日中城からの転戦です。弓の里歴史文化館駐車場(36.674763、137.363290)に駐車し、石碑由来碑前(36.673500、137.362525)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、土肥氏によって築かれたと云われています。
土肥氏は相模国土肥郷を本貫とする土肥次郎実平の5代目実綱が、滑川の堀江に入部し、上杉謙信の庇護を受け新川郡一帯を領する戦国領主に成長しました。
実綱から4代後の政道がここに城を築き、政忠、政良(政繁)の3代が居城としたようです。
1578年(天正6年)上杉謙信が死去すると、越中に侵攻する佐々成政、柴田勝家らの織田勢に従うことになります。
1582年(天正10年)織田信長が本能寺の変で討たれると、再び上杉勢に属した為、佐々成政の攻撃を受けることとなります。
1582年(天正10年)と1583年(天正11年)の二度にわたって、佐々成政の攻撃を受けたが落城しなかったそうです。
土肥氏は籠城しますが、越後の上杉景勝からの来援もなく、上杉勢の拠点魚津城が落城したため、孤立しました。
1583年(天正11年)佐々成政と和議を結び、城を明け渡し越後に逃れました。その後、上杉軍と共に奪還を図ったが失敗し、越後に在住したそうです。
「弓の里歴史文化館」の北側駐車場横に説明板があります。
西側の水田の一角に「弓庄城本丸跡」の石碑、由来碑があります。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=郷柿沢館に向かいます。
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