大鳥井柵を終えて北方向約5km程の金沢柵、後三年合戦金沢資料館を目指す、先に資料館に寄り資料の閲覧と資料入手、20分のビデオを視聴する源義家、清原清衡後の藤原清衡が甦ってきました、小学生時代、叔父、兄が使ってた戦前の絵本日本の歴史の前九年後三年の役の場面が今でも脳裏に残って居り大変懐かしく幼い頃を思い出しました、よく武者絵八幡太郎義家を描いたものです。
訪問時私一人でしたので親切に資料入手、説明、解説頂きました、金沢柵へ車での登り道を教えて頂き、すぐ東の山が金沢柵の推定地、まだまだ発掘調査進行中の様です。
車は舗装された林道を登り本丸、二の丸中間地の下に林道を広くして駐車エリアとトイレ完備を利用。
探訪は納豆発祥の碑の横の階段を登り案内指示板完備されており、他に人は居なく私一人熊ベル鳴らし本丸へ、兵糧倉経由本丸へ、戻って北の丸、北の丸の東の崖、北東の曲輪群、北の丸と二の丸の堀切、二の丸に登る、二の丸は上段に金沢八幡神社が神座、下段が境内、曲輪、駐車エリアに戻り南西方向に西の丸ここは覗き込むだけ、各曲輪とも城塁が高く切岸の様で、狭い所は堀切と大木の杉林の中に静まり返ってる。
配布資料に寄れが後三年の役の時代、中世城館時代の南部氏、小野寺氏の改修など歴史が重層して遺物が埋まってるとの事。
また義家の弟義光の子孫佐竹氏が秋田移封され祖先八幡太郎義家、新羅三郎義光の奮闘の地、大木杉林に囲まれた深窓の地金沢柵の金沢八幡神社を庇護し保全管理され長い歴史の因縁を感じられます。
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