いまだじょう

今田城

広島県山県郡

別名 : 河内山城
旧国名 : 安芸

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主郭からの眺め
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しんちゃん

吉川氏の支城としての役割を持つ。 (2024/01/03 訪問)

今田城は山県一族今田氏の城とされ、今田氏が没落すると吉川経高が城館を継承し、毛利元就次男の元春が吉川家を相続してからは、吉川元春の居城・日山城の支城としての役割を果たしたそうです。駐車場は閉鎖されていて、登城道の近くにあるこぶしの名水の駐車場も使用できません。しょうがないから、なんとか駐車できそうなスペースを探して戻ってきます。
三郭、二郭と順番に訪れ主郭にたどり着きます。三郭に入る手前には意味深な石が散らばっています。しかし、そこから先には石垣は見られず、主郭の周囲にわずかに土塁が残るのみです。

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カズサン

「史跡こぶしの名水」を訪ねたら今田城登城口 (2023/10/05 訪問)

 今田氏館を終えて、せめて「こぶしの名水」を訪ね様と脇の道を北進約100m程で、こぶしの木の在る名水スポットに到着(34°40'03"N 132°30'11"E)、既に先客の名水汲みパーティー3名、見ると今田城の案内板と碑が在る、此処が今田城の登城口かと、その時に初めて認識しました。
 今田城は広島県史跡今田氏城館跡に成ります。
 山城への登城は考えても居ませんでしたので、縄張り図付きの解説板と今田氏城館跡の城名石碑、今田城こぶしの名水の由緒、を撮り、登城口より少し進入して終わりました。名水の試飲はせず。
 此処で図らずも広島県北部未踏、登城の城7城目と成りました。
 
 こぶしの名水の由緒によると、昭和59年今田城主の末裔の方が夫々、山口県熊毛町、横浜から訪ねられて400年の眠りから覚めるきっかけとなり、地域を挙げて今田城の整備保存がなされて保存会も立ち上げる。(由緒抜粋)
 

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ぴーかる

今田城 (2023/02/11 訪問)

【今田城】
<駐車場他>こぶしの名水前に専用駐車場3台程度あり。
<交通手段>車

<見所>虎口
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅3城目。現地案内板によると今田城は山県氏の一族今田氏の居城で戦国時代に今田氏没落後は吉川経高が継承します。吉川元春の統治時代は日山城の支城の役割をします。麓に石垣が残る館跡があります。2022年12月に来訪時は夕刻だったので館跡のみだった。今回は山城の方を攻略した。3郭ほどしかない小さな山城で虎口までは比較的簡単に着きます。虎口は全面に石垣跡が残り、虎口中にも石列が残っていて虎口らしい雰囲気が残っています。3郭~2郭への切岸は高く見応えあります。主郭は小さく、東側の曲輪壁しか整備しておらず他方向は藪化しています。竪堀も一部あるみたいですが分かりませんでした。遺構は少なめです。

<満足度>◆◆◇

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織田晃司

山は城 (2020/11/14 訪問)

こぶしの名水に登城口があり山頂に城があります。
夏に登るとシダが生い茂りぼーぼーで何がなんだかわからない状態です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 今田氏
築城年 不明
主な城主 今田氏
遺構 曲輪、土塁、竪堀、井戸、虎口
指定文化財 県史跡(今田氏城館)
再建造物 碑、説明板
住所 広島県山県郡北広島町今田
問い合わせ先 北広島町教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 050-5812-1864