約1250年前に、朝鮮半島の備えの為に造られた古代城だそうです。
3年前から気になっていて高祖城との関連を調べながら機会を伺っていました。訪問ルートは把握出来たが訪問時間が曖昧でした。そこで行き着いたののはYAMAPアプリ、そこにルートが載っており大まかな時間も把握することが出来ました。登山アプリは情報の少ない山城のルートを調べる事が出来るので割と重宝しています。但し登山道が整備されている場所に限ります。
訪問参考データ:3時間35分:7.9km:累計高低差506m
マップ左上辺りにある高台寺公民館に駐車して、怡土城から高祖城に抜ける登山道を利用して高祖城からは一般道を歩いて戻りました。こちらは勾配も緩やかで歩き易いです。
望楼と呼ばれていて登山口より第五~第一まで残っていて、当時は建物があったようで基礎石が残っています。基礎石の残っている曲輪が五つ、尾根道で結ばれている曲輪群のイメージです。尾根道には所々石塁や石畳の名残と思わせるような跡が有り、左手には何本かの竪堀を見ることが出来ました。
第一~五の間に確認されているだけで2か所の陣(砦)となって高祖城の出城となって再利用されていたようです。第二望楼は高来寺砦、第一望楼は草野砦として望楼跡を使用していたそうです。2か所の存在は情報として持っていましたが、当日確認出来たのは草野砦だけでした。高来寺砦の正確な位置は帰宅後おさらい時間で知ったので見逃しています。(8~10の写真が草野砦)
総合的に考えると、尾根道にある石塁と石畳らしき名残と竪堀は高祖城築城の約770年前以降に施されたのかもしれません。興味を覚えたのは現在は望楼は五つだが、実は高祖城の位置まであと幾つか存在していて、築城時に飲み込まれて同一化されたのだろうという考察。文章を読む時はピンと来なかったが、自分の目で見て歩いてみるとすんなり理解出来て興奮してしまいます。(大土塁が高祖城域まで存在しているので高祖城の前身は怡土城だったと容易に想像できました。)
参考資料:城郭放浪記さん・福岡県中近世報告書
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