千賀地氏城を終えて東に約6km程の丸山城を目指す、天正伊賀の乱1次2次と火付け役舞台となった山城なので登城して観たいと思って居りNHKBSプレミアムで英雄たちの選択で放映され今回の伊勢・伊賀未踏の城廻りで期待していた城の一つ。
情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さんに依る、登城ルートは城郭放浪記さんの丸山集会所、南からの登城。
駐車場:丸山集会所駐車場(N35°41'59" E136°09'41")
概要案内:集会所前の道から案内指示板が有り指示に従い民家横の南側登城口、案内指示標柱、緩やかな坂道を登って行く、左右には曲輪の跡を思わせる地形、最初の広い曲輪に出る北側に祠が祀って有る出丸かな?、北に向かって緩やかな尾根道を登る、道筋には曲輪のような地形、急な坂道に成り粘土質の土と落ち葉で滑りやすい、虎口を二ヶ所通り本丸へ、虎口の左右には曲輪群小竹藪状態で突入できず、本丸内も小竹藪状態入れない、天守台に城名石碑が建ってる、南下に小曲輪何か祀ってる宝篋印塔、堀底道を南降り西尾根曲輪群へ縄張図も無く途中まで行き引き返す、広い曲輪、縊れた処には土橋と左右に竪堀、来た登城路を駐車場に戻る。
古城盛衰記さんは西からの登城路で西の丸、西尾根、本丸のルートを案内されてる、城郭放浪記さんは南から登城路で南尾根、北尾根本丸、西尾根を周回探訪されてる。
全山を城郭に築き上げた大城郭です、登城路は歩けますが道以外は小竹藪潅木状態でちょっと入り込めません、天守台、宝篋印塔の有る曲輪は整備されてますがせめて本丸の藪は整備頂けるとありがたいのですが?
歴史:北畠氏の養子となった織田信長次男信雄が伊勢を掌握し伊賀を狙い天正6年(1578年)家臣滝川雄利に丸山城を修築を命じた。壮大な城郭で有る事を知った伊賀の土豪衆は完成までに攻撃すべしと総攻撃を仕掛けた、不意を突かれた滝川氏は混乱敗走。
翌天正7年(1579年)信雄は8千の兵で伊賀を三方から攻めるが伊賀土豪衆の抗戦に敗走。(第一次天正伊賀の乱)
激怒した信長は天正9年(1581年)信雄を総大将に5万の兵で伊賀を侵攻し1週間ほどで伊賀の国を制圧。(第二次天正伊賀の乱)
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