本丸高土塁天守台見応えが有ります
(2015/05/09 訪問)
昨今の武漢コロナウイルス第2波、熱中症等の警戒中出ずらい日が続いてますので5年前の登城探訪を投稿します。
平成27年5月伊豆韮山反射炉世界遺産登録に合わせ駿河興国寺城、伊豆長浜城、伊豆韮山城、韮山代官所、江川邸、韮山反射炉、蛭ヶ小島と探訪巡りました。
東名富士ICを降りて県道22号線富士三島線を東進、興国寺城の大看板が有り交差点を過ぎて直ぐに北、城内に入る車は本丸東の駐車エリアに停める。
本丸北に馬蹄形で高土塁が構えてる、高土塁中央に天守台、天守台石垣、北奥に天守台が張り出し横矢掛り、その北奥に大堀切、大空堀、北曲輪、さらに北に新幹線が走ってる、馬蹄形高土塁、大堀切、天守台石垣の揃いが素晴らしく見応え有り感激、南に二の丸、三の丸、県道22号線に切断された三の丸の土塁が弧状に残ってる、展示古地図を見ると東に蓮池(現在は湿地田)で守り西、南は濠で固めてる様子が伺える、富士山愛鷹山からの舌状大地傾斜地南端の平城。
歴史的には皆さんご存知の伊勢新九郎(北条早雲)が今川の家督争いに貢献しこの城を与えられる、後新九郎は足利将軍擁立と連動し伊豆堀越公方の子足利茶々丸を滅ぼし伊豆国領主となり韮山城に移った。
以後興国寺城は今川氏、北条氏、武田氏の抗争に明け暮れ、武田氏滅亡後は徳川氏、徳川氏関東移封後は豊臣家臣中村一氏と移り武田、徳川、中村と大きき改修が有ったと思われる、天守台石垣は中村一氏の時代か?
静岡県にも平城で規模の大きい見応えの有る土の城が有り高速からも近く北条氏海賊の城長浜城と合わせて城探訪如何でしょうか?
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