怡土城(いとじょう)は、天智天皇が対新羅の最前線基地「雷山神籠石」を築いてから約80後の奈良時代に入った756年、新羅が再び不穏な侵攻の気配を見せたため、孝兼天皇はさらに防備を固めようと、中国より帰国しその直後に九州へ下り大宰府小弐となった「吉備真備」(写真⑦⑧)に命じて、高祖山の北頂に築城された中国式山城であると、続日本紀には記されています。
またそれから530年後の鎌倉時代には、同じ高祖山の南頂に、原田種継が鎌倉幕府(北条時宗)の命で、元の侵攻に備え元寇防塁とともに高祖城(たかすじょう)を築いています。また豊臣秀吉が筑前を制圧した1588年、高祖城主であった原田信種(写真⑨)は所領を没収されましたが、加藤清正の家臣となり朝鮮出兵に同行したそうです。
高祖神社入口は、怡土城の鳥居口にあたり、石碑がありました(写真①②)。ここから徒歩で怡土城に登城して、第一望楼から第五望楼まで行けば往復5時間はかかりますよと博物館の方に言われ、ならば本格的な登山の準備が必要で、私の体力では無理だと思い断念しました。代わりに博物館で見た怡土城の説明の一部を紹介させていただきます(写真⑤⑥)。しかし過去の投稿を見て、零汰さんやRyuさんが走破されていたのには感心しました。
この糸島付近は、最近では朝の連続テレビ小説「おむすび」(地元の橋本環奈さん主演)の舞台でもあり、地元は盛り上がっているようです。
またこの一帯は、弥生から大和時代には「伊都国」があったと魏志倭人伝には記されている場所で、「伊都国歴史博物館」には銅鏡などの出土品(国宝)が数多く展示されていました(漢の倭の奴国か?)(写真③④⑩)。また怡土城や雷山神籠石の説明ビデオもあり、城の様子が分かりやすく解説されていますので、登城される前に寄って見られる事をオススメします。
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