吉田城は1505年、牧野古白が戸田氏に対抗するため、今橋城を築城したのが始まりとされ、戦国期には今川・徳川・武田の争奪の地で戦いが繰り返えされました。
1564年松平元康(徳川家康公)が今川方の吉田城を攻略し、城主に酒井忠次を城主に据えています。酒井忠次は新たに堀などを堀り、吉田城と改名しています。家康公が関東移封後は、羽柴秀吉配下の池田輝政が15万2千石で入封し、吉田城を15万2千石に相応しい大改造を行い、近世城郭へと変えようとしましたが、関ヶ原合戦で手柄のあった輝政は未完成のまま姫路へ転封。以降は、3万石から8万石の譜代大名が吉田城へ入りましたが、小禄であったため、完成を見ず明治維新を迎えました。
現在、豊橋公園として市民の憩いの場所として、親しまれておりますが、鉄櫓(復興)・曲輪・土塁・石垣・堀などが残り、当時を偲ばせています。アクセスとしては、JR豊橋駅から市電で5分、市電市役所前から徒歩5分で豊橋公園に着くことができます。また、公園内に無料駐車場もあります。続100名城のスタンプは鉄櫓内(無料 火~日曜の10時~15時まで開館)または、市役所東館内に置かれています。
昨年、輝政時代の石垣が見つかったということで、見に行ったのですが、雨で堀底がぬかるみ早々に退散したことがら、年明けに行ってきました。
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