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1206年頃、慶円上人が創建したとされる。三河一向一揆では、上宮寺・勝鬘寺とともに三河三ヶ寺として徳川家康と対立した。諸説あるが家康配下の侍が寺内の不入権を侵したことが発端となり起こったとされる。一向門徒であった家康の家臣の一部が離反し、寺院に籠城した。門徒連判状に武士門徒115名が署名するなど、徳川家康側は苦戦したとされる。1564年、小川の戦いで門徒側は敗走し、空誓上人が逃走し、一時廃寺となった。江戸時代になると、徳川家綱の将軍就任にあわせて拝謁。以降、江戸幕府と尾張徳川家の代替わりごとに拝謁を行っていたことから、他の三か寺と同様に両家と密接な関係を持っていた。本證寺の 境内は国指定史跡となっており、二重の堀と土塁に囲まれるなど城郭的防備に主眼を置いた伽藍配置になっており、横堀(水堀)や鐘楼等が遺されている。
<アクセス>
名鉄西尾線 南桜井駅 徒歩20分
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