勝見城から転戦。車で20分くらいで庁南城付近に着きました。
ナビの指示は籔の斜面を上がれ。ちょっと無理なので断念。一応、付近まで行ったので攻城とさせて頂きました。
跡で再調査したところ、ケアハウス「びおとうーふ共生会」の駐車場(35.399468、140.237194)に駐車して妙見神社を目指すようです。
ナビに従うと、自分のように籔の斜面上がれになるので無視してケアハウスから山を目指すようです。
トーダイさんの城メモを参考にしてください。(攻城時の自分は城びと入会前だったので、参考にできませんでした。残念です。)
庁南城は武田信長が真里谷城とともに上総支配の拠点として1456年(康正2年)に築いた城です。
上総国武田氏の武田信長は1456年(康正2年)下総国市河合戦のときに庁南城と真里谷城を築き、庁南城には信長の嫡子武田信高が入り、その子武田道信が庁南武田氏の祖となりました。
庁南武田氏はその後代々続き、真里谷武田氏が衰退した後は池和田城や勝見城を支城として、上総国を代表する勢力となりました。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」で北条氏とともに滅亡しました。
最後の当主、武田豊信は武田信玄の三男といわれていますが不明だそうです。
城趾は「長南城太鼓森」として町史跡に指定されており、上総武田氏の菩提寺である大林寺には武田氏累代の墓があるそうです。
攻城時間は15分くらいでした。(投稿できる写真はありません)
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