JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目の8城目は社山城です。
大平城から転戦。分岐点付近(34.820726、137.853374)から、登り口付近(34.817664、137.854167)方面に向かい、終点で駐車しました。
築城年代は不明ですが、平安時代に参議中将・藤原友実の子・鷺坂則実が築いたと伝わります。
1476年、今川義忠に降った二俣氏が社山城に在城(この時築城説もあり)
1500年、斯波義寛は弟・義雄を社山城に置き、遠江攻略の拠点としました。
1501年、今川氏親に攻められ、斯波義雄は二俣に退却。
1503年、二俣昌長に謀反疑惑が生じると、二俣城に戻されたそうです。
1506年、二俣城に今川一門の瀬名一秀が入ります。斯波義寛と今川氏親の遠江争奪戦で、社山城は斯波軍の拠点となっていたようです。
斯波氏と今川氏の戦いは1517年まで続き、今川氏親の勝利で幕を閉じました。細かい時期等は不明ですが、匂坂氏は今川家臣として存続しています。
1532年、匂坂長能は本領の匂坂に城を築き、社山城には菅沼定平が入りました。
今川氏の没落後に徳川家康と武田信玄が遠江の支配をめぐって争った際に、遠江の覇権をめぐる戦いの舞台となります。
その後、天正年間に家康が駿・遠両国を征すると、この頃に廃城となったと考えられています。
現在城址は「社山公園」として整備されており、山頂の本丸跡には八幡神社があります。
また遺構の保存状態は良好で、堀切や土塁がよく残っており、堀切の土橋は、これぞ土橋という、見本のような感じでした。
攻城時間は20分くらいでした。
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