戦国初期木造模擬天守再現の綾城
(2006/11/16 訪問)
綾城は戦国初期の城楼建物を再現した木造模擬天守閣が尾根東端の本丸に昭和60年(1985年)造られて居ます、天守資料展示の綾城の模型によると、北を流れる綾北川と南を流れる本庄川の合流の尾根上に東端を本丸、西に二の丸、三の丸、四の丸と各郭を堀で切り刻んで居る山城です。
16年前の平成18年11月中旬、宮崎県えびの市の関連協力企業に出張の折、宮崎道小林ICから常緑樹林帯の山間地山越え道を綾町の綾城を目指し専用駐車場に駐める。
駐車場からは案内道なりに、綾・国際クラフトの城の施設へ入り入場料を払う、施設内には陶芸、ガラス工芸、切子グラス等の販売、作業場が有りました、二の丸模擬城門を潜って本丸への空堀に架かる橋を渡り、長年城郭誌で眺めて居た木造模擬天守閣がドンと控えて、誌面からは二十数年振りの本物初対面でした。
天守閣周囲を眺めて天守閣の登りました、黒く塗り分けた木造天守閣、内部の木組みも大きく重厚感に溢れています、1、2階の資料展示、3階の展望も素晴らしい眺めです。
木造物に目が行きがちでしたが、堀切、空堀、土塁も良く残って居り見応えも有ります。
歴史は建武の頃足利尊氏の命で細川氏が綾を領有し、綾氏と名乗り十代近く継承するも、伊東氏に従い、伊東48城の一つに、天正5年(1577年)伊東氏は島津氏に追われ日向を去る、以降島津氏の支城に成り元和の一国一城令で廃城と成る。(資料案内抜粋)
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