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ぎりょう

保呂羽館(宮城県登米市)広大な規模を持つ奥州葛西氏の拠点 (2020/12/13 訪問)

日頃、大崎市・加美郡内の城館を訪ねているが、今シーズン最後の訪問先は登米市の保呂羽館にした。この日は朝に初雪となり訪問中止も考えたが午後には晴れの予報を信じて攻城した。
保呂羽館は北上川の右岸、寺池城の有る市街地から1.6kmほど南に位置する丘陵地にある。登米神社脇の道を登り保呂羽浄水場から300m進むと城址碑の建つ曲輪跡がある。その平場の奥が主曲輪となる。仙台古城記(仙台領古城書上げ)では寺池村登米町の項に「一 保呂羽城 東西五十間 南北百五間 城主葛西清重。草長伊豫伊達若狭。」と記載があるが日本城郭大系では1,100m×1,200m 標高108m 比高100m。古城記の記録は城の中心部にある主曲輪とそれに付随する二ノ曲輪の規模を表したものと考える。主曲輪を中心に現在は浄水場の場所、日高見牧場の施設となる場所など広大な敷地に多数の曲輪を付随させた大規模な城であったと想像できる。
遺構としては主曲輪に付随する四ヶ所の曲輪跡の平場、帯曲輪、土塁、空堀などを確認できるが何れも杉林・竹林・梅林となっている。
城主は天正18年の奥州仕置き時までは葛西氏だが同氏が何時ごろから使用したかははっきりしないようだ。中世の早い時期には山城の保呂羽館を拠点とし、後に市街地の寺池城を拠点としたのであろうか。
城址最高所のトイレがある場所に駐車スペースがある。

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赤い城

公園と住宅地に (2020/12/12 訪問)

結城駅から徒歩で約20分。
城址歴史公園として整備されているが遺構は微妙です。
公園南側に西館との間の空堀があり、さらに南に藪化した深い堀がありました。
突入したかったけど周囲は住宅地。
つう法されそうなので撤退しました。
結城氏が築城した城ですが家康の次男、結城秀康が跡を継いで入った城です。

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ぴーかる

勝間田城 (2020/11/21 訪問)

【勝間田城】
<駐車場他>麓に城跡専用駐車場8台分程あり。
<交通手段>レンタカー

<見所>連続堀切・土塁・切岸・礎石建物跡
<感想>1泊2日武田・徳川攻防の城旅2城目。この城跡は戦国期以前の城で武田・徳川とは関係ないかもしれません。現地説明板を要約すると「この城跡は応永年間(1394ー1428)にこの地方の豪族で鎌倉幕府の御家人となった勝間田氏の子孫勝間田定長が築城したと推定されます。応仁の乱が勃発すると今川氏と対立し、1476年今川義忠によって落城され一族は四散したそうです。その後城が再び使われた記録は見当たらないが遺構からは手が加えられた形跡が認められる。」とあります。
 
 城跡専用駐車場にトイレ、トイレにパンフレットが置いてあります。駐車場から城跡入口前の侵入禁止場所まではアスファルト道なので多人数で行く場合は同乗者を上まで行って降ろしてあげると便利です。城跡入口石碑がある場所の手前に出曲輪と堀切があります。出曲輪は茶畑になっていて気づきにくいです。三の曲輪入口左手には横堀跡、三の曲輪・西三の曲輪は一体化して土塁で囲んでいる。また三の曲輪には馬洗い場の窪地もちゃんと発掘されてあります。東側には2重堀切、少し鬱蒼としていますが見応えあります。ニの曲輪はその南上段にあり土塁で仕切っている。ここには礎石建物跡があります。二の曲輪から南は谷を利用しての大堀切で区切っており、その南側にそびえ立つ東尾根曲輪は圧巻で切岸がすごいです。この辺りの防御力がこの城の要かと感じました。東尾根曲輪の東側には最大の見所の連続堀切があります。曲輪からは2条程しか見えませんが、堀切をつたって奥までいくと小さいのがもう3つ、5条の連続堀切になっています。東側からは比較的平坦で尾根伝いに侵入できそうなので5条も造ったのかなと思いました。また東尾根曲輪から富士山が眺望できます。東尾根曲輪の西側に本曲輪があり本曲輪の南に南曲輪があります。本曲輪・南曲輪間も道になっていますが深い堀切になっています。本曲輪・南曲輪は南側にL字状の2m程の土塁があります。本曲輪西側にも堀切、腰曲輪があるそうだが未整備で肉眼では確認できなかった。
 各曲輪間には各々堀切で仕切り、土塁もきちんと残されている。小さいながらもキレのある、キリリとしたいい城跡でした。また草刈がちゃんと施されていて気持ちよく遺構を楽しめました。

<満足度>◆◆◆

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カズサン

麓から白旗城を眺望とチョイ寄り (2020/11/28 訪問)

 西播磨若狭野陣屋を終えて国道2号線、千種川沿い国道373号線経由で白旗城麓付近を初探訪、今回の九州未踏の城廻り通算30城目、頂上登城は気力体力的に比高300~400mは無理な状態せめて登城口付近と案内板、解説板だけでも撮影して南北朝時代、新田義貞が攻めあぐねた白旗城を麓から眺めて往時を偲びたいと寄りました。
 白旗城は鳥取帰省の折国道373号線を南下途中に佐用過ぎ何回か大きな白旗城の看板を見ながら走行しており道は慣れて居りましたがナビは兵庫県赤穂郡上郡町細野544に合わせました、白旗城の大看板が見えますので看板方向へ、登城口の橋左の川堤防に駐車場が在ります、ここに停め近くを探訪、白旗城、白旗山を仰ぎ眺める。
 橋を渡り登城口ゲート(害獣除け)辺りに案内板解説板在り、ゲートを開閉して登城口を観察、集落入口辺りから白幡山、白旗城の撮影。私的にはこれで満足です。

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いんげん丸虫

国史跡 (2020/11/22 訪問)

村雨城からは1分で行けます。20×40mの規模で3方が土塁で囲まれてます。虎口は北西にあり、その屈曲が見所なのですが、残念ながら藪で不明瞭でした。
すぐ東にある大谷池では釣りびとが楽しんでる様子でした。

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カズサン

赤穂浅野家分家気に成りチョイ寄り (2020/11/28 訪問)

 肥前朝日山城で九州未踏の城廻りは終了、帰りの長い道中故郷鳥取が気に成り今年は武漢コロナウイルス禍で帰省が出来ず龍野辺りから佐用に抜け無料鳥取道経由で鳥取へ進路変更、鳥栖ICから九州道中国道山陽道、備前SAで車中泊し龍野西ICより国道2号線を西へ気に成ってた西播磨の城を探訪。
 最初は若狭野陣屋を初登城、今回の城廻り通算で29城目。ナビは兵庫県相生市若狭野町若狭野788陣屋跡の法界庵に合わせて国道二号線より北側矢野川を渡り突き当りが目的の若狭野陣屋法界庵跡、車は周辺のギリギリ駐車エリアに一時駐車。
 法界庵跡周辺を観察し庵と土塀、石垣、地域は矢野川より北に登ってる地形、田圃畑が曲輪の様に雛壇形状、奥の須賀神社は眺めるだけで終了。
 歴史は赤穂浅野家初代浅野長直の養子大石長恒(浅野長恒)が寛文11年(1671年)赤穂浅野分家を起こす事に始まる、旗本3000石で若狭野に陣屋を構える。案内板より抜粋

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Mt.stone

甲府城 (2020/12/15 訪問)

甲府城のすぐ隣り、城のホテルに一泊。最上階に大浴場と露天風呂あり。眺望あればなお良い。コロナ対策の朝食含めてリピートありかも。ただ、駐車料金一泊千円は高いかな。
空気がキンとしている朝の散策はサイコーです。清掃ボランティアの方、犬の散歩の方、おはようの挨拶があったかい。

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カニカニ

所用にかこつけた城巡り 5城目 (2020/11/14 訪問)

1602年(慶長7年)、近世になって、縄張り・築城された総石垣の山城。

二年前の6月、佐伯文化会館駐車場まで来たのだが、某有名アーチストのコンサートと重なり、
満車で入れず、泣く泣く引き返した因縁の場所。

歴史資料館で頂いたパンフによると四か所ほど登城ルートがある。
三の丸櫓門をくぐり登城の道を登る。 やや九十九折れ的な箇所もあるが、ほぼ直登である。
石垣が見え始めたところで翠明の道へ至る分かれ道になるが、そのまま登城の道を行く。
坂とは言えないほどの道だが、ところどころが石畳になっており、滑ってかえって歩きにくい。

近世山城では珍しいという石造りの堀切と廊下橋が、二の丸と本丸の間を隔てている。
二の丸と西出丸の間は屈曲した虎口で、渡り櫓があったというがどんな配置だったのだろう?
石垣すべてを覆う大きさなら、あたかも姫路城の ”にの門” みたいになってしまいそうだ。
西出丸先端には二重櫓の台跡と太平洋戦争中の砲台(機関砲?)跡が残されていた。
時代を隔てた異なる戦争の備えの痕跡がともに今もなお残っているという事は、それだけこの場所が
佐伯の街を護る重要拠点だったという事ですね。 二重櫓の台跡が破壊されなくて良かった。
堀切の下をくぐった先の北出丸には喰い違い虎口が控え、その先にも二重櫓跡が。
水の手(雄池、雌池)へ下りる虎口は、若宮の道というルートらしいが今回はパス。

本丸外曲輪の北側は四段ほどのハバキ石垣になっている。
(ハバキ石垣という語を、この一連の投稿のために調べていて初めて知った。 勉強になります。)
本丸へ登るまっすぐな階段は無視。   外曲輪をグルッと廻ると本丸石垣に沖縄のグスクのように
隅角が丸くなっている箇所があり、しかも天端がオーバーハングしている。
積み直ししているようだが、なぜここだけこんな様相をしているのだろう?

本来廊下橋を渡るしか本丸には入れない縄張りで、その廊下橋の通路に大きな樹が生えて
石垣を痛めているのが気にかかる。
本丸からは北出丸の食い違い虎口や登城道を、しっかりと監視できている。

本丸外曲輪の虎口は平虎口ではあるが、石畳となっているうえに坂虎口となっており、
滑りやすく、上り下りがやりにくい。   雨で濡れていれば、より一層であろう。
使われている石の種類にもよるのだろうが、石畳が護りに効果があることを初めて知った。
この佐伯城はかなりの箇所に石畳を多用している珍しい城だと思う。

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前ちゃん

雪には勝てません (2020/12/15 訪問)

広島市内に泊まり、翌朝JR可部駅→広島電鉄バス(吉田病院)→安芸高田市歴史民俗博物館(徒歩)へ

電車に乗ってる頃から、チラホラと雪が。現地に到着すると山が雪化粧をまとっているので登城を断念。名城スタンプを押し、館内を見学して帰路へ

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ふゆづき

朝日に映える漆喰 (2020/12/11 訪問)

世界遺産の日は入城が無料と聞いたので、朝一番で姫路城に行ってみました。
平日でコロナのせいか、開門前に並んでいる人は40人くらいでした。
訪問した際は人気のある天守には行かず、外から櫓や塀を中心に撮影しましたが、未だ人が少ないためゆっくりと見ることができました。
朝の凜とした空気の那珂で朝日に映える漆喰の白さが印象的でした。
仕事の関係で駆け足でまわり、天守抜きで1時間程度の攻城時間でした。

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昌官忠

クラブツーリズム群馬県に残る真田氏ゆかりの城日帰りツアー① (2018/08/25 訪問)

「クラブツーリズム群馬県に残る真田氏ゆかりの城日帰りツアー」1城目は岩櫃城です。
続100名城スタンプは「平沢登山口観光案内所」で押しました。

岩櫃城は真田幸隆、真田昌幸が城主をつとめた城として知られています。織田信長による甲州征伐の際、昌幸は武田勝頼に新府城からこの城に逃れるよう勧めたものの、勝頼が小山田信茂の岩殿城へ逃げることを選んだため武田氏は滅亡しました。

竪堀を駆使した城です。本丸には南北両側に1か所ずつの虎口があり、南側の虎口には格式を示す門があったようです。攻城時間は90分くらいでした。

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todo94

陣屋は初攻城 (2020/11/15 訪問)

前日に鬼滅の刃ラッピングの白いかもめで諫早入り。朝駆けで6年ぶりに高城を攻略いたしました。10時過ぎには無事、陣屋の庭園にも入ることができました。高城神社にある西郷井戸もチェックすることができました。

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Toshiaki

実績 (2019/04/29 訪問)

国宝

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にのまる

計画性がない。 (2020/10/16 訪問)

 八雲神社にも織姫神社にも、足利学校にすら行けませんでした。金山城で時間を使いすぎました。

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ほーり

普通に入れる! (2020/12/13 訪問)

東京に住んでいたけど、普通に入れることを知らなかった。
大手門の入り口にアルコール消毒が置いてあり、体温計測と荷物検査があった。
巨石の石垣に圧倒される。
特に天守台はすごい。
また、大手門を入ってすぐに三の丸尚蔵館があり、展示が楽しめる。
本丸休憩所に江戸城の模型の展示をしていた。
やはり、江戸幕藩体制のために徳川家康が立てた城だと思う。

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キンヤ

日光川ウォーターパーク水郷の直ぐ横にある城跡 (2020/12/13 訪問)

小牧・長久手の戦いの前哨戦である蟹江合戦の時、城主の山口重政は母を人質に取られながらも徳川方に味方し、秀吉方の敵を撃破したと云われます。

低い土地にありますので、遺構は震災や水害で失われたことが想像されますが、道路に分かり易い標識があり、立派な石碑もあり、ありがたいです。

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姫街道

見所満載!石垣のある山城 (2020/12/12 訪問)

西三河の最北にある城の一つ。高速道路のどのICから行っても結構距離があるが、主要部には石垣が詰まれ、3段に帯曲輪や、広い居館跡が残る。そんな中で特に注目は竪堀郡だ。「ここで止めぞ!」と言う迫力が伝わってくる。石垣は、長篠の合戦以降、戦国末期だと書かれていたが、この奥三河で鉄砲を意識した築城が必要だった事が驚きだ。
樹木は適切に伐採され、城全体的が秋桜と紅葉に包まれている美しい城だ。

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姫街道

矢作川を見下ろす川口城 (2020/12/12 訪問)

登山道入口に天神社があり、その裏手に登城道がついている。比高は40mでかなりの急斜面だが、階段が付いているので一気に登れる。山の頂上を削って主曲輪とし、ぐるっと腰曲輪が回っているシンプルな作りに、勝頼がこの城を落とした名残りだろうか堀切が腰曲輪に二条入っている。地図で見ると、眼下を流れる矢作川が蛇行している位置で、支流の合流地点でもある。立地的、縄張り的にも古い城ではないかと感じるが、築城は室町時代のようだ。

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朝田 辰兵衛

福岡空港での乗り継ぎの合間に… (2020/12/02 訪問)

福岡空港での乗り継ぎに数時間のインターバルがあったので,福岡地下鉄空港線沿いに手ごろなところを探したところ,ここにたどり着きました。
姪浜駅から徒歩約25分で生の松原地区に到着。向浜地区と脇地区を散策していると時間的にリスキーだったので,このエリアだけにとどめました。
「ほぉ~,こういう構造か」と,実物を見て納得した次第です…<笑>。

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姫街道

感動!驚きの城 (2020/12/12 訪問)

この城は位置も名前も資料によってまちまちなので、まずは「城山城そのまま公園」に向かう。案内も全く無い。たまたま会った地元の詳しい方に案内してもらった。写真に掲載するが、「駐車場の裏手の坂を上がってる途中、左手に伸びる山道を行く」
この城は名前が松平城山城、城山城、大田城など、定かでないにも関わらず遺構と城の規模は三河では山中城に匹敵、露岩の迫力は大給城を凌駕すると感じる。何でこれだけの巨石が山頂にそびえているのか実に不思議だ。プレートの隆起と洗掘だけでは説明がつかない。縄張りは、登城して露岩を抜けてからが本番で、連続堀切など武田方を思い出させるような遺構もある。整備も荒れているわけでもなく適当だ。

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