梅雨の時期に山城を訪れる愚を、またしても冒してしまった。
道の駅三石は幾度となく利用し案内板で概要は知っていたが、縄張り図に触手は動かずスルーしていた。
なぜか、本当になぜか登城気分が突然に沸き起こり、予定外の行動に出てしまった。
斜面にそって左は崖、右は高い山肌の登城道に乗り込むと、とたんに額から汗がボタボタと。
薄暗い木立に囲まれ無風。 湿度100%(?)なのでは無理もないとあきらめるしかない。
なにより老眼の私には、足もとの木の根っこがヘビにみえて仕方がない。登城口で借りたツエで足もとを叩きながら歩くようでは、戦の最中なら頭上の城兵の攻撃で早々と討ち死にだろう。
左の自然地形の谷筋は竪堀の効果があるのかもと思いながら歩を進めると、唐突に柵が見えてきた。
おそらくは「直虎」ブーム(?)に誘われて訪れる観光客に分かりやすいように作られたものだろうが、直虎の幟旗が倒れていたのが少し痛ましい。
本丸から一段降りた腰曲輪的な三の丸と広めの二の丸へ。 そこには土塁の存在と下の集落に行ける道しるべが。
麓の案内板には土塁はないと書かれていた。ならば確認せねばと行こうとしたが、深い草が立ちはだかり断念。
本丸よりもやや高い出丸へ向かい 新東名へ の道しるべに誘われ進む。けもの道状態のシダをかき分け少し登ると新東名が眼下に広がった。風が吹きあがり流れる汗も飛ばしてくれて有り難かった。足元には金属製の立派な階段が設けられ降りることができる。
かなりの急階段ではあるがヘビのでる心配をしなくて済むので嬉しい。
新東名の橋脚の下をくぐり降りた先の護岸された小川は、当時は谷川であったわけで、こちら側の堀の役目をしていたのがわかる。
舗装路に沿って歩くと民家の裏庭に山へ登る道が見えた。
位置的に土塁があるという方向で、防御機能を備えるという事は、ここが本来の大手なのか?
地域一帯を見渡せる方向なので、少なくとも物見の役目をした曲輪があるのかも。
そんな想像(妄想?)をしつつ自宅で調べると、この一帯を領した鈴木氏は白倉城に構えていたが、より天険の地を求め柿本の山に依ったとある。 白倉城は地図上ではもっと山深く、柿本よりも天険の地と思われるが未登なのでわからない。
考えるに、この地の街道と集落を扼するのに、より有利な柿本に移ったのではないかと思うのだが・・・。
こんな想像を広げて遊ぶのも、また楽しいものである。
7/16投稿内容の 鵜の首の滝(?)の増水した当日の写真を載せておきます。
+ 続きを読む