天文13年出雲尼子氏の美作進出に伴い岩屋城においても、接収戦が行われ城主中村則治は尼子氏に従属した。その後、勢力を伸ばしていた宇喜多氏の傘下に投じたが、天正元年には宇喜多直家の宿将浜口家織が岩屋城の城主になるに至った。その後、浜口頼宗が城主となり、毛利氏の勢力下となったが、織田氏と毛利氏の攻防は天正10年備中高松城の開城により終了したが、領土境を高梁川とすることに美作の毛利方の諸勢力はこれに従わず、宇喜多氏の武力接収戦が行われ、岩屋城は宇喜多氏の宿将長船越中守が城主となったが野火により焼失し廃城となった。(現地説明板より抜粋)
国道181号線沿いにある岩屋郵便局の西側の路地を岩屋川沿いに1Km位北上すると駐車場や看板があり登城口があります。
曲輪・土塁・堀切・竪堀・石垣(少々)・井戸などが残り、当時の面影を残しています。
岩屋城は登城した多くの方の評価が高く、自分も期待しての登城でしたが、正直、「あれっ」って感じでどこに高評価したのだろう( ;∀;)との思いで散策していましたが、てのくぼりと呼ばれる畝状竪堀群を見て、「おおっ」「これか」って納得。
松永弾正久秀の城、鹿背山城の畝状竪堀群と同等程度の竪堀です。皆さんも是非登城し「てのくぼり」を見学してみて下さい。お勧めです。
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