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松永弾正子

西環濠からの天守閣「今西家」 (2020/10/08 訪問)

本願寺を中心にした松永久秀らが第三次信長包囲網の一環のために、今井郷旧環濠を新たに三重堀を強固に城構えとしたもので、信長軍(明智光秀配属の筒井順慶率いる織田の軍勢)と半年あまり戦った。そして、顕如上人が信長に和睦を申し入れたために戦う大義を失って明智光秀の茶の師匠である津田宗及の仲介によって和議をしている。
明智光秀今井郷宛書状によると、和議の条件として堀を埋めることと、武装の放棄である。織田信長から今井郷宛朱印状には石山本願寺同様に自治が許されるという寛大な沙汰をくだされている。
現在、西環濠が復元されていて、南側には橿原市教育委員会が発掘調査した三重堀が確認され、城好きには往事の城構えの様子が脳裏に浮かんできます。

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カズサン

天竜川取水口を守る城?、諏訪湖と八ヶ岳が圧巻 (2020/11/04 訪問)

 松本平、善光寺平の城廻りを終えて岡谷市に在る花岡城を初登城、岡谷市には出張、旅行と何回となく訪ねてるのですが訪ねる事も無く今回の登城と成りました。
 情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん、情報で急峻で道が狭く要注意と有りました通り天竜川取水口近くの細く狭く急峻な道をダブルクランク、ギアをローし一気に駆け登る対向車が無くて一安心、本丸下の駐車エリアに停める、その下に駐車場。
 場所は諏訪湖から天竜川に注ぐ釜口水門南側の山手に在る花岡公園が城跡、本丸、二の丸辺りを探訪し、東方面諏訪湖が綺麗に眺望出来、昨夜の雪で冠雪した八ヶ岳が諏訪湖とマッチして圧巻の絶景中々写真にうまく取れませんでしたが合わせて投稿します。
 
 歴史的は諏訪氏の流れ花岡氏の築城、信玄侵攻して信玄の弟、信繫がここに居城した。

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カズサン

長沼城はリンゴ果樹園の中 (2020/11/04 訪問)

 善光寺平に来ましたので足腰に優しい平場の城をと長沼城を目指しました、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図で、目的地を貞心寺(長野市穂保167)に定め走行し門前の墓地駐車場に停める。
 
 案内板が門柱前に在り、堤防側を見るとネット写真で見慣れてた大木が目に入り城跡の中心地、リンゴ園の道を歩き堤防に寄り添ってる土塁の跡地へ、城名石碑、祠、土塁に隣接していた構造物、二の丸跡、南三日月堀跡、天王宮の案内看板が立ってる、案内看板の縄張り図によると東側の外堀と千曲川を背にし本丸を二の丸、三の丸で囲む悌郭式水堀で三重に護っていた。
 現在は千曲川の河川改修で本丸辺りは消滅し堤防脇に土塁がほんの一部残り天王宮の祠、欅の大木、クヌギの大木が植わってる、周りはリンゴ園で囲まれてる、二の丸三の丸は果樹園と住宅街に成っている。
 ちなみに貞心寺は看板によるとぐるりと水堀に囲また元因藩守屋敷跡と有りました。(因幡守ではなかろうか?)
 
 歴史的には島津氏の一族が地頭として築き、武田氏の北信濃侵攻により海津城から長沼城が北信濃の前線基地へ、武田氏滅亡の後織田方の森長可支配化へ、本能寺の変で信長が倒れ上杉氏支配と成り元の島津氏が城主へ、上杉氏会津転封で島津氏も会津へ、森忠政が入封するが津山に転封後佐久間氏が1万8千石で入封し長沼藩の居城と成った元禄元年(1688年)4代勝親が幕命に従わず改易廃城。

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イッチー大和守

暗いぞ (2020/11/14 訪問)

夜でも入れる和歌山城!タダなのが最高❗

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昌官忠

クラブツーリズム沖縄の名城5つを全てめぐる2日間⑤ (2019/01/28 訪問)

沖縄の名城巡り最後は首里城です。100名城スタンプは首里杜館(すいむいかん)で押しました。
攻城したのは2019/1/28なので首里城正殿の火事(2019/10/31)前です。沖縄は何度も来ていますが、首里城をお城としてじっくり見学したのは今回が初めてです。個人的には首里城の門と朱色の映える建造物が好きです。
攻城は守礼門➡歓会門➡瑞泉門➡漏刻門➡広福門➡奉神門➡御庭/北殿/正殿➡書院と庭園➡淑順門➡東のアザナ(ガマ遺構)➡久慶門➡守礼門に戻るルートで巡りました。
早い復興を祈ります。攻城時間は90分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム沖縄の名城5つを全てめぐる2日間④ (2019/01/28 訪問)

沖縄の名城巡り4つ目は中城城です。100名城スタンプは城跡入口付近の管理事務所の窓口にありました。
中城城は15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスクです。城は連郭式の山城で6つの郭(一の郭、二の郭、三の郭、南の郭、西の郭、北の郭)から構成されています。
城壁は主に琉球石灰岩の切石で積まれており、自然の岩石と地形的条件を生かした美しい曲線で構成されています。石積みは三種類(野面積(南の郭)、布積(一の郭城壁)、あいかた積(三の郭))を確認することが出来ます。
攻城は管理事務所前➡裏門➡北の郭➡三の郭➡二の郭➡西の郭➡一の郭➡正門➡南の郭➡カンシャーガマ(鍛冶屋跡)と巡り、再び管理事務所に戻るルートで廻りました。
見所は石垣の曲線の美しさと裏門のアーチ、あとは拝所(8つあるそうですが全部は見ていません)だと思います。攻城時間は60分くらいでした。
昼食と買物は国際通りでしたので、国際通りの写真も併せて投稿します。

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todo94

荒砥駅近く (2020/10/04 訪問)

7年前に山形鉄道フラワー長井線を完乗しているのですが、その時は荒砥駅に降り立っただけでした。荒砥城の存在も認識しておりませんでしたし。さほど期待をしていたわけではありませんでしたが、標柱も説明版もあったし、郭や土塁も視認しやすいまずまずの城だと感じました。

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昌官忠

クラブツーリズム沖縄の名城5つを全てめぐる2日間③ (2019/01/28 訪問)

沖縄の名城巡りの3城目は勝連城です。続100名城スタンプは駐車場敷地内の休憩所内観光案内窓口にありました。(続100名城200番目)
勝連城は沖縄の英雄「阿麻和利」の居城として有名で先史時代後期末から古代人の生活地として利用され、12~13世紀に築城されたものと考えられているそうです。
5つの曲輪(一の曲輪、二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪、東の曲輪)からなり、各曲輪は珊瑚質石灰岩の切石を使って曲線状に築かれています。駐車場に勝連城の模型がありますので全体像がわかります。
ここも沖縄のグスクの特徴である曲線状の石垣が見所です。攻城時間は60分くらいでした。

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相都街道

11月15日 飯盛城 (2020/11/15 訪問)

秋も深まる中、畿内で自身初の山城として飯盛城を訪問。山林の中に点在する石垣探しは非常に楽しかったです。ただ、立入らないよう求められている所にある石垣もあり、それを見る事ができなかったのは残念でした。

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赤い城

石積も見られる (2020/11/07 訪問)

大福寺そばに登城口があります。
そこから10分くらいで城域に。
枡形になっている北虎口から主郭部に入ります。
主郭下や三郭には石積も見ることができます。
なかなか素敵な城、整備もされていて地元の方の気持ちを感じる城でした。

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にのまる

今日の江戸城 (2020/11/15 訪問)

北の丸公園にある田安門と清水門です。
田安門は江戸城総構完成時から残る唯一の建物で、
♪やねのうえにーひかるたまねーぎー♪への入口です。(仕掛けどおり武道館のお客さんがここの枡形で渋滞するらしい)
年中行事、城郭検定を今年も受けてきました。
会場がすぐ近くでした。

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織田晃司

麓は館 (2020/11/14 訪問)

石垣が残る。館跡は田んぼになっている。

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コロスケコロコロ

深大寺城! (2020/03/26 訪問)

深大寺もとても立派で、城跡の遺構もしっかりあって、良かったです!

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カズサン

平石小口積で主郭二の丸が築かれ見応え大満足 (2020/11/04 訪問)

 武漢コロナウイルス禍で城探訪を自粛してる時に以前からも投稿は有りましたがヒロケンさんの投稿で再認識が深まりネットで調べてみたら比高は50m程何とか登れるではないか?駐車場も登城口永福寺側に2、3台は可能と有り城びとマイページの行ってみたいお城一覧に登録、今回の松本平善光寺平の城探訪に入れ初登城しました。
 
 情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図です、ナビに永福寺入り口を目的地(長野市松代町大室157)にして走行、集落の道は狭く慎重な運転何とか到着、登城口で永福寺の空き地に停める。
 
 永福寺登城口から登城開始、急峻な崖を九十九折の足幅の細い道、踏み外すと超危険、途中に大岩の所に准胝観音木彫と祠、の横を通り尾根道を目指す、登りの4,5m程が急でロープが張って有りロープを握ってやっと尾根道に、尾根に沿って曲輪が有り平石の石積みが目に入って来る、二の丸と本丸の二段石積みが見応え有り、本丸はぐるりと石積み、二の丸もぐるっと石積み、横矢石積みも構えてる本丸霞城案内看板に平石小口積石垣と記されていた。
 
 本丸の東に虎口、古墳の看板が倒れてたが古墳跡なのか?古墳を利用した城郭?本丸を二の丸で囲み輪郭式城郭、南に三の丸、三の丸直下に上信越道が見下ろせます、大変見応えが有り石積みに興奮感動しっぱなし、平石の石積みは近くの青柳城、荒砥城で見て居り、小笠原氏の山城、林城、桐原城、山家城のネット写真で見て居りこの地方の特徴の様です。

 歴史的には小笠原氏の流れ大室氏の居城、地域の抗争の中、村上氏、武田氏、織田氏、上杉氏に翻弄され最終的には上杉氏家臣団に加わる、上杉氏会津移封時従い、霞城は廃城へ。

 帰り長野ICに向かうとき松代城が近くに在り久しぶりの登城を誘われる様な気分に成り掛けましたが次の登城を目指しました。
 

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姫街道

国指定天然記念物の柿田川公園が実はお城だった (2020/11/14 訪問)

家康が晩年に隠居場として指定したお城。確かに公園内を散策してみると、柿田川に張り出すように曲輪を形成していて、堀切も残存している。柿田川からの湧水量は多く、船で出撃するには凄いスピードで勇ましく行けるが、帰城するに曳船じゃないとムリのような気が…。南に向かって曲輪が張り出す構造のため、北側の守りが心配されるが、本曲輪北側には大土塁があったようで、国道北側の車屋隣が低くなっている地形は北郭の堀跡名残か。泉頭城→戸倉→三枚橋城の最上流に立地する家康も愛した勇ましい城だった!

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姫街道

水運の要所。伊豆半島への玄関口。対武田への防波堤 (2020/11/14 訪問)

大きく狩野川が蛇行している小山の頂部にあり、狩野川と泉頭城を構える柿田川の合流地点にある。水運の要所であったと共に、360°を見渡せる立地は戦国期の激戦地であったのは必然だろう。ただ城自体はあまり大きくなく、対豊臣軍には使用しなかったのも頷ける。泉頭城から戸倉城まで柿田川で1キロ。まるで伊豆半島への関所のような立地だ。

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姫街道

対長浜城の前線基地、三枚橋城(沼津城) (2020/11/14 訪問)

戦国期、北条水軍対武田水軍の戦を繰り広げた長浜城対三枚橋城。長浜城は三枚橋城を見下ろすように構築されていたが、現在の三枚橋城は残念ながらビル群の中。江戸時代に入り沼津城として栄えたにしては、遺構の無さは寂しい限りだ。泉頭城→戸倉城→沼津城と連続して回ったが、柿田川・狩野川によって近距離で通じており、三城とも味方なら強力水軍だが、武田水軍の時代はなかなかそうもいかず
駿河湾越しには長浜城、後ろからは戸倉城からの北条勢の攻撃に苦労して時期もあったのではなかろうかと感じた。

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いんげん丸虫

布袋岡城 栃木県栃木市 (2020/11/08 訪問)

山頂には主郭があり本丸の案内もあります。しかし凄い遺構は山頂部から東側に下る幅広い斜面にあります。大きな竪堀、壮大な段曲輪など唸らされます。土の城が好きな人にはお勧めです。

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todo94

鮎貝八幡宮 (2020/10/04 訪問)

鮎貝八幡宮が二の丸に当たります。社殿後背にかなり立派な土塁、その外には水濠も巡っているなかなか素敵な城でした。

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赤い城

見晴らしの丘公園から (2020/11/07 訪問)

登城路はいくつかあるようですが見晴らしの丘公園の駐車場を利用しました。
登城路というか仙元山山頂までの道が整備されています。
仙元山山頂までは20分くらい。
そこから更に20分くらい進むと青山城に到達します。
三郭から主郭の間に堀切、主郭の先にも遺構が良好に見られます。
二郭から尾根伝いに小倉城まで続いているそうです。

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