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和太郎

鉢形城 (2020/03/21 訪問)

4城目鉢形城。桜綺麗でした。

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和太郎

江戸城 (2020/02/01 訪問)

江戸城。改修工事行われてました。

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和太郎

箕輪城 (2020/03/21 訪問)

3城目は箕輪城。綺麗に整備されてました。

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和太郎

100名城 (2020/01/26 訪問)

水戸城に登城。
昔は水戸藩校だったのですね。

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中川藤兵衛尉

砂山城 (2020/08/30 訪問)

南北朝期に神感寺を要塞化して築かれた寺院城郭。少しずれた所に、八代龍王神感寺があります。寺院城郭らしく、削平地がずらっと並んでいます

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中川藤兵衛尉

鷲尾城 (2020/08/30 訪問)

南北朝期に興法寺を要塞化して築かれたで、現在は鷲尾山興法寺。動乱で焼失するも、後に再建されました。城の面影はありません

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赤い城

ミニチュア模擬天守は必要なのか? (2020/08/14 訪問)

時間に余裕が無かったので登城口だけ、と心に決めて訪問。ここまで来ると登りたくなる。
で、間を取って?はじかみ林道コースより登ることにしました。
少し登ると左は急な崖、とてもここを攻め登ることはできないかと。
猿馬場や虎口などを見ながら山頂へ。眺めは素敵でした。
で、皆がいらないと言うミニチュア模擬天守。
何やかんやでしっかりフォトジェニックな存在になっているような・・・。
次来ることがあれば健脚コースでしっかり遺構を観察します。

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カルビン

高取城 [埼玉県入間郡越生町大字越生1051] (2019/01/02 訪問)

高取城といえば真っ先に奈良県の100名城を挙げられると思いますが、埼玉県越生にも同じく山城の高取城があります。

この地区の山城は素晴らしい場所が多いものの、熊の多発地帯でリスクが大きく行き辛いのですが、越生にある高取城は駅からも近く、越生神社の裏手にある登山道からという比較的近い所から行ける為、熊のリスクは0では無いものの少な目の様です。

ものすごいキツイ登りって程では無かったものの、それなりに高い所まで登る事になりますので、有る程度の装備と覚悟は必要かと。

規模は小さく遺構はあまりありません。。。山頂と思われる主郭に祠があり、その周囲は一段下がって南は帯曲輪、北は横堀くらいのものでしょうか。
一応主郭手前の階段のところにお城を示す標柱があるので、「お城行ったぞ~!」的な気分にはなれますw

その規模から山城初心者には登りの練習に丁度良いレベルかと思います。


ここから北の同じくJR八高線・越生駅から徒歩圏内にある岡崎薬師が岡崎氏館であるので、史跡を数訪問したい方ならセット訪問推奨です。(こちらは遺構皆無に近いかと。。。雰囲気はあるかも)

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がっくん

安良里城 投稿一番槍(笑) (2020/08/29 訪問)

西伊豆の黄金崎ちょい南に安良里港があり、海に出ている丘陵部にその城はあった。
長浜城、下田城の間に位置する後北条の水軍拠点である。 城跡周辺には道標や案内板は何もなく、「西伊豆歩道」という
比較的整備された遊歩道を網屋崎方面に1kmほど(約20分)山中を登った先に城跡を発見。
主郭と思われる所には東屋があり休憩所となっている。 木々がなければ駿河湾を見下ろす良いロケーションだ。
主郭下には三重の帯曲輪が確認出来、隣接郭とは堀切で隔てられている。
海側からは急傾斜なので、大きな天然岩もあって攻めるのは難しいであろう。

港周辺は私有地が多く、駐車スペースが限られているが、私は遊歩道入口の50mほど手前のカーブに2台ほど停められる
スペースがあったのでそこに停めた。 山中の歩き途中にタヌキと遭遇したのが気持ちがほぐれて一番の収穫だったかも。

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エグ1394

小口城 (2020/08/30 訪問)

小口城は織田広近の居城として知られています。織田信長の尾張統一の際に攻め落とされ廃城となりましたが、「小牧・長久手の戦い」において、一時的に秀吉方の前線基地として再興されました。現在は小口城址公園として整備され、高さ17mの物見櫓が建てられています。

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カッチン

暑くて登り階段 (2020/08/29 訪問)

ロープウェイを降りての長い階段は大変だったが最上階からの長良川、名古屋地域が一望、織田信長の戦国夢の跡か?

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小城小次郎

神々が交錯する場所 (2020/07/24 訪問)

石狩川が大きく湾曲する神居古潭は恐らく様々な神々が交錯する場所。近くにあるはずのストーンサークルには辿り着けなかったが、来るものを拒む姿勢こそが神威古潭(神の住む場所)の本質なのだろう。

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カズサン

大堀切が見所の武田氏築城 (2015/05/15 訪問)

 続100名城に登録前の平成27年5月中旬約1km南の亀山城、石橋城を終えて初登城、車は白鳥神社より30m程東の駐車エリア利用、案内板は神社前。
 亀山城、道の駅「つくで手づくり村」から国道301号線を北に約1km超を県道436号線を東に入る約100mで白鳥神社、植林杉林に覆われた独立丘陵が古宮城です。
 現在は城郭関連本が多く出てますが以前は歴史読本各号、特集版が城情報を得るツールでした、全国石垣、建物の残ってる城郭はそこそこ回り終えて次に廻る城を模索してる中歴史読本平成21年5月号に「特集日本の城都道府県別ベスト10」が掲載されており次回探訪城郭の参考と成りました、その中で愛知県ベスト10で第3位に古宮城があり認識を新たにしました、そうこうしてるとネットその他で古宮城が取り上げられ今回愛知県新城市城廻りと成りました。

 攻城は白鳥神社東横の道を縦に登ると本丸下の帯曲輪を通り本丸枡形虎口、本丸へ、内部は杉林で鬱蒼として暗く、熊笹が茂ってる、歩きは土塁上が無難、本丸の西に2の丸(西曲輪)その間に南北に大堀切が走り圧巻、底から見上げると恐怖感を覚える、土橋で本丸、2の丸行き来が可能、本丸から見下ろすと周囲ぐるりと土塁、曲輪が林間から確認できるが杉が多すぎて写真撮り困難、案内表示板も無く確認しずらい、また笹藪で各曲輪に入りづらく歩ける所を歩いて探訪したがよく知ってる方にガイドをお願いしたい城である。
 近くの亀山城と同じような景観整備をお願いしたいが如何なものか? 5年後の令和2年の整備は如何に?

 歴史的には武田氏三河侵攻、奥平氏従い、元亀2年(1571年)頃に武田氏家臣馬場信春築城と伝わる、天正元年(1573年)奥平氏が離反し亀山城を放棄し、徳川、奥平氏の反撃で古宮城落城、設楽ヶ原、長篠の戦の2年前。

 素晴らしい城なので是非整備保全、景観整備、遊歩道整備、ガイダンス施設など叶うと有り難い。

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キンヤ

根来寺の南側を守る前山の砦群 (2018/12/31 訪問)

前回は根来寺境内と西山城と言われる西エリアに行きましたが、今回は根来寺の南側にある前山に行きました。

大門に車を停め、前山の西麓から登って巡り、東麓へ下りました。

ハイキングコース以外は整備されておらず、全体的に遺構は見辛かったです。

でも、前山の東西に長く延びる土塁(後世の盛土の可能性もあります)、西端の南側尾根で土橋付きの堀切、中央の南大門跡は、明瞭で良かったです。

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TMN97

多賀城趾 (2020/08/30 訪問)

多賀城趾

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TMN97

仙台城趾 (2020/08/30 訪問)

仙台城趾

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キンヤ

陣屋広場が綺麗に整備され、移築門が残る陣屋 (2020/08/24 訪問)

家康が築いた羽城の跡に、家康の母於大の方の実家の水野家が設置した陣屋だそうです。

陣屋広場は綺麗に整備され、行った当日はかなり暑かったですが、係りの方が清掃をして下さっており感謝です。

陣屋広場から南西へ500m位の所にある常行寺の山門は陣屋裏門が移築されたものとの事です。

常行寺の直ぐ南にある西方寺には城郭を思わせる太鼓堂・隅櫓があります。

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ぴーかる

朽木陣屋 (2020/08/15 訪問)

【朽木城】
<駐車場他>陣屋跡資料館前に10台分程度あり。
<交通手段>車

<感想>朽木陣屋跡は安曇川に北川という川が合流する地点にあります。陣屋跡の上段がグランドと資料館、下段が茅葺民家・井戸・石垣跡が見られます。陣屋の主要部分は今はグランドになっており、見れる遺構は下段の駐車場脇にある石垣跡と石段・井戸・井戸の傍にある石垣跡といったところだろう。堀もあるようだが未確認です。茅葺民家は移築されたもの。私が行った時は資料館は閉館中でした。
 いづれも行かなかったが、南に1.5㎞程のところに朽木氏岩神館跡があり足利義晴の為に造った庭園があります。また北2㎞程に金ヶ崎の戦いで撤退してきた信長が隠れたとされる信長の隠れ岩なるものがあります。
 足利義晴を庇護、足利義輝を匿い、信長の朽木越えを手引きした。歴史の主要人物に関与した興味深い場所と一族。

<満足度>◆◇◇

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エグ1394

大秋城(名古屋市中村区大秋町) (2020/08/29 訪問)

城びとでは検索されないお城です。
大秋城は那古野城主・今川氏豊の家臣である大秋十郎左衛門の居城として知られています。今川氏豊が没落すると大秋氏は林秀貞の与力となり、1556年(弘治2年)に織田信長が弟の織田信勝(信行)と戦った「稲生の戦い」では米野城主・中川弥兵衛とともに信勝方について敗れています。おそらくはそのまま廃城になったと思われます。現在城址は住宅地となり遺構はありませんが、大秋八幡社に城址碑が建てられています。

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昌官忠

GO TOトラベル (2020/08/29 訪問)

銚子へのGO TOトラベル2日目の帰宅する途中に鹿島まで足を延ばして鹿島神宮➡鹿島城を攻城。駐車場(35.968558、140.6228)に妻を残しての攻城の為、速攻で本丸の堀を確認して戻ろうとしましたが、結局30分位見学してしまいました。その後、帰路途中にある佐原の街並みを散策して帰宅しました。鹿島城の堀は深くて感動しました。

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