いとじょう

怡土城

福岡県糸島市


旧国名 : 筑前

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①	怡土城碑と高祖山
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トク

対新羅最前線基地(3/3):怡土城 (2024/11/28 訪問)

怡土城(いとじょう)は、天智天皇が対新羅の最前線基地「雷山神籠石」を築いてから約80後の奈良時代に入った756年、新羅が再び不穏な侵攻の気配を見せたため、孝兼天皇はさらに防備を固めようと、中国より帰国しその直後に九州へ下り大宰府小弐となった「吉備真備」(写真⑦⑧)に命じて、高祖山の北頂に築城された中国式山城であると、続日本紀には記されています。

またそれから530年後の鎌倉時代には、同じ高祖山の南頂に、原田種継が鎌倉幕府(北条時宗)の命で、元の侵攻に備え元寇防塁とともに高祖城(たかすじょう)を築いています。また豊臣秀吉が筑前を制圧した1588年、高祖城主であった原田信種(写真⑨)は所領を没収されましたが、加藤清正の家臣となり朝鮮出兵に同行したそうです。

高祖神社入口は、怡土城の鳥居口にあたり、石碑がありました(写真①②)。ここから徒歩で怡土城に登城して、第一望楼から第五望楼まで行けば往復5時間はかかりますよと博物館の方に言われ、ならば本格的な登山の準備が必要で、私の体力では無理だと思い断念しました。代わりに博物館で見た怡土城の説明の一部を紹介させていただきます(写真⑤⑥)。しかし過去の投稿を見て、零汰さんやRyuさんが走破されていたのには感心しました。

この糸島付近は、最近では朝の連続テレビ小説「おむすび」(地元の橋本環奈さん主演)の舞台でもあり、地元は盛り上がっているようです。

またこの一帯は、弥生から大和時代には「伊都国」があったと魏志倭人伝には記されている場所で、「伊都国歴史博物館」には銅鏡などの出土品(国宝)が数多く展示されていました(漢の倭の奴国か?)(写真③④⑩)。また怡土城や雷山神籠石の説明ビデオもあり、城の様子が分かりやすく解説されていますので、登城される前に寄って見られる事をオススメします。
 

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零汰

1250年前の遺構 (2022/10/22 訪問)

約1250年前に、朝鮮半島の備えの為に造られた古代城だそうです。

3年前から気になっていて高祖城との関連を調べながら機会を伺っていました。訪問ルートは把握出来たが訪問時間が曖昧でした。そこで行き着いたののはYAMAPアプリ、そこにルートが載っており大まかな時間も把握することが出来ました。登山アプリは情報の少ない山城のルートを調べる事が出来るので割と重宝しています。但し登山道が整備されている場所に限ります。

訪問参考データ:3時間35分:7.9km:累計高低差506m

マップ左上辺りにある高台寺公民館に駐車して、怡土城から高祖城に抜ける登山道を利用して高祖城からは一般道を歩いて戻りました。こちらは勾配も緩やかで歩き易いです。

望楼と呼ばれていて登山口より第五~第一まで残っていて、当時は建物があったようで基礎石が残っています。基礎石の残っている曲輪が五つ、尾根道で結ばれている曲輪群のイメージです。尾根道には所々石塁や石畳の名残と思わせるような跡が有り、左手には何本かの竪堀を見ることが出来ました。

第一~五の間に確認されているだけで2か所の陣(砦)となって高祖城の出城となって再利用されていたようです。第二望楼は高来寺砦、第一望楼は草野砦として望楼跡を使用していたそうです。2か所の存在は情報として持っていましたが、当日確認出来たのは草野砦だけでした。高来寺砦の正確な位置は帰宅後おさらい時間で知ったので見逃しています。(8~10の写真が草野砦)

総合的に考えると、尾根道にある石塁と石畳らしき名残と竪堀は高祖城築城の約770年前以降に施されたのかもしれません。興味を覚えたのは現在は望楼は五つだが、実は高祖城の位置まであと幾つか存在していて、築城時に飲み込まれて同一化されたのだろうという考察。文章を読む時はピンと来なかったが、自分の目で見て歩いてみるとすんなり理解出来て興奮してしまいます。(大土塁が高祖城域まで存在しているので高祖城の前身は怡土城だったと容易に想像できました。)

参考資料:城郭放浪記さん・福岡県中近世報告書

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ryu

中国式山城、怡土城探訪(2014年) (2014/04/19 訪問)

高祖山登山を兼ねて怡土城遺構を探訪する。

怡土城は、高祖山(標高416m)の西斜面一帯に構築された古代山城で、斜面にたすき状(城郭が山頂部から平地部におよぶ)に構築された中国式山城。(鉢巻状(城郭が山の等高線に沿う)の朝鮮式山城とは性格を異にする。)
天平勝宝8年(756年)から神護景雲2年(768年)にかけて吉備真備のち佐伯今毛人が築城を担当。
北西尾根線上・南西尾根線上に望楼跡が、西山裾に南北約2キロメートルの土塁線が残る。
他の古代山城(朝鮮式山城・神籠石系山城)が663年の白村江の戦い頃の築城とされるのに対して、奈良時代の築城で朝鮮式山城でなく大陸系の中国式山城である点で貴重な山城である。

麓の高祖神社から高祖山に登り、高祖東谷に縦走し、怡土城跡探訪歩道を歩き、高来寺から麓の土塁を横に見ながら大鳥居口経由で高祖神社駐車場に戻る。
一の坂礎石群~第2望楼跡~第3望楼跡~第4望楼跡~第5望楼跡~麓の土塁跡~大鳥居口と見学。

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カズサン

吉備真備築城の古代城郭 (2020/11/26 訪問)

 前日南肥後の城々を終えて八女市宿泊2泊へ九州未踏の城廻り遅延対策で九州縦横に動ける様にと決め、当日八女のホテルを8時前に出発、八女ICより九州道福岡高速道西九州道、無料区間から県道56号線へ九州未踏の城廻り22城目怡土城麓の土塁を目指す、怡土城の登城は体力気力的に到底無理なのでせめて山麓の土塁を探訪したいと県道56号線を南に進行、ナビは古城盛衰記さん情報の高祖神社(福岡県糸島市高祖1578)南の「怡土城址」の碑をGoogleMapで微調整し合わせる。
 
 探訪ルートは車を県道56号線ゆっくり南走行、高来寺辺りで第5望楼登城口案内看板発見、バス停に一時路駐し登城口撮影、さらに約200m南下し田圃先の土塁に看板を見つけ道より山手に入り老松神社横に路駐し土塁と堀跡の探訪、案内板撮影、その辺りから山裾に森林が連なってる様子が分かるが停まる所が無い、字「大門」と有りそれらしき案内板、土塁を車窓近く探すが分からず、ナビ目的地の高祖神社、金龍寺道路標識を山側約20m程入り、土塁、案内板、土塁の石碑に到着、駐車場は無いが幅広の道側に停めるトイレ完備。土塁に登り石碑、土塁、石垣、周辺を撮影。結構大きな高土塁、パンフレットによると南北に土塁が山麓に約2km連なってるとの事、怡土城案内解説板、吉備真備の顕彰碑などを撮影。 私は山麓の土塁列で十分満足です約1270年前の吉備真備に思いを耽る。

 歴史は天平勝宝8年(756年)吉備真備に依り築城途中に佐伯今毛人に交代し12年かけ完成、高祖山の西面山頂から山麓に広大な古代山城です。

 この後近くに在る伊都国歴史博物館を訪ねる入館料220円65歳以上無料、怡土城のパンフレット、資料を頼んで頂く、伊都国古墳出土物、大型銅鏡は日本一圧巻です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 吉備真備、佐伯今毛人
築城年 神護景雲2年(768)
主な城主 不明
廃城年 不明
遺構 土塁
指定文化財 国史跡(怡土城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 福岡県糸島市高祖/福岡市西区
問い合わせ先 糸島市教育委員会文化課
問い合わせ先電話番号 092-323-1111