。(個人的コロナ予防利用方法です)ロープウェイを利用した場合は3分で、徒歩だと30分ほどで二の丸に到達できます。

山頂の本丸部には秀次公の生母が秀次公の菩提を弔うために、端龍寺が建立されています。続100名城のスタンプは山頂部のロープウェイ乗り場にあります。

八幡山城の見所は、山頂部の総石垣造りの石垣と居館跡に残る大石を利用した石垣です。(私見)城の存在期間はわずか10年程ですが、竹林が鬱蒼と茂り、薄暗い居館跡に立つと、八幡山城と秀次公の栄華と盛衰が感じられ、真夏でしたが、背筋がぶるっと凍えるような感じで城跡を後にしました。

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