築城時期は定かではないが、織豊期には熊野水軍が拠点としていた時期があった言う。
大阪湾、紀伊水道を臨む平山城。
尾根をうまく使った縄張りと戦国期の石垣がしっかりと残っています。
日本に3ヶ所しかない「登り石垣」もありますが、危険・立入禁止で見れませんでした。
日本最古の模擬天守。これも登れませんが、昭和3年に昭和天皇の即位を記念して造られたとか。
鉄筋コンクリートでしっかりした造りに見えます。
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2020/07/22 22:58
熊野水軍も居城とした洲本城 (2020/07/20 訪問)
築城時期は定かではないが、織豊期には熊野水軍が拠点としていた時期があった言う。
大阪湾、紀伊水道を臨む平山城。
尾根をうまく使った縄張りと戦国期の石垣がしっかりと残っています。
日本に3ヶ所しかない「登り石垣」もありますが、危険・立入禁止で見れませんでした。
日本最古の模擬天守。これも登れませんが、昭和3年に昭和天皇の即位を記念して造られたとか。
鉄筋コンクリートでしっかりした造りに見えます。
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2020/07/22 22:53
鎌刃城 (2020/03/07 訪問)
続百名城18城目。
明智光秀巡礼記10城目。
JR米原駅にて自転車をレンタルして20分程度走りました。
最初は少し国道を走って、高校の近くで右に曲がります。
そこから10分以上走ると小さい看板が出てきますので、そこを右に行くと入口に到着します。
私は体力の問題で登山はしませんでしたが・・・・
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2020/07/22 22:45
2020/07/22 22:34
玄蕃尾城 (2020/03/07 訪問)
続百名城17城目。
明智光秀巡礼記8城目。
JR余呉駅にて自転車をレンタルして臨みました。
30分ほどかけて柳ケ瀬というところまで行って入口近くまでやってきました。
体力の問題で登城は断念しました。
この城は、明智光秀と共に織田信長に仕えた柴田勝家所縁の城跡です。
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2020/07/22 22:10
2020/07/22 22:00
安土城 (2020/07/22 訪問)
安土城へ行ってきました。
妻が肉離れで足を負傷していたので御朱印のみ購入して帰りました。
安土城は、織田信長が築いた城です。その規模、容姿は太田牛一や宣教師ルイス・フロイスの記述にあるように天下布武、信長の天下統一事業を象徴する城郭でした。山頂の天主に信長は居住し、その家族も本丸付近で生活していたそうです。なお安土城だけが天守のことを「天主」と表すのが通例です。安土城は総石垣に天守を構え、戦闘よりも権威を見せつけるために築かれた城で、従来の城とは性質が異なります。ちなみに安土城以降の城を「近世城郭」と呼んでいます。1582年(天正10年)に起きた、いわゆる「本能寺の変」の際に焼失しました。現在も天主があった山頂まで歩いてのぼることができます。なお、建造当時は琵琶湖に接していたので水城(湖城)でもありましたが、昭和に入って干拓が行われたため、現在は湖岸からやや離れた位置にあります。
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2020/07/22 21:56
八幡山城 (2020/07/22 訪問)
八幡山ロープウェーに乗って瑞龍寺(八幡山城)へ行ってきました。
御城印10種類GETしました。
展望台から眼下の琵琶湖が綺麗でした。
八幡山城は羽柴秀次の居城として知られています。安土城にかわる近江国の国城として、豊臣秀吉が自ら普請の指揮をとり築城したそうです。これは築城が「小牧・長久手の戦い」の翌年で、しかも徳川家康との講和以前だったこともあり、東国に対する防衛線の意味合いが強かったためと考えられます。現在は山麓から二の丸までロープウェーでのぼることができ、山頂の本丸跡からは琵琶湖や安土山を眺めることもできます。遺構としては石垣を残すのみですが、本丸跡には秀次の菩提寺である村雲御所瑞龍寺が京都から移築されており、麓にある八幡公園には豊臣秀次の銅像が建てられています。また、当時から残る「八幡堀」と呼ばれる堀を見に訪れる観光客も多く、舟に乗って堀を巡る「水郷めぐり」を楽しむことができます。
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2020/07/22 21:45
2020/07/22 21:34
2020/07/22 21:23
2020/07/22 21:09
2020/07/22 20:55
2020/07/22 20:36
2020/07/22 20:15
角牟礼城 (2020/03/01 訪問)
続百名城13城目。
豊後森藩資料館近くに駐車して登城しました。
民家の中を歩くこと10分。山中を彷徨うこと40分以上。
頂上の本丸に行くのに大変苦労しました。
ちょっとした山道なので登山の準備はした方が良いでしょう。
ちなみに当日は小雨が降っており道がぬかるんでおりました。
そして、一回滑ってしまいズボンを土まみれにしてしまいました。。。。
後で知ったのですが、かなり狭いのですが車で行ける道があったそうです。。。
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2020/07/22 20:04
2020/07/22 19:29
2020/07/22 19:19
2020/07/22 19:06
野火止(用水)陣屋 [埼玉県新座市野火止1丁目17] (2014/09/27 訪問)
JR武蔵野線新座駅からちょっと距離ありますが、歩いて20分くらいの所に見性院(武田晴信次女)や増田長盛や松平信綱(知恵伊豆といえば解る方もいるのでは?)のお墓のある平林寺(入場料有・御朱印は取り扱っていないとのお話)があります。
そしてその道中や平林寺内に野火止用水(松平信綱が武蔵野開発の一環として設けたもの)というものがあるのですが、平林寺から少し西に入った田畑と民家の間に土塁がありまして、ここに野火止(用水)陣屋の解説版があります。
元々は川越藩主である松平信綱ですが、野火止用水を設けた事が松平家の功績としてこの地に知行地を賜った事で陣屋を設けたみたいです。
野火止用水としては広範囲に水路が残っておりますが、陣屋としての遺構はここで見られる土塁のみの様です。
(平林寺内にも野火止関連のものがいくつか転在してますが、これは当時の陣屋の遺構かどうかは微妙なところです)
本拠地では無い為に陣屋程度の拠点だった様で、それ程大きな陣屋では無かったと思われます。。。土塁が残っているだけマシと思わねば。
その関係上、野火止陣屋と平林寺はセット訪問オススメで御座います。。。が、自分平林寺内でマムシの子供と遭遇した事あるので、藪に突入等の危険と思われる行動は控えた方が無難です(危)
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2020/07/22 06:03
リベンジ (2020/07/11 訪問)
4月11日(土)にも赴いたのですが、グーグルマップの表示の場所には何も見当たりませんでした。グーグルマップの表示から北に300m、下野郷駐在所の隣にできた施設の敷地内に標柱と「矢野目足軽城」の城址碑を見つけることができました。
【しりとり業務連絡】いよいよ、最後の1城に向けてのアプローチですね。「お」の手札は、梅尾、猫尾、五社尾、犬尾、七尾(益田市)等々、まだまだ潤沢ですのでご安心ください。
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2020/07/22 00:59
博多港から往路カーフェリー,復路ジェットフォイル。 (2020/07/13 訪問)
大雨の中とはいえ,登城口→三ノ城戸→二ノ城戸→一ノ城戸までは行きたいな…と思っていたのですが,すでに城山のキャパを超えるほどの総雨量でした。
登城口から三ノ城戸までは問題なく行けたのですが,安全上ここまでと判断。二ノ城戸まではなんとか行けても帰って来れるか心配なほどの出水量。やむなく途中で引き返しました。
石塁ルートはもっとひどかったです。雨が次第に強まってきても,猿は憎らしく元気に飛び回っていました。
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