月山日和城は別名「高城」といい高城と穆佐城(これも高城)と合わせて日向三高城と呼ばれていたそうです。築城時期は不明ですが肝付兼重による築城と伝えられます。戦国には島津氏・伊東氏・北郷氏・伊集院氏と次々と城主が変わりますが元和元年(1615)の一国一城令によって廃城になったとのことです。模擬天守の建つ池の城の他、6つの曲輪を持ち空堀で区切られますが、予備知識なしで訪問したので池の城しか見ていません。正直次はいつ訪問できるかわからないので、えいやで登録してしまいます。ご容赦を‥
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2024/01/20 17:39
日向三高城 (2014/01/11 訪問)
月山日和城は別名「高城」といい高城と穆佐城(これも高城)と合わせて日向三高城と呼ばれていたそうです。築城時期は不明ですが肝付兼重による築城と伝えられます。戦国には島津氏・伊東氏・北郷氏・伊集院氏と次々と城主が変わりますが元和元年(1615)の一国一城令によって廃城になったとのことです。模擬天守の建つ池の城の他、6つの曲輪を持ち空堀で区切られますが、予備知識なしで訪問したので池の城しか見ていません。正直次はいつ訪問できるかわからないので、えいやで登録してしまいます。ご容赦を‥
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2022/06/21 22:23
模擬天守 (2019/06/21 訪問)
模擬天守と復元天守、現存天守があるとを知らない訪問を始めたばかりの3年前に行た城。初めて模擬天守を自覚出来た城です。それまでも幾つかの天守を見たはずだったがここでの出来事は忘れられない。
天守の1階は児童クラブのような様相で子供が何人かいました。説明を聞いて上に上がろうとするとそこから驚きの連続。「え!ELVあるの?」「誘導灯ついてるよ、非常照明もスプリンクラーも」ELVで最上階まで登り降りてくる。「中身は普通の建物じゃん」恥ずかしながらそのころの自分は天守は全て当時の物と思っていたのかもしれない。
航空写真を見て各曲輪を廻った、中の城には神社があり周囲には土塁が確認できる。新城との間には堀切道が大きな口を開いていたので進めなくなるまで中に入って行った。新城に無理くり登って確認したが撮った写真では曲輪を確認することが出来ない。周囲を見渡すとどこもこのような状態だったので諦めて終了しました。
その頃は写真を今ほど多くは撮っておらず天守や神社の写真は1枚もない。多分初期で城跡訪問の際の要点が分からなかったのだと思います。
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2020/12/05 17:11
模擬天守の建つ群郭式山城 (2020/11/22 訪問)
穆佐城を終えて宮崎西ICより東九州道、宮崎道経由山之口SICより降りる、都城市城郭は仕事で鹿児島、宮崎を何回も行ったり来たりしていたのですが何処も訪ねる事も無く今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻りに4城山之口城、月山日和城、祝吉御所、都城リストアップしたのですが山之口城の登城情報が藪樹木等で困難な様子なので諦め3城に絞る。
月山日和城は古城盛衰記さんの情報でナビを宮崎県都城市高城町大井手2643-ロにGoogleMapで微調整し合わせ県道47号線を東から入り月山日和城資料館東裏の駐車場に停めるすでに2台停まって居り私の1台で満車。
今回鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り6城目、裏駐車場から裏階段を登って資料館玄関へ月山日和城資料館を閲覧して最上階で眺望を楽しむ、1階にはこの城の歴史を語る南北朝時代錦旗拝受の舞台が実物大模型で復元展示されて肝付兼重の功績を誇ってる。
地階に城跡の歴史、概要が展示されてる、拝観料220円
歴史的には南北朝時代に南朝方の肝付氏、肝付氏は大隅半島南端高山城に退く、北朝型の北畠氏と変わり和田氏を経て島津氏領、明応4年(1495年)伊東氏との飫肥、三俣の交換で伊東氏の領有、島津氏攻勢により天文3年(1532年)島津氏一族北郷氏へ、伊集院氏北郷氏の内乱抗争あるが北郷氏時代に元和の一国一城令で廃城。(古城盛衰記さん抜粋)
シラス台地を掘り刻んだ群郭式山城、模擬天守閣は南先端の池の城に建ち、北に堀切を挟んで内の城菅原神社、忠魂碑も立ってる、北側に土塁らしき遺構、その北に堀切を挟んで中の城、高城神社が在る、本城は中の城の東、真城、その他の城と有り外角をシラス台地を掘り込んだ外郭ラインが巡ってる、GoogleMap航空写真で眺めるとそれなりの俯瞰が感じられる。
今回は天守閣入館と池の城、内の城のみ探訪、中の城は内の城より眺める。
模擬天守閣はオダリンが投稿してるように付櫓を構えて犬山城によく似てます。
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2020/11/17 19:39
都城と霧島を一望 (2020/11/04 訪問)
小さな模擬天守の歴史館があり、城内には西南戦争の慰霊碑もある。
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分類・構造 | 山城 |
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天守構造 | 複合式望楼型[3重4階/1992年築/RC造模擬] |
築城主 | 肝付兼重 |
築城年 | 元弘年間(1331〜1334) |
主な城主 | 肝付氏、北畠氏、和田氏、島津氏、八代長門守(伊東氏家臣)、落合兼佳(伊東氏家臣)、北郷氏(島津氏家臣)、伊集院氏(島津氏家臣) |
廃城年 | 元和元年(1615) |
遺構 | 曲輪[樽原・真城・桶広・本城・中ノ城・内ノ城・池ノ上・取添]、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 市史跡 |
再建造物 | 模擬天守(歴史資料館)、石碑、説明板 |
住所 | 宮崎県都城市高城町大井手字横馬場 |
問い合わせ先 | 都城市教育委員会事務局文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 0986-23-9547 |