いさわじょう/いさわのき

胆沢城

岩手県奥州市

別名 : 方八丁
旧国名 : 陸奥

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胆沢城跡歴史公園
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ぎりょう

古代東北の英雄を訪ねる (2024/08/16 訪問)

東北地方も台風5号、7号が押し寄せ天候不順が続いた夏休みでしたが、最近たまたま読んだ澤田ふじ子の小説『陸奥甲冑記』に触発され、「阿弖流為の里」胆沢(奥州市水沢)を訪れました。阿弖流為は1200年前、朝廷の東北侵略に対して蝦夷を纏めて抗った、胆沢地方のリーダーです。13年間にわたり朝廷軍と勇敢に戦いましたが、延暦21年(802)坂上田村麻呂に降伏して都で刑死します。胆沢城は同じ年に坂上田村麻呂によって造営され、多賀城に変わって鎮守府がおかれた場所です。
先ずは奥州市埋蔵文化財調査センターを訪れて古代東北の蝦夷の時代について学習しました。その後は胆沢城跡歴史公園で復元された外郭の築地や南門の柱跡を見学し、一辺675mもあったという壮大な古代城柵に思いを馳せました。

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しんちゃん

古代における東北の拠点 (2015/05/04 訪問)

胆沢城は古代城柵と呼ばれる政庁で国の史跡に指定されています。坂上田村麻呂によって延暦21年(802)に築かれ後三年の役の時代まで約150年、鎮守府として機能したようです。敷地はかなり広かったと思われますが要所としては正殿が北側に建てられ四方を柵塀が取り囲み、四方に門が設けられており脇殿が東西に建てられていたようです。
訪問時には城址碑ぐらいしか見当たりませんでしたが整備が進んで築地塀などが再現されているようなので、また寄って見たいと思います。

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TMN97

胆沢城址 (2021/11/22 訪問)

胆沢城址

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カズサン

50数年前認識し何時か登城を❣ (2013/05/11 訪問)

 平成25年5月フルムーンパス利用兄弟夫婦3組東北旅行三日目、私たち夫婦で単独で一関城、岩谷堂城近くの藤原の郷を終えて西に約4~5キロ程北上川を越えて胆沢川に挟まれて段丘平地に在る古代城柵に当たる胆沢城を目指し初登城。
 ナビは埋蔵文化財センターに合わせ移動するが目指す城名石碑位置と思われる辺りを雨の中行ったり来たり、やっと石碑らしきを認識し車を路駐し城名石碑を確認、田圃、畑の中に遺構らしき土塁、堀、水路の凹凸で遺構を認識、案内板、説明板を探し胆沢城跡を確認した。
 高校2年の頃、小遣い1500円の頃鳥取の本屋で「日本の名城と城跡」260円日本城郭協会編著を購入し紹介されてる151城をページをめくり頭から巻末までなめ尽くした岩手県は盛岡城と胆沢城、その時以来の胆沢城です、昭和46年末に「胆沢城」680円高橋富雄著を購入し古代城柵の陸奥、出羽を認識し、坂上田村麻呂築城、陸奥の王者「阿弖流為」を知り1200年前の攻防を認識する、古代のロマンを感じてますが、訪問当時の現場は雨の中、一面の畑、田圃でロマンを感じつつ歩くのも難渋しましたので、石碑と周辺の土塁らしき所、堀かな?を撮り近くの埋蔵文化財調査センターを訪ね、資料展示、胆沢城展を見学勉強させて頂きました。
 胆沢城の大型模型、発掘遺物、土器類、部分復元政庁内部、阿弖流為紹介を外を廻れなかった分1階2階の展示を時間を掛けて廻りました、興奮感動のひと時でした。

 最近にのまるさん、昌官忠さん投稿写真には版築土塀が映って居り令和元年前後か新しく南門の標柱展示と西と東の版築土塀が一部復元した事が伝わります、時間か有ったら再見学したいものです。

 兎に角かれこれ認識して約55年前後ぶりに訪ね事が出来て感動ものです、あと何年廻れるかな?

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城郭情報

分類・構造 古代城柵
天守構造 なし
築城主 坂上田村麻呂
築城年 延歴21年(802)
主な城主 坂上田村麻呂
遺構 (発掘調査:築地塀跡、正殿跡、脇殿跡、門跡)
指定文化財 国史跡(胆沢城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岩手県奥州市水沢佐倉河渋田
問い合わせ先 奥州市教育委員会事務局歴史遺産課調査活用係
問い合わせ先電話番号 0197-35-2111