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チョイワルオヤジ

熊野水軍も居城とした洲本城 (2020/07/20 訪問)

築城時期は定かではないが、織豊期には熊野水軍が拠点としていた時期があった言う。
大阪湾、紀伊水道を臨む平山城。
尾根をうまく使った縄張りと戦国期の石垣がしっかりと残っています。
日本に3ヶ所しかない「登り石垣」もありますが、危険・立入禁止で見れませんでした。
日本最古の模擬天守。これも登れませんが、昭和3年に昭和天皇の即位を記念して造られたとか。
鉄筋コンクリートでしっかりした造りに見えます。

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火ノ島豊後守正宗

鎌刃城 (2020/03/07 訪問)

続百名城18城目。
明智光秀巡礼記10城目。
JR米原駅にて自転車をレンタルして20分程度走りました。
最初は少し国道を走って、高校の近くで右に曲がります。
そこから10分以上走ると小さい看板が出てきますので、そこを右に行くと入口に到着します。
私は体力の問題で登山はしませんでしたが・・・・

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火ノ島豊後守正宗

小谷城 (2020/03/07 訪問)

正百名城52城目。
明智光秀巡礼記9城目。
JR河毛駅から自転車をレンタルして10分ほど走って小谷城歴史資料館にやってきました。
その資料館近くに登城口があります。
小谷城跡攻略はなかなかの登山でした。生半可な装備では攻略できないでしょう。
それなりの準備をしてから臨みましょう。

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火ノ島豊後守正宗

玄蕃尾城 (2020/03/07 訪問)

続百名城17城目。
明智光秀巡礼記8城目。
JR余呉駅にて自転車をレンタルして臨みました。
30分ほどかけて柳ケ瀬というところまで行って入口近くまでやってきました。
体力の問題で登城は断念しました。
この城は、明智光秀と共に織田信長に仕えた柴田勝家所縁の城跡です。

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火ノ島豊後守正宗

彦根城 (2020/03/06 訪問)

正百名城51城目。
明智光秀巡礼記7城目。
安土城と観音寺城を後にして彦根城にやってきました。
彦根城前のホテルに荷物を預けて登城しました。
彦根城内は本当に広かったです。
全部まわるのに1時間以上かかりました。

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エグ1394

安土城 (2020/07/22 訪問)

安土城へ行ってきました。
妻が肉離れで足を負傷していたので御朱印のみ購入して帰りました。
安土城は、織田信長が築いた城です。その規模、容姿は太田牛一や宣教師ルイス・フロイスの記述にあるように天下布武、信長の天下統一事業を象徴する城郭でした。山頂の天主に信長は居住し、その家族も本丸付近で生活していたそうです。なお安土城だけが天守のことを「天主」と表すのが通例です。安土城は総石垣に天守を構え、戦闘よりも権威を見せつけるために築かれた城で、従来の城とは性質が異なります。ちなみに安土城以降の城を「近世城郭」と呼んでいます。1582年(天正10年)に起きた、いわゆる「本能寺の変」の際に焼失しました。現在も天主があった山頂まで歩いてのぼることができます。なお、建造当時は琵琶湖に接していたので水城(湖城)でもありましたが、昭和に入って干拓が行われたため、現在は湖岸からやや離れた位置にあります。

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エグ1394

八幡山城 (2020/07/22 訪問)

八幡山ロープウェーに乗って瑞龍寺(八幡山城)へ行ってきました。
御城印10種類GETしました。
展望台から眼下の琵琶湖が綺麗でした。
八幡山城は羽柴秀次の居城として知られています。安土城にかわる近江国の国城として、豊臣秀吉が自ら普請の指揮をとり築城したそうです。これは築城が「小牧・長久手の戦い」の翌年で、しかも徳川家康との講和以前だったこともあり、東国に対する防衛線の意味合いが強かったためと考えられます。現在は山麓から二の丸までロープウェーでのぼることができ、山頂の本丸跡からは琵琶湖や安土山を眺めることもできます。遺構としては石垣を残すのみですが、本丸跡には秀次の菩提寺である村雲御所瑞龍寺が京都から移築されており、麓にある八幡公園には豊臣秀次の銅像が建てられています。また、当時から残る「八幡堀」と呼ばれる堀を見に訪れる観光客も多く、舟に乗って堀を巡る「水郷めぐり」を楽しむことができます。

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火ノ島豊後守正宗

観音寺城 (2020/03/06 訪問)

正百名城50城目。
明智光秀巡礼記6城目。
安土城の次に登城しました。
安土城同様に自転車でやってきましたが、観音寺城の攻略は安土城以上でした。
それでも観音正寺にまで到着し、観音寺城跡を見聞しました。
ただ・・・・観音城本丸跡は・・・なんもなかったですね。。

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火ノ島豊後守正宗

安土城 (2020/03/06 訪問)

正百名城49城目。
明智光秀巡礼記5城目。
安土駅からレンタルサイクルで移動しました。自転車で10分程度です。
ただし、天守までの道のりは大変に酷でした。ちょっとした登山でした。
織田信長公の恐ろしさを少し感じました。

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火ノ島豊後守正宗

八幡山城 (2020/03/06 訪問)

続百名城16城目。
明智光秀巡礼記4城目。
近江八幡駅からバスで8分程度で到着しました。
そこからロープウェイで山上まで移動できます。
山上からの近江八幡市街地と琵琶湖の景観は絶景です。
また、近隣には「日牟礼八幡宮」という神社があります。
ロープウェイを待つ間に散策してもよろしいかと。

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火ノ島豊後守正宗

福知山城 (2020/03/05 訪問)

続百名城15城目。
明智光秀巡礼記3城目。
今話題の「明智光秀」の居城にやってきました。
スタンプは福知山駅近くの観光案内所内にあります。
駅から徒歩10分程度で到着します。アクセスは楽な方ですね。

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火ノ島豊後守正宗

黒井城 (2020/03/05 訪問)

続百名城14城目。
明智光秀巡礼記2城目。
黒井駅から山側に向かって徒歩10分で黒井城跡入口に到着します。
ただ、当日は天候は悪かったため登頂は断念しました。
残念でした・・・
近くには、明智光秀に所縁のある武将「赤井悪右衛門」の資料館がありました。
また、ここは「春日局」の生誕地でもありました。

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火ノ島豊後守正宗

二条城 (2020/03/04 訪問)

正百名城48城目。
明智光秀巡礼記1城目。
JR京都駅に到着して、ドーミーイン京都に荷物を預けて二条城に向かいました。
交通についてはもう言うことはないでしょう。
JR京都駅から地下鉄に乗れば着きます。
私が行ったときは、あいにくの雨天でしたがそれでも歴史を感じることはできました。
あと、近隣には高名な「本能寺」もあります。

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火ノ島豊後守正宗

角牟礼城 (2020/03/01 訪問)

続百名城13城目。
豊後森藩資料館近くに駐車して登城しました。
民家の中を歩くこと10分。山中を彷徨うこと40分以上。
頂上の本丸に行くのに大変苦労しました。
ちょっとした山道なので登山の準備はした方が良いでしょう。
ちなみに当日は小雨が降っており道がぬかるんでおりました。
そして、一回滑ってしまいズボンを土まみれにしてしまいました。。。。
後で知ったのですが、かなり狭いのですが車で行ける道があったそうです。。。

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火ノ島豊後守正宗

佐伯城 (2020/02/23 訪問)

続百名城12城目。
佐伯市街地にあるのでアクセスは楽な方です。
近くの歴史資料館で駐車できます。
館の裏側に登山口があり、山頂までは徒歩で15分程度です。
山道はかなり整備されているので特に問題なく登れます。

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火ノ島豊後守正宗

臼杵城 (2020/02/22 訪問)

続百名城11城目。
市街地にありアクセスしやすかったです。
城の上からの臼杵市街地の景観は素晴らしかったです。
お城の近くの観光交流プラザに車を停めて登城しました。
尚、近くに有料の駐車場もありますが、すぐ近くのスーパーで買い物をすれば60分間無料になります。
私は登城前にそこでジュースを買って行きました。

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火ノ島豊後守正宗

唐津城 (2020/02/15 訪問)

続百名城10城目。
午前中は少し雨が降っていましたが、昼はたいへん暖かったです。
2月なのに20℃ちかくありました。
アクセスについては、私は車で近くのホテルにとめてから歩いていきました。
唐津駅からも交通の便は良いので苦労はしませんね。
また、近くには「虹の松原」もあります。一緒に観光した方が良いでしょう。

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カルビン

野火止(用水)陣屋 [埼玉県新座市野火止1丁目17] (2014/09/27 訪問)

JR武蔵野線新座駅からちょっと距離ありますが、歩いて20分くらいの所に見性院(武田晴信次女)や増田長盛や松平信綱(知恵伊豆といえば解る方もいるのでは?)のお墓のある平林寺(入場料有・御朱印は取り扱っていないとのお話)があります。

そしてその道中や平林寺内に野火止用水(松平信綱が武蔵野開発の一環として設けたもの)というものがあるのですが、平林寺から少し西に入った田畑と民家の間に土塁がありまして、ここに野火止(用水)陣屋の解説版があります。

元々は川越藩主である松平信綱ですが、野火止用水を設けた事が松平家の功績としてこの地に知行地を賜った事で陣屋を設けたみたいです。

野火止用水としては広範囲に水路が残っておりますが、陣屋としての遺構はここで見られる土塁のみの様です。
(平林寺内にも野火止関連のものがいくつか転在してますが、これは当時の陣屋の遺構かどうかは微妙なところです)

本拠地では無い為に陣屋程度の拠点だった様で、それ程大きな陣屋では無かったと思われます。。。土塁が残っているだけマシと思わねば。


その関係上、野火止陣屋と平林寺はセット訪問オススメで御座います。。。が、自分平林寺内でマムシの子供と遭遇した事あるので、藪に突入等の危険と思われる行動は控えた方が無難です(危)

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todo94

リベンジ (2020/07/11 訪問)

4月11日(土)にも赴いたのですが、グーグルマップの表示の場所には何も見当たりませんでした。グーグルマップの表示から北に300m、下野郷駐在所の隣にできた施設の敷地内に標柱と「矢野目足軽城」の城址碑を見つけることができました。

【しりとり業務連絡】いよいよ、最後の1城に向けてのアプローチですね。「お」の手札は、梅尾、猫尾、五社尾、犬尾、七尾(益田市)等々、まだまだ潤沢ですのでご安心ください。

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朝田 辰兵衛

博多港から往路カーフェリー,復路ジェットフォイル。 (2020/07/13 訪問)

大雨の中とはいえ,登城口→三ノ城戸→二ノ城戸→一ノ城戸までは行きたいな…と思っていたのですが,すでに城山のキャパを超えるほどの総雨量でした。
登城口から三ノ城戸までは問題なく行けたのですが,安全上ここまでと判断。二ノ城戸まではなんとか行けても帰って来れるか心配なほどの出水量。やむなく途中で引き返しました。
石塁ルートはもっとひどかったです。雨が次第に強まってきても,猿は憎らしく元気に飛び回っていました。

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