胆沢城は延暦21年(802)に坂上田村麻呂が築いたとされる古代城柵です。地域支配の為にさらに北に志波城が置かれ、後に徳丹城が築かれました。9世紀初めごろに鎮守府が多賀城から胆沢城に移され、胆沢城は改めて地域を支配するための重要な拠点となったようです。
主要部は民家となっているようですが、外角南門跡の両脇に高さ4.2mの築地塀が再現され、復元された南大路の一部と合わせて胆沢城跡歴史公園として整備されました。
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2025/01/20 22:40
地域支配の為の拠点。 (2025/01/05 訪問)
胆沢城は延暦21年(802)に坂上田村麻呂が築いたとされる古代城柵です。地域支配の為にさらに北に志波城が置かれ、後に徳丹城が築かれました。9世紀初めごろに鎮守府が多賀城から胆沢城に移され、胆沢城は改めて地域を支配するための重要な拠点となったようです。
主要部は民家となっているようですが、外角南門跡の両脇に高さ4.2mの築地塀が再現され、復元された南大路の一部と合わせて胆沢城跡歴史公園として整備されました。
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2024/08/18 02:06
古代東北の英雄を訪ねる (2024/08/16 訪問)
東北地方も台風5号、7号が押し寄せ天候不順が続いた夏休みでしたが、最近たまたま読んだ澤田ふじ子の小説『陸奥甲冑記』に触発され、「阿弖流為の里」胆沢(奥州市水沢)を訪れました。阿弖流為は1200年前、朝廷の東北侵略に対して蝦夷を纏めて抗った、胆沢地方のリーダーです。13年間にわたり朝廷軍と勇敢に戦いましたが、延暦21年(802)坂上田村麻呂に降伏して都で刑死します。胆沢城は同じ年に坂上田村麻呂によって造営され、多賀城に変わって鎮守府がおかれた場所です。
先ずは奥州市埋蔵文化財調査センターを訪れて古代東北の蝦夷の時代について学習しました。その後は胆沢城跡歴史公園で復元された外郭の築地や南門の柱跡を見学し、一辺675mもあったという壮大な古代城柵に思いを馳せました。
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2024/02/14 20:02
古代における東北の拠点 (2015/05/04 訪問)
胆沢城は古代城柵と呼ばれる政庁で国の史跡に指定されています。坂上田村麻呂によって延暦21年(802)に築かれ後三年の役の時代まで約150年、鎮守府として機能したようです。敷地はかなり広かったと思われますが要所としては正殿が北側に建てられ四方を柵塀が取り囲み、四方に門が設けられており脇殿が東西に建てられていたようです。
訪問時には城址碑ぐらいしか見当たりませんでしたが整備が進んで築地塀などが再現されているようなので、また寄って見たいと思います。
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分類・構造 | 古代城柵 |
---|---|
天守構造 | なし |
築城主 | 坂上田村麻呂 |
築城年 | 延歴21年(802) |
主な城主 | 坂上田村麻呂 |
遺構 | (発掘調査:築地塀跡、正殿跡、脇殿跡、門跡) |
指定文化財 | 国史跡(胆沢城跡) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 岩手県奥州市水沢佐倉河渋田 |
問い合わせ先 | 奥州市教育委員会事務局歴史遺産課調査活用係 |
問い合わせ先電話番号 | 0197-35-2111 |