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昌官忠

次男と二人で1泊2日の関西遠征② (2018/09/22 訪問)

次男と二人で1泊2日の関西遠征の2城目は大和郡山城です。続100名城スタンプは「柳沢文庫」で押しました。

和歌山城からの転戦です。大和郡山城は筒井順慶によって築かれた城で、秀吉の実弟である羽柴秀長の居城となりました。徳川時代には譜代大名が歴代城主を務め、柳沢吉里が入封後は柳沢氏が明治維新まで居城としたそうです。

攻城ルートは鉄御門跡➡水掘と遠く東隅櫓を見る➡表門跡➡竹林門跡➡柳澤神社➡厩向櫓跡➡埋門跡➡天守台➡柳沢文庫で続100名城スタンプ押印➡毘沙門郭跡➡久護門跡➡追手門➡城址会館➡追手門/追手向櫓➡陣甫郭跡➡鉄御門跡➡柳御門跡➡近鉄郡山駅。
大和郡山城の中心部分を見学しましたが、時間の都合上(膳所に向かう列車の都合)、西側部分を見ていないので80点というところです。

見所は天守台の野面積みの石垣です。説明板によると自然石の他に石仏や礎石、墓石などの転用材が多く使われたようですが、探し方が悪いのか自分には石仏/墓石が明確に見つけられませんでした。
あとは復元物ですが、追手門/追手向櫓/多聞櫓や東隅櫓がいい味出しています。攻城時間は60分くらいでした。

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昌官忠

次男と二人で1泊2日の関西遠征① (2018/09/22 訪問)

「次男と二人で1泊2日の関西遠征」の1城目は和歌山城です。100名城スタンプは天守閣の受付で押しました。
今回の遠征は自分の誕生日(9/22)にあわせて、次男が城好きな私に付き合ってくれた二人旅です。

和歌山城は2回攻城しています。1回目が今回で次男と二人で天守付近を中心に攻城しました。
2回目は今回の2カ月半後に「クラブツーリズム関西2府4県ぐるっと日本100名城完全制覇5日間」ツアーで攻城。(すでに投稿済です)

今回は関西遠征ということで、和歌山駅でICOCAカードを購入しました。(後で知ったのですが関西エリアでもPASMO使用できました。➡今回の遠征での残高分は次回以降の遠征で使用し、記念にICOCAカードは今も持っています)
和歌山駅から和歌山バスを利用して市役所前で下車して攻城。

攻城ルートは西の丸跡➡砂の丸跡➡護国神社➡新裏坂を登る➡天守閣➡天守閣内部を見学➡新裏坂を下りる➡不明門跡(説明板が歪んでましたが、もう修理されていますかね)➡南の丸跡➡岡口門➡岡中門跡➡表坂前を通る➡伏虎像➡一中門跡➡大手門/一の橋➡外に出る。
(後で確認すると西の丸庭園と二の丸跡、御橋廊下を見学していませんでした。➡2回目の攻城時に見学しました)

やはり、連立式天守がいいですね。個人的には遠くから見る天守の方が好きです。石垣も野面積み、打込み接ぎ、切込み接ぎが確認でき、新裏坂周辺では石垣の刻印もいくつか見れました。
あとは旧藩時代の遺構である岡口門、徳川家が建造した二階建ての門。重厚な感じを醸し出しています。攻城時間は90分くらいでした。

帰りは市役所前から和歌山バスで和歌山駅に向かい、天王寺駅を経由して郡山駅に向かい、郡山城に行きます。

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todo94

リーフレットゲット (2020/11/08 訪問)

明智光秀出生地を争う恵那市明知町の明智城(白鷹城)に比べると城としての魅力は遥かに劣るのですが、人出はこちらの方が多かったです。明智光秀博覧会会場の花フェスタ記念公園駐車場から徒歩でアプローチしましたが、大勢の観光客が行き交っていました。明智光秀の銅像をチェックできたし、第3回お城EXPOでゲットできなかったリーフレットを兼山城のスタンプ置き場でゲットできたので、言うこと無しです。

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キンヤ

発掘調査と整備がされ、畝状竪堀などの遺構がよく残る山城 (2016/01/10 訪問)

城びとで投稿がお一方のみでしたので、2016年に行った時のもので恐縮ですが投稿させて頂きます。

戦国時代に野辺氏の居城とされ、和歌山県では規模の大きい城です。

道の駅みなべうめ振興館には、よく造られた復元模型が展示されています。

麓から畑沿いに、かなり急な坂道を登って行きます。
行きは、まだよいですが、帰りは滑り落ちそうになりますので注意が必要です。

北東側から城域に入っていくと何本かの大きな堀切があります。

北側にある畝状竪堀が見事で、綺麗に残っていました。

主要部は発掘調査で木が伐採され、その後、定期的に草刈りがされているようで、地元の方に感謝です。
時期によっては草がボウボウらしいですが。

山頂の主郭まで4段位の曲輪が連なっています。

刈られた草が長年置かれているせいか、切岸や横堀が丸まっていたり、虎口が分かり辛いですが、見晴らしが良く気持ちのいい所でした。

平須賀城は、今まで行った和歌山県でも、かなり素晴らしい山城だと思いました。

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カズサン

【日向穆佐城】宮崎県宮崎市 何と縄張図は千田教授作画❕ (2020/11/22 訪問)

 日向、薩摩、大隅の投稿が清色城投稿で一応終りますので「日向穆佐城」の縄張図作画が奈良大学教授千田嘉博氏との事を報告しようと鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第5城目の投稿に記載してませんでしたので今回投稿しました。前回投稿しなかった写真を掲載します。
 千田教授と一緒に成って穆佐城保存会の方々と綺麗に保全され皆に愛され歴史に誇りを持ち訪ねやすい山城を目指してほしいと思ってます、ホントに登城しやすい良い城です、また登城時には保存会の方にお世話に成り感謝です。

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赤い城

獣除けの柵を越えて直登 (2020/12/05 訪問)

蓬山ビレッジセンターの裏手に城址があります。
職員さんに聞いても「ここから行く人はいないよ」と。
めげずに獣除けの柵を越えて直登。
結構な急斜面でした。
途中からハイキングコースの跡があり、尾根筋を進むと主郭にたどり着きました。
主郭は狭く、西側に堀切と土橋もあり、さらに尾根伝いに進むと堀切もあります。
全体的には簡素な造りで戦国期の佐野氏の出城とも考えられています。
麓のレストランでちょうど新そばの季節。
美味しいざる蕎麦を頂くこともできました。

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カルビン

石和陣屋・本陣 [山梨県笛吹市石和町市部721−5] (2014/11/01 訪問)

JR中央本線石和温泉駅から南に1㎞程の場所・石和南小学校の門の脇に石和陣屋の石碑と解説版があります。

当時甲府宰相だった徳川綱重によって造られ、その綱重が江戸に居住していた事から石和陣屋は代官所として利用されていた事が解説に書かれております。

合わせて石和陣屋から北にある県道302号線沿いには石和本陣の解説版と石碑があります。

名前は似ておりますが、こちらは高遠城城主だった内藤大和守が参勤交代の際の休憩所として本陣を設けたもので、徒歩5分圏内の近場ですが一応別物としてカウント出来そうです。。。
ま、どちらも遺構が残っている訳では無いのでセット扱いで問題無いですが(^ω^;)


石和温泉駅からは徒歩圏内に、武田信虎が躑躅ヶ崎館を本拠地にする前に拠点としていた川田館、城びとにも登録されている八田家書院、更に武田勝頼の後妻である北条夫人が嫁入りの際に持ちこんだ遺愛の松、更に駅からちょっと距離ありますが、武田晴信の弟で影武者をやる程晴信に似ていたとされる逍遥軒こと武田信廉のお墓のある逍遥院等、史跡が沢山あるので、1日かけて史跡巡りされるのも良いかと。

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カニカニ

所用にかこつけた城巡り 4城目 (2020/11/14 訪問)

前日は 移動と、 ”昭和の町” 豊後高田市、と 温泉の 純然たる観光で過ごした。
近いという事で、角牟礼城へ

豊後森藩資料館駐車場に着くとすぐそばの三島公園で小学生高学年と父兄たちが朝礼をしている。
どうやら本丸まで歩いて登るようだ。

森藩陣屋跡(三島公園)庭園の紅葉と石垣を観賞しつつ、9時開館と同時に資料館に入る。
係りの方から懇切丁寧な説明を拝聴し、村上海賊との関係や来島家が豊後の地に来たいきさつ、
秀吉や福島正則との関係など大いに勉強になりました。  ありがとうございました。
ちなみに地名の”牟礼”の意味を伺ったら、古代朝鮮語で”山”や”丘”を意味するとの事でした。
日本各地にあるということは、はるか弥生の昔から渡来人が住み着いた証なんですね。

下から登るか、三の丸駐車場まで車で行くか迷った挙句、楽な方を選択。
いまこうして自宅に戻り、城びとの皆さんの投稿を拝見して大失敗したことを知りました。
下から登って行った方が、見どころ満載でした。 

三の丸駐車場では本格的な大型ビデオカメラやドローンを持っている人たちがいた。
町の観光ピーアールで甲冑を纏った武将隊の面々が来るので、撮影係りで待機しているそうな。
間近にみるドローンに興味をそそられ、しばしテスト飛行を見学の後、登城開始。
(三の丸の石垣は、車やら撮影機材やらが映り込み、良くないので掲載なし)

(伝)三の丸では破城の痕跡なのか、石がゴロゴロ転がっている。
竪堀を横目に穴太積み石垣、(伝)水の手曲輪の長い石垣を見つつ(伝)搦手門跡へ。
資料館で頂いたパンフには(伝)搦手門跡と書かれているのに、大手門跡の案内板が。
頂いたパンフを見ると、以下のように読み替えをするようにシールが貼ってあった。
 表記   読み替え
(伝)本丸 → 本丸
(伝)二の丸 → 二の丸西曲輪
(伝)大手門 → 西門
(伝)搦手門 → 大手門
搦手が大手に出世したわけだ。
二の丸を歩いていると、ブーン・ブーンと羽音が。
スズメバチのテリトリーに入ってしまったかと身構えるも、音はすれども何とやら…
三の丸上空のドローンであった。

本丸へ行く途中の(伝)大手門跡⇒西門枡形虎口は、かなり荒れていて立ち入りを断念。
その本丸には低い土塁が巡り二の丸や三の丸のような石垣や枡形虎口で防御されておらず
その単純な造りに中世城郭の趣きが感じられる。
ただ北側の斜面は石垣で造られていた。

駐車場に戻ると、女武将もいる本格的な武将隊が十人ほど勢揃い。
なかでも大将は黑一色の胴具足で、面頬までもが黒の ”目の下頬” で固めている。
「弥栄・弥栄・弥栄」 と三唱し、皆で気勢を上げながら勇躍登城していくのを見送った。

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いんげん丸虫

秀吉の家臣、中村一氏が築城 (2020/11/21 訪問)

駐車場もあり、看板も要所に設置されてます。
曲輪跡に児童公園があったり家族で遊びに来てる方もいます。本丸の北には石垣も見られます。現在は少し崩壊しているようで立ち入り禁止の箇所がありますね。

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カズサン

入来麓 (2020/11/24 訪問)

 続いての投稿です、元和の一国一城令で廃城後、入来麓侍屋敷群を築きこの地区の行政の中心地として明治まで続く、入来麓の写真を投稿いたします。
 重要伝統的建造物群保存地区に指定され江戸期の風情をよく残されゆったりまったりとする時を過ごせます。

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カズサン

大手虎口の垂直堀切が圧巻 (2020/11/24 訪問)

 大隅半島の高山城を終えて桜島フェリーまで戻るこの間2時間の観光走行、桜島の直近、裏表、洋上で桜島を眺める事が出来ました、昼飯はGoTo地域クーポン券で買った弁当を桜島を眺めながら船上で美味しく頂きました、次は今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り17城目入来の清色城を目指す、フェリーを降りて鶴丸城御楼門の前を通り車窓見学し国道3号線を北上、途中に国道328号線を出水方向へ約1時間超、入来麓郵便局通り樋脇川を渡って直ぐに入来麓観光駐車場が在るここに駐車、トイレは前の薩摩川内市入来支所外のトイレ完備。 ガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん古城盛衰記さんに依ります。

 先ずは清色城山城部を目指す、入来小学校を通り北側の通りを山側に清色城の案内板,横に杖が備わってます、案内に従って大手虎口へ写真で良く眺めていたシラス台地を切り刻んで垂直で人一人が通れる深く高い堀切、なんか懐かしく興奮状態、良く刻んだものです、虎口横の松尾城曲輪が在るのですが登城路が急峻で登りが危険状態、断念し本丸を目指す、その間もシラス台地の深い堀切の中、本丸の登城路は2段に成っていて最初の階段はなんとかセーフ、中段踊り場から本丸までの丸太土の目階段は急峻で階段が一部崩れて居り二段跳び張って有るロープとストックでやっと登れてクリア、ちょっと危険です。
 本丸を見学してたら若い女子学生が登って居たので訪ねると中の城下の別ルートで登ってきた様子余湖図コレクションさんの俯瞰図を携帯して居たのですが細かい所は分からないので中の城とその下から入来小学校の北西に降りるルートで下城、シラス台地の狭く深い堀切を体験探訪出来ただけで十分満足です。
 入来麓を見学し入来支所で清色城、入来麓の資料、パンフレットを頂き1時間半滞在。

 歴史的には、鎌倉時代相模国の渋谷氏が地頭職として入来へ入部し入来院と名乗る、清色城を築き居城とし島津氏と抗争も有るが降伏従い、城は元和の一国一城令で廃城、以後城下に入来麓御仮屋で明治まで統治する。(パンフレット抜粋)

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花倉の乱 (2020/12/10 訪問)

 本曲輪および二の曲輪を中心に東西南北に細い曲輪などが展開している縄張りとなっています。東から登城になりますが、すぐに土橋があり、そこを過ぎると上り坂となります。本曲輪近郊には堀切や竪堀があり楽しく散策できます。北側は土橋のように細い尾根ですが、先には曲輪と思われる跡があります。堀切もあったようですが、そこまで行っていないかもしれません。南側は比較的広い曲輪があり下りて行くと右手に堀切を認めます。西側は階段状に曲輪が展開しています。下山後、縄張り図を見ると井戸跡があったようですが確認できていません。よく手入れされていて標識もあり比較的歩きやすい城址です。
登城口までは舗装された農道があり車でも行けますが、もよりのバス停から歩くと登城口まで1時間近くかかると思います。

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しろちゃん

有馬城山【神奈川県川崎市宮前区有馬5丁目】 (2020/11/17 訪問)

この有馬城山の歴史に出てくるのは、日本城郭体系に『新編武蔵国風土記稿』によれば、有馬村の北にあり、恐らくは北条家臣の窪田又五郎が城跡とされている。また『小田原衆所領役帳』には、北条家臣の御馬廻衆で、小机衆に属している。

城跡は、日本城郭体系では、鷺沼駅より南東へ800mの地点で、有馬川の北側の高台にあり、高台へ登る道は、周辺の道よりも傾斜があり、城跡を偲ぶ事ができます。宅地造成によって10m位削られて、現在では、住宅地と畑になっており遺構は残っていません。
今は、地元の方が作った小さな看板が、畑に面した道路に立っています。

目安は、ライフ有馬5丁目店の北側の高台が城跡になります。

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昌官忠

信州日帰り攻城⑤ (2018/10/07 訪問)

信州日帰り攻城の5城目(ラストです)は高遠城です。高島城からの転戦です。
高遠町歴史博物館の駐車場(35.830511、138.063443)に駐車し、高遠町歴史博物館で100名城スタンプを押印しました。

高遠城は2回目の攻城です。1回目は2017/4/9にクラブツーリズムの「信州8つの桜吹雪」で桜を見るツアーです。(この時の攻城分は別途、投稿します➡その時、桜はまだ蕾で咲いていませんでしたが)
2回目は今回の攻城ですが、レンタカー返却と帰りのJR特急あずさ26号(だったと記憶しています)の時間が迫っていた為、高遠町歴史博物館前の「保科正之公像」の写真を撮って、茅野駅に向かいました。攻城時間は5分くらいでした。
桜の時期に再訪したいと思います。(コロナの終息を願います)

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昌官忠

信州日帰り攻城④ (2018/10/07 訪問)

信州日帰り攻城の4城目は高島城です。上原城からの転戦です。
昼食をとっていなかったので、ファミリーマート諏訪高島城前店の駐車場(36.038504、138.113043)に駐車し、お弁当を車の中で食した後、攻城しました。

高島城は2回目の攻城です。1回目は2017/4/9にクラブツーリズムの「信州8つの桜吹雪」で桜を見るツアーです。(この時の攻城分は別途、投稿します➡その時、桜はまだ蕾で咲いていませんでしたが)
2回目は今回の攻城で、前回攻城時に天守内は見学済でしたが、続100名城スタンプ押印の為、再度天守1Fへ行きました。

城の際まで諏訪湖の水が迫り、古城に浮いて見えたことから別名「諏訪の浮城」と呼ばれていたようですが、水掘沿いに天守の写真を撮ると気分が高まります。この風景に桜が加わると、きっと綺麗なんでしょう。桜の時期に再訪したいです。ざっと城内を見て回り撤退。攻城時間は15分くらいでした。

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todo94

リーフレット (2020/11/08 訪問)

この城のリーフレットも第3回お城EXPOにて頂いてあったので攻城を楽しみにしていました。大森公民館に車を駐め、大森神社からアプローチ。壮大な横堀は見応えがありました。説明板やリーフレットに縄張図が載っている吹ヶ洞砦はアプローチの仕方がわからずスルーしてしまいました。

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take

千本城(上総 千葉県君津市) (2020/12/06 訪問)

男坂から登城すると大堀切が見られます。
圧巻です。

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赤い城

主郭は保育園 (2020/12/05 訪問)

赤見城保育園が主郭跡。
保育園が休みの時は駐車場に停めれるようですがそれ以外でも1台分の駐車スペースがあります。
その価値が判るかどうかは別として園児はうらやましい限り。
高い土塁と二重堀に囲まれています。
外郭もあったようですが住宅地と農地になっていました。
戦国期には唐沢山城の支城として機能していたようです。

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ねりきり

アプリを捨てよ、城に行こう (2020/11/29 訪問)

安土城郭資料館→レンタサイクル→信長の館→安土城考古博物館→安土城の順で回りました。所要時間はゆっくり回って4時間半でした。


VRアプリを準備して登城しましたが、復元された映像が凄すぎる!あくまでも個人的な意見ですが、自分で想像を膨らませる方が楽しいのでは?と思い、途中からVRを頼らずに短命で神秘的な城をイメージしながら堪能しました。
(⚠️決してアプリを否定する訳ではありません。今後も要所要所で使わせて頂きます🙏)

城の成り立ちを知るほどに、ただただ稚拙な表現で『信長すげー』と凡人の私は呆然としてしまいました。

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カズサン

肝付氏400年の堅城 (2020/11/24 訪問)

 宿泊先の鹿児島市から陸回りですと遠回りですので桜島フェリーを利用して垂水経由ショートカットして高山城を目指しましたフェリー代往復3,960円掛かりますが距離は半分で済みます、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第16城目、ガイドは何時もの古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに依りナビは鹿児島県肝属郡肝付町新富9120の旧小学校跡地に合わせる、約2時間超大隅半島の南部で薩摩半島に在る知覧城と大隅半島の高山城はシラス台地の群郭式山城の双璧です。
 旧小学校手前高山川東に高山城石碑が有り小学校跡地は黄色く銀杏の木が色付いてる、跡地には消防関係、公民館が有る、トイレも一応あるが古式、車は十分駐車可能。
 小学校跡地の北に案内図解説板、北に枯れ葦原に馬乗馬場跡、三の丸、赤い矢印、大手口杉林の城域に入って行くここから結構奥行くが深い、球麻屋敷、大来目神社、堀切の道を登り大手門跡、山伏城、枡形、本丸と二の丸の分岐矢印有り、本丸に進み、本丸前段曲輪が左右に分かれ相互に横矢掛り、突き当りが枡形虎口右に回って本丸に本丸は広い南、東、北に土塁が包む東を望むと急な崖下に高山川が見下ろせる、本丸を降りて本丸群と枡形城の間の堀切を北に大堀切の馬乗り馬場、東西に長い、本丸、二の丸分岐点から二の丸へ搦手口から回り込む道すじ、降って登る、また戻って来る様子なので二の丸は断念する、来た道を戻り小学校跡地へ約1時間超のシラス台地の山城を堪能しました素晴らしい城郭です、勿論私一人です他に登城者無し。

 歴史的には大隅、肝付氏は武門の名家、平氏の流れで平安期から400年間大隅国の最大領主、島津氏との抗争、籠城戦も耐えるも天正元年(1573年)落城、その後も領地は縮小するが高山城には居城、天正8年(1580年)薩摩半島阿多(南さつま市)に移封され高山城は廃城、近くの現肝付町役所辺りに高山麓が設置され行政の中心地に明治まで続く。(古城盛衰記さん抜粋)

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