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トーダイ

土塁に囲まれた館跡です (2019/09/25 訪問)

鎌倉時代から室町時代前期に造られた賀陽氏の館跡と伝えられています。

農道が狭いので近くの空地<34.662028,133.843678>に駐車、グーグル
地図(写真)で確認後、土塁跡に囲まれた70mx60mの館跡(民家)
入口近くまで探索、幅約30mの堀跡から白鳥が飛び立ち驚く。

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ぴーかる

撫川城 (2019/09/14 訪問)

【撫川城】
<駐車場他>城跡前に3台分程の駐車スペースあり。
<交通手段>車

<見所>石垣・総門
<感想>日帰り備中境目7分の3城攻めの旅、4城目。庭瀬城跡から200m西に位置する城跡。戦国時代は庭瀬城と二個一のような感じで備中境目7城の内の一つ。江戸時代は庭瀬藩の戸川氏が改易後交代寄合旗本として5,000石を知行し撫川陣屋と称されたそうです。
 城跡は入口に移築現存の陣屋総門がきれいに残っており見応えある。城跡東側は土塁になっており、西側は野面の3m程の石垣になっている。北西隅は張出しが見られる。内部は井戸跡あり、現代の神社がある。

<満足度>◆◆◇

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赤い城

日枝神社が建っています (2019/09/23 訪問)

東急新丸子駅から徒歩で7分。
日枝神社が建っている辺りが跡地のようです。
遺構はありません。
太田道灌に敗れた豊島氏が籠城したとされています。
隣の駅の武蔵小杉はタワーマンションがたくさん建っていますがこちらは下町っぽい感じでした。

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イオ

黒塚古墳 (2019/07/12 訪問)

天理市柳本町には、室町期には柳本城が、江戸期には柳本陣屋が築かれ、いずれも黒塚古墳周辺を城域としていますが、写真の掲載枚数の都合もあり、柳本城と柳本陣屋の2回に分けて投稿させていただきます。

柳本城は室町期に楊本氏によって築かれましたが、十市氏が勢力を伸ばすにつれ没落し、やがて十市氏の支配下になったようです。

柳本城は、黒塚古墳の後円部を主郭とし、前方部(二郭)との間には幅6m、深さ3mの堀切が設けられていたことが発掘調査で判明しています。現地はもっぱら古墳推しで、堀切(掘割)の説明板がある他は、城址碑も柳本城についての説明板もありませんが、古墳を取り巻く周濠には水堀としての姿をうかがうことができます。

さて、その黒塚古墳、三角縁神獣鏡の大量出土により話題になりましたが、隣接する黒塚古墳展示館には、黒塚古墳の竪穴式石室が実物大で再現されていたり、出土した三角縁神獣鏡の複製が展示されていたりで、無料ながらなかなか見応えがありますので、お時間のある方は、あわせてぜひ。展示館には無料の駐車場もあります(場所はわかりづらいですが)。
 

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こげら

鳴海城跡 (2019/09/25 訪問)

旧東海道を笠寺から有松、桶狭間まで歩いて行く途中によりました。江戸方にむかい左側に小高い城跡があり、公園となっています。
また、右側には鳴海神社があり、そこに大きな城跡の碑がありました。

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刑部

ゴルフ場に喰われた城址 (2019/09/22 訪問)

案内板から500メートル、ゴルフ場なので途中までで戻って来てしまいました。

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カズサン

鵜殿氏の城、初登城 (2017/11/03 訪問)

 一昨年の11月上旬岐阜県恵那市の明智城、大正村探訪を終え国道363号線、国道419号線の山道を東海環状道豊田藤岡IC経由東名音羽蒲郡ICを降り赤坂宿、赤坂陣屋を探訪して愛知県蒲郡市の上ノ郷城へ赤日子神社を目指す。(情報、ガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクション)

 桶狭間の戦いの後家康三河平定を目指すが鵜殿氏今川方として戦うも落城(1562年)遠江侵攻まで後6年家康の三河平定が掛ります。

 上ノ郷城は赤日子神社の直ぐ北西山手、車は神社奥の駐車場へここに上ノ郷城の案内解説板が有りパンフレットも入手できます、西に向かい案内に従ってミカン畑の中直ぐに北へ曲がり土塁上の城名碑の有る虎口を通り2郭1郭に上がる、1郭に上ノ郷城の大看板が揚ってます。 神社までは細い村道を通りますがナビで何とか到着します。

 この後豊橋市大口公園の二連木城に寄り初探訪、夕暮れでフラシュ撮影、国道362号線本坂峠越えで浜松へ帰宅

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カズサン

明智遠山氏末裔は遠山の金さん (2017/11/03 訪問)

 一昨年の11月下旬大河ドラマ「直虎」ブームに乗って奥三河、柿本城、武節城と廻り「道の駅どんぐりの里いなぶ」の観光案内所で明智に行く奥三河、東三河の細い県道情報を確認しましたがあまり良さそうで無く遠回りでも時間は変わらないよと言われ国道257号線で岩村城の在る岩村町中を通り国道363号線で明智町へ。
 明智城の存在は認知してましたが近くの岩村城に何回か訪ねるも明智城には訪れなく今回の初登城と成りました、駐車場は城域近く、明智町中を走行しましたが無く、明智駅の近くにはスーパー、観光施設も有り、「おみやげ処よってっ亭」奥に停めました。
 登城は駐車場から町中を大正ロマンを感じながら大正ロマン館前の明智陣屋、水堀、模擬冠木門を通り陣屋代官前の道を龍護寺へ明智光秀の御廟を見てお寺通り奥へ逆走するように畑坂道を登ると案内指示に従い明智城本丸にに登城。(情報、ガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)
 登りは1人で龍護寺方面から下りは本丸に大勢の登城者がおりガイドを聞きながら大正ロマン館横に降りるルートを一緒に降りて来ました。
 駐車した所に在る「おみやげ処よってっ亭」に寄ると明智城の俯瞰図が額に掛けて有り写真を撮らしていただき資料縄張り図、パンフレットを頂きました。
 遠山の金さんは明智遠山家分家筋6代目とパンフレットに記されてました。
 当日は文化の日旗日で大正村は賑わってました。

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橋吉

城郭伽藍 (2010/04/10 訪問)

鎌倉時代に創建された真宗大谷派の寺院で、三河三か寺の一つに数えられる名刹であります。

寺院ではありますが、境内の周りは堀で巡らされています。
太鼓楼は、いかにも城の櫓の感があります。

このような境内のつくりを城郭伽藍といいますが、これほど見事に保存されているものは全国的にも珍しいです。

三河一向一揆(1563年~1964年)の時にはここを拠点として徳川家康と戦っています。もちろん、負けましたけどね。

現在では、至極閑静なお寺となっています。

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ちえじ

やっと来れたね〜〜! (2019/09/24 訪問)

お城の中は、すごく綺麗で展示物もたくさん。

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朝田 辰兵衛

首切り清水~のろし山間の登城道は,滑落注意で! (2019/09/22 訪問)

首切り清水~加護山山頂までは登城道が整備されていますが,首切り清水~のろし山間の登城道は,非常に狭く急勾配な難所もあります。下りる時のほうが危険だと思います。降雪時や豪雨時は登城を避けてください。誘導ロープもありません。すれ違いも場所を選ばないと大変なことになります。加護山,物見山,のろし山の散策で,軽く1時間は見ておいたほうがいいと思います。
なお,登城口にガイダンス施設があります。トイレもあり,村上城や大葉沢城のパンフレットも入手できます。もちろん,平林城も。
標高:287m,比高:260m。加護山山頂部の舘岩画像を誤って削除してしまい,ショックを引きずっています…。当分再登城する気にもならず…。
また,ここは村上市の南部に位置しますので,先日の新潟・山形地震後は,風評被害で観光客が激減したエリアになります。みなさん,足を運んでいただけると幸いです。
JR平林駅から,徒歩約25分で登城口です。

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ぴーかる

庭瀬城 (2019/09/14 訪問)

【庭瀬城】
<駐車場他>城跡前無料Pあり。
<交通手段>車

<見所>石垣・堀
<感想>日帰り備中境目7分の3城攻めの旅、3城目。城跡前に駐車場はあるが周辺の道路がかなり狭いので、大きい車はきつい。私は庭瀬駅前のコインPに駐車して行った。
 この城も備中境目七城の一つ。秀吉・宇喜多勢と激戦があり開城、宇喜多氏の領有となりしばらく無城主となる。江戸時代は宇喜多氏の重臣であった戸川達安が入城、庭瀬藩を立藩し二の丸に庭瀬陣屋を置くがその後断絶、板倉重高が2万石で入封し、江戸時代の終わりまで支配したそうだ。
 城跡周辺は庭瀬駅から少し西に歩くと濠が縦横無尽にある。濠は撫川城跡周辺まで続き、現在は広大な環濠地区のような感じとなっている。築城当時は沼地だったことから、その後城から徐々に濠を整備していって現在のような形になったような気もする。
 城跡は奥の遊具のある公園の郭の石垣は当時の感じがある。手前の小さい郭は新しいのが加えられていたように見受けられた。

<満足度>◆◆◇

<グルメ>洋菓子「サンドリオン」お勧めはチーズケーキを3種類揃えている。店内でも食べれる。ちょっと小さめなのが残念。城ガール達が城跡散策後の休憩に最適でしょう。

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カズサン

武田勝頼敗走1泊の城 (2017/11/03 訪問)

 一昨年の11月上旬愛知県新城市柿本城を終えて国道257号線を岩村城方向へ進行し稲武へ国道257号線と国道153号線が交差する所に「道の駅どんぐりの里いなぶ」が在ります、道の駅から東の山を望むと山裾に墓地が在りその上に「武節城」の看板が在ります、国道153号線トンネルの上が武節城です。
 この道の駅は何回と利用しており武節城が在る事は分かって居ましたが岩村城、恵那方面観光とかで登城する事は有りませんでした。
 
 武田勝頼が長篠の戦いで敗北し伊奈街道(国道153号線)経由信州甲斐に戻る途中に武節城で宿泊したと伝わってます。
 
 道の駅からトンネルの上から入るコースと道の駅から北に下って村落から登るコースこちらは車で本丸まで行けます。車は道の駅駐車。

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赤い城

宅地化され、遺構はありません (2019/09/21 訪問)

聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩で15分、「天守台」の碑が立っているだけで遺構はありません。
登っていく道路はヘアピンのカーブで地形的には高低差があることが分かります。
金比羅宮が建っている辺りが主郭のようですが改変されていてよくわかりません。

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カズサン

大河ドラマ「直虎」の情報で初探訪 (2017/11/03 訪問)

 大河ドラマ「女城主直虎」の最後半頃、ドラマの残り数分で関連遺跡、城情報が有り井伊谷城周辺の城情報を頼りに探訪、柿本城もその一つ静岡県と愛知県の県境国道257号線のトンネルを抜けて新城側直ぐの道の駅三石の直ぐ上です、道の駅三石は奥三河へ行く度に何十回も利用した道の駅ですがその上に柿本城が在る事も知りませんでした。
 井伊谷三人衆の一人鈴木氏(他に菅沼氏近藤氏)の城です、杉林に覆われてますが今回の大河ドラマで整備遊歩道、防御城門、防御柵が作られてました、道の駅三石に車を停めて直ぐ上の満光寺山門をくぐり案内看板に従って登城路遊歩道を登って行くと本丸に着きます、杉林で覆われ鬱蒼としてます。
 鈴木氏はその後井伊直政に仕え数々の武功を上げ徳川水戸家の付け家老と成ってます。(案内板抜粋)
 
 是非新城市には山城が多く点在してますのでその一つに入れてみて下さい。

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とりの子

けわしい山道を登ったら最高の眺め (2019/05/04 訪問)

5月4日に一宮城へ行きました。一宮城本丸跡へ行くためにはけわしい山道をあがらなければなりません。山道を走って行くトカゲの姿が見えました。トカゲはとても足が速かったので、ぼくもトカゲになって、らくらくに登山したいと思いました。ベンチで休んでいたら、ガサガサという音が聞こえたので振り向くと、大きなヘビがいました。
けわしい山道を登って、ついに本丸跡に着きました。とてもいい景色でした。そしてまた、けわしい山道を下っていきました。

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刑部

お寺敷地が城郭ぽい (2019/09/22 訪問)

車で山上の方の墓地まで行ってしまった、駐車場に停めてお寺さんをウロウロしました。毛呂氏の菩提寺 大切にされている感じです。池が防衛の役割をしてるようです。

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カズサン

方形単郭の城、土塁、水堀が残ってます (2017/10/30 訪問)

 一昨年10月下旬、小諸市の富士見城を終えて上信越道、中部横断道を経由して佐久南ICより何時もの城郭放浪記さん情報に依り南西角神社にナビを合わせ走行し神社前の水堀傍の大木で道が狭くなった手前に1台ギリギリ駐車、周辺に駐車場は無い模様。
 伴野氏は清和源氏小笠原氏流、はじめ方形居館として築かれ鎌倉期衰退するが南北朝期勢力を拡大して方形居館を本丸にし周囲に曲輪を配して野沢城と呼ばれる平城の成る、武田氏滅亡後依田氏に攻略される。
 現在城山公園として整備され市内中心部に在り市民の憩いの場に成ってる。

 この後国道141号線を野辺山、清里を通り信州路、甲斐路の紅葉を堪能し須玉ICより中央道、韮崎辺りでは富士山を見ながら身延路を新清水IC経由新東名で帰路浜松へ、中部横断道が一部出来静岡、山梨、長野の往来楽に成って来ました。

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刑部

住宅地近くの城址 (2019/09/22 訪問)

公園の駐車場が広いので助かります、直ぐに城址入口に行けます。目印は城址の案内板!

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カズサン

【信濃・富士見城】 長野県小諸市 石垣の城 (2017/10/30 訪問)

 一昨年の10月下旬福島正則館跡を終えて小布施陣屋、須坂陣屋、北斎館、街並みを探訪して上信越道を上り経由して小諸ICを降りる直ぐ東の小山、飯綱山公園の小諸高原美術館の奥駐車場を目指す、(情報、ガイドは何時もの城郭放浪記さん)北側の登坂から入ります、奥駐車場は登城口傍、主郭は歩いて直ぐです、真下を上信越道が走りトンネルの上に城跡が南東から北西の小山尾根筋を旗塚、5郭、4郭、主郭、2郭、3郭が連郭式に各郭間に堀で防いでます、草で隠れてますが南側城塁は石垣が見られます、主郭前後の郭は郭首周囲を石垣積の所も有ります。
 また浅間山は直ぐ北に聳え雪に覆われた浅間山を東方面には頭を出した富士山を望める絶景の城跡です、パンフレットは登城口に情報箱が有り頂けます。

 十数年前にTV報道で公園の紹介が有り石垣の城跡と記憶に微かに有り何時かは登城をと思ってた城で初登城です、小諸城より北に約2kmの所に在ります。

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