前日は 移動と、 ”昭和の町” 豊後高田市、と 温泉の 純然たる観光で過ごした。
近いという事で、角牟礼城へ
豊後森藩資料館駐車場に着くとすぐそばの三島公園で小学生高学年と父兄たちが朝礼をしている。
どうやら本丸まで歩いて登るようだ。
森藩陣屋跡(三島公園)庭園の紅葉と石垣を観賞しつつ、9時開館と同時に資料館に入る。
係りの方から懇切丁寧な説明を拝聴し、村上海賊との関係や来島家が豊後の地に来たいきさつ、
秀吉や福島正則との関係など大いに勉強になりました。 ありがとうございました。
ちなみに地名の”牟礼”の意味を伺ったら、古代朝鮮語で”山”や”丘”を意味するとの事でした。
日本各地にあるということは、はるか弥生の昔から渡来人が住み着いた証なんですね。
下から登るか、三の丸駐車場まで車で行くか迷った挙句、楽な方を選択。
いまこうして自宅に戻り、城びとの皆さんの投稿を拝見して大失敗したことを知りました。
下から登って行った方が、見どころ満載でした。
三の丸駐車場では本格的な大型ビデオカメラやドローンを持っている人たちがいた。
町の観光ピーアールで甲冑を纏った武将隊の面々が来るので、撮影係りで待機しているそうな。
間近にみるドローンに興味をそそられ、しばしテスト飛行を見学の後、登城開始。
(三の丸の石垣は、車やら撮影機材やらが映り込み、良くないので掲載なし)
(伝)三の丸では破城の痕跡なのか、石がゴロゴロ転がっている。
竪堀を横目に穴太積み石垣、(伝)水の手曲輪の長い石垣を見つつ(伝)搦手門跡へ。
資料館で頂いたパンフには(伝)搦手門跡と書かれているのに、大手門跡の案内板が。
頂いたパンフを見ると、以下のように読み替えをするようにシールが貼ってあった。
表記 読み替え
(伝)本丸 → 本丸
(伝)二の丸 → 二の丸西曲輪
(伝)大手門 → 西門
(伝)搦手門 → 大手門
搦手が大手に出世したわけだ。
二の丸を歩いていると、ブーン・ブーンと羽音が。
スズメバチのテリトリーに入ってしまったかと身構えるも、音はすれども何とやら…
三の丸上空のドローンであった。
本丸へ行く途中の(伝)大手門跡⇒西門枡形虎口は、かなり荒れていて立ち入りを断念。
その本丸には低い土塁が巡り二の丸や三の丸のような石垣や枡形虎口で防御されておらず
その単純な造りに中世城郭の趣きが感じられる。
ただ北側の斜面は石垣で造られていた。
駐車場に戻ると、女武将もいる本格的な武将隊が十人ほど勢揃い。
なかでも大将は黑一色の胴具足で、面頬までもが黒の ”目の下頬” で固めている。
「弥栄・弥栄・弥栄」 と三唱し、皆で気勢を上げながら勇躍登城していくのを見送った。
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