日頃、大崎市・加美郡内の城館を訪ねているが、今シーズン最後の訪問先は登米市の保呂羽館にした。この日は朝に初雪となり訪問中止も考えたが午後には晴れの予報を信じて攻城した。
保呂羽館は北上川の右岸、寺池城の有る市街地から1.6kmほど南に位置する丘陵地にある。登米神社脇の道を登り保呂羽浄水場から300m進むと城址碑の建つ曲輪跡がある。その平場の奥が主曲輪となる。仙台古城記(仙台領古城書上げ)では寺池村登米町の項に「一 保呂羽城 東西五十間 南北百五間 城主葛西清重。草長伊豫伊達若狭。」と記載があるが日本城郭大系では1,100m×1,200m 標高108m 比高100m。古城記の記録は城の中心部にある主曲輪とそれに付随する二ノ曲輪の規模を表したものと考える。主曲輪を中心に現在は浄水場の場所、日高見牧場の施設となる場所など広大な敷地に多数の曲輪を付随させた大規模な城であったと想像できる。
遺構としては主曲輪に付随する四ヶ所の曲輪跡の平場、帯曲輪、土塁、空堀などを確認できるが何れも杉林・竹林・梅林となっている。
城主は天正18年の奥州仕置き時までは葛西氏だが同氏が何時ごろから使用したかははっきりしないようだ。中世の早い時期には山城の保呂羽館を拠点とし、後に市街地の寺池城を拠点としたのであろうか。
城址最高所のトイレがある場所に駐車スペースがある。
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