<オススメ>★★★☆☆
武蔵松山城は丘陵先端部に位置し、広大な低湿地に囲まれた天然の要害である。境目の城として後北条氏や武田氏、上杉氏と数度にわたり奪い合いが行われた。1563年に上田友直が後北条氏に寝返り支配下に入る。1590年、小田原征伐では城主・上田憲定は小田原城に詰めていたため城代の上田河内守が約2300名が籠城した。前田利家や上杉景勝率いる北国勢の猛攻により落城した。徳川家康の関東入封後は松平家広(桜井松平家)が城主となり領した。1601年、浜松へ転封となり武蔵松山城は川越藩に組み入れられ、廃城となった。現在、土塁や堀が遺されている。
<アクセス>
東武東上線 東松山駅 川越観光自動車「武蔵丘短期大学前」下車すぐ
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