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姫街道

露岩群を攻守に活用した城 (2020/12/12 訪問)

大給松平氏の城。何となく華やか感じの三河奥殿陣屋に行った後でもあり、露岩群を見て大給松平氏へのイメージが一変、驚いた。神々しさすら感じられるが、主曲輪以外の露岩群はロッククライミングの聖地となっているようで巨石毎に若者のグループがいて賑わっていた。勿論、城の作りは露岩を取り込んだ作りとなっていて、攻める側としたら、こんなに攻めにくい城もなかなか無いのでは無かろうかと思った。さらには主郭虎口の石垣は見事だ。内側にも石垣が積まれ、鉄砲での戦いに備えた作りは迫力満点だ。

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いんげん丸虫

国史跡 (2020/11/22 訪問)

甲賀市独特の方形土塁で本城、支城の城跡です。
築城者、城主は不明です。2〜4mの土塁で囲まれ、西側に副郭があります。

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姫街道

国指定松平氏館跡 (2020/12/12 訪問)

松平郷松平家が大正末期まで在住したとある。つい最近まで、ここに御屋敷があった事は驚きだ。石垣や濠などは今でも残されており、貴重な遺構だ。松平城には「日頃は松平郷に住んでいて、いざ戦いになると城にこもった」とある。ただ、松平城からは少し離れており、この距離感には正直疑問も感じる。「産湯井戸」など、家康公にちなんだ遺構もある。葵の御紋が様々な箇所に刻まれており、神聖な地である事が伝わってくる。

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姫街道

松平親氏築城の松平城 (2020/12/12 訪問)

松平の祖親氏築城。松平城の北側へ下った谷部に「竹の入」の地名が残っており、僕はここに居館があったのではと言う説に頷けます。さて、城は松平氏館跡と共に国指定を受けており、程よく樹木の伐採や整備が出来ている。主曲輪、曲輪2〜4と、櫓台があり、いたってシンプルな城だ。主曲輪からだいぶ下がった位置に横堀が巻くが、私の好きな主曲輪周りの帯曲輪は見当たらないため、主曲輪の山だけ独立的に見える。ところで、この城周辺の一般民家はまるでお城のような立派な家が点在しており、松平郷の雰囲気を形成している。

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カズサン

新鳥栖駅南西に聳える山城 (2020/11/27 訪問)

 江迎城を終えて北東に約8~9km程の朝日山城を目指す、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第28城目、ナビは佐賀県鳥栖市村田町の朝日山公園の頂部駐車場、駐車場は広くトイレも完備。
 ガイドは古城盛衰記さんに依り探訪、駐車場より階段が2連、後は尾根道を登って行く、大堀切に橋が架かり見所、主郭下の副郭まで登り坂、主郭には展望台と、神社が鎮座、裏に回り畝状竪掘り数条が確認できる。
 歴史は 古代には大宰府と結ぶ烽火台が置かれた場所、建武元年(1334年)少弐一族の朝日氏が築城、享禄元年(1528年)筑紫氏に攻められ朝日氏敗死、その後筑紫氏の持城、天正14年(1584年)島津氏に攻められ落城。明治7年の佐賀の乱では佐賀軍と政府軍の攻防戦の戦場に成った。(案内板より抜粋)

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カズサン

なぜか?三連水車 (2020/11/27 訪問)

 直鳥城を終えて北東約8km程の朝田辰兵衛さん城びと初投稿の江迎城を目指す、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第27城目、ナビは佐賀県三養基郡上峰町江迎字一本柳(三連水車ウォーターランド江迎公園)をナビ地図に落とし走行、駐車場無し道の若干広い所に幅寄せして路駐。
 こじんまりした公園でなぜか三連水車、佐賀県の筑後川から有明海の間の田園はクリーク、田圃が広がり水利用灌漑で苦労され水田の象徴、足ふみ灌漑水車が活躍した事でしょう!と考えたり。
 案内解説板、石碑、周りがクリークで囲まれてる、発掘調査で遺物や建物跡が検出されたが城主などの伝承が無いと案内板に記載あり。

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カズサン

クリーク城郭の典型例良好に保全 (2020/11/27 訪問)

 蓮池城を終えて北東に約3km程の近く直鳥クリーク公園として保存管理されてる直鳥城を目指す、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第26城目、城廻り日程進捗調整日の午後空き時間に繰り込みました。
 以前から認識しており何時かはと思って居りましたので良いタイミングでした、ナビは佐賀県神埼市千代田町直鳥の直鳥クリーク公園をナビ地図から国道264号線から南の公園駐車場を合わせて走行、国道264号線沿いに標識が有りすぐ分かります。
 公園駐車場に停めて公園内の道に沿って探訪、駐車場に在る案内解説板のみで各島々(曲輪)には説明板も無く散策するのみ、本丸らしき広場が有る、ドロンで上空から眺めないとクリーク環濠城郭の全体はよく分からない、またはタワー施設を造って頂いて眺める事が出来ればありがたいが?

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昌官忠

北条氏ゆかりの城(日帰りスタンプ押印)巡り③ (2018/09/17 訪問)

「北条氏ゆかりの城(日帰りスタンプ押印)巡り」の3城目は小田原城(ラストです)です。石垣山城からの転戦です。
小田原城は3回攻城しています。
1回目は2016/11/05に次男と二人で攻城(天守内も見学)
2回目は2017/12/09に八王子城を攻城した際に100名城スタンプを押すためだけに攻城(天守1Fで押印)
3回目が今回(2018/09/17)で小峯御鐘ノ台の大堀切が見たくて攻城しました。

攻城ルートを撮った写真から辿ると
小田原城藤棚観光バス駐車場➡銅門➡常盤木門➡天守前➡西曲輪西堀/三味線堀(天守前からここまで徒歩20分かかってました)➡八幡山古郭➡毒榎平➡小峯御鐘ノ台大堀切東堀/土塁➡小峯御鐘ノ台大堀切中堀➡小峯御鐘ノ台大堀切西堀/土塁➡毒榎平(小田原城天守を望む)➡小田原駅西口(北条早雲公像)➡帰宅。

東掘はもともと三の丸新堀の一部で、中堀と西堀は1590年の小田原合戦の備えとしてとして小田原城の防衛機能を高めるために、総構と一緒に造られたものだそうです。
大堀切、凄いです。個人的には東掘の堀法面の角度や横矢掛りが好きです。西堀は段を持った形状になっていました。
攻城時間は1時間45分くらいでした。

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昌官忠

北条氏ゆかりの城(日帰りスタンプ押印)巡り② (2018/09/17 訪問)

「北条氏ゆかりの城(日帰りスタンプ押印)巡り」の2城目は石垣山城です。興国寺城からの転戦です。
続100名城スタンプは「石垣山一夜城公園」トイレ入口で押しました。

JR小田原駅東口1番線乗場から観光回遊バス「うめまる号」を利用して攻城しました。料金は乗り放題で500円でした(バッチももらえます)。

石垣山城は豊臣秀吉が小田原征伐の際に築いた陣城として知られています。
小田原城に籠城する北条方の戦意を喪失させるために、一夜にして築城されたかのように見せて驚かせたことから「一夜城」とも呼ばれています。(実際は80日かかっています)
現在は「石垣山一夜城歴史公園」として整備されており、天守台跡や凄い石垣を見ることができます。また、展望台から小田原城を眺めることもできます。
攻城時間はバスの都合上自分は30分くらいで切り上げましたが、現地ボランティアガイドさんが案内してくれますので時間のある方はぜひ。

帰りは「うめまる号」で「小田原城藤棚観光バス駐車場」まで戻り、小田原城へ向かいました。

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昌官忠

北条氏ゆかりの城(日帰りスタンプ押印)巡り① (2018/09/17 訪問)

「北条氏ゆかりの城(日帰りスタンプ押印)巡り」の1城目は興国寺城です。続100名城スタンプは「穂見神社」で押しました。

JR原駅から30分歩いて興国寺城に着きました。興国寺城は北条早雲の最初の居城として知られています。
現在も石垣、土塁、空堀などの遺構を確認することが出来、特に土塁の高さ、空堀の深さは素晴らしいの一言です。
攻城時間は45分くらいでした。

帰りは根古屋のバス停まで歩き、バスで原駅まで戻りました。

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todo94

決戦!本能寺 (2020/11/08 訪問)

斎藤妙椿築城という顔戸城。「決戦!本能寺」の中の葉室麟の短編「鷹、翔ける」の冒頭に斉藤妙椿が登場していたので、感慨深いものがありました。

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ブロせ

宇陀松山城! (2020/12/13 訪問)

バイクで攻城!
行ける所までいって、崖みたいな所を登ってやっと天守跡まで到着♪
そこにいたおじいさんに、聞いたら、正規のルートがあるとか^^;
石垣を見れましたが、大変でした(爆)

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ぴーかる

諏訪原城 (2020/11/21 訪問)

【続百名城42城目】
<駐車場他>諏訪原城第一駐車場
<交通手段>新幹線→レンタカー

<見所>馬出・堀
<感想>1泊2日武田・徳川攻防の城旅1城目。諏訪原城ビジターセンターに最初に寄り、模型・説明板等を見て城跡に行った。順路通りに大手南外堀から大手曲輪は茶畑に、右手に大手馬出の堀、左手に大手北外堀を見つつ城跡最大の見所二の曲輪中馬出が正面に見えてくる。巨大な丸馬出と深い堀に圧巻、土の馬出し今までちょっとなめていました、反省です。二の曲輪北馬出は立入禁止→ニの曲輪→本曲輪→本曲輪より東に降りて切岸・内堀を観察→水の手曲輪→残り4つの馬出を見て終了した。城跡南側の丸馬出群と梯郭式後ろ堅固の特徴ある縄張りと所々にある石積み遺構が良かった。山城扱いだが縄張り内に高低差はあまりなく、平城のような土の城も馴染みがなかったので新鮮な感覚だった。

<満足度>★★★

<グルメ>広大な茶畑のど真中にあるお店「とろろ屋ととろ」この辺はお茶は勿論だが自然薯も有名なんですねえ。以前丸子城で食べ損ねた自然薯を食しました。地元の方はラーメンを注文している人が多かった。何故?

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カズサン

佐賀城東の守りクリーク城郭 (2020/11/27 訪問)

 北肥後の阿蘇市内牧城を終えて城廻り日程調整日午後に余裕が出来たので以前より気に成ってた佐賀県の環濠集落的クリークの城跡を目指す、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第25城目に蓮池城を初登城、姉川城以来4年振りのクリーク田圃の中を彷徨う、八女ICより西に約20km超程、ナビは佐賀県佐賀市蓮池町蓮池の蓮池公園駐車場に合わせて走行、駐車場には既に公園整備の方々が休憩中他休憩中の車が数台10台は可能、トイレは公園の中に完備。

 探訪は公園駐車場から河川改修で陣屋が分断された佐賀江川に架かる橋を北に渡り北の神社エリアに、庭園跡、神社は老朽化で東屋に変わり保全されてる、東の蓮池公民館、蓮池陣屋の配置絵図看板が有る、東の堀、神社跡の西側入り口に南北に堀、特に遺跡らしき物は無いようです?、来た橋の西の橋から公園に戻り公園を探訪、西の堀跡?公園南の男山、幕末軍事調練で藩主の指揮所で合ったと言われてる、東に堀跡らしきクリーク?一周して駐車場へ、鳥のように上部から俯瞰しないと良く分からないクリーク環濠城郭。

 歴史は鍋島直茂は関ヶ原後一族を蓮池城に入れ佐賀城の東約5km東の守り対筑後国境の城とした、元和の一国一城令で城は破却、しかしその後鍋島勝茂の三男直澄が寛永16年(1639年)に蓮池藩(5万石)を再建、明治まで続く蓮池鍋島家の居城と成った。現在は蓮池公園として整備され一般公開されてる。古城盛衰記さん抜粋

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前ちゃん

隆景様 (2020/12/14 訪問)

ニイタカヤマノボレ

ここの場所じゃないけどね

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いんげん丸虫

国史跡 甲賀郡中惣遺跡群 (2020/11/22 訪問)

新宮城から谷を隔てた隣にあります。方形の単曲輪ですが、10m程の土塁が圧巻の迫力で見ることができます。人間の視野の中にまるごと収まるように方形土塁を見れるので感動しました。周囲の堀もしっかりとしていて素晴らしいです。単純な遺構なのかもしれませんが、凄い迫力です。

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カズサン

阿蘇外輪山に抱かれた平城 (2020/11/27 訪問)

 南肥後の城廻り宇土古城でタイムアップし同日登城出来ませんでしたので八女市に2泊し日程進捗調整日、鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第24城目に阿蘇市の内牧城を目指す。
 
 ナビは熊本県阿蘇市内牧267GoogleMap微調整して体育館駐車場に合わせて走行、ホテルを8時前に出発し八女ICより九州道熊本ICを降り国道57号線を阿蘇市大分方向へ東進、道の駅大津で先の熊本大地震で不通に成ってた国道57号線状況を確認、10月より綺麗に整備されて通れますと休息されてた方より伺い安心して57号線を走行、道の舗装は真新しく綺麗に整備されてました。阿蘇に入った辺りから霧が濃く成りフォグランプを点灯し内牧城跡体育館駐車場に到着、霧が深く阿蘇外輪山は望めず。
 
 広い駐車場に愛車を停めて探訪、体育館の在る場所が本丸、通りを挟んで東の阿蘇公民館が有る所が二の丸、更に東のファミリーパークあそ・ビバ辺りが三の丸か?南に城下町が開けていた、北側のに蛇行した古川、南側の黒川が濠の役目の様子、遺跡の石垣は二の丸奥東のファミリーパークあそ・ビバ駐車場の南側に残ってるのみか? 本丸跡案内解説板の隣に勝海舟と坂本龍馬が内牧に立ち寄ったという案内板が有ります。

 歴史は阿蘇氏の領有、島津氏に攻められ、九州征伐後加藤清正が入国すると支城として城代を置く、元和の一国一城令で廃城、加藤氏改易後細川氏が入封、内牧御茶屋を設置した。

 探訪が終わり10時半過ぎには霧も一部晴れ阿蘇外輪山の頂部がくっきりと青空に映えて荘厳な雰囲気、綺麗でした、来た道を引き返し国道57号線途中に熊本大地震で崩壊した阿蘇大橋跡に慰霊碑が建てられ駐車エリアも有り立ち寄り崩落の橋と慰霊に黙礼をささげる、東海大学の学生が1名犠牲に成ってます。
 八女市より片道約100km程、約2時間掛り同じ道を引き返し空いた午後の時間を佐賀のクリーク城跡の探訪に向かう。
 

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しろちゃん

間宮豊前守信盛居館【神奈川県川崎市川崎区砂子1丁目】 (2020/11/24 訪問)

この間宮豊前守信盛居館は、後北条氏の家臣である間宮豊前守信盛の屋敷跡です。
この間宮氏は、神奈川県東部、武蔵の国を領地としていました。
場所は、京浜急行京急川崎駅駅前にある、宗三寺が居館跡であります。
ここは、宗三寺の目の前が古くから川崎宿場町で、交通の要所であり、小田原に向かう為には、多摩川を越えた要地である事を伺えます。
遺構は残っていません。

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しろちゃん

川崎堀之内【神奈川県川崎市川崎区堀之内町】 (2020/11/24 訪問)

日本城郭体系に記載されていますが、平安時代末期に渋谷氏を祖として河崎冠者基家の屋敷があったとされています。

城域は、南北は稲毛神社の北側から県道409号線と国道15号線を含んだ東側200m位が城跡とされています。
遺構は、市街地である為、地名のみしか偲ぶものはありません。

近隣には、間宮豊前守信盛居館があります。

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昌官忠

次男と二人で1泊2日の関西遠征⑧ (2018/09/23 訪問)

「次男と二人で1泊2日の関西遠征」の8城目(ラストです)は城びと未登録の豊臣大阪城です。大阪城からの転戦です。

豊臣大阪城は「大阪夏の陣」で豊臣氏の滅亡とともに焼失しました。その後、徳川幕府により新しい大阪城が築かれた際には全体に盛り土をしたので、豊臣大坂城の遺構はいまも地下深くに眠り続けています。

豊臣時代の石垣(34.690433、135.521426)がテレビ大阪本社近くにあります。説明板もあります。大阪城大手門から徒歩10分くらいなので、大阪城訪問の際に時間があれば見学してみてください。攻城時間は5分くらいでした。

「次男と二人で1泊2日の関西遠征」の最後の攻城なので、豊臣大阪城から天満橋駅まで10分弱歩き、京阪本線と御堂筋線を利用して淀屋橋駅➡新大阪駅に向かい、自宅に帰りました。

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