お城の周囲を囲む桜が満開間近で一番きれいな時期でした。
展望台へは車で行きましたが、舗装されていない林道ですれ違いが困難な道路なので、歩いて登った方が無難かもしれません。
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2021/04/21 10:53
桜が見頃 (2021/04/10 訪問)
お城の周囲を囲む桜が満開間近で一番きれいな時期でした。
展望台へは車で行きましたが、舗装されていない林道ですれ違いが困難な道路なので、歩いて登った方が無難かもしれません。
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2021/04/21 10:19
2回目の登城 (2021/04/10 訪問)
城カードを買うの忘れました。
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2021/04/21 10:17
撮影するなら午前中に (2021/04/10 訪問)
水堀越しの天守は素晴らしいが、反対側は天守のすぐそばに道路や住宅があり、ちゃっちく感じます。
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2021/04/21 09:05
瑞泉門塗り直し完了 (2021/03/30 訪問)
先日訪れた首里城。
瑞泉門が塗り直しを終えて
輝きを取り戻していました。
行った際はぜひ見上げてみて下さい♪
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2021/04/21 07:48
複雑な形状の天守が唯一無二の存在感を放つ (2021/01/27 訪問)
複雑な形状の天守台に複雑な形状の天守が建つ姿は唯一無二。古図を基に丹念に外観復元されたものと聞く。同じように複雑な形状を持つ天守台の上に建つ天守を想像する際、大いに参考になるだろう。
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2021/04/21 07:05
絶景かな (2021/04/18 訪問)
お城からの風景は絶景。
いい場所にお城をきづいたって感じです。
綺麗に整備されていて、造った感満載です。
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2021/04/21 05:58
都区内5城巡り④:中野城山居館 (2021/04/16 訪問)
都区内5城巡り4城目は中野城山居館です。
東中野駅より徒歩12~13分位で城山説明板前(35.702414、139.675140)に着き、それから堀江氏の菩提寺・宝仙寺山門前(35.698225、139.679211)へ向かいました。
天正4(1576)年頃に後北条氏の支配下にあった堀江氏が周辺を治め、後世の江戸期(延宝3・1675年)の記録として「中野村のうち900坪ほど土手を築き、から堀を掘ったところがあり、これを昔から城山と申し伝えている。そこはもともと名主堀江卯右衛門の先祖からの屋敷地で、いまは年貢地になり、代だい卯右衛門が所持している。」
さらに解説板の後半には、平安時代の武将で、後の名門千葉氏などの祖でもある平忠常や、またさらに後世には、扇谷上杉氏の重臣・太田道灌などの砦跡だった可能性もあると記載されています。
堀江氏は後北条傘下であったとされていますが、豊臣秀吉の命も受けたと記されているので、おそらく天正18(1590)年の小田原の役で秀吉方につき、しばらく秀吉政権下では存続したものの、その後の徳川家康の関東入り後に、なんらかの理由があって廃城になったものだとは思われます。
現在の公園は周辺も開発されており、遺構は残っていません。唯一、説明板があるのみです。
城山説明板前から宝仙寺に移動する経路上に堀越高校がありました。
芸能人が数多く卒業されているようですが、自分は山口百恵ファンだったこともあり、目黒駅近くの日出高校推しです。(ちなみに1980.10.5の武道館ラストコンサートは2階席正面で見ました。ミーハーでした)
宝仙寺には堀江家の墓所がありました。
攻城時間は20分くらいでした。(城山説明板前から宝仙寺までの移動時間を含みます)
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2021/04/20 22:50
かろうといわ (2021/04/18 訪問)
櫃岩の読み方、しびれました。木で良く見えませんが。その先の大手門から降りようとしたらゴルフ場との境界で戻るはめになった。ゴルフ場の協力で保護されてもいるので感謝ではある。
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2021/04/20 22:15
バーター攻城。 (2021/04/17 訪問)
JR羽前小松駅から東へ約5km。のっぺりと変化のない景色で,倍ぐらいの疲労感。ローソンが見えるとホッとすると思います。あえて来るまでもなかったのですが,チェブさん攻城時の不安を解決したいな…という思いもあり向かいました。
城域は畑と墓地に変わっていると思います。標柱もパネルもないので,下調べもないと不安だらけ間違いありません。南端の櫓台と思われる土塁に祠が祀られており,ここから周囲を見渡すことでとりあえず達成感というところでしょうか。
良く見ると,南北に延びる堀跡と土塁跡の延長線が畔道となって改変されてます。
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2021/04/20 22:03
伊賀未踏の城廻りⅡ 最大級の方形単郭城郭 (2021/04/11 訪問)
伊賀の乱最後の籠城戦を戦った柏原城を終えて北東へ約9km程の所にある滝川氏城を目指す。
情報とガイドは城郭放浪記さん余湖図コレクションさんGoogleMapに依る。
駐車場:滝川氏城の北側土塁下(三重県名張市下小波田869)をGoogleMapで確認しナビにセット。
北の帯曲輪の様に成って居り奥に遊戯設備あり手前に5、6台?は駐車可能、道が狭く入り込みに切り返し必要。
概要:案内板がフェンス内側に架かってるこれ一枚だけ。主郭の内部はグラウンドに成ってる、約70m四方で日頃見慣れてる方形単郭城郭の4倍の広さ、国内最大級の広さ大きさでしょう!初の体験です。
周囲は厚い高土塁と深い堀で囲ってる、南西角外に馬出的出丸が在る現在果樹園、外曲輪の東側と西側から主郭を囲ってる空堀と土塁を確認、重厚な造りで圧倒されます。
歴史:天正9年(1581年)織田信長が伊賀に攻め入った「天正伊賀の乱」に総大将信雄の家臣滝川雄利が築いた城郭、県内最大で兵の駐屯地と考えられる。道を挟んだ南側には信雄の陣屋と言われる桜町中将館が在り、天正12年秀吉に追われるまで、南伊賀の支配の拠点と成りました。(案内板より抜粋)
出丸西、東より南の桜町中将城への道を探したが民家庭、私有地の様でここに駐車して次の探訪はを試みたがNG、車で路駐探しに向かう。
投稿写真の順番が投稿クリック時に前二枚が消え編集で後の二枚を追加、ちょっと投稿時の小さなトラブルが在ります。
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2021/04/20 21:33
ワンダーランドなだけではない (2021/01/26 訪問)
日本最小級の模擬天守や石垣撮影スポットのきめ細かな掲示など、知識がなくても普通に楽しめるワンダーランドだが、実は美濃守護土岐氏の拠点として、観音寺城や一乗谷城にも比肩すべきポテンシャルを持つ、すごいお城なのだ。
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2021/04/20 21:27
2021/04/20 21:20
2021/04/20 18:58
垂井城 (2021/04/10 訪問)
【垂井城】
<駐車場他>専精寺駐車場
<交通手段>青春18切符
<感想>日帰り18切符の攻城旅1城目。久方ぶりの18切符の旅です。今回は名古屋市緑区の大高城・鳴海城他多数砦の城びと城密集地域を中心に攻略するのと清州城が目的です。まずは途中下車して垂井城です。絶好の天気で城攻め日よりでした。
垂井城は土岐氏の支流の支流長屋氏が推定室町時代に築城されたとされる。長屋氏が相羽城に居を移したあとは不明で1600年に平塚為広が1万2千石で入城するが関ヶ原で西軍討死したあとは廃城となったようです。
城跡位置も定かでなく、専精寺境内が比定地とされています。専精寺駐車場のところに城跡碑・説明板があります。また隣に垂井の泉というのがあります。
<満足度>◆◇◇
<観光案内所>垂井駅のロータリーに竹中半兵衛銅像と観光案内所があります。関ヶ原の戦い・陣城に関する資料やグッズもあり充実しています。御城印販売しています。
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2021/04/20 17:22
伊賀未踏の城廻りⅠ 潅木伐採され空堀を確認 (2021/04/11 訪問)
前日伊勢未踏の城廻り10城を終えて早朝名阪国道から伊賀の国入り、今回は織田信長対以伊賀土豪衆との伊賀の乱で舞台と成った丸山城探訪を以前から考えて居りましたがNHKBSプレミアムで英雄達の選択で伊賀の乱、城郭が取り上げられ柏原城を認識し丸山城と周辺の城合わせて7城を一挙に探訪巡りました。
先ず情報とガイドは城郭放浪記さん古城盛衰記さんでカーナビの目的地、概要を押さえました。
駐車場:柏原城近くの勝手神社(三重県名張市赤目町柏原464)の裏手に神社専用駐車場が在り利用10台位は可能か?
案内:名阪国道、国道165号線、県道567号線経由ナビ目的地勝手神社裏へ、集落の道は狭い。
城郭ルート:神社から要所要所に案内指示板が在り何となく山陰で城と分かります舗装道路から畦道に入ると眼前に案内板と杉林、水堀水路を渡り登城路に祠、マムシ注意の看板ドキッとしますが、所々マムシ注意の看板多し、マムシの出ない時期がお薦め、南西虎口、方形の本曲輪、内部は杉が切られ見通し好、周囲に土塁高し、北東側の土塁は櫓台か?幅広、裾に石垣が散見される、北東側土塁に登り、本曲輪と外の堀を覗く、北西隅に井戸がある。
虎口から南西外の土塁と水堀?水溜まり?の確認、第一外周の堀も確認南西側、戻って虎口か北西の堀を外土塁を歩き一周する潅木が伐採され歩ける但し切株が鋭く登山靴安全靴お薦め、堀と本曲輪の高土塁も確認、北側、東側2条の土塁堀を確認、南西に進み先に見た水堀辺りから南西に3条の堀を確認、段々浅く成ってる。
見応えは在りますが樹木、小竹藪で鬱蒼としてます、終わって登城前に散歩されてる老婦人に訪ね聞き及んだこの近く道路開発時に発見された墓石が柏原城水路前に在るのでそこも見学されるとと言われ、登城畦道一本南東に五輪の墓石、墓石が整然と並び祀られてる往時の物なのかは分からない、案内板も無し。
歴史:天正9年(1581年)織田信長の第二次伊賀征伐織田軍3万数千人対伊賀土豪1600余人の伊賀征伐最後の戦い、最後までよく立て籠もり織田の大軍と奮戦した由緒ある城郭。(案内板、赤目まちづくり委員会の抜粋)
ただ実感として柏原城に1600余人も入れるのだろうかと思ってしまいますが?
伊勢から伊賀に入ると標高が高いのかまだ山桜、枝垂れ桜も見られ若葉が芽吹きだし萌黄色の美しさ天気も良く花や若葉が陽に輝き美しい伊賀の山野を五感で体験できました、良い時期の城廻りでした。
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2021/04/20 14:29
岡崎城! (2021/03/29 訪問)
桜が見事で、天守閣と映えていて良かったです。
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2021/04/20 06:24
都区内5城巡り③:練馬城 (2021/04/16 訪問)
都区内5城巡り3城目は練馬城です。
豊島園駅より徒歩2~3分位でどんぶり坂(伝練馬城堀遺構)付近(35.742306、139.646872)に着き、その後、豊島園跡(35.743154、139.647347)に向かいました。
築城年代は不明ですが、14世紀末頃に豊島氏が石神井城の支城として築いたものと考えられています。
また、この城にはかつて「矢野将監」という者がいて(時期不明)、「矢野屋敷」「矢野山城」とも呼ばれていたそうです。
そのほか、「海老名左近」という者がのちにこの地または北側の谷に居を構えた、との伝説も残されている。
なお、『豊島名字之書立』(『米良文書』年月日不詳)には豊島一族の者として「ねりまひやうこ(=練馬兵庫)」「ねりま弥次郎」の名が記されているが、この人物と練馬城との関係は詳らかではないようです。
2020年8月31日に閉園した遊園地「としまえん」は、当初遊具を備えた城址公園として開園されており、その名は豊島氏にちなんで付けられたものだそうです。
豊島氏は1476年(文明8年)に勃発した長尾景春の乱において、長尾景春に同調して山内・扇谷両上杉氏と戦います。
この乱において、両上杉方の江戸城と河越城の間に位置する練馬城は、近隣の豊島氏の城である石神井城とともに、両城の連絡を遮断する役割を果たしたようです。
翌文明9年(1477年)4月13日、扇谷上杉氏の家宰太田道灌は江戸城を出発し、練馬城に矢を撃ち込むとともに周辺に放火した。
これをみた練馬城主の豊島泰明は、石神井城にいる兄・泰経(ただし「泰経」「泰明」の名に関しては、当時の史料には「勘解由左衛門尉」「平右衛門尉」との官途名の記述しかなく、実際にそう呼ばれていたか否かは不明である)に連絡を取り全軍で出撃、道灌もこれを引き返してこれを迎え撃ったため、両者は江古田原で合戦となりました(江古田・沼袋原の戦い)。
戦いの結果、豊島方は泰明ほか数十名が討ち死にし、生き残った泰経と他の兵は石神井城へと敗走することになりました。
この戦いについては、「道灌があらかじめ江古田原付近に伏兵を潜ませた上で、少数で挑発行為を行い、豊島方を平場におびき出した」とする説が有力だそうです。
練馬城がその後どのようになったかは明らかとなっていないが、城主の討ち死にや、従兵の石神井城への敗走により無人となり、そのまま廃城に至ったものとも考えられています。
なお、以前は道灌が最初に攻めた城は「平塚城」とされていたが、現在は「練馬城」とするのが新たな通説となっているそうです。
発掘調査で地中に空堀跡が確認されていますが、地表には遺構は残っていないそうです。
どんぶり坂に何か遺構があるかなと期待して行きましたが、向山庭園以外、何もありません。
としまえんには閉園までに一度きたかったのですが、叶わずです。
攻城時間は10分くらいでした。
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2021/04/19 11:57
「厩橋城」 (2020/03/29 訪問)
<オススメ>★★★★☆
前橋城は、長野方業が築城したとされる。徳川家康の関東移封に伴い、譜代の家臣である平岩親吉が厩橋城に入る。関ヶ原の戦いの後、甲府藩に移された平岩親吉に代わり、酒井重忠が厩橋城に入り、大改修し、近世城郭へと変貌させ、3層3階の天守も造営された。酒井氏が転封になると、松平朝矩が入封する。戊辰戦争では新政府軍に忠誠を誓い、会津戦争に参戦した。現在、土塁等が遺されている。
<アクセス>
JR前橋駅 徒歩 20分
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2021/04/19 11:34
「石倉城」 (2020/03/29 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
石倉城は、長尾憲景が築城したとされる。長尾憲景は、白井長尾氏・景誠が殺害されたため跡を継ぐ。1560年、長尾景虎(上杉謙信)が関東に侵攻した際に白井城で迎え、小田原攻めでは子の憲春を出陣させる。上杉氏の傘下に入り、後北条氏と戦う。上杉謙信の死後、武田氏が上野に侵攻すると一時的に傘下に入るが、武田氏の撤退に伴い、後北条氏に従う。1582年、織田家重臣・滝川一益が厩橋城に入ると、従属する。本能寺の変により滝川一益が厩橋城を離れると、後北条氏に従ったとされる。その後、廃城となる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
JR前橋駅 徒歩 30分
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2021/04/19 11:23
「伊勢崎陣屋」 (2020/03/29 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
伊勢崎陣屋は、稲垣長茂が立藩した。稲垣長茂は、徳川家譜代の家臣である牧野康成の与力として各地を転戦し、駿河・興国寺城、上野・大胡城などを守備した。徳川家康の関東移封後、1万石を加増され伊勢崎に陣屋を構えた。その後、譜代の酒井忠能が入封し、幕末まで続く。戊辰戦争では酒井忠強が新政府に忠誠を誓ったとされる。現在、移築陣屋門が同聚院に遺されている。
<アクセス>
JR伊勢崎駅 徒歩 10分
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