【根福寺城】
<駐車場他>駐車場はなし。登城口前の墓地に駐車スペース2・3台分あり。
<交通手段>車
<見所>曲輪群・礎石建物跡・堀切・竪掘り
<感想>大阪府内出ないで城巡り。この城は登城口にある説明板に寄ると「天文年間(1532~1555年)和泉守護代の松浦守によって野田山城として築城され、のちに根来寺領となり改修され根福寺城と呼ばれた。」登城口前の道路反対側の墓地には殿の墓と呼ばれる五輪塔を浮き彫りにした墓碑があります。最終的にこの城は秀吉の紀州進攻時に落城したとのこと。
登城口は案内板のすぐ右手より山に入ります。少し登ると大竹が2本が倒れてて、道を塞いでいるのでわかりにくいですが、またいで通ります。全体的に道なき箇所、倒木も多いので迷いそうです。大竹倒木から北に登って分岐を右に行くとGoogle地図にある和泉根福寺城跡の削平地があります。分岐を左に曲がって北西方向に数百㍍登ると根福寺城跡の東曲輪群の東端に入り2重堀切があります。越えて少し進むと東曲輪群の最高所の曲輪(小さい物見櫓が建つ程度)の南側、半月状の武者溜まりのような削平地があります。最高所の北方向へ広い階段状の曲輪が6つ程連なっている。Ⅴ郭目くらいに礎石建物跡の遺構がある。最高所の曲輪から西に進むと大門跡、集石遺構があります。大門跡南側には竪掘りがある。この大門跡の西側の土塁を登り進むと西側の曲輪群があり南西端にはこの城跡最大の見所畝状竪掘り群があるらしいが、私の下調べ不十分で城跡はここまでと勘違いしてしまい見落としてしまった。またそこそこの石積み遺構もあるらしいがこれも見落としてしまい、結局見たのが東曲輪群の約半分となった。とにかく道が無い、指示板も無いで滑落・遭難を恐れ、起伏を登り降りできず思いきった攻城ができずじまいでした。あとで主要部は西曲輪群にあると知って後悔、必ず冬場に再チャレンジします。
<満足度>◆◆◇(暫定)
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