ゆみのしょうじょう

弓庄城

富山県中新川郡

別名 : 弓庄舘城、弓庄館
旧国名 : 越中

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ぴーかる

弓庄城 (2026/05/10 訪問)

【弓庄城】
<駐車場他>弓の里歴史文化館駐車場あり。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅17城目。現地説明板を要約すると弓庄城は戦国時代にこの一帯を領していた土居氏の居城で、土肥氏は南北朝時代に越中国に入部して室町時代から戦国期にかけてこの地を領するようになりました。天正年間に佐々成政の攻撃を受けて落城しました。
 西に白岩川、東に山間部の始まり部分の山麓部にあって東西に長い城だったようです。ここから北の一帯、柿沢方面の広い領地を有していたようです。城びと情報では様々な遺構がありますが、周囲は田んぼで表面観察できる遺構は気づきませんでした。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

時代を越えて弓庄城を落とす勢いで進め! (2025/04/12 訪問)

弓庄城は白岩川の右側の河岸段丘上に築かれた城で周囲を水堀で囲まれ南北に曲輪が連なった堅城だったようです。土肥氏によって築かれ、城主・土肥政繁は上杉謙信の死後、織田信長に従いましたが、本能寺の変の後に上杉氏に従ったため佐々成政の攻撃を受けました。
佐々の猛攻を弓庄城は良く耐え凌ぎますが上杉からの援軍が見込めなかった為、開城して越後に退去して行きました。
敵ながら天晴と言えるでしょう(現状佐々軍)。

本丸が有る程度かつての姿を留めているとの話ですが、堀や土塁が失われてしまったので、いささか解りづらい。かつての本丸の一角に石碑が立ち、その存在を示してくれています。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ12日目:弓庄城 (2022/07/31 訪問)

日中城からの転戦です。弓の里歴史文化館駐車場(36.674763、137.363290)に駐車し、石碑由来碑前(36.673500、137.362525)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、土肥氏によって築かれたと云われています。
土肥氏は相模国土肥郷を本貫とする土肥次郎実平の5代目実綱が、滑川の堀江に入部し、上杉謙信の庇護を受け新川郡一帯を領する戦国領主に成長しました。
実綱から4代後の政道がここに城を築き、政忠、政良(政繁)の3代が居城としたようです。
1578年(天正6年)上杉謙信が死去すると、越中に侵攻する佐々成政、柴田勝家らの織田勢に従うことになります。
1582年(天正10年)織田信長が本能寺の変で討たれると、再び上杉勢に属した為、佐々成政の攻撃を受けることとなります。
1582年(天正10年)と1583年(天正11年)の二度にわたって、佐々成政の攻撃を受けたが落城しなかったそうです。
土肥氏は籠城しますが、越後の上杉景勝からの来援もなく、上杉勢の拠点魚津城が落城したため、孤立しました。
1583年(天正11年)佐々成政と和議を結び、城を明け渡し越後に逃れました。その後、上杉軍と共に奪還を図ったが失敗し、越後に在住したそうです。

「弓の里歴史文化館」の北側駐車場横に説明板があります。
西側の水田の一角に「弓庄城本丸跡」の石碑、由来碑があります。 
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=郷柿沢館に向かいます。

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織田晃司

弓庄城跡 (2020/09/19 訪問)

田畑になっていてどれが遺構かわからないくらい。
本丸跡に石碑がある。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 土肥氏
築城年 戦国時代
主な城主 土肥氏
遺構 曲輪、土塁、横堀、土橋、井戸
指定文化財 町史跡
再建造物 模擬櫓、石碑、説明板
住所 富山県中新川郡上市町館西円場
問い合わせ先 上市町役場生涯学習班
問い合わせ先電話番号 076-472-1111